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紅楼夢 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 (角川ソフィア文庫) [ 船越 達志 ] 価格:1870円 |
角川ソフィア文庫で刊行されている古典名著を紹介するシリーズの一冊。中国古典四大名著の「紅楼夢」について解説している。
以前に購入した同シリーズの「水滸伝」と「西遊記」が大変素晴らしかったので、本書が刊行されると知った時はとても期待していた。てなわけで、発売直後に書店へダッシュして購入。
で、感想なんだけど……。
何ですかこのクソ解説本は。
読み終えた途端心底ガッカリした。著者は経歴を見ると紅楼夢の論文まで書いてるのだがとてもそうとは思えない。そもそも単純に一作品の解説書として出来が悪すぎ。
以下、ざっくり駄目な点を列記
①構成がクソ。前作の「水滸伝」「西遊記」がとても良かったのになんで変えたのか(理由は著者が冒頭で述べているので後述)。物語全体の流れを示した粗筋、登場人物紹介も無し。初心者向けの配慮がまるでされてない。
②700ページも長さがあるのだが、その紙幅の大半が原著の翻訳引用文で埋め尽くされている。平然と4~5ページ、長いと8ページにも渡って原文を引いてくる。しかもただ長いだけならまだしも、肝心の翻訳が大変に読みにくい。
③上記の引用部分の量の割に、肝心の解説が少ない。5ページ引用して解説文が5行とかもザラ。要するに内容が薄い。
④人物解説が浅すぎ。宝釵を「気遣いの出来るいい子」みたいな説明で終わらせたのには「は?」と思った。ホントに研究者?
⑤そのほか、紅楼夢ファンとしてツッコミどころ多数。
長くなりますが、各項目ごとに以下詳しく書きます。
①構成について
もしお手元に前作の「西遊記」「水滸伝」がある方は、是非本書と比べて見て欲しい。前二作はどちらもほぼ同じ構成をとっていて、まず最初に作品が書かれた時代背景や成立経緯を詳しく解説している。これのおかげで、当時の小説のお約束や現代人が突っかかりそうな部分が最初に解消されるため、とてもわかりやすい。またダイジェスト形式の物語紹介も取捨選択が絶妙で、ちゃんと初読者もしくは挫折してしまった人向けの作りになっている。
ところが本書「紅楼夢」は、この前作までの素晴らしい構成を捨てた。
代わりに採用したのが、何をとち狂ったのか、作中の名場面を抜粋してそれを個々に紹介していくという構成。なので、第七回の解説の後突然十七回まで飛んだり、それまでの流れを説明せずに次々違う話を並べたりするので、一連の物語の流れが大変追いにくい。なんなら中心になる人物もわかりにくい。
なんでこうなったかというと、著者が冒頭に理由を書いている。以下引用
――『紅楼夢』は極めて長い小説なので、粗筋を中心に紹介するという方法もありうるが、それのみではこの小説の魅力を十分に表すことが出来ない。『紅楼夢』の魅力はストーリー展開よりも各場面における作中人物の動きであったり、会話の流れであったり、人間関係のもつれであったり、そういったところに読む者の心が揺さぶられる点にある。これらは粗筋で十分に表すことが出来ない。そこで本書は、粗筋紹介を中心にするのではなく、重要な場面を選定してそれをなるべく省略せずに訳出し、それを繋いでいくことで『紅楼夢』の全体像を提示する。(本書15~16ページ)
言ってることはまあ正論なんだけど、その手法が全然正しくない。入門書を名乗ってるんだから普通に紹介すればええやん! 紅楼夢はそもそも国内にまともなガイドが無いんだから。
そのうえ、場面選定や物語の区切り方もおかしい。
紅楼夢全百二十回のうち、著者は第三回~第三十六回までを宝玉・黛玉・宝釵の恋愛譚の一区切りと説明している。ええーと、じゃあ三十六回以降の黛玉と宝釵の和解エピソードとか、第五十七回の「慧紫鵑」は恋愛に関わるエピじゃないんでしょうか? ていうか五十七回って著者からしたら重要な場面ですらないんだ? ふーん。単発の紅楼夢映画や舞台(時間が限られるので大体原作から宝・黛・釵のエピだけ抽出して作るのがお約束)じゃほぼ必ず採用される場面なのに?
