不勉強管理人とwordpress致命的エラーとの戦い

…なんか物騒なタイトルですが、wordpressというのはサーバーやらプラグインやらPHPやらの更新にあたって、時々バグが起こります。よくわかんないままてきとーに更新しているとエラーが発生し、まともに記事が表示されないことも…。
で、今回ついにやっちまいました。

もうこのサイトを運営して五年以上経つんですが、何分面倒くさがり屋なのでぜーんぜんそこらへんの知識を勉強せずにいた結果、今回PHP更新の際に「ちめいてきなえらー」なるものにぶつかってしまいました。

記事をクリックしてもエラー画面が出るだけでまともに表示されない。
予想外の事態に「ヒエッ」と声が出ました。慌てふためいてエラーに関する対応を手当たり次第調べたところ、サイトの外観に使用しているテーマが最新版のPHPに対応しておらず、そのために不具合が起きていた模様(超推測)。
しょうがないので手近にインストールしてあった他のテーマを有効化したら、無事記事が表示されるように…。よ、よかった。
でも元々のテーマがお気に入りだったのにぃ…。
とりあえず、当面はこのままにして、いずれいい感じのやつを探して切り替えようと思います。

もともとwordpressを開設したのは、ブログやサイトのサービスが次々に閉鎖され始めたので将来的な不安を見越してのことでした。が、ブログサービスのように用意されたものをそのまま利用する簡単なものではなく、アドレスを買ったり、セキュリティやら外観やらを自分で色々設定しなければなりません。それが大変…。
でも、いずれは今別サイトとして使ってるFC2も、まだ記事だけは残ってるアメブロの旧ブログもサービス終了が来ると思ってるので、このサイトはなんとかして死守しなければなりません。

というわけで、今回の件を機にもうちょっと真面目に勉強をし直そうと思います…。

MAGI ARTS ブラック・マジシャン・ガール レビュー

一部トイマニアの間では既に常識となりつつあることだが、中国製造のフィギュア・プラモは凄まじい進化を遂げている。2010年代以降、特に日本のキャラクター(ガンダムやウルトラマン)ブームが中国内で爆発したこともあって、中にはちゃんと版権をとり、日本以上の熱意と技術をつぎ込んでトイ製造が行われることも。
今回紹介するブラック・マジシャン・ガールのフィギュアもその一つ。いうまでもなく伝説の漫画『遊戯王』に登場する超人気キャラクター。制作会社のMAGIARTSは東莞の玩具製造チームが前身で、2020年からキャラクタービジネスを展開、日本の漫画やアニメのキャラクターを立体化するようになった。まだ若い会社だけれども、そのクオリティは本物。そしてこのブラックマジシャンガールのフィギュア化によって、一躍その名をあげた。

百聞は一見に如かず。

見よ、この美しさ!!!!!

   

   

普段写真あまり撮らないので下手くそなのは許して…

ふ、ふつくしい……!!(by海馬瀬人)

男の子ならこれに感動せずにいられるか!!

スタイルがすんばらしいのはもちろん、躍動感のあるポージング(衣服や髪のはためきの細かさ!)、そして塗装もメチャクチャ丁寧。なんと指先のネイルまで塗ってある。原作カードをイメージした台座、ちっちゃいクリボー達も良い感じ。

なお、顔パーツは「ベロ顔」と「シリアス顔」に交換可能。お好みでどうぞ。でも頭部パーツの脱着が結構大変。壊さないよう慎重にやる必要あり。というか箱からの開封から台座への取り付けに至るまで大変気を遣う。指とか髪先とか細すぎて簡単に折れそう。お値段もお高いので骨董品を扱ってる気分になる。

  

ちなみにこのガール、正確には原作ではなく、中国人イラストレーター「Ekita玄」氏の描いたイラストの立体化になる。フィギュアにはおまけで元イラストの色紙と缶バッジが付属。なので原作と全然顔違うやんけ!という印象を受ける人もいるかも。私もこれは「ガール本人」じゃなくて「ガールのコスプレしてる美少女」に見える。

まぁ可愛いからなんでもいいんですけどね!!!

箱もめちゃくちゃお洒落。そしてデカい(比較になるかわからんけどポケセンのみがわりくんを置いてみる)。遊戯王のタイトルは中国語(遊戯王怪獣之決門)なのに、何故かガールの名前は日本語。フィギュアの表記がフェイギュアになってるのが微笑ましい。

 

ちなみにこのフィギュア、中国国内限定発売なので、日本で買うには代行会社や海外フィギュア専門店などをあたる必要がある。相場は大体二~三万前後。私が購入したのは通常カラー版で、他にも「アニメカラー版」「限定カラー版(おまけで追加顔パーツとターポリンが付属)」などバリエーションが存在する模様。

ところで、私が中国トイに興味を持ち始めたのは、中国女性youtuberの小宁子さんさんがきっかけ。下記は三年ほど前のツイート。当時は深圳のrobosen社による完全変形トランスフォーマーのフィギュアに大変衝撃を受けた。

そんなこんなで、最近も色んな中国トイ情報を集めている。特にプラモは急激に日本のモデラーやマニアにも注目されつつあり、youtuberにもレビューされている。気になる方は見てみるとよろし。

また日本では二十年前に放映されたきりの特撮番組「ビーロボ カブタック」が中国放映をきっかけに人気を博し、その余波でフィギュアが作られる、日本でリマスター化が進むなど、中国のトイ・キャラブームは日本側へも影響を生んでいる。今後も注目していきたいコンテンツだ。

漫長的余生(果てしない余生)

果てしない余生 ある北魏宮女とその時代 [ 羅 新 ]

価格:5500円
(2025/6/26 23:12時点)
感想(0件)

魏晋南北朝時代の北魏後宮の政情について、一宮女でありながら墓誌の残っている王鐘児の記録を筆頭に、様々な面から解説した研究本。
東方書店さんのネット上の予告を見てからずっと楽しみにしていた。
帯でも宮女・王鐘児の波乱の生涯をプッシュしているが、実際は北魏後宮の制度・歴史に関する内容が中心で、王鐘児の話はそこまでメインではなく、ちょっとタイトル詐欺な気がしなくもない。
墓誌に記された彼女の生涯は形式的にまとめられた綺麗なもの(宮女としていかに立派だったか、という内容に終始している)で、それを読むだけでは影にある悲惨な背景を読み取るのは難しい。そのため、本編では王朝の動乱や後宮制度の事情を深掘りすることで、王鐘児の生涯の実像を浮かび上がらせようと試みている。それによって、確かに墓誌からだけではわからない王鐘児の人生も見えてくるんだけれど、やはりこういう歴史研究的アプローチだと人間の感情部分までを拾い上げるのは限界があって、一人の女性のはっきりした物語を読んだという感じにはならなかった(別に作者のやり方を批判しているんじゃなくて、史書というのはもともと事実を記すものだから、人間の感情面が深掘りされないのは当然で、そこを膨らませようとしたらもう創作に足を突っ込むことになってしまう)。伝わるかわかんないけれど「揚州十日(日記)」を期待して読んだら「嘉定屠城紀略(記録)」だったみたいな。
そもそも一般向けではないだろうし、学術的な本としては全然ありだと思う。
登場人物が多いのと、私自身も普段は宋代以降の本ばかり触れてるので歴史部分を追っていくのが大変だった。もうちょっと勉強しなくては…。「子貴母死」をはじめとした制度の仕組みや、他の時代にも負けない北魏後宮のドロドロぶりなどは興味深かった。
お値段もはるので簡単にはオススメできないけれども、この時代に興味のある方々は読んで損のない一冊だと思う。

回想の瞿秋白

【中古】中国現代文学選集17 記録文学集III 回想の区瞿秋白・方志敏-戦闘の生涯・長征追憶・悲壮な進軍

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(2025/6/22 19:47時点)
感想(0件)

中国共産党初期の中心人物でもある文学者・瞿秋白の生涯と最期について記した回想録。作者は後妻であった楊之華。
どうして急に瞿秋白の本をレビューしたのかというと、今年は彼が亡くなって九十周年にあたるため。中国のネットニュースでもちらほら話題になっているので、私自身の再学習も兼ねて本棚から一冊引っ張り出してきた次第。
日本では孫文や魯迅ほどの知名度は無いが、中国共産党を語るのであれば外すことの出来ない人物である。特に早くからロシア~ソ連との繋がりを持ち、共産主義に深く触れていた。上海の大学で教鞭をとっていた際は、階級を問わず後の共産党に関わる人々が多く駆けつけその授業を受けていたという。
この手の人物の例に漏れず共産党~人民共和国設立~文化大革命期のゴタゴタによって党からの評価が二転三転しているのだけれども、現在は概ね共産党初期の功労者、という立ち位置で落ち着いている。業績として大きいのは翻訳および政治論文。日本で知られていないのはやはり小説作品の類が無いせいだろうか(魯迅なんかも小説より散文の方がずっと多いんだけどね)。

で、この回想録は上海時代における瞿秋白と楊之華の出会い、その後の地下潜伏と工作活動、数々の文人との交流、国民党による逮捕と処刑までがつづられている。
もっとも執筆時期が一九五〇年代と毛沢東全盛期なので、指導部に媚びを売っているのでは邪推したくなる記述も少なくない。例えば秋白が毛沢東の書いた「湖南農民運動革命」という文章に感銘を受けたとか(註でもおかしな部分があると突っ込まれているが…)。他にも、毛沢東と対立した張国燾の路線に瞿秋白も反対していたとか。有名な話だが、毛沢東は留学経験も無ければ本場のマルクス・レーニン主義の学習にも疎く、党内のインテリ派とは相容れない部分があった。後に毛沢東自身も瞿秋白批判を行っているので、尚更本書の記述は批判をかわす意図があったのではという印象を受ける。

まあそのあたりはさておいて、本書を読むと魯迅、茅盾、葉紹鈞といった日本人に馴染みある近代作家の名前が沢山出てくる。これだけでも、瞿秋白の当時の文壇における交友と影響力の大きさを感じ取れるだろう。特に魯迅は知己とも言える存在で、逮捕された瞿秋白を救い出そうと最後まで尽力していた。秋白は政治的文章を多く書いているが、どちらかといえば根っからの学者・文人肌で、翻訳一筋に尽くしていれば国民党・共産党の闘争に巻き込まれることもなかったと感じる。
ちなみに中山公園でのあまりにも堂々とした処刑直前の姿は映画などでもよく映像化されるが、やはり美化し過ぎではなかろうか。まあ瞿秋白に限らず革命英雄はみんなこんな感じだけど…。

