金庸考察 『神鵰剣侠』より 郭靖はいつから楊過夫婦の禁断の恋を認めたのか

金庸の武侠小説「神雕剣侠」では、楊過と小龍女師弟の禁断の恋が描かれる。武林において、師匠と弟子は恋愛してはならない決まりがあったのである。
しかし楊過は、モンゴルに対抗すべく多数の豪傑が集った英雄宴にて小龍女を妻にすると宣言、人々から非難を浴びる。
そんな楊過を誰よりも心配したのが、名付け親であり伯父の郭靖だった。
彼は楊過が人の道に外れるのを止めようと説得するも、一向に聞き入れてもらえないので激怒し、最後には命をとる寸前までいった。

ところが、問題はその後だ。郭靖はいつの間にか楊過カップルの関係へまったく口出ししなくなるのである。英雄宴での怒り具合を考えると、このスルーぶりは実に妙だ。

そこで今回は、郭靖が二人の仲を容認するようになった経過を考察していこうと思う。

さて、問題が発生した英雄宴以降、郭靖と楊過はそんなに顔を合わせていない。二人が次に会ったのは、郭靖が襄陽でモンゴルと戦っている時だ。この時、楊過は郭靖を親の仇とつけ狙っており、かなりかたい態度をとっていたのだが、郭靖は楊過と小龍女が揃ってやってきても何事も無かったかのように温かく出迎えた。そしてしばらくの間一緒に過ごすものの、最後まで楊過に小龍女との関係を聞いたりしていない。まるで結婚問題なんてはなから無かったかのような態度だ。唯一、黄蓉に対しては楊過が人の道を踏み外さないようにしないと、と口にする場面はあったが、軽く流されてしまった。
というわけで、英雄宴~襄陽での再会までの間で、郭靖の認識に変化が起きていたと考えるのが自然だろう。

では、その変化のきっかけは何か。
一つは、やはり黄蓉の命を助けてくれたことかもしれない。英雄宴の直後、郭芙が金輪法王に浚われてしまい、黄蓉も危機に陥ったところを、現場に居合わせた楊過と小龍女が法王を撃退してくれた。その後、法王は再度襲撃してきたが、またしても楊過が駆けつけて(この時小龍女は疾走して行方不明)、黄蓉を救っている。
郭靖からしたら、この恩は非常に大きい。英雄宴での活躍も含めれば、彼の楊過に対する株の上がりっぷりは相当なものだったはず。
とはいえ、その恩と楊過が人の道を踏み外そうとしている点はやはり別問題だ。むしろ郭靖の性格からふれば、妻を救ってくれた恩返しに、楊過の将来のため、一層結婚についてきちんと諭してやらねば、くらいに思ってもおかしくない。

では、誰かが郭靖に楊過の結婚を認めるよう説得したのだろうか。そういう家庭事情にまで口を出せるのはやはり身内が限度だろう。となると、一番身近にいるのは黄蓉だ。彼女は、一緒の部屋にいながら別々の寝床で休むという、夫婦としては不可解な関係性の楊過カップルの姿を目にしている。あの二人は普通じゃないからもう放っておきましょう、くらいのことは夫に言ったかもしれない。しかし、神雕以降の黄蓉はすっかり封建社会の賢妻といった感じで、郭靖の意向には余程のことがないと逆らわない。彼が楊過・小龍女の結婚に反対の立場をとる以上、黄蓉が賛成・容認側になって説得する可能性はかなり低いはず。そのうえ黄蓉は楊過を好いていないので、彼の恋愛事情にわざわざ深く突っ込むほどの熱量があったとも考えにくい。

うーん、色々語ってみたが、郭靖の考えの変化はやはり謎だ。
もしかすると、金庸先生もストーリーを進めることばかり意識して、このあたりは描写する余裕がなかったか、見落としちゃったのかな。うんうん。じゃ、この考察はそういうことでオシマイ!

…と思いきや、一人だけいたのである。
郭靖を完璧に説得出来る人物が。

そう。舅の東邪・黄薬師だ。
実は黄薬師は、本編でもっとも早く楊過夫婦の仲を認めていた人物だ。
小龍女を師匠と認め、そのうえで彼女と結婚したいと主張する楊過を見て「なんと立派な反骨精神! ワシの若い頃にそっくりじゃ! 素晴らしい」と、偏屈な彼にしては珍しく絶賛している。
しかも別れ際に「お前の婚礼を邪魔する者がいれば駆けつけるぞ」とも言っている。人嫌いな癖にお節介な面もあり、前作の射雕では強引に陸冠英と程瑶迦をくっつけて夫婦にしたりしていたから、この手の悩みはお手の物だろう。
さらに重要なのが作中の登場タイミングで、彼と楊過の出会いは英雄宴~襄陽戦の間。おお、ドンピシャじゃないか。
何より彼は郭靖の舅。基本的に目上に従順な郭靖だが、道徳問題となると話のレベルも重い。黄薬師くらい身近でかつ上の立場にいなければ、納得させるのは困難だろう。

てなわけで、黄薬師が動いたと考えればこの謎はほぼ解決だ。
天才な黄薬師のことだから、楊過が伯父に結婚を反対された件も、会話の節々から察することが出来たに違いない。
うーむ、なるほど原因はあのバカ婿か。こうなればわしが一肌脱がねばなるまい。
かくして黄薬師は、戦争準備で忙しくしている郭靖の事情もそっちのけに襄陽へやってきて、いきなり説教を始める。
多分、こんなやり取りがあったのだろう。
黄「靖、お前はどうして若い二人の恋路を邪魔するのか」
郭「あ、いや、義父上、師弟が結婚するのは世間の道徳に背くことですので……」
黄「なにぃ。道徳に背くじゃと。だったらお前こそ蒙古の許嫁との約束を破ってわしの娘とくっついたではないか。人のことが言えるのか」
郭「お、おっしゃる通りですが、あれは事情が特殊ですし、何より私達の婚礼は義父上が認めてくださいましたし……」
黄「あぁん? 目上が決めたら納得するのか。じゃあわしが楊過夫婦のことを認めたら、婿のお前は当然従ってくれるんじゃな?」
郭「ですが義父上、それではあの二人が世間から、礼儀知らずだとか人の道に沿っていないとか非難されてしまいます」
黄「バカモン! この東邪の婿になっておいて世間の礼儀道徳に囚われるとは何事か! 俗物共には好き放題言わせておけばよい。あの二人が夫婦になって誰の迷惑になるというのか。お前のように頭のかたいヤツが多いから世の中には不幸が絶えんのだ。とにかく二人が結婚したいというなら全力で応援せよ。でなければわしはお前と親子の縁を切るぞ! わかったか!」
 口下手な郭靖が黄薬師に反論出来るはずもなく「はい、はい。おっしゃる通りにします…」と答えるのが精一杯。どのみち相手は江湖最強クラスの達人で自分の舅。強く言われたら従うしかない。
 それに郭靖も根が単純だから「まあ父上があそこまで言うんだから、師弟の結婚は案外大した問題じゃないんだろう。世の中には父上や周の兄貴みたいな変人も多いしな」とそのうち納得したのではなかろうか。

 というわけで、導き出された回答は黄薬師が郭靖を説得した、でした。黄薬師があのタイミングで物語に登場したのも、きっと金庸先生の綿密な計算によるものだったのだろう。やはり先生は偉大である!

中国文学の歴史 元明清の白話文学

中国文学の歴史 元明清の白話文学 (東方選書 63) [ 小松謙 ]

価格:2640円
(2025/1/27 21:11時点)
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中国文学の歴史について、特に小説中心にその発展と受容を解説した本。
中国文学史を一言で表す時「漢文唐詩宋詞元曲明清小説」というフレーズが使われるように、本格的に小説文化が躍進したのは明代以降。
けれども、その前段階としてとても重要なのが金〜元代の散曲や雑劇。これが無ければ明での小説文化隆盛は起こり得なかった。本書の最大の特徴は、一章丸ごと使ってこの金・元代における小説文化への影響を語っている点。
詳しくは本を読んでもらえばいいので軽く流すけど、金〜元代で重要なのが
・文学を独占してたエリート層が異民族支配下で没落、庶民の芸能と迎合する
・物語が台本やネタ本として刊行されるようになる
・小説本が商品として出版・販売される土台が出来る
といったところ。専門書はともかく、より一般向けなスタイルでここらへんをわかりやすく解説している本は稀だと思う。

続く明代の章は、基本的な解説はもちろんのこと、ちょっと捻りのある内容が加わっていてこれまた面白い。メインで取り上げられている「三国志演義」と「水滸伝」が、特に戦術の指南や文官の武官軽視への反対メッセージを込めていた、という分析がとても興味深かった。
また、中国の古典名著の多くはその優れた文章によって評価されてきたわけだけれど、翻訳で古典を読む現代日本人には、文章のどこがどう優れているのかわからない、という人も多いと思う。本書はそこも丁寧に解説しているので、原文を読まずとも古典名著の文章がいかにスゴイものだったか、が理解出来るはず。

作中では多数の作品が紹介されてるけれど、有難いことに大半は翻訳がある。個人的に好きな「嬌紅記」に触れてくれたのは大変嬉しい。「救風塵」はドラマ「夢華録」の影響があるんだかないんだか、最近この類の解説書でも名前を見かける頻度が増えたような。
ちなみに清代はおまけ程度。「紅楼夢」も「儒林外史」もその気になったら解説だけで一冊作れちゃうからしゃーない。清の小説文化隆盛は明を凌ぐ勢いなんだけど、あんまりあれこれ語っても紙幅の関係もあるし著者側が本書で伝えたいことがぶれてしまうと思うので…。

中国小説史について詳しく知りたいなら是非買って損は無い一冊。また本書を読んでから演義や水滸伝を読むと、新しい発見が色々出てきてさらに古典名著を楽しめるのでは。お値段も手頃で、超おすすめです。