また三十七回から貴族崩壊譚が中心になるっていうのも暴論。序盤からその手の話も中心になって常に描かれてるんですけど? なんか不自然に抜けてる回があるね?
正直、初読者からすると「まだ読んでもいない作品を場面ごとに前後のつながりもわからないまま紹介されるだけの本」になってしまっている。これのドコが初心者向けだよ! つーか紅楼夢何十回も読んでる私からしてもこんな紹介されたらわけわかんねえよ!
②翻訳引用多過ぎ
本書の一番の問題点。前述した著者の冒頭コメント通り、とにかく各場面の引用翻訳が出てくる。本書が700ページもの長さになっているのはほぼこれのせい。しかもこの翻訳、メチャクチャ読みにくい。
例えば人物の呼称について、
黛玉さん(好妹妹)
若様(宝二爺)
あなた(妹妹)
私(奴才)
などいちいち原文ルビがカッコ書きでついてくる。そのため人物の名前が出る度やかましく感じる。
しかも人物だけにとどまらず
小女郎(小粉頭児)
安心してください(你放心)
など名詞や台詞にもルビが及ぶ。はっきり言って必要性を感じない。
そのうえ、①で述べた通り物語や人物の解説も無しに場面を並べていることもあって、文中でもいちいち「鴛鴦(賈母の侍女)」「誰かさんの顔つきをご覧なさい(宝玉が湘雲に目配せした一件をさす)」など、ごちゃごちゃした補足がこれでもかと詰め込まれていて、一層読みにくさを倍増させている。
まるで大学受験の古典問題集の本文かと言いたくなるくらい、苦痛を感じる文章である。しかもこれが4~5ページにわたって続くので、本当にうんざりさせられてしまう。
また繰り返しになるけれど、前作のビギナーズクラシック「水滸伝」や「西遊記」をお持ちだったら是非本書と読み比べて欲しい。どう考えても本書の引用量と文章はレベルが低すぎる。そもそも入門書なんだから引用なんて最低限に留めるべきで、読者にわかりやすく、読みやすくというのが一番大事な配慮じゃないのだろうか?
あと、単純にこれから読破チャレンジしたい作品があったとして、そのガイド本が700ページもあったら手に取りたいと思うか?って話。長けりゃいいってもんじゃないだろ(ちなみに水滸伝や西遊記はどちらも300ページくらい)。
③解説量の少なさ、浅さ
書誌には「膨大な研究史」を踏まえたとか書いてあるけれど、上述した引用文に圧迫されて解説の量が少なすぎ。内容も浅く、これなら過去に刊行された翻訳の最後に掲載された解説文読む方がまし。
特に「読西廂」の場面。西廂記に関する説明が浅すぎて、本書を読んだだけでは、宝玉と黛玉が「良家の子女が読んだりする作品ではなかった」小説を読み、どうして感動したのかまったく伝わらない。
④人物解説が浅すぎ。
本作は後半に「女性列伝」として金陵十二釵をはじめとする女性キャラを紹介(とはいっても相変わらず引用文の羅列だらけなので、正直普通に紹介した方がどれほど良かったかと思う)しているんだけど、その内容には疑問符がつく。
例えばTwitterでも書いたけど薛宝釵。第三十二回の王夫人を慰めるくだり。王夫人は長年可愛がっていた侍女の金釧児を些細な誤解で屋敷から追い出してしまう。あまりの仕打ちに絶望した金釧児は自ら井戸へ飛びこんで自殺。宝釵がショックを受ける王夫人を慰める、という場面。著者は宝釵を「気遣いの出来るいい子」と述べているが、多くの紅楼夢ファンならご存じの通り、あの場面で宝釵は「金釧児は遊んでいたところをたまたま滑って井戸に落ちたんです」と、死んだ侍女に対してまるで思いやりに欠けた発言をするなど、宝釵の冷たさを同時に描いている(他にも似たような事例は、主人が賭け遊びでいかさましたのをわかっていながら侍女の方を「主人がそんなことするわけないでしょ」と叱る(第二十回)、一方的に侍女を虐める乳母を「お年寄りだから譲らないと」と擁護する(第十九回)と度々出てくる)。宝釵はただのいい子ではなく、あくまで当時の封建主義的世界でのいい子であり、目上に気を遣いすぎて目下を雑に扱う、深謀遠慮過ぎて周囲の事件にも見て見ぬ振りをするなど、明確な欠点も描かれた複雑な子なのだ。