翻訳自体が古いので現在の研究に照らしたらあてにならない部分もあるだろうけれど、楊之華との愛情に満ちた家族生活から、瞿秋白の素の人物像は深く感じとれると思う。

金庸徹底考察 ヒロイン編 「神鵰剣侠」より小龍女

金庸小説「神鵰剣侠(原題:神鵰侠侶)」のメインヒロイン。
絶世の美貌と優れた武術を持つキャラ。愛弟子・楊過との禁じられた恋愛譚はファンからも人気が高い。
主人公の楊過についてはこちら

劇中の活躍
孤児として捨てられていたところを拾われ、古墓派の後継者として育てられる。他派と争ってはならぬ掟のため、そのまま古墓で一生を過ごすはずだったが、十八歳のある日、全真教から逃亡した弟子・楊過と出会ったことでその運命は大きく動き出す。育ての親代わりだった孫ばあやの頼みで、やむなく楊過を弟子入りさせ、一門の武術を教えていく。最初は冷徹に接していたが、段々と師弟の絆は深まっていった。数年が経ち、古墓派の奥義を狙う姐弟子の李莫愁が襲撃してきた。激しい激闘の中で死を覚悟した時、小龍女はそれまで秘めていた楊過への想いを打ち明ける。偶然の助けもあって李莫愁を退け、その後もさらに修行を続ける二人。しかしとある晩、小龍女は動けなくなったところを、堕落した全真教の弟子・尹志平に犯されてしまう。てっきり楊過の仕業だと勘違いした彼女は、彼のあやふやな応答を聞いて失望、行く当ても無く逃げ出してしまう。やがて放浪の末、英雄大宴で楊過と再会。半ば巻き込まれる形で、師弟は大宴に乱入してきたモンゴルの使い手達を打ち破る。大きな手柄を立てたのもつかの間、楊過が小龍女を妻にすると宣言して、師弟は結婚してはならないという武林の禁忌に触れたため、二人は英雄達からの蔑視にさらされる。小龍女は愛する楊過が人々の非難の的になってはいけないと、またしても姿を消した。
運命は再び、二人を僻地の絶情谷で引き合わせた。しかし小龍女は楊過への想いを断ち切ろうと、絶情谷の主・公孫止と婚約していたところだった。楊過の熱い心に感化され、小龍女は婚約を破棄するが、そのため公孫止の怒りを買い戦いになる。師弟は敗北し、情花の毒で苦しむことになった。公孫止の元妻・裘千尺の助けで何とか窮地を脱したものの、解毒剤を手に入れるため、楊過と共に親の仇で郭靖の暗殺に襄陽へ趣く。折しも、襄陽はモンゴル軍の襲撃を受けていた。楊過は郭靖の義侠心に心を打たれ、暗殺の決意を鈍らせていく。そのさなか、小龍女は自分が尹志平に犯されたことを知ってしまい、彼を殺すべく全真教の本観まで追跡。使い手達との乱闘で重傷を負ったところを、駆けつけてきた楊過に救出された。二人は敵を退けて古墓に戻り、密かな婚礼を遂げる。小龍女は傷が重く、楊過の情花の毒は以前として残ったまま。夫婦は静かな生活を送るが、外部の人々はそれらを放っておかなかった。郭芙や李莫愁らが古墓へ押し寄せ、一同は因縁の場所である絶情谷へ向かう。
小龍女は公孫止と一騎打ちで戦い、情花の解毒剤を奪う。しかし楊過はそれを捨ててしまった。小龍女は古墓で郭芙から事故で毒を浴びせられてしまい、余命幾ばくもない状態だった。二人で助かれないなら意味がないと楊過は考えていたのだ。
小龍女は夫を生き延びさせようと、十六年後の再会を約束した書き置きを残し、自らは崖を飛び降りた。愛する小龍女のメッセージを見た楊過は、再会を願って解毒に励み、神鵰を連れて長く江湖をさすらう。
やがて、十六年後の約束が近づいてきた。絶情谷へ趣いた楊過は、妻が現れないことに嘆き、崖へ身を投げる。
深い谷底の下、彼を待っていたのは……昔と変わらぬ姿の小龍女だった。
彼女は谷底で解毒の術を見つけ、生き延びていたのだった。
力を合わせて谷を出た二人は、襄陽での戦いに参戦、モンゴルを打ち負かす。
戦の後、華山で群雄と共にしばし安らぎの時間を過ごした夫婦は、古墓へと帰って行った。

人物
個人的に金庸ヒロインの中で最も苦手なキャラ。
神雕剣侠は金庸屈指のラブストーリーと評されているが、それは主に「禁じられた師弟の恋愛」「劇毒による命の危機」「十六年後の再会」といったドラマチックなシチュに依るところが大きく、恋愛ヒロインとしての小龍女の造形はぜんぜん魅力的ではないと思う。
彼女と楊過は作中で何度も離れ離れになっては再会を繰り返すが、(外的要因はあるにしても)離れる時は常に小龍女が楊過を置き去りにしていくパターンばかりなのだ。詳しくは下記の通り。

一回目 目隠しをされてセックスした相手が楊過だと勘違いし(本当は小龍女に想いを寄せていた尹志平の仕業だった)、彼が自分を妻にする気がないと思い込んで失踪。→これについては点穴・目隠しされても肌を合わせてる感覚はあったわけだし、さすがに気がつかない小龍女もおかしいと思う…。何年も一緒に暮らしてたのに。そもそもこの時点の楊過は、前後の台詞から明らかなようにまだ小龍女を師匠として見ていて一人の女性とは考えていない。妻だと思ってるのは小龍女の勝手な思い込みだ。本人がそれに気づけてないのもアレだし、そのうえ楊過(本当は尹志平だけど)が手を出してきた際も拒まず受け入れるのって、言っちゃ悪いけどユル股過ぎじゃないだろうか? 同意無しで目隠ししてセックスなんて、弟子が師匠にやっていいことではないだろう。「婚礼も済ませていないのに何ということを!」と怒るべきでは? ここらへん、貞操観念の硬い他の金庸ヒロインと比べるとあまりにだらしなさ過ぎる。

二回目 英雄宴で周囲から結婚を反対され、さらに黄蓉から将来について諭された結果、独りで合点して失踪。それだけならまだしも、失踪先で出会った男(公孫止)と、楊過を忘れるという目的のために婚約。でもいざ楊過と再開したらあっさり婚約破棄。→もう何も言うまい…。やることが行き当たりばったりすぎる。こんなの世間知らずだからといって許されていい話ではない。楊過にも公孫止にも不誠実。同じ婚約破棄にしても、親同士の因縁が絡んで本人の意図が無視された黄蓉(射鵰英雄伝)とか、義父の命がかかっているやむをえない状況だった張無忌(倚天屠龍記)みたいなシチュならまだ納得も出来るんだけど、小龍女の場合は自分で結婚を決めた後の掌返しだからとにかく印象が良くない。

三回目 楊過が郭芙と結婚すると勘違いしてまたも失踪。→この時、楊過は毒で残り僅かの命だったし、安易に消えたりせずそばにいてやるのが、せめて師匠としての務めではないだろうか。責任感なさすぎ。おまけに全て本人の勘違いだったというところがしょうもない。それは純真ではなくバカというのです。

四回目 楊過に毒消しを飲ませるという目的のためだけに崖からダイブ。十六年後に再開しましょうと、無責任に期待をあおるメッセージを残す(ちなみに、この時は小龍女も病におかされ助からない状態だった)→楊過を助けたい気持ちはわかるが、一緒に生き、一緒に死ぬというのじゃダメだったんだろうか? 楊過が一度毒消しを捨てたのは、二人で助かれないんじゃ意味がないから、という明確な意図があったわけだし。けれども小龍女の行動は衝動的過ぎてちゃんと考えたようには思えない。

上記のように、小龍女は楊過とろくに意思疎通が出来ていない。また彼女は基本「楊過が不幸になるから私はいない方がいい」というスタンスのため、実は愛を貫く意思も薄弱な印象を受けてしまう。おそらく、本来のコンセプトでは「愛し合う二人が外部に邪魔されながらも添い遂げる」はずのストーリーだったのが「意思疎通出来てない二人がすれ違い続ける」ものになってしまい、禁じられた恋愛というおいしいシチュすらも台無しにしている。
他にも、小龍女の処女喪失については翻訳の後書きなどにも書かれているように、当初から批判も多かったようだ。それも道理で、彼女が操を失ったことは物語上であまり重く扱われていない。むしろこのシチュが重要な意味を持つのは尹志平関連の方。楊過は小龍女が処女だろうがそうでなかろうが彼女を愛するのはわかりきっていて、二人の関係性にも大して影響がない。
本作のようなラブストーリーの土台を完璧に活かすなら、趙敏のように情熱的なキャラの方が良かったのでは、と思う。
小龍女が神雕のメインヒロインであることに、私は昔からずっと不満を抱いていて、個人的な意見をいえば楊過の恋人は程英か完顔萍の方がずっと理想的な相手だと思ってた。程英は奥ゆかしくて名門の弟子という正統派だし、何より激怒すると他人に耳を貸さなくなる楊過をなだめられる唯一の存在である(私は楊過と程英のカップリングが好きすぎて、二人が結ばれる二次創作を書いたことがある)。完顔萍は金の遺民ということで楊過とルーツの繋がりがあるし、民族の違いというドラマも作れる。それにファーストキス相手だし内気な性格もかわいい。武修文なんかにはもったいない相手だ。

横に逸れたので話を小龍女に戻すが、
・世俗を知らぬ清純な乙女
・優れた武術を持つ古墓の後継者
この二つの設定もよく噛み合ってない。
前者については、武林や社会の常識に疎く、旅に出たらお金の使い方もわからないほどもの知らず(その割に、中盤で尹志平を追いかけてた時はフツーに店で飯を注文出来るようになっていた。うーむ)。楊過と一緒に動く時も「行き先はあなたの行きたいところでいい」「何かするならあなたが決めた通りでいい」と、基本的に意志薄弱で、保護の必要な子供レベル。やたらと「せけんのひとびとはこわい」と口にしているが、ただのコミュ力不足なだけ。
その割に、一派の長、楊過の師匠としては威厳のある姿を見せたり、凡人よりも余程達観したような台詞を口にしたり、達人を前にしても毅然とした態度を見せたり、年相応の大人のような振る舞いをしている。このあたりが作中ではちぐはぐな印象を与えてしまい、キャラとしての一貫性がない。
またメタ的な話をすると、金庸作品でもかなりメアリー・スー要素が強めなヒロインだと思う。清純な乙女というだけで何もかも許されてる節があり、誰も彼女の常識外れな言動・行動を咎めない(黄蓉や趙敏なんかは悪い部分を作中人物にきっちり突っ込まれている)。楊過が苦しむ原因の一端はどう考えても彼女が作っているとしか思えないのだが…。

