武侠小説において欠かせない要素が武功奥義書。金庸作品にも多数登場し、江湖最強を目指すべく、多くの武芸者を巻き込んだ争奪戦が展開されることもしばしば。
そんな武術奥義書、習得すれば最強クラスになれるのは間違いないんだけど、色々問題を抱えている場合が少なくない。例えば以下。
・強さと引き換えに多大なリスクを負う
・修行の条件があまりに厳しい
・修行期間があまりに長い
などなど。実際、これらの弊害によって苦しんでいるキャラが作中何人も出てきている。
ようするに、ただ強くなれるだけの奥義書では意味が無いのだ。
そんなわけで、今回は奥義に関する問題点をあぶり出し、そのうえで金庸作品における最強かつ「最良」の武功奥義について語ってみたい。
まず、上述した武功奥義書につきものな問題点を詳しく見ていこう。
1、修得後あるいは修行中に多大なリスクを負う。
代表的なのはやはり、子孫が絶えてしまう「笑傲江湖」の辟邪剣法および葵花宝典だろう。凄まじい強さと引き換えに、○○○を斬らなければならないという無茶苦茶な条件がつく。まあ要するに普通の人間ではいられない。また劇中で明確に語られていないが人格にも破綻をきたすようで、東方不敗(衆道趣味に陥って教主としての仕事をサボるように)、岳不群(それまでの君子らしさが一切なくなる)、林平之(強さに溺れて傲慢になる)らはみんなおかしくなっている。
同作品にはもう一つ、吸星大法という奥義も出てくる。相手の内力を奪える極悪な技だが、適切な処理で内力を散じないと奪った内力で自分自身がダメージを受けてしまう。劇中で任我行はその欠点を克服したと語っていたが、そのために何十年も費やす、そちらに集中し過ぎて教主の座を奪われる、など相当苦労している。またせっかく克服したのに存分に技を振るう機会を得られず、終盤で突然死したのも吸星大法が原因ではと語られている。せっかく得た奥義に人生を振り回されてしまっては本末転倒だ。
「天龍八部」に登場する化功大法も相手の内力を奪いそのうえ毒で蝕む強力な技だが、この武功を維持するには常に専用の鼎を用いて毒の摂取が必要。作中では鼎を盗まれてしまい、修得者の丁春秋はかなり焦っていた。
このように、せっかく並外れた強さを得ても、あまりに重いリスクを負ってはプラマイゼロである。なるべく最良の武功からは外しておきたいところである。
2、修業過程が危険、あるいは修業条件が厳しすぎる(特別な才能、前提を必要とする)。
何かしらの素質がある、強い内功を要求する、など条件が揃わなければ習得出来ない武功奥義も、金庸作品には多い。例えば「天龍八部」の六脈神剣。莫大な内力が必要で修得者は100年に一度のレベル。要求が重すぎてまずムリである。劇中で初登場の際は、一人で六脈の剣を使える者がいなかったので六人の達人が一剣ずつ使うという苦肉の策がとられた。
また同作品に出てくる易筋経。武術の奥義書なのに「習得するには強くなりたいという意志を捨てなければならない」という頓知みたいな条件がつく。このため劇中の游担之のように偶然が重ならなければ会得はほぼ不可能だった。
さらに同作品の斗転星移。相手の得意技をそのまま相手にはね返すという強力な技だが、そのために刀槍剣戟各種の武功、また各門派の得意技をある程度学んでおかなければならないという、物凄く遠回りな修業が必要。ただはね返すためだけにそんな手間をかける必要があるのかはなはだ疑問。実際、これを使う慕容復は幅広い武術に手を出していたが、どれも中途半端だと(よりにもよって身内に)こき下ろされていた。
また「倚天屠龍記」の乾坤大挪移のように修行が命懸けのものもある。歴代の明教教主はこれが原因で何人も命を落としており、作中で無事だったのは安全な範囲で修行を中断した楊逍、ずば抜けて強力な内功を持っていた張無忌だけだった。