他にも著者は史湘雲と薛宝釵の友情エピソードの場面をあげているが、これも後の中秋節の回でとうの史湘雲から「自分達だけ家族で楽しく過ごしてるなんて、宝釵姉様は冷たい」とはっきり言われてしまっている。宝釵はどこまでも表層的にしか親切が出来ず、人の気持ちを見落とす、あるいは軽視してしまうことがよくある。だから最後の偽装結婚にも「目上の言いつけだから」と、黛玉との友情に悩みながらも加担してしまうのだ。
そういう宝釵の欠点含めたところが人間的魅力なのに、本書はそこらへん丸ごとすっ飛ばして「いい子」「みんなをまとめるお姉さんキャラ」というごく単純なキャラみたいに説明している。文学研究者とは思えない浅さ。
黛玉についてもめちゃくちゃ言いたいんだけど、書いたら凄い字数になりそうなのでもうやめておく。
⑤そのほかツッコミどころ。
・この本、実は主人公の賈宝玉についてきちんと項目を作って紹介してない。なので読み終えても宝玉の人物像が見えてこないのではないだろうか。解説本として大変不親切だと思う。
・さらに言うと、侍女キャラ達もほぼ説明無し。襲人や紫鵑はしょっちゅう引用場面に出てくるし、それぞれ作中で重要な役割になってるのに、ちょっとした解説も無しですかそうですか。
・貴族崩壊譚のことを語るなら、賈家の家政の中心には常に王熙鳳がいるんだから彼女を中心に語ればとても解説しやすかったろうに、著者はそんなに大事なキャラだと思ってなかったのだろうか?
・薛宝琴のコラム。黛玉が宝琴に嫉妬しないのはこの時点で宝釵と和解して良好な関係を築いていることの証左として私はシンプルに理解してたけど違うんか? これに限らず、コラムの内容にもなんかズレたものが多い。
・後四十回読んで、宝玉が黛玉から宝釵に気持ちを移したなんて解釈する人いるんだ。ふーん。二人は床入りの時も心通わなかったし、最後まで思想的には相容れなかったし、結局宝玉は宝釵捨てて失踪してるんですけど?
・第百二十回で賈家が完全復興したとか解釈する人いるんだ。ふーん。十二釵は殆どが不幸な末路で、賈家もそれまでの窃盗やら家宅捜査やらでボロボロになってますけど? あくまで復興希望匂わせ程度のラストだよね。
・紅楼夢のドラマ版について、2010年版が評価されてるみたいなことを書いてるけど、大陸で散々ぼろくそに言われているのをわかったうえでの記述だろうか? 10年版が良くも悪くも有名なのは、大々的に演員のオーディションをやったり、紅学者をかき集めて脚本を作ったりといった制作過程の盛り上がりがあったからで、作品そのものの評価は歴代でもかなり低い。
あと、87年版を原作の省略が多い、ファンタジー部分が削除されてるとまるでそこが悪いみたいな書き方をしてるが、別にどっちも作劇上問題無いし、そのせいで出来が悪いなんて言っている人は見たことが無い(じゃあ著者からしたらファンタジー要素を根こそぎ抜いた98年版の水滸伝ドラマとかも出来が悪いんか?って話)。どうも著者はドラマ版をちゃんと見ているのかも怪しい。出来のいい紅楼夢、無難に楽しめる紅楼夢なら89年映画版、01年話劇版、09年の黛玉伝など普通に色々ある。
結論。
とりあえず入門書・ガイドとしては一切お勧め出来ない。
紅楼夢をほどほどに読んだ人が便覧として使うにはまぁ何とか価値を見出せるかな程度の本だと思う。
前作の「西遊記」「水滸伝」が素晴らしかっただけに大変悲しい。「三国志演義」も刊行されるらしいけどどうなるかな…。