散々文句を並べてしまったが、本作の悪い部分全てがこの小龍女に集約されているといっても過言ではない。楊過という魅力ある主人公や前作続投のキャラ達、上述したドラマチックなシチュの数々が大きくプラスに働いて、このマイナスを補ってくれているおかげで、優れた作品としての評価を成り立たせている感じがある。

武功
古墓派後継者として幼少から一門の技を学ぶ。本人が登場する前は「世間を騒がしている李莫愁より遙か上の実力」などと言われていたが、いざ蓋を開けると李莫愁にも全真教の丘処幾にも勝てないレベルだった。これはまあ噂の一人歩きみたいなものなので仕方ない。
その後、楊過と一緒に全真教武術と奥義の玉女真経、古墓に隠されていた九陰真経の一部などを習得。師弟で使う「玉女素心剣」はモンゴル最強の金輪法王をも打ち破るほどの強さを発揮した。中盤で周伯通から左右互搏術を習い、一人で「玉女素心剣」を扱えるようになった。
とはいえ、周囲のインフレには今一歩ついていけず、最終的な実力は上の下といったところ。

古墓派内功
陰の気を持つ一門独自の内功。寒玉床による修行で普通の武芸者より遙かに効率よく内力を鍛えている。修行には喜怒哀楽を殺す必要がある。感情が昂ぶるとコントロールが利かなくなる欠点を持ち、そのせいで吐血する場面が度々あった。達人との純粋な内力比べでは劣勢に立たされることも多く、下記の外功と比較するとあまり強いイメージがない。

天羅地網勢
古墓派の入門技である掌法。習得にあたっては、素早い動きで飛び回る雀を掌の圏内に取り込む修練をする。

古墓派軽功
作中でも度々天下無双とされる軽功。格上の金輪法王と戦った際は、常にこれを用いて攪乱し力量差を補った。また中盤では水上飘の異名をとる軽功の名手・裘千仞とも駆け比べをした。内力の差で持久力こそ及ばなかったが、速度自体は互角。

白絹金鈴索術
古墓派外功の一つ。楊過には伝授していない模様。先端に鈴をつけた白絹を振り回す。鈴の音には相手の集中をかき乱す効果がある。白絹そのものに殺傷力はないが、軽やかで変幻自在な動きを利用し、鈴で点穴を行う。剣を使わない時はもっぱらこれを使用しており、小龍女を代表する武功でもある。

美女拳法
古墓派の基本拳法。技の名前は古来の女性故事からつけられている。相手の虚をつく技が多い。力では男性に劣るが、刃を通さぬ金糸の手袋を併用し、相手の得物を折り取るといった芸当も。

玉女剣法
古墓派の基本剣術。軽やかで美しい動きが特徴。

玉蜂針
古墓派の暗器。目に見えないほど細い針状の武器をなげうつ。小龍女自身が飼育している玉蜂から生み出される天然物。刺されると酷いかゆみと痛みに襲われる。一部の蜘蛛毒とは相性が良いらしく、周伯通は玉蜂を刺してもらい自分の毒を解毒した。

玉蜂陣
蜂蜜と口笛で玉蜂の大群を操る。生き物なので不規則に動き、また数も多いため対処法を知らない場合は刺されないよう逃げ回るしかない。毒の威力は玉蜂針と同じ。作中で出てきた主な対処法は蜂が苦手とする松明をたく、内力を込めた風を吹き付ける、など。

全真教武術
古墓派奥義の玉女真経が全真教を破るための技なので、その前段階として学んだ。当初は全真教を侮っていた小龍女だったが、修練を始めてからその奥深さに感嘆している。作中では楊過と玉女素心剣法を展開する際に剣術を使用。

玉女真経
古墓派の奥義。対全真教目的で開発され、あらゆる技を先回りで封じ込めてしまう。また、二人の使い手がそれぞれ全真剣法と玉女剣法を用いる「玉女素心剣」はモンゴル最強を誇る金輪法王を打ち破る威力を見せた。

九陰真経(の一部)
玉女真経の強さに驚嘆した王重陽が対抗心から華山論剣で入手した奥義書・九陰真経の一部を古墓のとある場所に書き記したもの。楊過によって偶然発見され、一緒に学んだ。しかし楊過と違って、小龍女は殆ど使わなかった。

左右互搏術
周伯通より伝授。右手と左手で別々の技を使い手数を倍にする。これによって、玉女素心剣を一人で使えるようになった。

玉女素心剣(単独バージョン)
上記の左右互搏術から着想を得て発明。二人の時より技の速度が大幅に上がる反面、威力は落ちる。しかし作中での強さは凄まじく、モンゴルの食客軍団達を破り、金輪法王にも傷を負わせ、また絶情谷では公孫止を倒している。

人間関係
楊過…弟子にして最愛の夫。小龍女は自分のせいで色々迷惑かけたことをちゃんと謝った方がいいと思う。

李莫愁…姐弟子。所業が悪く一門を追い出され、代わりに後継者となった小龍女を敵視する。実は作中でまともにタイマンをしたことがなく、また内力の修練に関しては小龍女より上、との言及もありどっちが強いのかは微妙なところ。数少ない身内のためか、小龍女は李莫愁に何をされても怒るより哀れみの感情の方が大きかった。

師匠(林朝英の侍女)…小龍女の師匠。作中では言及少なめ。捨てられていた小龍女を拾って育てた。古墓派の内功は喜怒哀楽を取り払わねばならないため、小龍女を厳しくしつけるが、その底にある愛情は弟子に伝わっていた模様。

林朝英…師祖。王重陽との悲恋を知り深く同情する。

孫ばあや…古墓派につかえる老女。小龍女の親代わり。郭大通との戦いで死亡し、楊過を託す。この時、小龍女は悲しみつつもそれを表に出さぬよう修行していたので、表面上は冷徹だった。

郭靖…楊過のおじ。小龍女のことは一門の長として認め、丁重に接していた。師弟結婚話については常識の観点から反対したが、そのうち口にしなくなった。

黄蓉…楊過のおば。悪気はないとはいえ、小龍女が失踪する原因を何度か作ってしまう。

程英・陸無双…楊過と仲良しの姉妹。長く楊過への恋心を諦められなかった二人が、初めて小龍女と対面した際「こんな美人とじゃとても争えない…」と身を引く一幕があるのだが、大事なのは外見じゃ無くて人間性では…。相手が美人だから負けを認める、というのはなんか酷い流れだ。

金輪法王…モンゴルの国師。英雄大宴で楊過と小龍女に敗れて以降、執拗に二人をつけ回す。しかし単独ならば法王の方が圧倒的に上で、小龍女は大宴で戦った時は十手ほどで追い詰められている。終南山の戦いでは小龍女が玉女素心剣を一人で扱えるようになっており、相手を翻弄して傷をつけたが、総合的な力量ではやはり及ばなかったようだ。

周伯通…全真教・王重陽の義弟。小龍女とは馬が合い仲良しに。左右互搏術を教えてもらう。また、お返しというわけではないが、小龍女も玉峰のコツを手ほどきした。

一灯大師…四大高手の一人。小龍女の解毒に助力する。達観した思想の持ち主という面で通じる部分があった模様。

慈恩(裘千仞)…軽功で駆け比べをする。速度は互角だったが、内力の差で引き離される。しかし、周伯通の助勢で最終的には小龍女が勝利した。

丘処機…全真教長老。初めて戦った際はその強い内力に圧し負ける。が、終南山の再戦では技で翻弄し圧倒した。この時、丘処機らは兄弟弟子を含め五人がかりだったが、あっという間に他の四人を傷つけられ、無傷だったのは彼のみ。

郭大通…全真教長老。孫ばあやを誤って殺してしまい、小龍女と戦う。郭大通が彼女を侮ったこともあり圧勝した。

尹志平…全真教の高弟。小龍女に懸想し、ある晩動けない隙をついてレイプしてしまう。が、そのせいで自分自身が長く苦しむハメに。

趙志敬…全真教の高弟。尹志平と小龍女の密事を群雄の前で暴露する。最後は悪事の因果か玉蜂の毒で死亡。

欧陽鋒…楊過の義父。錯乱状態にあった。身内以外で初めて会った相手がこのおかしな人間だったため、小龍女は「せけんはやっぱりあぶない」と思い込んでしまう。また、欧陽鋒が咄嗟に点穴をしたせいで、上述した尹志平の悲劇に繋がってしまった。

公孫止…絶情谷のエロ親父。谷へ紛れ込んできた小龍女へ懸想する。中盤以降、解毒話がちんたら続いた最大の元凶。上述した通り、元恋人が現れた途端婚約を投げ出す小龍女も悪い。江湖はごめんなさいで済む世界ではない。

紅楼夢之金玉良縁(邦題:紅楼夢~運命に引き裂かれた愛~)

中国古典四大名著「紅楼夢」の映像化。監督は胡玫。
※このレビューは鑑賞二回目のものになります(昨年11月の映画祭にて鑑賞済み)。そのため、一度目のレビューを先に読んでいただくとよりわかりやすいです。下記よりどうぞ。
紅楼夢之金玉良縁(邦題:新紅楼夢~天運良縁~)

ものがたり
さる大貴族の賈家は世代を経るごとに堕落し、表向きの華やかさと裏腹に没落の影が近づいていた。病気がちだが才気溢れる少女・林黛玉は、従兄弟の賈宝玉とともに育ち、心を通わせる仲だった。しかし周囲を取り巻く大人達の陰謀が、想い合う二人を容赦なく引き裂いていく…。

中国では昨年夏の公開後に散々酷評され、一年近く経っても配信すら始まらないという悲しい状況の中、何があったのか日本公開の流れに。実は日本に先駆けてアメリカでも放映されており、監督は国内評価の低さを挽回しようと積極的に海外へ売り込んでいたようだ。本国の状況から、もう二度と見れないんじゃないかと思ってたので日本公開は大変ありがたかった。

で、普段は同じ作品をレビューしたりすることなんて無いんですが、なんといっても大好きな紅楼夢のことなので、再鑑賞した感想をつらつら書いていきます。

結論から言うとこの作品は、

主役カップルへの愛が重すぎる紅迷(紅楼夢ファン)の監督が作った、一部の人間にしか刺さらない二次創作同人

です!!
なので、監督と癖が合えば楽しめるけど、正直それ以外の人達、つまり原作ファンとか紅楼夢初心者はお断りレベルなくらい突き放してる(作ってる本人は多分そんなつもりなかったかもだけど…)。

宝玉と黛玉の恋愛劇として割り切って見れば面白いし、完成度も高いと思う。
問題は、そこに特化し過ぎて犠牲にした部分も多過ぎたところ。ざっくり挙げると以下。
・原作ストーリー改変多数
・キャラ改変も多数
・監督独自の新解釈も盛り込む
・本筋と関係ない小話もやたら盛り込む
これらのせいで、原作ファンにも、未読ファンにも受け容れがたい内容となってしまったのは否めない。
特に物語とキャラクターは監督の宝・黛びいきのせいでかなり歪みが生じている。

