金庸小説における少林寺の歴史

天龍八部(一) 《金庸作品集》修訂版(二版)21【電子書籍】[ 金庸 ]

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金庸の武侠小説のシリーズを通して、名門正派のトップに君臨する少林寺。
歴史もあり、一流の使い手を多数抱え、七十二絶技や易筋経などの奥義を持つ、まさに一流の武術門派……のハズなのだが、作中での扱いはあまり恵まれておらず、しばしば強力な達人のかませ犬にされたり、寺を戦場にされたりうんこまみれにされたりいいところがない。

そんな少林寺、金庸の代表作である射雕三部作、とりわけ射雕英雄伝と神雕剣侠でほぼ出番がないのをご存じだろうか。前者は九陰神経をめぐる崋山論剣、後者は英雄が集結してモンゴルの脅威に対抗する、など武林全体を巻き込んだイベントが発生している。にもかかわらず、巨大門派たる少林寺はそれらに殆ど関わっていなかった。
これは一体どういうことなのか。

実は、金庸先生の武侠小説を実際の中国史順に読んでいくと、この謎に関する答えらしきものが見えてくる。そこには、涙なしには語れない苦難の歴史があった。今回はそんな少林寺の内情について語ってみよう。

栄光と転落「天龍八武」
「天龍八武」は金庸先生の長編傑作。本作は宋の神宗期の話である。
この時期における少林寺は、丐幇と並んで間違いなく武林最強の門派だった。強いて言えば量なら丐幇、質なら少林寺といったところか(少林寺には長老格にあたる「玄」の字世代の弟子が多数存在したため)。この時期の江湖は、どちらかといえば突出した個人の武芸者が活躍する時代で、後の「倚天屠龍記」や「笑傲江湖」のように多数の門派同士がせめぎあう時代ではない。少林寺や丐幇のような巨大武術組織は、存在するだけで強力といえる。
そんなわけで繁栄を極めていた少林寺。が、転落は突然やってきた。武林を騒がす謎の連続殺人事件で、少林寺は「玄」の字世代の有力な門人を多数失ってしまう。さらに七十二絶技や易筋経の盗難、天竺の僧と組んでイチャモンをつけてきた神山上人の来訪など災難続き。
極めつけが、群雄を巻き込んだ少林寺の戦いで、掌門の玄慈が隠し子を作っていたというスキャンダル。しかも相手はよりによって悪名高い「四大悪人」の葉二娘。結局、玄慈は責任をとって自らを罰し、そのダメージがもとで死んでしまう。一応、名もなき掃除番のじーさんが武林で暗躍していた連続殺人事件の黒幕二人を出家させ、どうにか寺の面子は保たれたものの、少林寺が受けた傷はあまりに大きすぎた。
ライバルの丐幇も色々被害はあったものの、命を賭けて宋と遼の戦争を阻止した簫峰の行動は、武林における株を大きく上げた。ここでの差が、後の時代にも響いてくるわけだが、それについては次の項目で解説しよう。

長き冬の時代「射雕英雄伝」「神雕剣侠」
さて、時代は百年ほどくだって南宋時代である。遼が滅んだあとも、宋は相変わらず外敵の侵略に苦しみ、武林もまた強力な武術奥義書・九陰神経をめぐる争いが起きていた。
奥義書の争奪戦は、崋山論剣で全真教の王重陽が勝利したことにより終結する。彼と争った東邪・西毒・南帝・北丐は、五大達人として武林の頂点に君臨する存在となる。
ここで「あれ?」と思った方もいるだろう。そう、少林寺はこの中に入っていなかった。丐幇のボスや、大理国の末裔など、天龍八部の頃と同じ勢力の達人が名を連ねているにも関わらずである。
これが意味するところは明らか。少林寺は「天龍八部」での痛手から未だ立ち直れていなかったのだ。武芸に優れた長老格が軒並み死んでしまったので、次世代の弟子達は質が大きく低下したことだろう。加えて「天龍」の時に寺の奥義をさんざん狙われた彼らからすると、新たに九陰真経なんぞ手に入れても災いの種にしかならないと考えたのかもしれない。結局、武林で大事件が起こっても、知らん顔で寺に引きこもっているしかなかった。そんなこんなで、天下第一の座も王重陽とかいうぽっと出の男に持ってかれてしまうのである。嘆かわしい。
射雕における少林寺は本当に影が薄く、主要登場人物もまるで彼らに言及しない。序盤にて登場する仙霞派の枯木は少林の流れを汲む武術家らしいが、こちらは黄薬師からボロクソに言われている。まさに暗黒時代。作中終盤で繰り広げられた二度目の華山論剣でも少林寺は参加表明せず、射雕の物語は終わる。
続編の「神雕剣侠」でも彼らの引きこもりは続いた。蒙古人の侵略で南宋は滅亡の危機。武林の人々も立ち上がり、英雄宴を開いて抗戦を誓う。
ところが、ここにも少林寺の姿はない。河北はもう侵略されちゃってるし、今更打倒モンゴルにもやる気が起きなかったのだろうか。同じく河北に本拠を置く全真教は敢然とモンゴルに抵抗してたのに。情けない。
ようやく少林寺の名前が出てきたのは十六年後の物語。そう、郭襄の誕生祝いだ。この時、寺の実力者である無色禅師が楊過の頼みで郭襄にプレゼントを送っている。しかし、郭靖夫婦は無色禅師の名を聞いてもあまりいい顔はしていなかった。まあ国難の最中に協力もしてくれない連中だから、そもそも印象がよくないだろう。そして物語の終盤、崋山の頂上で新たなる五絶についての議論が交わされるが、ここでも結局蚊帳の外。
しかし、少林寺から盗難品を取り戻すべく派遣されてきた覚遠と張君宝の二人によって、ようやく彼らの物語も動き出すのである。