他にも武芸者自身の素質を重んじる奥義もかなりある。代表例が「笑傲江湖」の独狐九剣。令狐冲の技や型に拘らない柔軟な気風を見て指導者の風清揚がこの剣法を学ぶ逸材、と判断しており、作中の強さも彼だからこそ発揮出来た点が大きい。林平之は自分の辟邪剣法と比較して「メチャクチャな技」と誤解し、まったく本質を理解出来てなかった。岳不群のような型にはまった人間も威力を発揮出来ない可能性が高いだろう。
「射鵰英雄伝」や「天龍八部」に登場する降龍十八掌はシンプルで簡単な技に見えるが、その実強力な内力が基礎に無ければ威力を発揮出来ず、射鵰では郭靖の習得が早かったのは全真教の優れた内功を深く学んでいたからだとされている。作中でも内力の消耗の大きさは度々語られており、誰にでも習得出来る技とは描かれていなかった。
また同作の九陰真経のように、掲載された技が単純にどれも難しくて達人でなければ習得困難、という例もある。作中でこれを手に入れた郭靖は、常に洪七公や段皇帝のようにトップクラスの武術家達の助力を必要とした。続編の「神鵰剣侠」で桃花島に隠棲してからも修行は続けていたようだが、九陰真経の奥義をすべて究めた感じはしない。
似た例としては「侠客行」に登場する侠客島武功。達人達が雁首揃えて集まって数十年かけても習得出来なかったという代物。
3、修行期間が長すぎる。
特に内功関連に顕著だが、習得までに平然と二、三十年を要求する奥義も少なくない。常に戦いだらけの江湖でそんなちんたら修行していたら、奥義が完成するまでに殺されてしまうのではないか。というか、実際そうなっている例がある。全真教の二、三代目の道士なんかはいつまでも内功が成就せず二流どころをうろついている。「連城訣」の神照経は当代最高の内功奥義だが、素質の乏しい狄雲では作中の偶然が無ければ、二十年たっても習得出来たか怪しい、と地の文で言及されていた。
また強力な奥義に数えていいのか怪しいところだが「笑傲江湖」の紫霞功は奥義完成まで三十年近くかかるとされている。そのせいで促成を重んじる剣術派の勢力にボコボコにやられていた。数十年修行を積んだ岳不群すら、江湖のよくわからん六人のオヤジに圧される程度のレベルだったりする。修行の苦労と強さが見合ってない。
そのほか、各作品で出てくる少林寺の七十二絶技。文字通り七十二種あるが難しすぎて寺の達人でも三、四種会得していればいい方。しかも一種会得する度に仏法で闘争心や心の魔を清める必要があり、修行期間が余計長引く一因となっている。
大体こんなところだろうか。
以上を踏まえれば、理想的な武功奥義の基準がはっきりしてくると思う。
つまり修業条件がゆるく(素質のない一般人でも学べる)、時間もかかりすぎず、ノーリスクで、もちろん最強を保障してくれる奥義である。
そんな都合のいいものがあるんかいな、と言いたいところだがそこは流石の金庸先生。作中で登場した数多の武功の中に、上の条件を満たしたものがちゃーんと存在している。
というわけで、以下に私が選定した理想の武功奥義を三つほど紹介する。
・胡家武術書
「飛狐外伝」に登場。ちゃんとした名前が無いので便宜上こう記す。
胡家に代々伝わる秘伝書で、これを究めた胡一刀は天下第一の刀客として知られていた。メインで記されているのは刀法のようだが、それ以外にも内功や徒手技も含まれており、これ一冊を修業するだけで問題無く強くなれる。
本書の凄いところは、作中の主な修業者が子供(胡斐)と武術を学んだことのない一般人(閻基)であった点、そして両者とも問題なく修業をこなしちゃんと強くなっている点だ。
まず閻基の方から説明しよう。彼はもと闇医者で、複雑な経緯を経て偶然奥義書の最初数頁部分を手に入れた。それを何年か修業しただけで、江湖でそれなりに名の売れた飛馬鏢局の親分と渡り合えるほどの強さを得ている。