個別に説明していこう。まずは物語。
基本的に、二時間程度の尺になる単発映画や舞台だと、紅楼夢は宝黛釵(宝玉、黛玉、宝釵)の恋愛話部分だけを抽出するのがセオリー。そのため使われるシーンも大体決まっている。本作も一見それに倣いながら、実はセオリー外しがかなり多く、従来の紅楼夢ファン達を面食らわせる結果になってしまったように思う。
まず気になるのが、時系列の組み替え。ざっくりな流れだが、下記の通り。

雪山の宝玉(原作120回以降)
黛玉の実家帰省(原作14回)
返済打合せ(原作になし)
寧国邸の花見~太虚幻境(原作5回)
ベッドでの宝黛いちゃいちゃ(原作19回)
宝釵上京(原作4回)
黛玉の嫉妬+史湘雲(原作20回)
カップル西廂記読書(原作23回)
劉ばあさんの来訪(第6回+40回)
大観園設営・元春省親(第17~19回)
凧揚げ(原作80回)
宝玉紛失(原作95回)
偽装結婚・黛玉の死(原作96~98回)
ラストの回想は第3回、上京直後の場面(ラスト以外にも中盤で挿入あり)

従来の紅楼夢映画なら、第三回の黛玉上京から始まるのが通例だ。だから観客の多くは、最初に実家帰省の場面を持ってきたところに面食らうと思う。原作を一度読んだ程度ではかえって混乱してしまうのでは。
また、映像化で必ずといっていいほど出てくる原作第五十七回「慧紫鵑」の場面がない。これは中盤のターニングポイントで、宝玉と黛玉が互いの想いを確認する超重要なエピなのだけれど、本作では省かれていた。
なんでこうなってるかというと、本作の宝黛釵の構図は、宝黛の関係性がほぼ固まっている状態で始まっているからだ(監督は宝黛推しだから)。それは映画序盤で、実家から戻った黛玉が宝玉と再会する場面を見ればよくわかる。他にも宝玉から西瓜をすすめられて機嫌を直すシーンや、香袋で喧嘩するも手巾一つで相手の想いを汲み取り和解するシーンなど、黛玉は原作よりずっと宝玉に素直で心を許している。最初から仲のいいカップルとして描写されているのだ。原作では黛玉の性格が捻くれまくっているので、こんなにあっさり進展していない。
で、そんな監督の宝・黛ごり押しの影響か、本作の宝釵は露骨にカップルの敵扱いにされてしまっている。
たとえば、宝釵の合流は時系列入れ替えでわざと遅らされている。完全に恋人に割り込む敵の構図だ。他の映像作品なら確実に省かれる薛蟠の犯罪シーンを最初に持ってきて、観客の薛家へのイメージを下げにかかったり、キャラ改編されまくってすっかり性格の悪くなった薛夫人が黛玉をディスったり、姉の王夫人に「何とか犯罪をもみ消せないかしら」と泣きついたりする。肝心の宝釵も心情描写が足りなくて、クライマックスの偽装結婚も自我が無いまま言いなりになっているようにしか見えない(申し訳程度に蜘蛛の糸=がんじがらめみたいな演出をちょろっと出すだけ。雑過ぎぃ!)。他の紅楼夢映画なら、黛玉との友情に背くことへの葛藤とか、陰謀に加担してしまった悲しみとかも描かれるのに本作の宝釵は涙一つ流さない。
いくらなんでも悪く描きすぎやろ。※記事下参照
反面、黛玉についてはこれでもか!とかわいそうな描写を積み上げている。
・凧揚げの場面は原作だと黛玉も姉妹達と一緒なのに、本作では病気でぽつねんと部屋に引きこもり。
・王夫人や薛夫人に悪口を言われる(原作ではこんな露骨ではない。なんなら薛夫人は黛玉を可愛がっている)。
・父親の財産を賈家に奪われ大観園造設に使われる、といった本作独自の解釈展開があり「搾取される黛ちゃんがかわいそう!」と強調。(実際は賈家の崩壊も描かれないのでなんか無意味なエピソードになってしまっている)。
・孤独な黛玉に対し、宝玉と史太君が数少ない味方であることを強調。

このように、時系列入れ替えや人物改編の大半は、宝玉と黛玉の関係性の強調、薛一家へのヘイト強調といったかたちで行われている。

いや、それってなんか……タチの悪いオタクの二次創作とおんなじじゃん!!
二次同人創作と上で書いたのは、そういうわけである(あと、一瞬しか出ないキャラを大量に出したり、尺の限られる映画で本筋と関係無い話を無理矢理ぶち込んだりするのもオタ的な感覚を感じる)。
そもそも原作ファン(特に宝釵ファン)に喧嘩売ってるとしか思えないし、原作未読勢はお断りなくらい説明不足だし、中国大陸でめちゃくちゃ批判を食らったのも、まあそうだろうね…と納得してしまう。
とはいえ……である! 胡玫監督の黛玉愛は、作品を通してしびれるくらいに伝わってきた。胡玫監督は間違いなく生粋の紅迷だ。紅楼夢を好きすぎて、黛玉を愛しすぎているがゆえに、それが歪みとして作中に改編とか原作無視というかたちで出てきてしまったんだと思う。
それはね、ほんと伝わってきたわけよ。だからもう、宝玉と黛玉の話にフォーカスして観れば泣ける。何度も。宝玉の「僕は出家する!」、黛玉の「あなたはどうして病気になったの」~「忘れないでね」、ラストシーンの黛玉の笑顔……!
全部、いい!!! 紅楼夢を深くわかっている人が作ったのが、めっちゃ伝わってくる。
原作映像化としてみたら、せいぜい二十点~三十点くらいだろうけれど、紅楼夢好きの二次創作として観れば、八十点くらいになるだろうか。なんなら、歴代で見てきた紅楼夢映像作品の中でも上位に食い込むくらい。というか、私も紅楼夢のドラマにしろ映画にしろ散々見てきていて、今更新作で原作通りやられてもなぁ、という思いが常々あった。だから、良くも悪くも熱意をもって新しい紅楼夢を作ろうとした胡玫監督の心意気は買いたい。

ともあれ、級者向け作品はであることに変わりないと思う。前のレビューでも書いたけど、原作は数回読んで映像作品もいくつか見ておいた方がいい。ある程度紅楼夢好きの下地がないと、映像美とかセットのすごさみたいなとこにしか良さが見出しにくいと思う。あー、日本でこれがどう評価されるのやら…。
とりあえず、全然ヒットしなかったとしても日本の配給会社さんにはDVD出して欲しいです。よろしくお願いします…。それか三回目見に行くか…。

以下雑感。
・冒頭の雪山シーン、剃髪せずさ迷ってるのでまだ出家前? でも石や絳珠草が出てきてるってことはもう幻境まで来てるんだろうか。よくわからん。なんか馬まで引き連れてるのは他の映画版にない描写で新鮮。
・大観園の建設が後半にもってかれてるので、読西廂の場面って多分賈家の庭園だろうけど、一体ドコなんだろ。
・凧揚げの場面、宝玉が「林妹妹も誘ってあげたいな」に対する宝釵の「あなたが代わりにあげてるじゃない」の台詞。病気な人を連れてくるのは良くないでしょという合理的な意図を含みつつも宝釵らしい冷たさがあって、監督、宝釵のキャラをしっかり理解しつつ彼女の好感度下げようとしてやがる…!と唸らされた。
・宝釵撲蝶。宝釵の名場面なのに何故か原作に出てきてない宝玉が現れ「姐姐、遊ぼうよ」「お互いいい歳なんだから、男女の弁えを持って。あなたは遊ぶより勉強した方がいいわよ」「はぁ。黛ちゃんならそんな言い方しないけどなぁ」とわざわざ宝釵と宝玉の距離感が開くエピに改編されてる。だからやりすぎぃ!
・晴雯とか秦可卿とかいつの間にかフェードアウトしてる人達が何人かいた(原作時系列だと死んでる)。
・賈家三姉妹、鑑賞二回目でも見分けがつかなかった。
・音楽が大変素晴らしい。特に「読西廂」の場面で流れる曲(他にも凧揚げとエンディングで使われてました)。
・賈家の経済事情に散々触れておきながら賈家崩壊を描かなかったのはやっぱりマイナスだよな~。「財産奪われる黛ちゃんかわいそう!」がやりたかっただけか。
・王熙鳳と賈璉、原作で何度も出てきた浮気話が無いせいかまともに夫婦をやってる感じなのが面白い。

個人的な名場面
・「読西廂」。宝玉が不意に発した「君が死んだら僕は出家する!」の台詞。これは愛してるが気軽に言えない時代の精一杯の告白。音楽の効果もあってとにかく泣ける。
・「元春省親」。実は宝黛釵とはあんまり関係無いエピなのでなんでこれを尺の限られる映画に入れた?という感じはあるんだけど普通にいい場面。ドラマ版では結構じっくりやられるんだけど、映画では必要な台詞とかシーンを凝縮していてこれだけでも泣けるエピに仕上がってる。
・「ばか姐や~黛玉の告白」。原作だと「宝玉さんはどうして病気になったの?」「黛ちゃんのために病気になったんですよ」で終わり。映画では台詞をつけ足して黛玉が読西廂の時の返事をする感じになっている。凄く良い。
・「宝黛初会」。映画のラスト。いい……! これを最後にもってくる胡玫監督のセンス……!! あぁ、あなたは紅楼夢が、黛玉がホントに好きなんですね……!!!