金庸考察 華山論剣の謎 

 金庸の武侠小説「射雕英雄伝」に登場する伝説の奥義書・九陰真経。本書をめぐって、作中では武術家達の激しい争奪戦が蹴り広げられた。最終的に、華山の頂上に集った達人達が腕比べを行い、勝利した全真教の王重陽が九陰真経を得ることになった。これが「華山論剣」である。

 金庸作品では、多数の武術家が一同に介して戦いを繰り広げるイベントがしばしば登場する。ところが、この崋山論剣は謎なところが多い、不思議な大会だ。

 まず、主催者が不明。他の金庸作品では少林寺のように実力のある門派や、朝廷のような巨大組織が音頭をとるのだが、論剣は舵取りをした人物や組織について一切語られていない。そのせいなのか、作中終盤で開催された第二回の論剣も、達人たちが自主的に集まって開催、そして決着らしいものもつかないまま解散するというグダグダぶりだった。第一回は「九陰真経争奪戦」という明確な目的があるが、二回目は開催意図も曖昧。恐らくは「天下第一を決める」なのかもしれないが、それなら尚更準備と運営くらいちゃんとやるべきだろう。
 また戦いのルールも不明。一応、論剣の名の通り、最初は剣術を競っていたらしい。作中では第一回論剣時、洪七公と欧陽鋒が剣術で他の達人に遅れをとり、以来剣を捨てて他の得物を使うようになったことが語られている。もっとも、剣で勝負がつかなくて途中からルールを変えたのか、五絶は各々の特技(蝦蟇功や一陽指など)をぶつけ合い、その結果東西南北の四人が互角、王重陽がその上という結果になった。第二回にいたってはみんな好き勝手に戦っている。つまりルールも相当いい加減だったようだ。
 第一回は、作中の描写からすると招待制だったらしい。中には裘千仭のように実力不足を感じて参加を断る者もいた。また、規模もそこまで大きくなかったと感じさせる描写がある。例えば、王重陽が論剣に連れてきたのは弟子の王処一と義弟の周伯通のみだった。乱戦状態になるのを避けるため、同勢力の参加者は数人のみ、みたいな規定があったのかもしれない。第二回では丘処機や趙王府の食客軍団をはじめ、参加する気があるのか見物のみなのか、とりあえず崋山に赴いた人間はいたが、それでも少数である。というか、この人達も肝心の論剣が始まる前に退場しちゃったし…。
 仮に小規模な大会だったとして、そうなると不可解なのが開催期間の長さだ。作中では決着までに七日七晩かかったという。まあこれは諦めの悪い西毒とか、プライド高くて負けを認めたがらない東邪あたりがゴネて勝負を引き伸ばした、とか考えてもいいけど…。
 他にも意味不明なのが「二十五年に一度」という開催ルール。いくらなんでも長過ぎ。何故そんなに開催期間を空けるのだろうか。注目すべきはやはり二十五年という数字。世代交代が起きるくらいの間隔だ。それだけの時間が経てば、第一回の頃に絶頂期だった達人も死んだり衰えたりしているだろう。なので好意的にとらえるならば、新世代の五絶を定めるため二十五年間隔の開催にしました!といったところだろうか。生憎、作中では二十五年経っても東西南北の達人がピンピンしており、若い世代が参加する余地は殆ど無かったが…。
 このように、実態を見ると運営のグダグダぶりが際立つ「崋山論剣」だが、それでも作中の武林では「物凄い達人達が天下第一を競ったスゴイ大会」みたいな感じで語られている。まあ、集まってる達人の実力は本物だし、間近でそれを見物してた人達が少ないからこそ、余計に神聖視されているのかもしれない。
 ちなみに、続編の「神雕剣侠」終盤でも、低レベルな武芸者達が崋山論剣を称して武芸を競う場面に、主人公たちが出くわしている。
 もしかすると第一回の崋山論剣も、こんな感じでなんとなく達人達が集まり、適当に戦ってただけなのかもしれない。後になってみんなが好き放題に語るうち「奥義書をめぐる凄まじい戦い!」のように神話へ昇華されてしまったのかも。そういえば「倚天屠龍記」でも、楊過が百年前にモンゴルの皇帝をどう倒したかは正確に伝わっていなかった。江湖の噂なんていい加減なものなのだ。
 色々推測だらけになってしまったが、こうやって空想させる余地を沢山与えてくれる金庸先生はやはり偉大である!

中国目録学

中国目録学 (ちくま学芸文庫 シー47-1) [ 清水 茂 ]

価格:1210円
(2025/1/13 00:59時点)
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中国の書物に関して、その分類や保存や製法など幅広く述べた研究本。もとは筑摩書房「世界古典文学全集」の月報に掲載していたものだとか。その他、数種の論文も追加で収録されている。

いうまでもなく中国は書物大国で、その歴史の深さも書物の量も日本を圧倒的に上回っている。その国でいかに本が作られ、流通され、保存されてきたか。目録学というタイトルだけれど、わかりやすくいえば中国の本の歴史について述べた本である。さすがに書かれたのが1960年代なので、各所最新研究でフォローが必要なところもあると思うけれど、研究の源流として必要な部分は全部網羅されている感じがするので、とても参考になる。
私は小説史が好きなので、もう少し小説の流通や記録事情を深く書いてほしかったところではあるけれど…。

また、本が大量に生み出されてきたということは、それだけ散逸もたくさん起きていたということ。本書でも断片的ではあるが、宋の女流詩人・李清照が戦乱で蔵書をことごとく失ってしまった話や、現存する最古の蔵書楼である寧波「天一閣」で書物盗難が相次いだことなど、いくつかの悲劇が語られている。
また中国の歴代王朝のみならず在野の文人までもが積極的に本の記録を残したり、校訂を施したり、本をコレクションしたり、昔は書物の価値が現代よりずっと高かったという事情もあるとはいえ、やはり中国は本を大事にしてきた国だと感じられる。

ネットが書物に取って代わられたと思いがちな現代だけれど、ネット上のデータは存外失われやすく記録として心許ないものであることを今の私達は感じているはず。ブログやSNSの記事を熱心に収集して目録作る人なんてほとんどいないだろう。
本書を読み通すと、改めて書物の強さというものを実感出来る。
出来れば最後の後書きとかで、最新の研究とか派生本の紹介してくれればよかったかな〜とは思った。
ともあれ、短くよくまとまった本なので大変おすすめ。

紅楼夢 1996年ドラマ版 ネタばれあり

台湾の中華電視公司が製作した中国古典四大名著の「紅楼夢」ドラマ版。全73集と紅楼夢ドラマの中では長めの方。
大分前から見始めたんだけど、完走までにかなり時間がかかってしまった。話数が多いから…ではなく単純につまらなかったから。
古典名著の映像化だというのに、製作のノリがあまりに普通の古装ドラマだと思う。衣装、セット、演出、どれも平凡。要するに気合いが感じられない。あと、日本のコント番組で流れるような間抜けな音楽や効果音は何とかならなかったのだろうか。時代的にしょうがないのかもしれないけれど、しょぼい特殊効果にもがっかりさせられる(この時代の古装ファンタジーなんてみんなこんなもんかもしれないけど、ちゃんとやれば87年ドラマ版とか89年映画版の重々しい雰囲気は作れるんだからもう少し何とかなったんじゃないのかな)。
キャストは主要キャラは史湘雲や探春を除くと軒並み壊滅気味。まあでも本人達のせいじゃなくて上であげた衣装とか演出のせいだと思う。侍女勢はおおむね良かった。
物語も長さの割に、各エピソードの尺の使い方やチョイスが変だと思う。紅玉(小紅)のシンデレラ話や、尤二姐の悲劇にめちゃくちゃ話数費やしたりする一方、肝心のメインである宝黛釵の恋愛は原作から特につけ足し無し。さすがに宝玉達が五話以上も連続で出ないのはどうなんだ。一応、話数が長いので原作の内容はほぼカバーされてるけど。
良かったのは賈家崩壊後のお話だろうか。原作とオリジナル、あとは恐らく過去ドラマの要素をうまくミックスしている。乞食になって渡り歩く湘雲、蜘蛛の巣がはって荒れ果てた大観園をまわる姉妹達、など珍しいものが見られる。というかそれぐらいしかいいところは無い。正直、紅楼夢ドラマとしては2010年版とどっこいなレベルで悪い出来だと思う。

以下キャスト(全員は書き切れないので気になった人物のみ)
钟本伟/贾宝玉
主人公の変人公子。黛玉伝の時も思ったけれど、大人の男性が宝玉を演じるのはビジュアル的に結構きつい。終盤はまあいいんだけど前半が…。賈家崩壊後は失われた曹雪芹原作の一説を採用して更夫(夜回り)をやっている。映像化としては珍しい。どうでもいいけど、姉妹達と一緒に暮らしているんだから髭くらい剃ってもらっては。

张玉嬿 / 林黛玉
メインヒロイン。演技はいいんだけど、衣装とか化粧とか演出で台無しにされてる。脇役に出番を奪われていまいち存在感がない。部屋を出ようとして力尽きるという、地味に独特な死に方をした(他の紅楼夢では大体寝床の上で亡くなる)。

邹琳琳 / 薛宝钗
メインヒロインその2。撲蝶の演出がダサすぎ。演者さん、本物の蝶々を素手づかみしてるのがなんか笑える。顔立ちにあまり個性がなくてなかなか覚えられなかった。婚礼前は黛玉との友情に背くことへの葛藤や、偽装婚礼に憤りながらも逆らえない辛さなどが長々描写されるんだけど、あんまりめそめそ泣くのは宝釵らしくないかな。まあこれは話が長いことによる引き延ばしのせいもあるだろうけど。黛玉死後は結構ヒロインしてるんだけどうーん、どうしてこんなに面白くないんだろうか…。

