【中古】 倚天屠龍記(5) 選ばれし者 徳間文庫/金庸【著】,岡崎由美【監修】,林久之,阿部敦子【訳】 【中古】afb 価格:200円 |
射鵰三部作を通して登場する武術の最高奥義「九陰真経」。しかし、三部作目の倚天屠龍記では長らく江湖で失われた状態だった。
倚天において、謝遜は失伝の理由を「九陰真経は修行が大変難しく、郭靖の娘・郭襄でも修得できなかったほどだから」と語っている。
これがいまいちひっかかる。前作から百年近くが経過しているので、恐らく謝遜の言葉にも憶測が含まれていたとは思うが、神鵰時代に九陰真経の継承者は本当に一人も存在しなかったのだろうか。当時の襄陽には武林の達人が集い、郭靖の周辺には自分の弟子も含め、高度な奥義を身につけられそうな人材が少なからずいたのでは?
ということで、九陰真経の奥義が伝えられなかった原因について、ちょっと考察してみたい。
まず、郭靖の周辺――つまり子供や弟子達――で九陰真経を修得出来る人材がいたかを確認してみよう。
郭芙…郭家長女。神鵰十六年後の時点で、二三流どころの武術レベル。よって素質なしとする。
武兄弟…郭靖の弟子。神鵰十六年後の時点で、一流クラスの使い手には成長している、と言及あり。しかしながら、二人以上の実力を持つ耶律斉がモンゴル食客軍団より腕前が落ちる点を考えると、一流といっても下位クラスの分類になると思われる。
郭襄…郭家次女。神鵰十六年後の時点では、江湖を一人でうろつくのが危険なレベルの腕前。数年後の倚天屠龍記序盤では、少林寺の達人・無色大師を翻弄してみせたものの、実戦の経験はまだ浅く達人には遠く及ばない。ただし、様々な武術家の技を使い分ける、覚遠の九陽真経の奥義を横で聞き取るだけで多くを悟るなど、後の蛾眉派開祖として才能の片鱗は見せている。
郭破虜…郭家長男。武術の腕前について殆ど言及がないので不明。
耶律斉…郭靖の娘婿にして丐幇幇主。全真教・周伯通の直弟子でもある。上述した通りクドゥや尼摩星に及ばないが腕は一流。
さて、この中で最も適正がありそうなのはやはり耶律斉である。まず全真教の弟子なので、道家の正当な内功を修得している。これは同じく道家を基礎とする九陰真経と相性がいいはずだ。何より耶律斉自身の素質も高い。
次点で武兄弟も十六年後のレベルなら何とかいけそうな感じはする。一陽指もちゃんと会得しているようだし。
郭襄は素質はあるものの、楊過への断ち切れない未練など雑念があって、倚天の時点でも修行はまだ危ないかもしれない。
というわけで、九陰真経を学べそうな人材は身内だけでもそこそこいたわけである。だが、郭靖は神鵰十六年後の時点で誰にも奥義を伝えている様子がない。となると、問題は人材ではなくそれ以外の外的な要因によるものと考えられる。以下、考えられそうなものをあげてみよう。
①郭靖の指導力が無かった。
これは神鵰序盤の時点で、まだガキンチョだった楊過に指摘されている。郭靖は教えるのが下手なのだ。本人にも自覚があったかもしれない。安全な全真教や江南七怪の技はまだしも、九陰真経となると教えるのに危険が大きすぎる、と。
現実にもあることだけれど、指導する側の立場になると、生徒を危ない目に遭わせてはいけない、誤った答えを与えてはいけないとセーブする心理が働いてしまう。これは物事を深く理解すればするほど起きやすい現象でもある。まして教えるのは武術、人や己を傷つける可能性がある。慎重になってしまうのも当たり前だ。