映画見たけど全然わかんなかったよ!という方、よろしければ半年前に見た時の解説記事がありますのでどうぞ。
紅楼夢之金玉良縁 いろいろ解説

※でも、胡玫監督が巧妙なのは、改編を散々やりつつも意外とキャラ解釈でおかしなものがそんなに見当たらないところ。数年前にこれまた紅楼夢ファンに叩かれまくった美好年華研習社 青春紅楼夢なんかと比べたら、めちゃくちゃまともなのだ。

金庸考察 最良の武功奥義書について語ってみる

武侠小説において欠かせない要素が武功奥義書。金庸作品にも多数登場し、江湖最強を目指すべく、多くの武芸者を巻き込んだ争奪戦が展開されることもしばしば。
そんな武術奥義書、習得すれば最強クラスになれるのは間違いないんだけど、色々問題を抱えている場合が少なくない。例えば以下。
・強さと引き換えに多大なリスクを負う
・修行の条件があまりに厳しい
・修行期間があまりに長い
などなど。実際、これらの弊害によって苦しんでいるキャラが作中何人も出てきている。
ようするに、ただ強くなれるだけの奥義書では意味が無いのだ。
そんなわけで、今回は奥義に関する問題点をあぶり出し、そのうえで金庸作品における最強かつ「最良」の武功奥義について語ってみたい。

まず、上述した武功奥義書につきものな問題点を詳しく見ていこう。

1、修得後あるいは修行中に多大なリスクを負う。
代表的なのはやはり、子孫が絶えてしまう「笑傲江湖」の辟邪剣法および葵花宝典だろう。凄まじい強さと引き換えに、○○○を斬らなければならないという無茶苦茶な条件がつく。まあ要するに普通の人間ではいられない。また劇中で明確に語られていないが人格にも破綻をきたすようで、東方不敗(衆道趣味に陥って教主としての仕事をサボるように)、岳不群(それまでの君子らしさが一切なくなる)、林平之(強さに溺れて傲慢になる)らはみんなおかしくなっている。
同作品にはもう一つ、吸星大法という奥義も出てくる。相手の内力を奪える極悪な技だが、適切な処理で内力を散じないと奪った内力で自分自身がダメージを受けてしまう。劇中で任我行はその欠点を克服したと語っていたが、そのために何十年も費やす、そちらに集中し過ぎて教主の座を奪われる、など相当苦労している。またせっかく克服したのに存分に技を振るう機会を得られず、終盤で突然死したのも吸星大法が原因ではと語られている。せっかく得た奥義に人生を振り回されてしまっては本末転倒だ。
「天龍八部」に登場する化功大法も相手の内力を奪いそのうえ毒で蝕む強力な技だが、この武功を維持するには常に専用の鼎を用いて毒の摂取が必要。作中では鼎を盗まれてしまい、修得者の丁春秋はかなり焦っていた。
このように、せっかく並外れた強さを得ても、あまりに重いリスクを負ってはプラマイゼロである。なるべく最良の武功からは外しておきたいところである。

2、修業過程が危険、あるいは修業条件が厳しすぎる(特別な才能、前提を必要とする)。
何かしらの素質がある、強い内功を要求する、など条件が揃わなければ習得出来ない武功奥義も、金庸作品には多い。例えば「天龍八部」の六脈神剣。莫大な内力が必要で修得者は100年に一度のレベル。要求が重すぎてまずムリである。劇中で初登場の際は、一人で六脈の剣を使える者がいなかったので六人の達人が一剣ずつ使うという苦肉の策がとられた。
また同作品に出てくる易筋経。武術の奥義書なのに「習得するには強くなりたいという意志を捨てなければならない」という頓知みたいな条件がつく。このため劇中の游担之のように偶然が重ならなければ会得はほぼ不可能だった。
さらに同作品の斗転星移。相手の得意技をそのまま相手にはね返すという強力な技だが、そのために刀槍剣戟各種の武功、また各門派の得意技をある程度学んでおかなければならないという、物凄く遠回りな修業が必要。ただはね返すためだけにそんな手間をかける必要があるのかはなはだ疑問。実際、これを使う慕容復は幅広い武術に手を出していたが、どれも中途半端だと(よりにもよって身内に)こき下ろされていた。
また「倚天屠龍記」の乾坤大挪移のように修行が命懸けのものもある。歴代の明教教主はこれが原因で何人も命を落としており、作中で無事だったのは安全な範囲で修行を中断した楊逍、ずば抜けて強力な内功を持っていた張無忌だけだった。
他にも武芸者自身の素質を重んじる奥義もかなりある。代表例が「笑傲江湖」の独狐九剣。令狐冲の技や型に拘らない柔軟な気風を見て指導者の風清揚がこの剣法を学ぶ逸材、と判断しており、作中の強さも彼だからこそ発揮出来た点が大きい。林平之は自分の辟邪剣法と比較して「メチャクチャな技」と誤解し、まったく本質を理解出来てなかった。岳不群のような型にはまった人間も威力を発揮出来ない可能性が高いだろう。
「射鵰英雄伝」や「天龍八部」に登場する降龍十八掌はシンプルで簡単な技に見えるが、その実強力な内力が基礎に無ければ威力を発揮出来ず、射鵰では郭靖の習得が早かったのは全真教の優れた内功を深く学んでいたからだとされている。作中でも内力の消耗の大きさは度々語られており、誰にでも習得出来る技とは描かれていなかった。
また同作の九陰真経のように、掲載された技が単純にどれも難しくて達人でなければ習得困難、という例もある。作中でこれを手に入れた郭靖は、常に洪七公や段皇帝のようにトップクラスの武術家達の助力を必要とした。続編の「神鵰剣侠」で桃花島に隠棲してからも修行は続けていたようだが、九陰真経の奥義をすべて究めた感じはしない。
似た例としては「侠客行」に登場する侠客島武功。達人達が雁首揃えて集まって数十年かけても習得出来なかったという代物。

3、修行期間が長すぎる。
特に内功関連に顕著だが、習得までに平然と二、三十年を要求する奥義も少なくない。常に戦いだらけの江湖でそんなちんたら修行していたら、奥義が完成するまでに殺されてしまうのではないか。というか、実際そうなっている例がある。全真教の二、三代目の道士なんかはいつまでも内功が成就せず二流どころをうろついている。「連城訣」の神照経は当代最高の内功奥義だが、素質の乏しい狄雲では作中の偶然が無ければ、二十年たっても習得出来たか怪しい、と地の文で言及されていた。
また強力な奥義に数えていいのか怪しいところだが「笑傲江湖」の紫霞功は奥義完成まで三十年近くかかるとされている。そのせいで促成を重んじる剣術派の勢力にボコボコにやられていた。数十年修行を積んだ岳不群すら、江湖のよくわからん六人のオヤジに圧される程度のレベルだったりする。修行の苦労と強さが見合ってない。
そのほか、各作品で出てくる少林寺の七十二絶技。文字通り七十二種あるが難しすぎて寺の達人でも三、四種会得していればいい方。しかも一種会得する度に仏法で闘争心や心の魔を清める必要があり、修行期間が余計長引く一因となっている。

大体こんなところだろうか。
以上を踏まえれば、理想的な武功奥義の基準がはっきりしてくると思う。
つまり修業条件がゆるく(素質のない一般人でも学べる)、時間もかかりすぎず、ノーリスクで、もちろん最強を保障してくれる奥義である。
そんな都合のいいものがあるんかいな、と言いたいところだがそこは流石の金庸先生。作中で登場した数多の武功の中に、上の条件を満たしたものがちゃーんと存在している。
というわけで、以下に私が選定した理想の武功奥義を三つほど紹介する。

・胡家武術書
「飛狐外伝」に登場。ちゃんとした名前が無いので便宜上こう記す。
胡家に代々伝わる秘伝書で、これを究めた胡一刀は天下第一の刀客として知られていた。メインで記されているのは刀法のようだが、それ以外にも内功や徒手技も含まれており、これ一冊を修業するだけで問題無く強くなれる。
本書の凄いところは、作中の主な修業者が子供(胡斐)と武術を学んだことのない一般人(閻基)であった点、そして両者とも問題なく修業をこなしちゃんと強くなっている点だ。
まず閻基の方から説明しよう。彼はもと闇医者で、複雑な経緯を経て偶然奥義書の最初数頁部分を手に入れた。それを何年か修業しただけで、江湖でそれなりに名の売れた飛馬鏢局の親分と渡り合えるほどの強さを得ている。
それから胡斐。登場時点ではまだ幼い子供だ。彼は師匠もおらず、ただ奥義書の内容を修業しただけ。それでいながら二十歳に満たない時点で、紅花会トップクラスの無塵道人と数百手渡り合う実力を身につけている。本を読むにはまず字を覚えなければならないので、彼が修行を始めたのは恐らく八~十歳頃からだと思われるが、そんな子供でも理解出来るくらい平易な内容で書かれているようだ。そしてもちろんノーリスク。強くなれたのは胡斐本人の才能もあったとは思うが、それを差し引いても奥義書自体の優れぶりはわかっていただけるはず。間違いなく金庸作品屈指の優良奥義書だ。

・九陽真経
「神鵰剣侠」「倚天屠龍記」にて登場。全四冊からなる絶世の内功奥義書。作中で習得した張無忌は同時期の達人が誰一人比肩出来ないほどの内力を誇った。
ノンリスクで安全、習得条件が緩い、修行期間もそこまで長くなりすぎない、と本記事の最良条件を全て満たしている。
完全な習得者は覚遠と張無忌。前者はまったく武芸の心得がなく、後者は子供だった。また部分的に張三豊、郭襄、無色大師が武術に取り入れている。
無忌は全四冊を五年かけて習得している。彼の場合、張三豊から断片的に武当九陽功を教えられていたのでまったくの初心者ではなかったが、それでも修行期間としては短い方だ。仮に武芸の心得が無い者が学び、倍の十年がかかったとしても他の内功奥義に比べたらずっと緩い修行期間ではなかろうか。それに、実は全冊学ばなくてもかなりの内力が会得できる。作中では二冊目を終えた時点で、数年間どうにも出来なかった玄冥神掌の毒を駆逐しきっていた。これだけでも相当なものだ。
また部分的な習得に留まった張三豊、郭襄は一派の総帥になり、無色大師が数世代後にまで使われる少林九陽功を開発している。断片だけでここまで強くなり、しかもノーリスクな武功は金庸作品でも非常に少ない。
欠点があるとすれば、本書で学べるのが内功だけということ。しかし金庸江湖では強い内力が基礎にあれば外功は後回しでも全然問題にならない。大した欠点ではないだろう。

・凌波微歩と北冥神功
「天龍八部」にて登場。前者は最上級の軽功、後者は内力を吸い取る武術。作中でもセット運用が前提として用意されていたので、ここでも一纏めに扱う。作中では武術の心得が一切無い段誉が逍遙派の洞窟で発見し、(半ば事故も含めてだが)短期間で凄まじい内力を身につけた。
書物に記された基本的な使い方は
①凌波微歩を使いそのトリッキーな動きで相手の攻撃をかわしつつ肉薄。
②北冥神功で相手から内力を奪って戦闘不能にする。
といったところ。
凌波微歩はいったん展開すると殆ど攻撃を当てられなくなり、実際作中の段誉もいくつか油断した場面を除き一流クラスの達人の攻撃をやすやすとかわしていた。また、凌波微歩は内功の修練にもなるので、北冥神功に自信がないうちはただこれを修行すれば自然と内力が強くなっていく。
北冥神功は効果こそ吸星大法や化功大法と同じだが、なんとこれらと違ってノーリスク。一応、段誉が半ば事故的な形で一気に大量の内力を吸い、丹田で散じることが出来ず苦しんだりもしたが、正常な範囲で運用すればまず大丈夫だろう。
基本的に、内力を奪い尽くせば殆どの者は何も出来なくなり、武芸者としては廃人同然。北冥神功を使うだけでケリはついてしまう。しかも倒せば倒すほどこちらは強くなっていく。実際、作中の段誉も六脈神剣より北冥神功で倒した敵の方が多い。
リスクがあるとすれば、内力を奪う技自体は江湖で評判が悪いので、乱発すると周囲に敵を作りまくってしまうことだろうか。したがって使いどころは選ぶ必要がある。