徐贵樱 / 王熙凤
賈家の若奥様。家庭騒動のエピがかなり水増しされているので出番も増加。正直宝黛釵を差し置いて完全に作中の主役ポジション。子供を産めない悲しみや、家庭の中で板挟みになる苦労など描写も細かい。

王玉玲(郭慧雯) / 史湘云
史家のお転婆お嬢様。主要キャラでは一番はまってる。演じる王玉玲さんが撮影途中で亡くなってしまい、終盤は別の演者さんに変わっている。嫁ぎ先がお取り潰しにあった後、乞食になってさまよう。これまた珍しい映像化。

汤兰花 / 贾元春
賈家四姉妹の一人にしてお妃様。宝玉と宝釵の結婚を命じる。

李星瑶 / 贾迎春
賈家四姉妹の一人にして気弱なお嬢様。どうせ引き延ばしたくさんやるんなら嫁いだ後のエピソードとか入れて欲しかったけど特にそういうのは無かった。

毛训容 / 贾探春
賈家四姉妹の一人にして聡明な薔薇のお嬢様。目玉になる家事取り仕切りの場面があんまり印象に残らなかった。こういうところをもっと見せて欲しいんだけどな。

王佳莉 / 贾惜春
賈家四姉妹の一人にして画才ある偏屈お嬢様。87年版にあった劉ばあさんとの絡みがなくて出家後も影薄め。

张琼姿 / 秦可卿

李威仪 / 李纨
若き未亡人。一人息子の賈蘭を育て上げ、賈家崩壊後は宝玉達と一緒に暮らす。病をわずらっており、息子の合格直後に亡くなってしまう。

胡惠玲 / 妙玉
妙齢の尼僧。本作はさらわれて遊女になるラスト。87年版の史湘雲のラストをこっちに持ってきた感じだろうか。

傅碧辉 / 贾母

牟希宗 / 贾赦
栄国邸の主人。石阿保の扇子や迎春を嫁がせるくだりが詳しめに描かれている。

金士会 / 邢夫人

傅雷 / 贾政
栄国邸の主人。最後凄い格好してたが原作より過酷な場所に飛ばされてしまったんだろうか。

韩湘琴 / 王夫人
賈宝玉の母。優しい顔して諸悪の根源。賈家崩壊時に亡くなってしまい、熙鳳も牢獄なので以後は宝釵が賈家の女子達をとりまとめている。

徐乃麟 / 贾琏
賈家の若様にして王熙凰の夫。水増しされた尤二姐関連エピのおかげでクズ描写が増加。なんか原作より暴力的。

董文汾 / 平儿
熙凰の侍女。小紅に同情したり、尤二姐を影から助けたり、偽装結婚での黛玉の死を深く悲しんだり原作同様良心の塊。

周筱云 / 尤二姐
中盤のヒロイン。六話近くにわたってお話の中心にいた。原作読んでる側からするとこんなじめじめした話を水増しされてもなぁ、という気がする。

宋瑞丽 / 秋桐
賈璉の三人目の妾。熙凰にけしかけられたのも手伝って尤二姐を虐め倒す。正直、本作じゃなければそんなに出番を与えられるキャラじゃないと思う。

曾亚君 / 赵姨娘
探春の母。原作以上にトラブルメーカーとしての部分が強調され出番が増えている。小紅にまで絡んで宝玉との密通を告げ口しようとしたりするところはやり過ぎ。

陈皓 / 贾环

萧艾 / 袭人
宝玉の筆頭侍女。本作は侍女関連のエピがどれも充実している。襲人も良いところ悪いところが余すところなく描かれていていい感じ。

杨洁玫 / 晴雯
宝玉の筆頭侍女。襲人とのライバル関係が強調されている。お嬢様達と同クラスの美人な演者さんで結構目立つ。

蓝丽婷 / 麝月

曾心怡 / 秋纹
原作より三割増し性格悪め。晴雯がやっていた格下侍女いじめも秋纹に割り振られている。

周承芳 / 紫鹃
黛玉の侍女。紫鵑ってどの紅楼夢ドラマでもミスキャストな感じの人が少ない気がする。演じやすいのかな。

唐馨 / 雪雁
原作より紫鵑との絡み多め。

柯淑勤 / 鸳鸯

杨琼华 / 小红
賈家の侍女見習い。ちょっと小賢しそうな顔立ちが原作通りでグッド。賈芸と結ばれて屋敷を出るが、終盤の賈家崩壊時には捕まった人々を慰めにやってくる。出番がめちゃくちゃ増えており、どうして小紅がこんなにプッシュされたのか謎。制作陣にファンがいたのだろうか。まあ私も好きなキャラなのでここらへんは面白かったけど、大半の紅迷はもっとメインのキャラをピックアップして欲しいと思うぞ。

徐亨 / 贾芸

刘越逖 / 贾瑞

陈玮 / 丰儿

黄宁敏 / 彩云
王夫人の侍女。無理矢理賈環とくっつけられそうになってしまう。原作だと彼女の方が環を慕ってる感じだったけど。

陈桂莲 / 春燕

冷冰冰 / 司棋

范鸿轩 / 贾珍

鲍正芳 / 尤氏

芳玉 / 薛姨妈

李又麟 / 薛蟠
薛家のバカ大将。賈璉とかに比べるとエピの盛られぶりが少なくて目立たない。

江岱恩 / 莺儿

张清慧 / 香菱

池华琼 / 邢岫烟

施羽 / 蒋玉菡
舞台役者。中盤で宝玉と友情を結ぶ。売られている襲人を六十両で買い取った。競り負けた男の人は花自芳かな?

唐志伟 / 柳湘莲

马世莉 / 尤三姐
尤二姐の妹。姐のエピが盛られてるのに反して三姐は殆ど盛りなしであっさり退場。

冯海 / 贾雨村

唐琪 / 刘姥姥
賈家の遠縁。原作通り賈家へ遊びに来たり、終盤の巧姐救出で活躍。

张琼姿 / 警幻仙姑
太虚幻境の主。宝玉に見せた情榜がめっちゃ安っぽい出来。だからこういうところがダメなんだってこのドラマは!

刘德凯 / 情僧 澎恰恰 / 癞头和尚
天界への案内人。時々出てくる。しょっぱなのダサい特殊効果はなんとかならなかったのか。

金庸考察 射鵰英雄伝 丘処機と江南七怪の十八年を賭けた勝負について考えてみた

金庸の代表作である武侠小説「射雕英雄伝」。
その物語の序盤で、全真教の達人・丘処機は殺された二人の友の妻を探す途中、些細な行き違いから侠客集団の江南七怪と敵対。二度戦っても決着にならなかったため、丘処機は新たに一つの勝負を提案する。それは連れ去られた二人の夫人を捜し出し、彼らの子供に武術を教え十八年後試合をさせる…というものたった。
壮大なスケールの物語に相応しい幕開けなのだが、私はずっと気になっていたことがある。どうして丘処機は江南七怪にこんな回りくどくて長ったらしい勝負を提案したのだろうか。実はそこには、本編では言及されていなかった恐るべき真実があったのだ。
というわけで以下、語っていきます。

まずは事の発端から整理しよう。
丘処機は旅の途中で知り合った二人の青年、郭嘯天と楊鉄心と友の契りをかわす。二人は義兄弟で、ちょうどどちらの夫人も子供を身ごもっていた。ところが悪徳官吏の段天徳に二人は殺され(鉄心の方は生きてたことが後に判明)、夫人は誘拐されてしまう。怒りに燃える丘処機は段天徳を追うが、相手はたくみに逃げ回り、法華寺の焦木大師のもとへ「狂暴な道士に追われている」と嘘をつき匿ってもらう。
焦木は自分の実力を遥かに上回る丘処機を止めるため、旧知の江南七怪に助力を依頼した。
かくして、丘処機と七怪は酒楼で対面。しかし話しても話がこじれるばかりなので、両者は勝負をすることになった。

一戦目は、丘処機が持ってきた巨大な鼎の酒を飲み干せるかの腕試し。七怪は丘処機が投げつけてくる鼎を、それぞれの特技を使って受け止め、酒を飲み干す。いったんは丘処機が負けを認めたものの、結局段天徳探しのため法華寺に入らせろと言い出したので交渉は決裂してしまう。

二戦目は法華寺での直接対決。江南七怪に加え焦木も含めた八対一の激戦にもつれ込んだが、結果は相打ち。途中で毒を浴びた丘処機は、戦闘後解毒剤を七怪に処方してもらったことを理由に、自分の負けを宣言する。が、七人がかりでほぼボコられる一方だった七怪は納得せず、三戦目の勝負をすることになった。

三戦目が、冒頭でも述べた例の勝負である。内容は以下の通り。
1,七怪は郭嘯天の夫人、丘処機は楊鉄心の夫人を探す。
2,二人の夫人は身ごもっているので、子供が生まれてきたら武芸を教える。
3,十八年後、子供達を試合させて決着をつける!