それから胡斐。登場時点ではまだ幼い子供だ。彼は師匠もおらず、ただ奥義書の内容を修業しただけ。それでいながら二十歳に満たない時点で、紅花会トップクラスの無塵道人と数百手渡り合う実力を身につけている。本を読むにはまず字を覚えなければならないので、彼が修行を始めたのは恐らく八~十歳頃からだと思われるが、そんな子供でも理解出来るくらい平易な内容で書かれているようだ。そしてもちろんノーリスク。強くなれたのは胡斐本人の才能もあったとは思うが、それを差し引いても奥義書自体の優れぶりはわかっていただけるはず。間違いなく金庸作品屈指の優良奥義書だ。
・九陽真経
「神鵰剣侠」「倚天屠龍記」にて登場。全四冊からなる絶世の内功奥義書。作中で習得した張無忌は同時期の達人が誰一人比肩出来ないほどの内力を誇った。
ノンリスクで安全、習得条件が緩い、修行期間もそこまで長くなりすぎない、と本記事の最良条件を全て満たしている。
完全な習得者は覚遠と張無忌。前者はまったく武芸の心得がなく、後者は子供だった。また部分的に張三豊、郭襄、無色大師が武術に取り入れている。
無忌は全四冊を五年かけて習得している。彼の場合、張三豊から断片的に武当九陽功を教えられていたのでまったくの初心者ではなかったが、それでも修行期間としては短い方だ。仮に武芸の心得が無い者が学び、倍の十年がかかったとしても他の内功奥義に比べたらずっと緩い修行期間ではなかろうか。それに、実は全冊学ばなくてもかなりの内力が会得できる。作中では二冊目を終えた時点で、数年間どうにも出来なかった玄冥神掌の毒を駆逐しきっていた。これだけでも相当なものだ。
また部分的な習得に留まった張三豊、郭襄は一派の総帥になり、無色大師が数世代後にまで使われる少林九陽功を開発している。断片だけでここまで強くなり、しかもノーリスクな武功は金庸作品でも非常に少ない。
欠点があるとすれば、本書で学べるのが内功だけということ。しかし金庸江湖では強い内力が基礎にあれば外功は後回しでも全然問題にならない。大した欠点ではないだろう。
・凌波微歩と北冥神功
「天龍八部」にて登場。前者は最上級の軽功、後者は内力を吸い取る武術。作中でもセット運用が前提として用意されていたので、ここでも一纏めに扱う。作中では武術の心得が一切無い段誉が逍遙派の洞窟で発見し、(半ば事故も含めてだが)短期間で凄まじい内力を身につけた。
書物に記された基本的な使い方は
①凌波微歩を使いそのトリッキーな動きで相手の攻撃をかわしつつ肉薄。
②北冥神功で相手から内力を奪って戦闘不能にする。
といったところ。
凌波微歩はいったん展開すると殆ど攻撃を当てられなくなり、実際作中の段誉もいくつか油断した場面を除き一流クラスの達人の攻撃をやすやすとかわしていた。また、凌波微歩は内功の修練にもなるので、北冥神功に自信がないうちはただこれを修行すれば自然と内力が強くなっていく。
北冥神功は効果こそ吸星大法や化功大法と同じだが、なんとこれらと違ってノーリスク。一応、段誉が半ば事故的な形で一気に大量の内力を吸い、丹田で散じることが出来ず苦しんだりもしたが、正常な範囲で運用すればまず大丈夫だろう。
基本的に、内力を奪い尽くせば殆どの者は何も出来なくなり、武芸者としては廃人同然。北冥神功を使うだけでケリはついてしまう。しかも倒せば倒すほどこちらは強くなっていく。実際、作中の段誉も六脈神剣より北冥神功で倒した敵の方が多い。
リスクがあるとすれば、内力を奪う技自体は江湖で評判が悪いので、乱発すると周囲に敵を作りまくってしまうことだろうか。したがって使いどころは選ぶ必要がある。
以上、個人的に金庸でも優良な武功奥義を選んでみました。
「書剣」の百花錯拳とか「碧血」の混元功なんかも安全で強力なのでありかと思いつつも、いかんせん学んでるのが素質に優れた主人公だけなので、今回の選定からは外しました。
いずれにしても奥が深くて考察しがいがあります。金庸先生はやはり偉大です。