福貴

趙樹理の短編小説。堕落してしまった小作人・福貴の半生から農村における搾取の問題を描く。

元来真面目な人間だった福貴だが、婚礼や葬儀の費用による困窮から地主の小作人となってしまい、以後懸命に働くも、土地からの作物では生活費を稼ぐのが精いっぱい、利息がどんどんたまってしまう。いくら働いても借金が増えていくばかりなので、いつしか真面目に働くのをやめ、賭博や盗みにも手を出し、すっかり村の嫌われ者になってしまった。しかし、そもそも福貴が堕落したのは彼自身の責任だろうか?という問題提起がされたところで、本作は終わる。

当時の中国農村社会における搾取のシステムをわかりやすく解説してくれるお話。というか、システム自体は現代社会でもより巧妙な形に変化しつつ生き残っているわけで、今尚問題は解決していない。当時の中国は土地革命を行い、搾取側を悪として攻撃したが、結局それが理想的な解になったかどうかは後の歴史が示す通りである。
福貴の落ちぶれていく様は老舎の「駱駝祥子」を彷彿とさせる。あちらは農村ではなく都市が舞台だが、まじめな労働者が堕落して卑賤な仕事に手を出す部分など、共通点は多い。善人がいくら頑張っても報われない社会、というのは読んでいて辛いものだ。

それと、中国特有の部分だと感じるのが面子描写。狭い農村だからなおさらなのかもしれないが、自分のことにせよ他人のことにせよ、とにかく面子の潰れるようなことは出来ないのだ。中国では借金してでも親の葬儀を行ったりするが、これも親を大事に想っているならそれくらいのことはしないと面子が立たない、という話なのだろう。他にも、福貴の村ではお芝居が定期的に行われているのだが、その主催は福貴の地主だった(ちなみに福貴は芝居が得意で看板役だった)。ちょうど大きなお芝居祭りの時、福貴は子供が生まれたばかりでおまけに数日腹を空かしている状態だったのだが、客は彼が出てこないと盛り上がらない。そんなわけで、地主は自分の面子のためあらゆる手段を用いて福貴を芝居に参加させたりする。本編のあちこちで、自他の面子のためにままならなくなってしまう話が出てくる。こうした面子重視の社会も、福貴をダメにした大きい要因なのではなかろうか、と感じる。