復活の兆し?「倚天屠龍記」前半
さて、射雕・神雕ですっかり鳴りを潜めていた少林寺だが、倚天では序盤から物語の舞台になる。楊過の消息を求めた郭襄が、旅の途中でたまたま立ち寄るのだ。折しも、西域からの挑戦者が少林寺に挑もうとしているところだった。
百年以上も武林の争いから遠ざかっていた少林寺。その実態は―――あまりに悲惨なものだった。
客人としてやってきた郭襄に対する無礼な対応に始まり、羅漢堂のトップがその小娘との立合いできりきり舞いさせられる。そして西域から来た田舎者の武芸者に僧達が誰も対抗できず、運良く絶技を身につけた覚遠のおかげでどうにか面目を保つ。かと思ったら、見る目のない老害がその覚遠を追い出す……。
なんかもう、組織としてダメダメである。武林の戦いから遠ざかりすぎていたせいで、世間へのコミュ力も武功レベルも軒並み落ちてしまったのだろうか。寺にこもって修行してた百年は無駄だったようだ。
しかし、少林寺はひょんなことからお宝を手にいれる。そう、他ならぬ九陽真経である。覚遠が臨終の際に唱えた経典の文句を、無色禅師がそばで盗み聞き聞いていたのだ。得られたのは九陽真経の一部に過ぎなかったが、それでも一門の武術を底上げするのに絶大な効果があった。それはたった一代で武林のトップに躍り出た武当派と峨眉派を見ればよくわかるだろう(張君宝と郭襄も覚遠の臨終に立合い、それぞれ経典の文句を暗誦し、自らの武術に取り入れ一派の創始者となった)。無色禅師は、持ち帰った経典の内容をフル活用し、少林九陽功を作り上げる。そして二世代あまりかけて、少林寺の力を底上げしていったのである。

棚ぼたの栄光「倚天屠龍記」後半
倚天屠龍記は、金庸作品における江湖のターニングポイントでもある。神雕以前は突出した個人が君臨していた武林が、倚天以降だと武術家は基本的に門派へ属し、組織同士の強さを競う世界になっていく。
少林寺にとって、この時期はまさに躍進のチャンスでもあった。余計な争いを避けつつ人材を蓄え、少林九陽功のおかげで武力もアップ。かつて強力なライバルだった丐幇は優秀な人材を蒙古戦争で失って没落気味、武当や峨眉は新興勢力で質は良くても勢力はさほど大きくない。魔教も楊頂天の死で内部分裂している。いよいよ、少林寺が再び武林のトップに戻る日が来たのだ!
…が、世間はそんなに甘くなかった。まず、少林寺に対する武林の視線は実に冷ややかだった。それもそのはず、何せ蒙古戦争の時、戦いもせずひたすら傍観に徹していた連中である。そんなのが正派の旗振り役としてしゃしゃり出たところで、周りが大人しく従うはずもない。
そのうえ門人のモラルも良くない。張翠山と争った円の字世代の弟子は粗暴極まりないし、トップに立つ神僧達も空智は視野が狭く短気、空性も喧嘩っ早くて大人げない、など色々問題だらけだった。
そんな有り様なので、劇中の活躍もやはり悲惨。出る杭は打っとけとばかりに、速攻でモンゴルに狙われ寺が占領される、掌門が二回も人質になる、暗躍する成崑に散々利用される、などなどいいところがまったくない。挙げ句の果てに八十にはなろうかというジジイまで引っ張り出して戦わせる始末。
結局、敵対していた明教に何度も救われ、武林盟主の座も手に入れられずじまいだった。世の中甘くないのである。
しかし、最後の最後で運は少林寺に味方をした。武林の盟主に等しかった明教のリーダー・張無忌が突然失踪してしまうのだ。その後、教団で頭角をあらわした朱元璋は明を建国し、やがて明教を禁教にまで追い込む。また、武当をはじめとする緒門派もそれまでの戦いで有力な門人を多数失っていた。
かくして、しぶとく生き延びた少林寺は徐々に勢力を強めていき、ついに「笑傲江湖」の時代には誰もが認める武林第一の門派になっていた。この頃には方証をはじめ、武功人格兼ね備えた人材も存在しており、武林の人々も尊敬の念で少林派に接している。

そんなわけで、金庸小説を歴史順に読んでいくと、見事に少林寺の没落と再生が一繋ぎのエピソードとして描かれているのだった。さすが金庸先生は偉大である!