さて、こうして改めて並べてみると、三戦目はあまりに内容を盛り過ぎというか、どうしてここまでやらなければいけなかったのか?という疑問がわいてくるのではないだろうか。
この勝負を提案した丘処機の立場になって考えてみよう。
一戦目と二戦目が発生した原因は、要するにしょうもない勘違いと話し合い不足からである。特に二戦目では両者が死にかけたうえ、騒動の元凶である段天徳にはまんまと逃げられてしまった。とんだ失態である。江湖でうわさが広まったりしたら、地元で有名な七怪にとっても、天下に名高い全真七子の丘処機にとっても肩身が狭いではないか。
つまり三戦目の勝負は、そうした醜聞を、よりスケールの大きい義侠の行いで上書きしてしまおうという意図があったのではないか。「七侠と丘大侠は忠臣の遺児を探して立派な武芸者に育てようとしているそうだ」となれば、江湖の人々もそれは素晴らしい!と賞賛して、前座になったしょうもない一件もスルーしてくれることだろう。
それに、七怪は勝負ごとにかけてかなり執着心が強い集団である。二度の勝負を経て、丘処機もそうした気質を心得ていたはず。勝負をやたら面倒くさくしたのは、これだけ時間と手間をかけまくれば勝っても負けても「あ~疲れた。まあ十八年も頑張ったからもういっか」と気持ちの落としどころがつくだろうと、考えたのではないか。

なるほどさすがは全真七子の丘処機、ちゃんと七怪へのフォローも考えてこんな勝負を提案したんだね!
……と、納得するのは早計である。
何故ならこの勝負は、丘処機が圧倒的に有利になるよう仕組まれたゲームだったからだ。

え?どこが?と思う方もいるだろう。確かに一見すると公平な感じの勝負だ。が、以下を読んでいただければ、これがめちゃくちゃ不公平なバトルとして仕組まれていた事実がわかるはずである。

1,教える武術の質が不公平
この三戦目の勝負は、丘処機と七怪が生まれてきた子供にそれぞれ自分たちの武術を教える、といったことが内容に盛り込まれている。実はこれがそもそも不公平なのだ。
全真教の武術は、開祖の王重陽がかつて天下第一の称号を得たことからわかるように、大変強力なものである。とりわけ内功に関しては、敵味方問わず作中のあらゆる武芸者達に絶賛されている。
一方の江南七怪。すりや馬術などそれぞれ見るべきところはあるものの、外功・内功どれをとっても名門の全真教に及ぶものではない。
つまり子供へ教える武術自体に、圧倒的な差があるのだ。

2,教える弟子の素質が不公平
法華寺での話し合いでは、七怪が探すのは郭夫人、丘処機は楊夫人、という取り決めになったが、これがそもそもクサイ。七怪が前者になったのは、法華寺の戦いで段天徳が彼女を連れていてその姿を目撃していたからなのだが、この時彼女は兵士の格好に偽装され、皆はよく顔を認識出来ていない(盲目の柯鎮悪は声を聞いたので絶対に忘れない、と言っていたが、結局子供見つける役には立たなかった)。
つまり、丘処機も七怪も殆どノーヒント状態なので、どっちがどっちを探そうとも苦労の度合いは変わらない。本当に公平にやるのであれば、くじ引きで探す相手を決めてもよかったはずだ。しかし、丘処機はあえて何も言わなかった。なぜか。
武術を習得するには、本人の素質も非常に重要である。事実、苦労して郭靖を見つけた七怪は、その素質の無さにガッカリしており、実際の修業でも相当手こずっていた。
恐らく丘処機は、郭家と楊家のうち、教えるなら後者の方が有利になる、とはなからわかっていたのだ。というのも、彼は牛家村で二人の父親と会っており、楊鉄心とは手も交えている。七怪でさえ、出会ったばかりの郭靖の素質不足を見抜いたのだ。達人の丘処機なら猶更だろう。郭・楊の二人の挙動などから、楊家の方が武術の素地として優秀だと判断したに違いない。親の素質は、そのまま子供にも受け継がれるはず。そして案の定、郭靖と楊康の才能差は歴然としていたのである。

3,組織力の差が不公平
七怪は郭靖を見つけてから、その指導にかかりきりで、蒙古に留まり故郷へ帰ることも出来なかった。
十年目のある日、突然丘処機の弟子・尹志平が手紙を届けてくる。そこでは「近況いかがですか~。こっちも楊家の子を無事見つけましたぁ。てなわけで約束通り対戦よろ!」と述べる以外に、蒙古で張阿生が亡くなったことまで言及していた。恐るべき情報収集力だが、これにはもちろんわけがある。
この時期の全真教は絶賛勢力拡大中。七子は多くの弟子をとっていた。丘処機も各地に散らばる仲間から、色々情報を聞き及んでいたのだろう。また、尹志平が(師匠の許可を得ない自己判断とはいえ)郭靖と腕試しをしたことで、うまい具合にその実力を偵察出来てしまった。
丘処機本人は一対一のつもりかもしれないが、仲間が大勢いればそれは自然と差に繋がってしまうのだ。七怪は楊家の子の情報を何一つ持ってないのに、こっちは郭靖の実力が筒抜け。ひどい話ではないか。

要するに、丘処機は一流の武術と素質のある弟子とついでに組織力までも使って戦おうとしてたわけである。これじゃ一介の武芸集団に過ぎない七怪が勝てるはずもない。察しのいい柯鎮悪や朱総あたりは、手紙をもらった時点で「しまった! あのクソ道士にはめられた! 全然公平な勝負じゃないじゃん!」と思ったに違いない。
もっとも、丘処機も勝負を提案する段階で「武芸だけでなく智力と忍耐力を競い」云々いっているので、有利な結果になったのも「智力」を用いただけなんですよぉ~と言い逃れ出来なくはない。なんという策士。

こんだけ不公平なので、全真教側でも「こりゃイカン」と考える者が出たのは当然のこと。教主の馬鈺は再三勝ちを譲るよう丘処機を説得していたことが、作中でも述べられている。多分こんなやり取りがあったのだろう。
馬「丘師弟。天下の名門たる全真教が、こんな不公平な勝負をしてはならん。はやくあちらへ勝ちを譲って詫びてきなさい」
丘「何を言います師兄。私はもう二度も七侠に負けているのですぞ! このうえ三度目の敗北を喫したら、それこそ一門の恥。それに七侠も頑固ですからな。試合もせぬまま勝ちを譲ったところで納得しますまい。何より十八年もかけた大勝負。約束はきちんと果たさねばならんのです!」
馬「(うーむ、言うだけ無駄か。七侠も大変よな。馬鈺、動きます)」
そんなわけで、馬鈺は教主の任もほったらかして、七怪のフォローのために砂漠で数年も過ごす羽目になるのである。

やがて、ついに約束の十八年目がやってきた。この日に備えて万全の対策をしていた丘処機は、自分の勝ちを確信していただろう。
が、予想外のことは起こるもの。
趙王府における戦いで、楊康は全真教の師叔を傷つけたのみならず、自分の産みの親を見捨てて売国奴になりさがった。
丘処機は武術の方こそしっかり鍛えたが、人格はまるで育てられていなかったのである。
かくして、三度目の勝負で本当の敗北を認めることとなった。彼もこの一件を経て、深く反省したに違いない。武芸者に必要なのは力の強さではなく心の強さなのだ、と。

……と思いきや数十年後にまた同じようなやらかしをしてしまうのだった。まるで成長していない……。

紅楼夢之金玉良縁 いろいろ解説

先日中国映画週間にて鑑賞した「紅楼夢之金玉良縁」。かなり原作をいじった部分があるので、気になった部分をまとめて紹介&解説してみようと思います。
映画を見てよくわからなかった方、これから見る参考にしたい方、よろしければ見てみてください。ネタバレ含んでいるので、予備知識なしで見てみたい方はプラウザバック推奨。

時系列について
本作は物語の順序がかなり入れ替えられている。大陸でも多かった「原作と乖離している」という批判の理由も、これによるところが大きいのでは。
ざっくりとした場面分けですが、以下に書き出してみます。
1回しか通しで見てないので、いくらか曖昧な部分もありますがご容赦を。

上から冒頭順。

雪山の宝玉(原作120回以降)
黛玉の実家帰省(原作14回)
返済打合せ(原作になし)
寧国邸の花見~太虚幻境(原作5回)
ベッドでの宝黛いちゃいちゃ(原作19回)
宝釵上京(原作4回)
黛玉の嫉妬+史湘雲(原作20回)
カップル西廂記読書(原作23回)
劉ばあさんの来訪(第6回+40回)
大観園設営・元春省親(第17~19回)
凧揚げ(原作80回)
宝玉紛失(原作95回)
偽装結婚・黛玉の死(原作96~98回)
ラストの回想は第3回、上京直後の場面(ラスト以外にも中盤で挿入あり)。

上記の通り、かなり大胆に変更されているのがわかると思う。中盤の抜けが大きいように感じるかもしれないが、これは時間の限られる映画版や舞台版だとよくある現象。原作も中盤は宝黛釵よりもお家騒動や日常の事件が話の中心になるので。
本作がこのように物語を組み替えているのは、宝黛の悲劇をスムーズに見せる制作側の意図があったのだと思う。特筆すべきはレビューでも書いたように宝・黛の関係性が序盤でほぼ出来上がっているところ。そこから二人目のメインヒロインである薛宝釵が合流するので、彼女は作劇上完全に恋の邪魔者にしかなってない。原作では宝釵の合流が早いため、黛玉は宝・釵の二人が仲良くなることに何度も嫉妬するし、中盤の慧紫鵑まで二人の仲ははっきり固まらない。
宝釵も大人の都合で無理矢理宝玉へ嫁ぐことになった被害者なのだけれど、映画では宝黛の恋模様に比重が置かれて、宝釵の心情が全然描写されなかったのはやはりマイナス部分。
そのほかも時間の都合で説明放棄している場面が多々あり。
・冒頭のさまよう宝玉の経緯
原作の最終回以降にあたる場面だが、映画の最後で冒頭に繋げるシーンを作っていないので多分原作未読だと意味不明だと思う。原作では賈家没落→宝玉は科挙受験の後に失踪→出家して俗世を去る。という流れ。
・太虚幻境
あまりにも内容をはしょりすぎているので何がなんだかわからない人も多いだろう。原作未読で映画を初めて観た方で、夢の可卿と宝玉の二人が何をしたかわかる人、いるんだろうか?
・紛失した通霊宝玉の行方
当然のように説明無し。原作では突然行方不明になり、宝玉結婚後、僧が届けてくる。映画では王夫人が結婚謀略をすすめるため持って行ってしまったのでは…と匂わせたようなシーンも見られるが、結局真相まで描かれなかったので不明。
・賈家の最後
前編通して賈家の苦しい経済状況を描いている割に、その末路に触れなかったのもいかがなものか。

その他、色々映画を理解するうえで知っておくとよい知識、あとは引っかかる箇所

・最初のシーン、宝玉が雪中の草に語りかけるが、黛玉の前世は絳珠草という仙草。黛玉は天界で枯れそうになっていた時、前世の宝玉(神瑛使者)に甘露をかけてもらったことがある。現世ではその恩として涙を返す定めになっていた。宝玉は原作の116回で再び太虚幻境を訪れ、諸々の因縁を知る。劇中ではここらへん一切の説明が無い。いきなり初見の観客を突き放しまくりなスタートを切り、結局全編このノリなのだから知ってる側からしてもちょっと唖然としてしまう。

・最初の宴会で盗み食いを働いた少年は宝玉の腹違いの弟・賈環。なんか主役っぽい登場のムーブだけどこの後殆ど出てこない。宝玉と違って容姿才能性格全部ダメなキャラで、作中何度も騒ぎを起こす。

・太虚幻境で宝玉は可卿という女子に会い、セックスのやり方を手ほどきしてもらう。目が覚めた時に襲人が「どうして濡れているんです?」と尋ねたのは夢精したから。あの水に溺れる演出でわかった人いるのかな?