以上、個人的に金庸でも優良な武功奥義を選んでみました。
「書剣」の百花錯拳とか「碧血」の混元功なんかも安全で強力なのでありかと思いつつも、いかんせん学んでるのが素質に優れた主人公だけなので、今回の選定からは外しました。
いずれにしても奥が深くて考察しがいがあります。金庸先生はやはり偉大です。

金庸徹底考察 ヒロイン編 「射鵰英雄伝」より黄蓉

金庸小説「射鵰英雄伝」のメインヒロイン。
頭脳明晰、優れた美貌、邪気のある性格が特徴的な、ファンからも人気の高いキャラクター。
主人公の郭靖についてはこちら。

劇中の活躍
射鵰英雄伝
天下五大武術家の一人・黄薬師の娘。父と喧嘩して桃花島の家を飛び出し、乞食の格好をして放浪していたところ、張家口で郭靖と出会う。互いに意気投合し、何より貧乏な身なりでも優しくしてくれる彼に感動、一生をともにすることを誓う。再会した燕京では男装をといて本当の姿を見せた。
郭靖の周囲にいる江南七怪や全真教長老からは、邪な黄薬師の娘として警戒されるが、郭靖は彼らの反対を押し切って黄蓉と一緒にいることを選び、以降は二人で様々な冒険を繰り広げた。道中では常にイニシアチブをとり、優れた頭脳を活かして郭靖をサポート。また北丐・洪七公に弟子入りし、後には彼の意志を継いで丐幇の幇主に就任した。西毒・欧陽鋒からの縁談や、郭靖の許嫁であるコジンの出現、陰謀によって黄薬師が江南七怪を殺害した犯人だと疑われる、などの障害を乗り越え、郭靖と結婚を果たす。

神雕剣侠
前作から十年ほど経過し、江湖でも広く知られた女侠に。郭靖との間に娘の郭芙を産むが、甘やかしたのが原因でわがままに育ってしまう。江南を訪れた際に、郭靖の義弟・楊康の忘れ形見である楊過を桃花島へ連れて帰るが、楊康を嫌っていた黄蓉は彼に冷たくあたった。
さらに数年後、蒙古の宋侵略が激化したため郭靖と共に江湖の英雄を集めて立ち向かう。この時、新たに子供を身ごもっており、そのせいで満足に戦えないことも多かった。わがままで周囲に多大な被害をもたらす郭芙や、郭靖を仇と誤解して付け狙う楊過に悩まされた。
十六年後も襄陽で夫と共に戦い続けていた。年頃の娘に成長した次女・郭襄が楊過に惹かれていくのを見て警戒するが、最後には和解。
モンゴル軍を退けた後、華山にて新たな五絶の命名に加わった。

倚天屠龍記
直接の出番は無いが、冒頭にて楊過との再会を望む郭襄を家から送り出す。
モンゴルの侵攻で襄陽が陥落した際、夫と共に死亡したことが語られた。しかし屠龍刀と倚天剣に軍略と武芸の奥義を残し、後の世代へ希望を託した。

人物
金庸作品における人気ヒロインの一角。
愚鈍で決してイケメンとはいえない郭靖と、聡明な美少女である黄蓉のカップリングは、一見日本のラノベにあるようなミスマッチを感じるが、作中では二人が惹かれ合う下地もちゃんとつくられている。
第一に、二人は同じ江南出身である。郭靖は蒙古育ちだが、母や師匠も江南生まれで言葉もその訛りがある。黄蓉も絶海の孤島育ちながら根っからの江南人。(なんか他の記事とかでも散々書いてるけど)中国では初めて会った相手を判断する基準として、同郷であることの意味がとても大きい。国土は広くて文化や言語があっちこっちで違うし、そもそも中国人はあんまり他人を簡単に信用しない。古典小説の登場人物などがしばしば「自分はどこどこ出身の◯◯です」と言った名乗り方をするが、これは互いがどんな人間かを確認する最初のステップなのだ。
そして二人が出会った場所も重要なポイント。そう、北の張家口。蒙古から出てきた郭靖にとっても、家出をしてきた黄蓉にとっても異郷の地だ。そこで故郷の言葉が通じる相手に会った、というのはとても安心出来ることだと思う。郭靖の誠実さが独りぼっちで旅していた黄蓉の心の隙間へクリーンヒットしたのも重要だけれど、実は出会った時点で二人が親密になるための土台が結構出来ていた、というわけ。
また、郭靖と黄蓉は作中、常に一緒に行動していてあまり離れることがない。そんなの当たり前だろと思われるかもしれないが、実は金庸作品のメインヒロインは大抵登場が遅かったり(任盈盈、趙敏など)、周囲で起こる事件のせいで全然一緒にいられなかったり(小龍女、天龍八武の諸ヒロイン、戚芳、阿繍など)といったことが多く、むしろ郭靖と黄蓉のようなパターンは少ない。終盤においても、黄蓉は姿こそ見せなかったが常に郭靖のそばにいてサマルカンド遠征を手伝っていた。まあ、おバカな郭靖を一人にするとあっさり死んでしまう状況が多かったので、黄蓉が離れなかったのは作劇上の都合も大きいけど。
それともう一つ大事なのが二人の人格面でのバランス。郭靖の記事でも書いたけど、バカ真面目な彼は常に約束とか正々堂々とかいったことを気にするので、仇討のチャンスを逃したり悪党に手加減したり、読者からするとフラストレーションがたまる。そんな時、黄蓉は「あんな悪党に約束なんか関係ないじゃない! やっちゃいましょう!」とか「相手は卑怯者だし、こっちが卑怯な手を使ってもおあいこでしょ!」と言ってくれる。
反対に、黄蓉に行き過ぎた言動・行動があった時は郭靖がしっかり止める。どちらも違うベクトルを向いているんだけど、重要な局面では一緒に安定したアンサーを出すので、読者も気持ちいい気分で二人の物語を追いかけられる。このバランスが大変素晴らしい。金庸作品のベストカップルを問われたら、私はやはり二人を一番に推したい。
性格面は、一見お転婆で我の強い感じながら、常に郭靖の意見を立て、それが自分の意に沿わない時でも従ったりと、めちゃくちゃ甲斐甲斐しい子である。特に煙雨楼戦以降は郭靖のバカに振り回され苦労の連続。この点、主人公より自分意志を優先する趙敏や任盈盈あたりと比べ、黄蓉は封建的というか意外に古い時代のヒロイン造型だと思う。
一方で、郭靖の制御が無い状態の黄蓉は、素の性格の悪さが剥き出しになる。梅超風を騙していいようにこき使う(趙王府の戦いにて)、腕が格下の穆念慈を「郭靖の許婚だから」という理由だけでいじめる、目上を敬わずひたすら無礼な態度をとる(江南七怪、全真教、丐幇長老)ので第一印象が悪い、などなど。なので周囲の小妖女(小悪魔)という評価もあながち間違いではない。
続編の神雕剣侠ではすっかり賢夫人化。射雕時代にあったバランス関係は崩れて、常に郭靖と同じ方向を向くようになってしまった。これは彼女が大人に成長したとも言えるし、少女時代の魅力を失ったとも言える。常識も身について、全真教の長老達にも大人の対応が出来るようになったが、娘時代と変わらず好き嫌いで相手を判断する欠点も残っており、特に楊過へは終始余計な疑いを挟んで度々問題を起こしている。
父・黄薬師の気質だった身内への偏愛ぶりも射雕時代より強まっており、郭芙がワガママに育ったのは黄蓉の甘やかしによるところが大きい。黄蓉自身母親を早くに亡くしているし、絶海の孤島ではママ友もいなかっただろうから、母親としてのお手本や理想像が本人の中に無かったのが原因かも。
また指導者としての素質も、郭靖同様微妙なところがある。自分が気に入らないからと楊過に武術を教えなかったのはかなり陰湿(その代わり学問を教えれば真人間になるでしょ、と本人は考えていたが、楊過にきちんと向き合ってないことには変わりないから意味がない)。やってることは全真教とどっこいである。郭芙や武兄弟にしても、武術はともかく人格の方はちゃんと育てられてる感じはしない。
色々損をするような描写はありつつも、神雕全体では屈指の智将として出番多め。耶律斉の師匠にいち早く気づく、丐幇大会に紛れ込んだクドゥの正体を見抜く、など鋭さは作中随一。武術の強さも、クドゥや李莫愁といった一流クラスに打ち勝っており、黄蓉を真正面から破れる相手は少なかった。

武功
天下五大達人の一角である父から、幼少より武術を学ぶ。本人の資質も高く、逍遥遊のような簡単な技ならあっという間に習得してしまう。初期は郭靖よりずっと上の実力だった。中盤以降も九陰真経や打狗棒法を学び、一流クラスの達人と渡り合っている。格上の敵に対しても優れた智力を用いて罠にはめて倒すなど、単純に武功でははかれない強さも持つ。また防御面は父にもらった軟衣甲のおかげで外功にはほぼ無敵。そのため作中でまともに怪我を負ったのも裘千仞の時くらい。
神雕時代も修行を積んでさらに腕を上げている。が、ちょうど郭襄達を妊娠していたため、万全に戦えるようになったのは李莫愁戦から。

落英神剣掌
桃花島の代表的武功。父の黄薬師も得意技として用いる。射雕時代はそこまで極めていなかったのかあまり使用されない。神雕では腕を上げ、これで李莫愁にとどめをさした。

蘭蘭花拂穴手
桃花島武功の一つ。点穴技。穆念慈戦で使い、素の実力差もあってあっさり倒す。どういう理論か不明だが料理にも応用出来、作中では豆腐を丸くカットするのに使った。

玉簫剣法
桃花島武功の一つ。神雕時代に宴席で披露したことが武兄弟の口から語られる。作中で主に使用したのは楊過の方。

奇門遁甲・五行八卦術
桃花島に伝わる陣法。相手を迷路に閉じ込めたり、突破不能の壁を作ったりする。陣法に無知な場合基本的に打つ手が無い。射雕時代は自分で運用出来ず、敷かれた陣の中を問題なく出入りするくらいだったが、神雕では自在に使いこなし、強敵の金輪法王を迎え撃った。