また、九陰真経が修得難度の高い奥義書であることも事実である。射鵰で郭靖が九陰真経を学ぶ側だった時は、常に四大武術家をはじめとする超一流達人のアシストが不可欠だった。指導無し、あるいは上下巻のどちらかが欠けていた場合、梅超風のような邪道に陥ってしまうケースも目にしている。他にも射鵰時代は、牛家村での内功治療、丐幇大会での移魂大法など、状況的にどうしようもなくなって九陰真経の技を頼る局面が多かったが、強力な技はコントロールにもリスクがつきもの。よくよく考えたら失敗する可能性もあったわけで(特に移魂大法なんてほぼぶっつけ本番の使用)、奥義の扱い方としては結構危ない橋を渡っている。結果的にうまくいったから良かったけれど、郭靖も後から考えたら冷や汗ものだったのではなかろうか。
それに、神鵰本編を見ていても、郭靖は九陰真経の全てを学びきれていないように感じる。特に外功については殆ど使っていない(大伏魔拳法や九陰神爪など)。周伯通が射鵰で語った九陰真経の伝説が事実なら、とっくに郭靖が天下一になっていてもおかしくないはずなのだ。自分自身が完全にマスターしていない以上、弟子に伝えようという意識が鈍ってしまうのも当然だろう。
②戦争で忙しく奥義を伝える暇が無かった。
これも大いにあると思う。神鵰十六年後の時点で、郭靖が黄蓉に「降龍十八掌もここ十数年お蔵入りだ」と語る場面がある。どうやら戦で忙しく、達人との一騎打ちをする機会が殆ど無かったようだ。また金庸江湖では「個人の武術は軍隊同士のぶつかる戦場だと役に立たない」というセオリーがある。戦争で必要になるのは、兵士を動かす計略と指揮力であり、武術はそこまで求められていない。この時期は郭靖も弟子の武兄弟も、婿の耶律斉ももっぱら兵卒を引き連れて戦場に出ていた。状況的に、個人同士の戦いに使われる武術は重要視されていなかったのかもしれない。
ちなみに、これについては伝授される側にも同じことが言える。耶律斉はじゅうぶんに九陰真経を受け継ぐ素質を持っていたと思うが、郭家の婿として戦場での役割も大きく、そのうえ丐幇の幇主まで継いでしまった。これでは多忙で技を学ぶ時間などあるはずがない。また丐幇を継いだからには、二大奥義の降龍十八掌と打狗棒術を優先して修得しなければなかったはず。耶律斉が九陰真経に手が回らなかったのはその状況のためと考えられるだろう。
③再び九陰真経を世に出すべきではないと考えていた。
これはちょっと線が薄いけれど、①②の補強として一応つけ加えておく。九陰真経はかつて江湖に血なまぐさい争いをもたらした経緯があり、郭精もそれを知っている。射鵰では限られた人間達の間でのみ争奪戦が行われ、江湖全体を巻き込むような騒ぎにはなっていなかった。しかし、郭靖の頭には常にその危惧があったのかもしれない。郭靖も黄蓉も九陰真経の外功を殆ど使用しなかったが、それも人目につくことを避け、争いの原因を作らないようにするためだったのではないか。
未熟な子供や弟子達へ伝授すれば、強力な武功ゆえそれに頼る局面が増え、必然的に世間の目に留まるリスクも高くなる。もしも「郭大侠が伝説の九陰真経を持っている」などとバレたら一大事だ。モンゴルとの戦争で手一杯の状況なのに、九陰真経を狙う江湖の荒くれまで相手をする羽目になったら身が持たなかっただろう。とはいえ、倚天の時代には謝遜をはじめ、郭靖が九陰真経を修得していたことを知る者が少なからず存在している。もしかするとどこかで噂を知られて、結構面倒な事態になっていたのかもしれない。
ただし、後の時代になれば話は別だ。郭靖は最後になって倚天剣へ奥義を遺すことに決めた。江湖へ争いをもたらす危険性はあったが(事実そうなってしまったんだけれど)、正しい心を持った者が正しく用いてくれることに期待したわけだ。その願いは、無事張無忌によって果たされることになる。
以上、九陰真経が失伝してしまった可能性について、長々書いてみました。
武兄弟の子孫とか丐幇が軒並み堕落している状況を考えると、あえて直接的な伝授を避けた郭靖と黄蓉には先見の明があったのかも、なんて思ったりもします。