・秦可卿は舅の賈珍と不倫関係にある。原作では後にそのことが原因で可卿は自殺(原作13回)。しかし映画では二人がどうなったのかは描かれず、ただ汚い内情を暴露したのみ。中盤で出てきた老使用人・焦大が嘆いていたのはこの二人のこと。

・宝玉が黛玉へプレゼントした数珠は、賈家と懇意な貴族・北静王が宝玉を気に入って贈ってくれたもの。黛玉は「男のものは全部汚いから」と受け取らなかったが、これは要するに「(あなた以外の)他の男の持ってたものはいらない」という高度なツンデレ仕草である。

・何度かうつる二頭の獅子は寧国邸の大門にある像。作中のとある人物が「寧国邸で汚れていないのは門前の獅子だけ」と口にするなど、ある意味腐敗の象徴。

・黛玉が史湘雲をけなして席を立つ場面。湘雲は舌っ足らずなので数字の「二(er)」が上手く発音出来ず「愛(ai)」になってしまい、宝玉を「二哥哥(二番目の兄様。宝玉は賈政の次男)」ではなく「愛哥哥(ラブ兄様)」と呼ぶ。字幕は「二の兄様」になっていたが、ここらへんは原語ギャグを翻訳するのが難しいところ。

・宝玉と黛玉が一緒に読んだ本のタイトルは「会真記」。一般には「西廂記」の名称の方が有名だろう。中国の才子佳人劇では一番有名な作品。
黛玉に何を読んでいるのかきかれて宝玉が最初「大学だよぉ」と誤魔化した理由は、当時小説本の類が低俗な娯楽で教養人が読むべきものではないとされていたから。西廂記は当時では御法度な自由恋愛を描いているので、まあ現代にわかりやすく置き換えればエロ本みたいなもの。じゃあ二人はエロ本読んで素晴らしい!と感動してたのか、とか突っ込まれそうだがこれも細かく説明すると、小説も何百年かけて多数作られるうちに、一流文人すら虜にする傑作が生まれてきていて、西廂記はその一つだった(もちろん、表向きは教養人の面子もあってまともに文壇で評価されたりはしないんだけれども)。
字が読めない庶民は、講釈などを通して小説を堪能するので物語にばかり注目するけれども、文人達はむしろ文章の方に目がいく。宝玉と黛玉が感動したのも無論後者。
もともと科挙嫌いだが詩作など文書の才能がある宝玉は、こうした小説の良さを見抜く資質があったというわけ。また黛玉も実家で父親の趣味から本格的な学問教育を施された身なので、良い文章がどんなものかを理解している。さらに言うと彼女は蘇州育ちなので学問のスタイルも頭ガチガチの教養人ではなく自由を重んじるタイプ(それは彼女が作中で述べる詩作論や実際に作った詩を見るとよくわかる)だから、宝玉と同じく小説の良さを理解できた(一方で、物語についてははしたない、ともコメントしている)。
ちなみに、どうしてこんな本を宝玉が持っていたのかというと、退屈そうにしていた彼のため下男がこっそり街で買ってきてあげたから。
…たった一場面説明するのになんでこんなに長い文章を書いてるんだ俺は。

・雨の中、誰も門を開けてくれないことにいらだった宝玉は腹いせに襲人を蹴ってしまう。映画ではその後何事もなかったが、原作だと怪我がもとで襲人はしばらく寝込んでしまう。ついでに言うとこのあたりで襲人が結構野心的でただのいい娘でないことが明かされる。

・通霊宝玉の正体は女媧が天地を創造する際に沢山の石を用いたが、1個だけ余ってしまったもの。下界におりてみたいという願いを聞き届けてもらい、宝玉と一緒に現世へ転生。赤ん坊だった宝玉の口に含まれていた。紅楼夢とはこの通霊宝玉の見聞きした物語であることが原作第1回で語られる。基本的に宝玉とは一心同体の存在であり、宝玉の体調が悪化すると玉もくもったりする。周囲の大人達が命の玉と呼んで大事にしているのはそのため。

・黛玉の最期の台詞「宝玉、你好…」。これは「好」の続きが途切れているので、「宝玉,你好狠!(宝玉さん、なんて酷い人なの!)」「宝玉,你好好活着(宝玉さん、お元気で!)」と二通りに意味がとれる。映画字幕では後者。原作では紫鵑が前者の解釈をして、宝玉を長く恨んだ。

大体こんな感じかな。
制作側の都合とはいえ、原作いじりや説明不足が非常に多い。だから原作派の紅迷が怒るのも無理はない。原作未読派ではついていけない。
とはいえ、映像表現は変に奇をてらっていないし、初心者とか紅迷へ気を遣ったり媚びを売ったりせず「新しい紅楼夢」を作ろうとしたのはとてもよく伝わる。実際、宝黛の恋愛エピソートとして見るならかなり良い出来だと思う。

なので、改めて本作を一言で評するなら「二次創作として見るなら80点、原作映像化として見るなら25点」といったところだろうか。

紅楼夢之金玉良縁(邦題:新紅楼夢~天運良縁~)

2024年制作の古装映画。
原作は中国古典四大名著「紅楼夢」。監督は胡玫。製作会社は沢山あったので割愛(笑)
一部ネタバレ込みなのでご注意ください。

ものがたり
さる大貴族の賈家は世代を経るごとに堕落し、表向きの華やかさと裏腹に没落の影が近づいていた。病気がちだが才気溢れる少女・林黛玉は、従兄弟の賈宝玉とともに育ち、心を通わせる仲だった。しかし周囲を取り巻く大人達の陰謀が、想い合う二人を容赦なく引き裂いていく…。

諸事情で制作が伸びに伸び、ファンを散々待たせてようやく公開された。
が、大陸では公開直後から批判の嵐。まあ最近の紅楼夢は何を作っても炎上ばっかなのでまたか…と思いつつ、こんな評価の悪さじゃ日本での放映も無理だろうと落ち込んでいた矢先、今年の中国映画週間にピックされていたので即チケット購入。

まーガッカリしたくないから期待せず観るかぁと、頭空っぽにして観賞。
で…。

 

 

……え?

……アレ?

なにこれ。

 

面白いじゃん!!!!!
ていうか、泣いちゃったよ!!!!何度も!!!!(後で詳しく)

でも同時に思った。
これ、どう考えても紅迷(紅楼夢ファン)向けの映画だと。
原作を一度通読した程度ではついていけないと思う。なんならドラマや映画とかも幾つか履修して色んな紅楼夢に慣れておけ、とすら感じるレベル。
それくらい原作未読の観客への突き放しが凄い。少なくとも下記あたりが壁になると感じた。

・ストーリーの時系列が滅茶苦茶変更されてる。なので個々の場面をちゃんと記憶してないと、原作一度読んだくらいではかえって混乱してしまう。
・細かいエピとかまで拾い上げて二時間足らずの映画にぶち込んでいるにも関わらず、原作未読の人達をフォローする説明が一切無い。
・同じく原作のギャグや言葉遊び、アイテムや設定についても一切説明が無い。太虚幻境とかあれじゃ意味不明だろ。
・一部キャラは上映時間と原作いじくりの関係で改変が激しい。

……どうしろと!!???
Twitter上でいくつか観た日本人の感想が全然わからなかった、なのもよくわかる。わかるわけがない。
なんなら中国人でも無理だろ、これ。