逍遥游
師匠の洪七公から伝授。わずか数時間で習得。作中では穆念慈をいじめる時と、丐幇大会の時くらいしか使われなかった。まあ教えた七公自身が大した技じゃないと言ってるし、黄蓉の方も「靖さんより私が強くなったら意味がない」と答えている。恐らく、後に弟子になるための布石にしておきたかったのだろう。

打狗棒法
師匠の洪七公から伝授。丐幇歴代幇主に受け継がれる守りの武功。全三十六手のみだが威力は絶大。射雕時代は習得間もない時点で既に丐幇の長老たちを破るほどの威力を見せた。神雕ではさらに奥義を極めたようで、身重の上体でもクドゥを圧倒した。幇主としての立場もあってか、作中では桃花島武術よりこちらの方を使う局面が多い。

九陰真経
伝説の武功奥義。作中では五大達人の手を借りつつ、郭靖と一緒にいくつかの武功を学んだ。丐幇の大会では相手を操る移魂大法を使用。とても便利な技に思えるが作中で使用したのはここのみ。続編の神雕では真経をもとに内功を磨いた模様。それでも最上級クラスの達人には及ばなかったため、恐らく真経の習得も一部に留まっているものと思われる。しかし後年では打倒モンゴルのため九陰真経を研究し、いくつかの奥義を倚天剣に隠して保存した。これらの技は促成のため黄蓉の改良が加わっていると作中で説明されている。

人間関係
郭靖
最愛の恋人にして後の夫。

黄薬師
最愛の父にして五絶の一人。黄蓉の素の性格の悪さは恐らく(というか確実に)彼のせい。武術から学問まで一通り教わっているが、なにせ父親が希代の天才なため、黄蓉の賢さをもってしてもその全てを学びきることは出来なかった模様。

洪七公
師匠にして五絶の一人。作中随一の人格者だけあって黄蓉も彼の言うことは素直にきく。神雕では何度か彼を探しに出たが、結局再会出来ずじまいだった。

欧陽鋒
最大の敵にして五絶の一人。黄蓉は常に殺意まんまんだったが、郭靖があーだこーだ言ってとどめを刺そうとしないので、結局生き延びてしまう。が、偽九陰真経を用いて欧陽鋒を狂わせ、間接的に仇討ちを果たす。

段智興
五絶の一人。内傷を治療してもらう。神雕でも郭靖を差し置き二回ほど再会。黄蓉が楊過に南海神尼の嘘をついた時は話を合わせてもらった。

楊康
郭靖の義兄弟だが終始嫌っていた。まあ彼のせいで色々ひどい目にあわされたので仕方ない。ちなみに楊過が死んだ原因は黄蓉と欧陽鋒にあり、後に色んな厄介をもたらすこととなった。

穆念慈
楊康の恋人。一時は郭靖の許婚にされていたので、黄蓉は嫉妬のあまり彼女を殺そうとした。その後は仲良くやっていたものの、終盤で半ば事故とはいえ恋人の楊康を殺してしまったので、黄蓉からしたら色々気まずかったと思う。

コジン
モンゴルの公主。実際に会うまで郭靖が許嫁のことをまったく説明しなかったので、黄蓉からしたらまさに青天の霹靂。現代的に言うなら、未婚だと思ってた彼氏が実は既婚者でしたみたいな感じだろうか。最悪。そのうえバカな郭靖が「さきにやくそくしたのでコジンとけっこんします。でもおようはすきです」とかクソみたいなことをのたまうのでさらにダメージを受けた。多分この時がカップル最大の危機だったと思う。

欧陽克
欧陽鋒の甥。一方的に惚れられて大変迷惑していたので、常に殺意まんまんだった(まあもともと悪人だし)。明霞島では岩の下敷きにするがしぶとく生き延びる。

裘千仭
鉄掌幇の幇主。黄蓉に致命傷の傷を負わせた。自分の油断が悪いと考えていたのか、作中では仕返しをすることもなく終わった。

江南七怪
郭靖の師匠達。序盤は嫌われていたが、だんだん仲を認められるように。が、作中最大の悲劇によって柯鎮悪以外は死亡。
柯鎮悪には兄妹の仇と恨まれたが、一時行動を共にしたことで和解。郭靖との結婚後は桃花島で数年一緒に暮らしていた。きっかけは柯鎮悪が博打で借金を作ってしまい、弟子のとこへ逃げてきたというアレな理由だが…。ちなみに借金は黄蓉が裏で手を回し返済している。柯鎮悪同様、黄蓉も偏屈な面があるので、案外気は合う模様。

丘処機
全真教長老。洪七公に五絶の説明をされた時、黄蓉は父と比較してその武功を全然大した事ないと評価(でも、この時の黄蓉が丘処機と戦ったら多分負けると思う……)。郭靖と穆念慈をくっつけようとしたり、勘違いで父親に戦いを挑んできたりしたこともあって、射雕時代は一方的に嫌っていた。
神雕期は黄蓉も大人の対応が出来るようになっていたが、とうの全真教が堕落気味だったので、一部の長老達を除いてやはり悪い印象を捨てきれなかった様子。

梅超風
姉弟子。趙王府で会った際は父の名を利用してこき使う。が、一門に忠実な梅超風はそれも恨みには思わず、その後もお嬢様と恭しく応じていた。

楊過
楊康の息子。桃花島へ引き取った際自分の弟子にするが、武芸を教えず学問だけやらせた。常日頃の生活でも思いやりを見せず、英雄宴で再会した時は「私のことは恨んでも構わないわよ」と開き直り。ひどすぎ。作中では何回か歩み寄る局面もあったが、黄蓉も楊過も互いに賢すぎるのが災いしてうまくいかなかった。
とはいえ、絶情谷では見事なコンビネーションで公孫止を挑発したりする面も。諸々の問題が無ければかなりいい関係にはなっていたと思う。

小龍女
古墓派の後継者にして楊過の師。黄蓉に悪気はなかったといえ、作中では小龍女の二度目の疾走と崖ダイブの原因を作ってしまった。師弟結婚問題に関しては途中でさじを投げたのか、常識の通用しない相手だと考えたのか、後半は黙認気味。

郭芙
長女。自分と夫の悪い部分だけを見事に受け継いでしまう。黄蓉の偏愛教育もあってモンスターみたいな娘に成長。さすがに歳をとってからは黄蓉もそのダメっぷりを後悔したが、既に手遅れだった。

郭襄
次女。長女の失敗を反省して躾けたが、こっちは黄蓉の奔放さを受け継いでしまい別ベクトルで手を焼く。おまけに恋心を抱いた相手がまさかの楊過だったので黄蓉からしたら親の悩みは倍増。とはいえ、賢いところや一途なところに自分と似た面影を見出しているのか、三人の中では一番愛おしい存在であると内心で打ち明けている。

郭破慮
長男。長女の(ry。父親似で控えめな子。恐らく一番手がかかってない子。

武敦儒・武修文
弟子。郭靖が師匠だが、黄蓉もある程度武術を教えていたようだ。揃ってポンコツで、作中黄蓉から何度か説教されるもそこから成長した様子はない。

李莫愁
古墓派の使い手。江湖で悪名を売り、好き放題に暴れていたが黄蓉の前では武芸・知略一歩劣り完全に抑え込まれる。赤子の郭襄に向けた愛情には一定の理解を示した。

ゆるゆる金陵十二釵考 賈元春

金陵十二釵の個別特集。八人目は賈家四姉妹のトリとして賈家繁栄の象徴・賈元春を紹介します。

劇中の経歴
栄国邸・賈政と王夫人の長女。才徳美貌備え、若くして後宮に入り宮女となる。その後、妃に昇格。賈家に莫大な繁栄をもたらした。序盤にて大々的に里帰りが祝われるが、賈家は大観園の設営をはじめ多大な出費を強いられ、せっかくの家族の再会も妃という身分差が邪魔をして湿っぽいものに終わってしまう。
その後は直接出番は無いながらも、常に賈家の状況や、実弟である宝玉の将来を気にかけていた。終盤で病にかかり亡くなってしまう。これをきっかけに、賈家には次々と不幸が舞い込んでくる。
地位の変遷は平宮女→風藻宮尚書→賢德妃。ちなみに年齢は若者が多い十二釵の中だとかなり上の方。

その人物像
紅楼夢は賈家を舞台に物語が進むため、宮中にいる元春の描写は少ない。しかし彼女の地位の変遷が、そのまま賈家の繁栄と没落にリンクしているため、やはり紅楼夢を語るうえでは決して外すことが出来ない人物である。
第二回では、賈雨村と冷子興の会話中で、その名前の由来について語られている。雨村が貴族の娘に「~春」なんてありふれた名前をつけるのは野暮だと言った際、子興は長女が元旦生まれだったので「元春」と名付け、以降の姉妹達もそれに倣ったのだと答える。が、これはもちろん表面上の理由。紅楼夢に少し詳しい読者はご存知の通り、賈家四姉妹の名は「元、迎、探、惜」→「原、应、嘆、息(もとから嘆くしかない)」のアナグラムである。二人の会話を通し、作者がキャラ名に関する釈明をしているというわけ。

そんな彼女の作中におけるメインの出番は第十八回。妃に昇格し、賈家へ帰省してきた場面である。が、その帰省時間はなんと僅か一晩。しかも、天子の妃となった彼女の地位は賈家の人々より圧倒的に高くなってしまい、祖母や父母までが遠慮してよそよそしい態度をとる始末。女性とは対面が許されたが、男性である父とは御簾越しの会話のみで顔を合わせられなかった。自身でも口にしたように、普通の家庭と同じ一家団欒を楽しむことも出来ない。唯一の慰めは、宮中に入る前可愛がっていた弟の宝玉が、元気に成長した姿を見れたことくらい…。
賈家はもともと武功で名を成した一族であり、天子とは臣下の関係だった。しかし元春が妃へ昇格したのをきっかけに、その関係が身内へと変化する。莫大な栄誉には違いないのだが、以降の話を読めばわかる通り、賈家への経済的負担を増大させてしまう。そのもっともたる例が、元春帰省に際して作られた大観園。なにせ天子のお妃様を迎えるのだから普段の邸宅を使っては無礼にあたる。そこでわざわざ里帰り用の別院を新設することになったのだが、はっきり言って壮大な無駄遣い意外の何でもなく、帰ってきた元春が「どれほどお金をかけたのでしょう…」と不安に思うほどだった。このあたりは、第十六~七回での詳しい建設描写を読めば実感できるはず。大体、彼女が宮中へ戻ったら、誰も住まないだだっ広い住居がそのまま残されるのだ(一応、次回以降の里帰りにも使うんだろうけど、メンテナンス代だけでも馬鹿にならない)。元春の声かけで後に宝玉と姉妹達が住むことになったが、それが無かったら一体どうするつもりだったのだろうか…。賈家の人々の無計画ぶりがうかがえる。また、元春が宮中から賈家まで往復する際も警護の手配やら道の装飾があり、さらに帰省の催しとして演劇の上演もやったり、とにかく金がかかったことが強調されている。表向きこそ華やかだが、序盤から賈家の屋台骨が既に危ういことが語られているため、なかなかぞっとする場面でもある。