一応、私はわかる側の人間だったので、つまずくことなく観れた。というか、予想を色々裏切られて凄く楽しめた。
以下は箇条書きでざっくりした感想。
・二時間で本当によくまとめた。凄すぎる。時系列入れ替えは仕方ないというか、こうするのか!と感心すらした。ちなみに過去の紅楼夢映像作品でも時系列入れ替えとかは案外やってたりするので私は割と許容派。でもそれを知らないと「胡玫監督は紅楼夢を滅茶苦茶にしている!」と誤解しかねない。上で映画なんかもいくつか観た方がいいと書いたのはそのため。
・ちゃんと宝黛釵の悲劇をメインに描けている。特に良かったのが古典っぽい古くささが抜けてて、現代人が共感できるように表現してるとこ。普通の泣ける古装ラブストーリーだった。
・宝玉と黛玉、ビジュアルはもう一歩だったけど本人達の演技と演出でほぼカバーしてた。好きになった。
・音楽が大変よかった。葬花の挿入歌もダイナミックに映像を使っていて効果的。
・セット小道具は、観る前はまたいらんとこにじゃぶじゃぶ金使ってんのかとか思ってたけどいい感じに裏切られた。とてもストレートに大貴族の豪邸を表現している。変な凝り方をしてた2010年版のせいでセット周りに金を使うことへの拒否反応が出てたようだ。
・空を飛ぶアングルから屋敷や庭園をうつしたショットが多い。わかりやすく広大さが演出されてる。よく考えたらこういう現代風演出を紅楼夢の映像作品で全然観たことがない。細かいことだけど感動した。
・映像美とはこういう素直な表現でこそ生まれるんだなと2010年版のクソな映像の数々を思い出しながら感じた。
・宝玉の「君が去ったら僕は出家する!」で泣いた(1回目)。そう、これは当時の精一杯の愛の告白なんだよね。それを現代人にも通じるように表現してる。胡玫監督はわかってる!!
・元春の家族との再会エピ普通に泣けたわ(2回目)。いらんとか言ってごめん。
・魂を無くした宝玉に林黛玉が告白する場面で泣いた(3回目)。中盤とここで出てきた「経国美女~」のあれは原作になかったやつだけど、泣いてしまったからこれは監督の勝ちだわ。
・ラストの〇〇の表情(未見の方々の楽しみのために伏せておきます)。泣いた。監督のオタ魂というか愛を感じた。
・キャラ改変はメインの宝黛のための犠牲と思えばまあ許容範囲。特に薛夫人は激しかった。十二釵は殆どいるだけ参戦だけどまあこれもしょーがない。
・気に入ったキャラは王夫人。外面だけ優しそうで中が腹黒な演技が見事。ちなみに通霊宝玉紛失→婚礼謀策の流れ、なんか王夫人の意味ありげなカットがいくつも流れてるんだけど…もしかして?と妄想出来たりしちゃうのも楽しい。
・賈璉と王熙鳳の濡れ場というなんだか珍しいものを見せられた。
・一瞬しか出番が無いくせに意味ありげに画面に出てくるキャラ多数。これは多分わざとだと思う。お前ら紅楼夢ちゃんと読んでるかぁ~?(ニヤニヤ)という監督からの嫌がらせと受け取った。もちろん読んでますとも!
・これまでの映像作品では薄く描かれがちな賈家の経済事情を全面的に出してきてるのが新鮮。のっけから男どもが顔をつき合わせて朝廷への返済会議をしてる。林如海の財産を大観園の造営に利用する展開は本作オリジナル。せっかく新作作るんだから新しい解釈も入れよう!という監督の気概を感じる。
・薛藩が犯罪→宝釵が入内の資格を失う→だったらいいとこに嫁がせなくては、の流れ。原作はここまでガツガツしてないんだけど映画では婚礼への伏線にもなっていてわかりやすいと思った。
・胡玫監督がインタビューで述べてた「陰謀と愛情」というテーマは概ね理解した。もともと彼女は2010年版ドラマで監督をするはずが降板してしまった経緯があって、ドラマ版でやりたかったことを今回の映画に反映したのかな。でも生憎テーマを描ききるには映画が短すぎ…。もともとは三部作構成だったらしいし。ロードオブザリングみたいにエクステンデッド版とか作ってくれないかな…笑

とまあ、全体的に満足出来る一作でした。
あー、こんなことならチケット二日分とっときゃよかったわ…。
もう一回くらい見たら、自分が今まで観てきた映像作品の中での順位もはっきりしてくると思う。

で、私の感想を話したうえで、本国では批判だらけだったじゃん!という話についても語っておく。
まず私がこの映画で「いい!」と感じた部分をそのまま本作の欠点と考える紅迷も相当いると思う。というかそっちが多数派かな。
時系列ずたずた、キャラ改変あれこれ、これだけでも怒る理由には十分。原作通りにやってほしいという観客からしたら相当なマイナスだろう。大陸では原作からの乖離が激しいという批判が一番多いようだけど、それは本当にその通りで、改変を受け入れられるか受け入れられないかが本作の評価の分かれ目に感じた。また、襲人へのキックとか珍と可卿の関係とか出しっぱにして後はスルーみたいな小エピソードも、雑とかいい加減と感じられても仕方ない。
私はストーリーとか時系列はいじってもいいけど、主要なキャラとか本質的な部分を保ってくれれば許せる。ただ紅楼夢は沢山のファンを抱えているので、何が本質的で大事かはかなり意見が分かれるだろうし、そのうえ大陸第一の古典でもあるから、まぁ荒れるなというのがそもそも無理な話かもしれない。
あと、監督の改変は若者をターゲットとして視野に入れていたんだと思う。物語も台詞も演出も結構ストレートな恋愛ものの流れになっている。黛玉はひねくれ度合がかなりマイルドで、これは原作通りだと(加えていえば二時間の映画だと)嫌な女の子に感じさせてしまうからこうなったのだろう。これ以外にも宝黛の関係性をはっきりわかりやすくするため意図的に省かれたエピがいくつかある。特にその中でも大きいのが「慧紫鵑」じゃないだろうか。これは原作の第五十七回に出てくる場面で、詳しい説明は省くけれど宝黛の恋愛のターニングポイントになる超重要エピである。紅楼夢の単発映画や戯曲は数時間に納めるべく宝黛釵の話を中心にするんだけど、この「慧紫鵑」は必ずといっていいほど盛り込まれている。それほどの場面なのに、本作では省かれていた。なぜなら本作は映画開始時点で殆ど宝黛の関係性が出来上がってるからだ。だから「慧紫鵑」のようにわざわざ家中を巻き込んだ事件を起こし、お互いの気持ちを知る、という流れを組み込む必要がなかった…と私は解釈してる。
なんか話がそれたけど、要するに原作の宝黛の関係性はもっと遠回しで複雑なので、そのまま使うと現代人にも見やすいラブストーリーにはならない。それを監督は色々いじって調整してある。クライマックスで黛玉が「経国美女の~」なんてわかりやすい告白を言うのもその一端だと思う(ただこれも、本作の黛玉が気に入らない観客にとっては失笑ものだろうとは感じた)。
じゃあ若者がこの映画を楽しめるかといえば、原作をそれなり(というかかなり)読んでおけ、という前提条件が厳しすぎるので残念ながらダメでした、ってとこだろう…。
そして改変の数々は当然ながら原作重視、他にも87年ドラマ版聖典派なファンからすると「ふざけんな!!」になってしまった。わかる……わかるんだよそういう人達の気持ちも…。
あと、主役勢の演技を酷評する意見もあったが、これも改変のあれこれで制作側とファン側でキャラ解釈へのブレが出てるせいだと思う。正直私はそんなに酷い演技をしてるとは思わなかった。というか傑作と名高い87年版なんかは原作イメージ重視のキャスティングでむしろ演技力がちょっと…な人達もいたし、まあここらへんは難しいところ。特に2010年版の紅楼夢のように近年の古典名作映像化はオーディションとか制作側のあれやこれなんかも絡んできて、配役の事情は色々複雑じゃないだろうか。

散々褒めたので気になったところや悪かったところにも触れておこう。
・薛宝釵……。悪いけどこれはミスキャストだった。そもそも胡玫監督が宝黛推しみたいなので出番や台詞が少なくていまいち存在感が無く、だったらビジュアルで見せて欲しいところだけど宝釵らしさがちっとも感じられなくて色々残念だった。あの風呂?の場面も別にいらない……。
・襲人が宝玉の理解者みたいなツラしてるのはちょっとイラついた。こいつの本性はプチ王夫人なんだよ!これは監督と私の間で解釈違いがあった模様……笑
・上でも述べたように慧紫鵑の場面がないせいで、紫鵑の出番が少ない。そのせいで黛玉の臨終の「本当の姉妹だと思ってた…」もいまいち説得力が無い。あと、原作では紫鵑の方が宝黛の恋愛について理解してるのに上記の襲人のせいで「主人思いだけど宝玉との恋愛には疎い」みたいな描き方をされてたのがちょっと嫌だった。
・怒濤の勢いで挿入される小エピソードは歯がゆい。特に可卿のは投げっぱなしすぎ。焦大の例の台詞含めて賈家の堕落ぶりを表現したかったのはわかるけど…。
・あまりにも原作未読者置いてけぼりなのはやっぱり気になる。でもそっちに気を遣ってたら私みたいに楽しめなかったのも事実。

以下キャスト
边程/贾宝玉
賈家の変人公子。最初から最後まで一貫して黛玉一筋。普通に演技うまいしやんちゃぶりがとても宝玉していて良かった。演じてる年代も若くて子供っぽさに違和感がないのもいい(2009年「黛玉伝」の馬天宇とか育ちすぎてたし…)。

张淼怡/林黛玉
メインヒロイン。大半の紅迷が納得するような演者さんかと言われたら違うだろうけど、素の写真は割と黛玉っぽかった。ビジュアルの良くない部分、多分髪型だと思う。デコだしって健康的に見えちゃうんだよな。髪を垂らしてもっと弱々しい感じにしてくれれば…。そのほか、宝玉にもいえることだけど、やっぱり雰囲気を現代チックに寄せすぎているのも反感を買う要因の一つだったと思う。でも演技は頑張ってた。クライマックスの告白とか凄いよかった。
映画はいきなり黛玉の帰省場面から始まるので(普通は最初の上京から始まるのがセオリー)、これで面食らった観客も多かったと思うし、なんなら原作未読者はこの時点で置いてけぼりになりかねない。
性格のいじくりもとりあえず一度目の鑑賞では気にならなかった。二回目以降、じっくり見たら気にするかも…。
葬花のように従来だったらじっくり時間をかけてた場面が割と簡単に流されたのもやはり賛否両論かな。かといって、昔の映画同様、黛玉を泣かせて花びら散る中葬花吟を流しても、やっぱ今時にそぐわないというか古くさいよなぁ~という気がする。少なくとも宝黛の恋愛ものとしてみれば綺麗にまとまってる、が私の感想。

黄佳容/薛宝钗
上で述べた通り。撲蝶シーンはひどかった。婚礼も宝釵側の悲しみはスルーされてて、まあつまりこの映画では単純に宝黛の敵扱いなんだよな…。宝釵ファンにはあんまりだと思う。

林鹏/王熙凤
賈家の若嫁。家計管理を任され四苦八苦している。偶然転がり込んできた林家の財産をうまく用いようとするが…。
可もなく不可もなく、といったところか? 映画だからまあ違和感を出さない程度にやってくれれば十分。苦労人なところも描かれてて他の大人キャラより悪役ぶりが半端な感じ。

关晓彤/贾元春
王夫人の長女にして宝玉の姉。貴妃に昇格して賈家に莫大な威光をもたらす。
単発映画で元春の省親が描かれるのは珍しい。关晓彤は友情出演枠。やっぱり元春役には若すぎた。せめてあと五歳くらい年輩だったら…。バラエティで散々古装のコスプレやってたせいで、なんか元春もコス臭く見えてしまった笑

卢燕/贾母
賈家の長者。黛玉を深く愛している。家計のことには疎く、また周囲からの猛プッシュで段々宝釵を宝玉の嫁と認めるように。演じる卢燕さん、1927年生まれらしい…。フツーに演技してたけど元気すぎだろ。

杨童舒/王夫人
賈政の妻。家の内向きを任される立場だが基本的に熙鳳へ丸投げ。
終始腹黒さ全開で優しげなビジュアルとのギャップが凄い。どっから見ても諸悪の根源過ぎて笑える。まあ原作もそんな感じだから別に間違ってない笑

罗海琼/薛姨妈
薛宝釵の母にして王夫人の妹。息子が人を殺してしまったので賈家へ転がりこんできた。
めちゃくちゃ悪い女に改変されていて、これは賛否両論分かれそう。とはいえあの姉にしてこの妹ありな感じ。

薛藩/?
薛宝釵の兄。さる公子に売られた香菱を横取りしようとして殺人事件をお越し、薛家が上京する原因に。上京後も遊びほうけていた。演者さんの再現度がなかなか良くて印象に残ったけど、百度などで名前が見つからず。映画のクレジットも早くてわからなかった。

张光北/贾政
栄国邸の主にして宝玉の父。真面目な人物だが視野がせまく賈家の没落が見えていない。
娘である元春との御簾越しの再会が悲しい。これは原作未読だとわからないだろうけど、元春の近くに寄れるのは身内でも女性のみに限定。宝玉は弟で子供なため特別に許された。…というのが一切説明されないのが本作。

李越/贾琏
熙鳳の旦那。イケメン。黛玉を故郷へ送り迎えしたり、それなりに出番あり。
演じる李越さんは熙鳳役の林鹏さんよりずっと若かったりする。

冷鑫瑶/秦可卿
寧国邸・賈蓉の妻。皆に慕われる若嫁だが、裏では…。彼女に関しては詳しいエピがあるんだけど映画では知ってる前提で豪快に流されてる。

姚晓棠/贾迎春 杨宝静/贾探春 黄凰/贾惜春
賈家の三姉妹達。宝黛釵メインなのでほぼいるだけ。探春は黛玉のお見舞いにきてくれた。

江安菁/史湘云
四大家族のうち史家のお嬢様。申し訳程度にメインキャラ達と絡む。愛哥哥のくだりも出てきたけど原語の言葉遊びは翻訳だと限界があって難しい。

王艺潇/李纨
賈家の若き未亡人。もちろん何にも説明されないので原作(以下略

杨祺如/袭人
賈宝玉の筆頭侍女。主人へまめまめしく仕える侍女の鏡。時間の都合でお妾昇格エピとかは無し。終始良い子で描かれているのは気に食わない。こいつはプチ(ry

马菲/晴雯
賈宝玉の侍女。原作では侍女版黛玉的な存在だが本作では黛玉にハンカチを届けるくらいしか目立つ活躍がない。

曲芷含/紫鹃
林黛玉の侍女。もうちょっと黛玉との絆を描いてほしかったところ。とはいえ本作の宝黛は紫鵑無しでも十分カップルしてるのでまあこんなものか。演者さんがいかにもな侍女顔で可愛い。

丁嘉丽/刘姥姥
賈家の遠い親戚。困窮した状況を救ってもらおうと賈家を訪問。原作通りのお下品ギャグも言ってくれる。まあ劇場で笑ってる人はいなかったな…。しかしわざわざこのエピソード入れる必要あったか?は疑問。

というわけで、なんというか通好みの作品でした。
ファンそれぞれの意見があるだろうけど、私は熱意を以てこの映画を完成させてくれた胡玫監督に感謝です!!!

大人が読みたい西遊記

大人が読みたい西遊記 (サンエイムック 時空旅人別冊)

価格:1300円
(2024/10/2 22:36時点)
感想(0件)

時空旅人の「西遊記」特集。
なかなか中国古典小説でこういうものは出ないので買ってみた。
前半の原作紹介はとてもわかりやすくまとまっていて最高に良かった(大学の先生方による紹介なので、よく世間で誤解されがちな小ネタとかに言及しているのも凄く良い)。特に三蔵一行の旅路や八十一難などが図表で出ているのは有難かった。
後半は旅行特集。普段時空旅人買ってないのでわからないのですが、こっちがメインストリームなのかな? こちらもとても面白かった。

ところでこの前買った「ビギナーズクラシック西遊記」でも思ったんだけど、西遊記物語後半部分の紹介が雑になりがちなのは何故なんですかね? 紙幅が限られているとはいえ、牛魔王とか金角・銀角みたいな有名どころばかりじゃなくて、もう少し平等にエピソードをとりあげて欲しい…。
通天河を堺に西遊記後半の話は前半と対になって同じような内容が繰り返されるから飽きる、とかくだらん評をする人もいるけれど、後半は敵の強さがますますインフレしたり、悟空にも精神的な成長が見られたり決して同じではない。ダイジェストにされてしまうのは実に歯がゆい。
あと、本書で西遊記を読むきっかけにしてもらうのならせめて入門しやすい翻案本とかもあわせて紹介してくれ~と強く思った。一般の人にいきなり岩波文庫十冊はハードルが高いのでは? まあ、私みたいなどっぷり中国オタだともう一般人の感覚とかわからんけどさ。

他にも欲をいえば中国本土のドラマ版にも触れてほしかったところ。堺正章版「西遊記」の素晴らしさは今更言うまでもないけれど、中国版には中国版の良さがある(そういえば、大陸ドラマ版西遊記をまともに紹介してる書籍って、日本にあるんだろうか…?)。というか映像作品事態日本より沢山作ってるし、こういう特集の機会に紹介しなくていつ紹介するのか。特に最後の方の広告、三国志なんかねじ込むくらいなら他に西遊記コンテンツなんていくらでもあるやろ!と感じた。

とはいえ、最近新作ゲームが発売されてますます西遊記が注目されやすくなった中で、こういう特集本が出てきたのは大変に有難いこと。
なんか文句も挟みましたが買って大満足したので、皆様も是非。

金庸武侠世界 鉄血丹心

金庸原作武侠小説「射鵰英雄伝」の2024年ドラマ版。鉄血丹心はもともと名作と名高い83年ドラマ版の副題だが、本作ではそれがメインタイトルに用いられている。
以下、ネタバレ含みで感想。

ストーリーは概ね原作通りながら、30集しかないためかなり省略されている。かと思いきや原作未読の視聴者へのフォローなのか要所で過去回想が挿入される。ところがこれが曲者で、入れるタイミングが悪かったり、長ったらしくなって本筋の方が置き去りにされたり、あまり演出としてうまくない。特に14話のラストで桃花島から出発したくだりなど、次話でいきなり明霞島の遭難場面から始まるので「あれ? もしかして一話くらい飛ばしちゃった?」と誤解してしまった(しばらくして遭難の回想が入るんだけど、普通に時系列順でやっても問題無い場面だと思うし、何より西毒北丐のバトルが雑に流されてしまったのが不満…)。
また、物語の展開が早すぎるせいで、原作の名シーンも感動がそれぞれ薄らいでしまった。特に江南七怪の死や蒙古軍遠征の話は序盤をごっそり削ってしまった影響がもろに出ている。大理の四高弟の試練とか、テムジンの血族争いとか、削って正解だと思うシーンも無くは無いけど…。

アクションはCG過多の最近には珍しく生身多めでいい感じ。けれども一つ一つの戦闘シーンが短すぎ。特に煙雨楼戦で北斗陣が数十秒と持たず破られたのはあんまりだと思った。そこはもう少し盛り上げるとこやろー!
ちなみに、何故か梅超風関連のバトルだけは時間もじっくりとられてて充実してた感じがする。
内功修行や陣形の説明では何故か毎回夜空に星がきらめく演出。伝えたいことはまあわかるけどなんか違う気がする。

キャストは割と再現頑張っていると思う。郭靖、楊康は原作を再現しつつそれぞれ違うタイプのイケメンになっていていい感じ。反面、メインヒロイン二人はどっちも不満(詳しくは以下のキャスト欄で書く)。脇役はどれも良かったけど、個人的には孟子義さんの梅超風がダントツ。制作側からもかなりいい扱いをされてると思う。あとは趙健の裘千仞・千丈。本作で一番ギャグがうまかったし、シリアスの使い分けも見事。四大達人はちょっと若めかな? でも主演達も結構若いのでそんなに気にならなかった。
セットは金が無いのかしょっちゅう似たような場面が映る。今時の古装なので小道具がどれも綺麗すぎるのは相変わらず。楊康が穆念慈と流浪する場面は、もっと貧乏くささとか汚さが強調されてると良かったんだけど…。
歌無しのOPはかっこよくて好み。でもあれだけ戦う映像流して期待値あげておきながら、いざ本編のアクションが上記の通りの短さだからこれは結構な詐欺だと思う。音楽といえば、なんか呪怨の幽霊みたいなゲーゲー声の流れるBGMはダサかった。