宮中に帰った後も、元春は度々実家のことを気にかけている。第二十二回の燈謎をはじめ、遣いを寄越してコンタクトもとったりしている。しかし賈家の人々は元春のおかげで栄華を享受しているにも関わらず、彼女の言葉にはちっとも真剣に耳を傾けようとしない。相変わらず金をじゃぶじゃぶ使って倹約する気配は皆無。当然、元春の感じている孤独も気にかけない。里帰りの台詞からみても、元春本人は後宮の出世を別段喜んでいる様子は無い。むしろ若い頃から家族と引き離され、宮仕えを永遠に続けなければならない苦悩の方が強い。賈家の人々は表面上こそお妃様と持ち上げているが、実際は元春を大事にしておらず、そのツケを終盤で払うことになるわけである。
ちなみに、宝玉は実弟で元春から可愛がってもらっている割に、姉へ対して殆ど言及しない。宝玉の男女観では「結婚すると女は駄目になる!」そうだが、宮仕えしている女性の場合はどうなのだろうか。

曹雪芹の手による前八十回では、元春の最期は描かれていない。しかし例によって他の十二釵同様太虚幻境で予言されている。元春を詠んだ詩に「虎兎相逢(虎と兎が出会う)」という文句があり、後四十回ではこれを「寅年の卯月」と解釈し、第八十六回で一度布石を作った後、実際に九十五回で元春は病死する。しかしこれには年月の矛盾があり、例えば後四十回では元春の没年齢が四十三歳になっているが、これは王夫人や宝玉との年齢差を考えればありえない数字である。
実は、現在残る紅楼夢の初期本では「虎兎相逢」ではなく「虎兕相逢」と記されたバージョンも残っている。問題は「兕」ってなんやねんということなのだが、これが紅学でも色々解釈されていてはっきりしない(文字通り虎兕(伝説の生物)を表しているとか、悪人の比喩だとか、普通に兎の誤字だとか)有名な紅学者の劉心武は虎兕を皇帝と太監であると解釈し、元春の死は宮中の政争が原因だとしている。これは結構筋が通っていると思う。というのも、第十八回の帰省に際して、舞台の見世物が行われるのだが、そこで出てくる四つのタイトルはいずれも賈家の未来を暗示しており、その一つに「長生殿」が登場する。これは玄宗と楊貴妃の悲恋を描いた戯曲で、楊貴妃は皇帝の命で自害に追い込まれる。それを踏まえれば、元春の病気と死の遠因が宮廷の中にあったと考えてもおかしくない。問題はそのタイミングで、後四十回は元春の死で賈家が帝の権威を失い、様々な犯罪を暴かれて没落という流れだが、長生殿の展開に倣うなら賈家の犯罪が暴かれる→それによって元春が寵愛を失い死に至る、の方が自然だとは感じる。
いかんせん紅楼夢では宮廷の描写が少ないので、このへんの真相は今後も解釈が分かれるだろう。とはいえ紅楼夢はもともと曹雪芹の自主規制(真相を隠すためのファンタジックな設定とか、秦可卿のエピの書き換えとか)が働いてるし、当時の中国政府における検閲事情を考慮すれば、あんまりおおっぴらに宮廷のことをあれこれ書くわけにもいかなかったのも事実。やむを得ないところではある。

翻案作品や映像化では、宝玉と宝釵の結婚に元春の意向が関わることが多い。とはいえそれも裏で王夫人や王熙鳳が進言してたりするので、必ずしも元春本人だけの考えとはいえない。概ね、彼女の権威を利用して宝・釵の結婚を進めようとする大人達のセコさを強調するための意味合いが強め。2024年制作の「紅楼夢之金玉良縁」もこのパターンだった。
映像作品では元春省親が序盤の見せ場の一つ。ここを見ればその作品のお金のかかり具合がよくわかる笑
描写が少ないだけに掘り下げの余地もあるので、元春を主人公にしたスピンオフなんかを作っても面白いと思うんだけど、いつか実現しないだろうか。まあ展開はわかりきってるしかなり暗い内容になりそうだけど…。

トワイライト・ウォリアーズ 決戦! 九龍城砦(原題:九龍城寨之圍城)

2024年公開の香港映画。原作は余儿の「九龙城寨」。ネタバレありなのでご注意ください。
ところで、この前見た「紅楼夢之金玉良縁」でも思ったのですが最近の中国映画は制作公司がメチャクチャ多いのでブログで書くときも困ってしまう。冒頭のロゴ連打が凄い…。

あらすじ
かつて香港に存在した魔城・九龍城砦。黒社会の大物が覇権をかけて争い、最後には龙卷风の勝利で幕を閉じる。その後も各勢力がにらみ合いながらも城塞は一定の平穏を保っていたが、そこへ飛び込んできた若者――陈洛军によって新たな戦いが始まろうとしていた…。

てっきり「東方三侠」とか「龍虎門」とか「功夫」みたいなトンデモ武打映画かと思っていたのですが、九龍城砦は往年の姿をリアルに作り込んでノスタルジーがたっぷり、アクションも変なのが一名いた以外(まぁ耐久力は全員化け物クラスだけど)は割合まともな範囲に留まってました。
とても楽しめたんだけど、評価としてはあと一歩な気持ち。王九みたいなキャラを出すなら正直もっと弾けて欲しかった。正直、色んな功夫映画や武打映画を見てる勢としては、アレはまだ大人しい方だと思う。あと、終盤も主人公が大覚醒してパワーアップする展開を期待しちゃうんだよね…(香港映画病)。
日本のネットで絶賛されているのは、やり過ぎるとゲテモノ扱いになるのでリアリティと外連味のバランスがとても良かったこと、最近はこのタイプの映画が全然放映されてなかったゆえに新鮮味を感じる観客が多いこと、といった要因が多いのかな、と思ったり。
以下雑感
・九龍城砦の魔窟っぷりの再現はとても良かった。電気が通らない、まずそうな飯、道が滅茶苦茶狭い、などなど。でもセット撮影の限界か、同じような場所ばかり写るのはやはり気になってしまった。
・媽祖廟についてる傷、爪功のスゴい達人とかがつけたやつなんだろうなと思ってみてたらフツーに得物で切りつけた跡だった…。香港の武打映画のノリに慣れてしまってるとこういうところで拍子抜けさせられてしまう。
・ラスボスが例によって敗北フラグの硬功使いなのは笑った。そしてやっぱり弱点を突かれるのもお約束。
・この手の映画だと主人公が終盤に超パワーアップしたりするんだけど、本作は仲間の力を結集して戦う。これはこれでアツかった。
・主要な役どころで女性キャラが殆ど出てこないのが、原作を無視してまで無理に女性を出そうとする邦画と違っていいところだなぁと思う。悪いが女子供はお呼びじゃないぜ!
・中国映画は大袈裟な表現が多いので九龍城砦すれすれを飛ぶ飛行機とかも何コレwと思われそうだが誇張ではなくマジですれすれを飛んでたりする。こういう小ネタを調べると面白みが増すと思う。

以下キャスト
古天乐 / 龙卷风
九龍城砦の顔役にしてもと黒社会の実力者。かつて城砦の覇権をめぐって一大抗争を勝ち抜いた。老いてなお凄まじい武術を誇る。多分武侠漫画を欠かさず読んでるからだと思う。ビジュアルがイケオヤジ過ぎて好き。ポジションは完全にいつもの香港武打映画の師匠タイプなので、最後は……。

林峯 / 陈洛军
難民として香港にやってきた若者。龙卷风に匿ってもらい、九龍城砦で生活するように。実は出生に秘密あり。
演じる林峯さん、この前見た「倚天屠龍記之九陽神功・聖火雄風」ではCGだらけでいまいちアクションが堪能出来なかったんだけど本作は生身で動きまくってくれて最高でした。そういえばあっちでは古天乐がパパ役だったな。
悲しみや怒りでいきなり覚醒して超パワーアップしたり、変な達人に出会って力を解放してもらったりするような感じがしたけどそんなことはなかった。でも友達みんなで力を合わせて戦うのは良いよね。

刘俊谦 / 信一
九龍城砦の若きリーダー。龙卷风にも深く信頼されている。胡蝶刀による素早い戦いが得意。刘俊谦さん若く見えるけどもうアラフォーなのか…。というか主役四人みんなそれなりの歳だけど。中国人は女性も男性も老けないよなぁ…。

胡子彤 / 十二少
龙卷风の義兄弟・虎哥の幇会に賊する若頭。信一らとは顔なじみ。ただの賑やかしキャラかと思いきや武術も結構な実力。

张文杰 / 四仔
九龍城砦の若医者。常に面具で顔を隠している。黒社会嫌い。鍛え上げられた肉体を武器にする。女友達のエピソード、もしかして投げっぱなしにされた? まあこれで続編作れるな。

洪金宝 / 大老板
香港黒幇の大物。龙卷风とはライバル関係。九龍城砦を買い取って売りさばこうと目論む。老獪なだけでなく武術の実力も本物。演じるはみんな大好き洪金宝さん。最初は寝込みをあっさり近づかれたりしたので、もしかして今回は動かない役かなぁ~と思ったけどやっぱりサモハンゆえにそんなことはなかった。

伍允龙 / 王九
大老板の側近。おちゃらけているが実力は本物で、硬功とそれを応用した武術を使う。割とリアリティ寄りな本作において一人だけ人外ぶりを発揮。でも香港武打に慣れてる人からするとまだまだ常人の範囲だろう…。ちゃんと主役が四人がかりで戦うのも納得出来るくらいの強さと外道さが描写されていたのが良い。演じる伍允龙さん、ノリノリで歌ったり憎めない感じも出しているのが好き。

任贤齐 / 狄秋
龙卷风の義兄弟。かつての闘争で妻子を陳占に殺され、今なおその血を引いた人間を殺そうと復讐に燃える。演じる任贤齐さんは往年の武侠ドラマでよく主役を演じてた人。

黄德斌 / 虎哥
龙卷风の義兄弟。かつての闘争で片目を失っている。十二少のことを深く愛している。今も優れた武術をほこるが、陈洛军の若さと力に任せた戦いぶりには圧されてしまった。終盤戦では出番無し。

郭富城 / 陈占
龙卷风のライバルだった凄腕の使い手。しかし、戦ううちに熱い友情で結ばれるように。各所で相当な恨みを買っており、その遺恨が陈洛军達へ降りかかってくることになる。鎌アクションがかっこ良い。