過去作を色々見てきた身としては、手放しで面白い!とは褒められないんだけど、話がサクサク進むしビジュアルも悪くないので概ね満足な出来です。ただ、初心者向けならもっと面白いバージョンがあるかなぁ~とは感じた。

以下キャスト
此沙 / 郭靖
ちょっと天然ぽくて大らかな雰囲気のビジュアルがイメージと合ってていい感じ。中身も概ね再現されてるだけど、話をスムーズに進めるためか原作には無いクレバーさを出したりするのが時々違和感(おとりを使って欧阳克を欺いたりとか、原作郭靖じゃ絶体出来ない)。上でも言ったけど序盤のあれこれを削られているので師匠との絆や蒙古・宋の間での葛藤とかがイマイチ感じられない。最終回では悩みから解放されたのがきっかけで異常に強くなり、裘千仞のみならず欧阳锋もタイマンで圧倒。さすがにやり過ぎでは…。

包上恩 / 黄蓉
メインヒロイン。演技もアクションも頑張ってるんだけど、邪気が足りなくて黄蓉っぽさが薄め。原作みたいな小悪魔アクションをすると現代人には共感されにくいからだろうか。例えば中盤の华筝とのくだりとか、原作黄蓉なら殺しにかかってると思うんだよね…。ていうか穆念慈の方はそうしてるから、ここで郭靖置いて去ってしまうのがやっぱり辻褄合わない…。
ビジュアルもうーん。個人的に若い女優さんはデコ出さない方がかわいくていいと思う。時々前髪の処理が気になった。なんか髪が薄いように見えてしまう。

王弘毅 / 杨康
いかにも貴公子風なビジュアルが郭靖と対になってていい感じ。演技も上手いし。楊康はドラマだと結構改変が多くなるんだけど、原作が描かれた当時と違って現代では郭靖よりも感情移入しやすいキャラだと思う。まあそれだけに原作再現が難しいところもある。序盤はちょくちょく原作に無いエピソードを入れて丁寧に描写していたのが、後半は尺に余裕が無くなったのか割と雑な扱い。せっかく欧阳锋との修行シーンがオリエピで追加されてたのにその後まったく活かされないのはどうなのか。対等なライバルキャラとして郭靖とタイマンで戦う、みたいな展開をやってくれてもいいんだけどなぁ(一応、2007年版ではやってたな。でも実力差つきすぎて殆ど勝負になってなかった…)。

黄羿 / 穆念慈
メインヒロインその2。穆念慈というキャラは結構楊康の改変に左右されるところが大きくて、例えば楊康を有能で狡猾に描きすぎると悪党に騙されてるバカな女に見えてしまう。かといって念慈を自立した立派な女性にしようとすると今度は楊康をヘタレに描かざるを得ない…となかなかバランスが難しい。今回はちょっと前者よりかな。最後は楊康と決別するけど、それまでは結構言いくるめられてしまってる。これまた演者さんには申し訳ないんだけど、穆念慈のイメージと合ってない。というか最近の若い女優さんはこの黄羿さんみたいな顔立ちの人結構見るけど、自分があんまり好みではないせいもあるかも…。

周一围 / 黄药师
東邪。過去作の黄药师ってしかめっ面の頑固親父っていうのが固定イメージだったんだけど、本作はとってもクールで独特な個性を放ってる。正直かなり好き。普段がクールだから、感情が出たときの印象がぐっと強くなっていい(梅超風が死んだ時とか)。髭が無くて何だか若く見えるけど、演者さん的に似合わなそうだからこれはこれでいいかな。

高伟光 / 欧阳锋
西毒。西洋っぽさ強め。ちゃんと蝦蟇功で四つん這いになってくれる。戦闘シーンが大幅にカットされているのが残念。甥への愛情が泣かせる。尺がないのにそのへんは回想でオリジナルエピもある。

何润东 / 段智兴
南帝。この人が南帝を演じてるというのがなんか笑ってしまった。最近あんまりアクションをやってくれなくて悲しい。でもよく考えたらキャストの中でも年輩な方なんだよな…。

明道 / 洪七公
北丐。最初若くて違和感あったんだけど段々見慣れてきた。最終回にて郭靖脳内のマボロシだけど弟子を慰めるくだりはよかった。

孟子义 / 梅超风
桃花島のもと四大弟子。本作のヒロイン枠は実は彼女ではなかろうか。梅超風ってドラマ化の度に若年&美人補正が強まってるけど本作は特に顕著。原作では登場時点で四十歳くらいなんだけど…。主要な戦闘場面もきちんと網羅されていて、いくらかスタンド交えているけどかなりかっこよく描かれている。盲目なのになんであんなにちゃんとした格好してるの?は言っちゃいけないお約束か。盲目といえば時々目が充血しているように真っ赤なのが痛々しい。
凶暴なたたずまいなのに、台詞や表情の端々からうかがえる師匠大好きオーラがかわいい。弟子入りの場面が回想で再現されててこれまたとってもかわいい。

田雷 / 周伯通
天下第一の達人・王重陽の義弟。本作の癒やし枠。これまた戦闘シーンカットで原作の阿呆みたいな強さがあんまり再現されてない。

赵峥 / 完颜洪烈
金の皇族。郭靖の仇。序盤は楊康との絡みもあって結構出番に恵まれていたんだけれど、敵キャラとしての存在感は段々薄めに。

张志浩 / 欧阳克
欧阳锋の甥。実は息子。序盤における郭靖のライバルポジションだが、エロいことしか考えてないのが災いしてたびたびドジを踏む。最近の厳しい規制のせいか女の子の服も上着一枚程度しか脱がせられない。

赵健 / 裘千仞・裘千丈
鉄掌の幇主とその兄貴のペテン師。兄貴の方は地味に出番が多い。

尤靖茹 / 瑛姑
もと大理国の妃。復讐のため南帝を狙う。黒沼の再現度が良い。話の都合とはいえ、仇の裘千仞が超速で姿を見せたくだりは笑ってしまった。

王九胜 / 马钰
全真教主。一話では郭靖との修行や梅超風との戦闘シーンなど達人の風格が出ていてめちゃくちゃかっこいい。

李进荣 / 丘处机
全真教最高の使い手。原作では物語の発端となるキャラだが、本作では出番も強さもいまいち再現されず。

葛四 / 柯镇恶
江南七怪の筆頭。ツンデレ偏屈な大師父。原作だと目だけで無く足を悪くしているから杖をついてるんだけど、このドラマでは普通に歩いてる。

高子沣 / 朱聪 高峰 / 全金发 白海龙 / 南希仁 宁小花 / 张阿生 李树 / 韩宝驹 沙漩 / 韩小莹
江南七怪の師匠達。張阿生は尺の都合とはいえ雑に死亡。原作と違い韩小莹が郭靖を殺そうとしたのはちょっとショック。朱聪はいかにも文人チックなビジュが良い。

王力 / 铁木真
モンゴルの覇者。序盤がごっそり削られているので、郭靖との絆がいまいち感じられない。

郭金也 / 拖雷
郭靖の義兄弟。郭靖の心が蒙古から離れていくのを感じつつも兄弟の情をまっとうしようとする姿が良き。

马丽亚 / 华筝
郭靖の許嫁。原作では約束と愛情の狭間で煮え切らなかった郭靖がちゃんと黄蓉を選び取るのがドラマ版のいいところ。

個人的に好きなシーン
第3、4集 趙王府潜入作戦
王処一の解毒をするため趙王府に潜入した郭靖・黄蓉のコンビ。完颜洪烈に雇われた欧阳克らが立ちはだかる。しかしそこに意外な助っ人が現れ…? また時を同じくして楊康は母から衝撃的な真実を告げられる。
複数の事件が同時進行し、さらに色んなキャラも加わって序盤屈指の盛り上がりどころ。梅超風の活躍ぶりが素晴らしい。反面、丘処機は原作と異なり毒を受けて早々にダウンしてしまう。

第20集 梅超風 最後の戦い
牛家村に集った全真教のもとに現れる梅超風。過去の因縁もあり、七対一の圧倒的不利な状況でもひるまず戦いをしかける。しかしそこに東邪・西毒がやってきて、勝負の方向は思わぬ行方へ…。
このドラマで一番燃えたバトル。北斗陣の演出がカッコイイ。原作ではvs梅超風が前座でvs東邪がメインなのに、ドラマでは後者の戦いが短く切り上げられてしまったのが残念。

第29,30集 武術への悩み。
黄蓉と母を失い、武術を使うことを拒否しはじめた郭靖。暴徒とした民衆から襲われても無抵抗。それを助けてくれたのは丘処機と柯鎮悪だった…。原作だとここで出てくるのは丘処機だけなんだけどドラマでは柯鎮悪も追加。はっきり言ってこの二人のカウンセリング能力は壊滅的で、案の定郭靖は悩みが深まり戦いの場に居合わせるだけでPTSD状態。なんか原作より酷い状態になってて笑える。いや…シリアスなシーンなんだけど、うん。そして唐突に現れた段皇帝の一陽指洗脳治療でまた爆笑。なにそれ!? でもその後、死んでいった人々が郭靖を導く場面は結構よかった。…かと思ったら七怪の中にしれっと生きてる柯鎮悪も混じっててまた笑いが…。ついでに郭靖を導く七公もマボロシ…。ううん、なにこの脳内世界。でもその後郭靖は悩みから解き放たれて大覚醒。勢いで自分より格上なはずの裘千仞をフルボッコにする。えぇ…? ちょっとカオスすぎ。