金庸小説で最も有名な武功は?とファンに問えば恐らく十中八九は「降龍十八掌」の名をあげるだろう。
「射雕三部作」「天龍八部」など複数作品にまたがって登場し、厨二心をくすぐるイカしたネーミング、凄まじい威力、そして主人公勢が使用することもあって人気・知名度共にトップクラス。それゆえか名前と設定だけ拝借して様々なカンフー映画や漫画に流用されてたりする。
名前の通り十八の技から成り、莫大な内力を込めた掌を打ち出し相手を葬る必殺武功。極めれば一掌で数十人をまとめて打ち倒したり、何丈も離れた相手に掌力を当てる芸当も可能。技の創始者は明らかにされていないが、乞食の組織・丐幇の歴代幇主に受け継がれてきた。伝授のルール自体は緩いようで、「射雕」の洪七公は功績を立てた幇の弟子達へ部分的に教えたほか、上手い料理につられて幇とまったく無関係な郭靖に十五掌も伝授している。型はシンプルで覚えやすいが、習得には深く鍛えた内功が必要。そのため人材が豊富な丐幇でも身につけている者は非常に少ない。
欠点は、一手放つごとに内力を大きく消耗するため、連続使用や長期戦には向かないこと。また完全に力押しな技なので、動きの素早い相手、こちらの力を利用する柔の相手も苦手(体を滑るように動かして攻撃をかわす泥鰌功(射雕)、力をよそへ振り向ける斗転星移(天龍八部)など)。とはいえ、その凄まじい掌力は拙で巧を破るの例え通り大半の小細工を無力化するので、相対した者は基本的に真っ向から迎え撃つことを強いられ為す術がない。前述した泥鰌功や斗転星移も、作中ではかわすだけで反撃は出来なかった。
「射雕」の周伯通曰く「剛の武術の最高峰でこれ以上は無い」とのことだが、武林には同じく剛の武功を得意とする少林寺がいるため、どちらが頂点かは微妙なところ(もっとも「射鵰」時代の武林だと少林寺は影が薄いので、周伯通の認識もあながち間違いとはいえない)。実際に「天龍八部」で簫峯と少林寺の玄慈が手を交えた際は掌力で渡り合っている。
十八手の招式名称は以下の通り
亢龍有悔・飛龍在天・見龍在田・鴻漸於陸・潛龍勿用・利涉大川・尺蠖之屈・或躍在淵・雙龍取水・神龍擺尾・突如其來
・時乘六龍・密雲不雨・損則有孚・龍戰於野・履霜冰至・羝羊觸藩・震驚百里
招式の中で最も有名なのは第一掌の「亢龍有悔」だろう。作中の修得者が最も多用し、特に郭靖はこの技を愛用し極限まで極めていた。金庸先生は何度か作品を改稿をしたり、ドラマなどでも設定改変があったりで、十八手の技名と順序は媒体ごとにばらつきがある。また技順は一部しか明かされていない。晩年になって金庸先生が改稿した「天龍八部」では新たに十掌が追加され降龍二十八掌になったが、従来のファンからは不評で、近年作られるドラマ版でもこの設定は踏襲されていない。
「射雕三部作」が南宋~元末の激動期なのもあってか、作中では十八掌のうち六掌が失伝。さらに時代がくだった「笑傲江湖」では一切言及されなくなっている。
映像作品では技名の通りCGやアニメーションの龍が掌と一緒に飛び出して相手に襲いかかったり、アオーンとかギョエーンと咆哮が聞こえたりする笑 ここらへんをすんなり見れるようになったら君も立派な江湖の一員だ!
主な使用者(時代順)
簫峯…丐幇の若き幇主。「天龍八部」における主人公の一人。習得済みの状態で登場し、完璧に使いこなしている。また丐幇に入る前は少林寺の玄苦に師事しており、まさに剛の武功を極めた存在。作中で簫峯の十八掌をまともに受けることが出来たのは易筋経と氷蚕でチートなパワーを得た游坦之、同じく剛の使い手である少林寺の玄慈など僅かだった。また殆ど無敵に近かった掃除番の僧にも(半ば隙に乗じたとはいえ)ダメージを与えている。
簫峯自身は途中で陰謀により丐幇を追い出され、数年後に遼との戦争問題で命を落としてしまう。そのため技の継承は、金庸先生が改稿した最新版において、簫峯の義弟である虚竹が手助けしたと説明された(彼の属する逍遥派は天下のあるゆる武功をコレクションしていたため)。
洪七公…南宋期の丐幇主にして五大武術家の一人「北丐」。過去に華山論剣で技を競い、王重陽に天下第一を譲るも残りの東邪・西毒・南帝と肩を並べた。本編時系列で郭靖を弟子と認め十八掌を伝授。その後も宿敵欧陽鋒との戦いで使用し、まだ未熟な郭靖とは段違いの威力を見せつけた。修行を極めているだけあって、掌力を溜めて威力を調整するといったコントロールも可能。続編の「神雕剣侠」では九陰真経の一部を取り入れてさらにパワーアップしている。
郭靖…「射雕英雄伝」主人公。黄蓉が七公を上手い料理で餌付けしたのをきっかけに降龍十八掌を一手だけ伝授してもらう。が、その後も黄蓉があの手この手で丸め込み一気に十五掌まで習得。それまで外功では二、三流クラスだった郭靖はこれを機に大きくパワーアップ、趙王府の達人や梅超風とも渡り合えるようになった。さらに後、宝応県で七公と再会した際に正式に弟子入りし、残りの三手も習う。シンプルな技のコンセプトは郭靖の気質ともマッチしており(お馬鹿なので複雑な技とかは覚えられない)、周伯通の空明拳や九陰真経など様々な武功を習得した後も、一貫して降龍十八掌を愛用した。
前述した通り型は覚えやすいのだが、素質のない郭靖は最初の「亢龍有悔」を学ぶだけでもかなり七公を手こずらせた。王処一曰く「七公の三日の指導は他人の三十年に匹敵する」ほど優れているそうだが…郭靖のにぶちんぶりがよくわかる。とはいえ、全真教の清純な内功を学んでいたので、習得条件は最初から満たしていた。
当初はまとめて習った十五掌を順番通りに繰り出し続けるという頭の悪い使い方しか出来なかった。また内力消費への配慮も足りず、明霞島では連続使用で体に負担をかけてしまい一時使用不能に陥っている。しかし左右互搏術や九陰真経などを絡めて用いるようになってからは、七公にも出来ない応用を見せ始めた。
続編の「神雕剣侠」では武芸者として大きく成長。かつては敵わなかった欧陽鋒をはじめ、全真教四十九人で組んだ北斗大陣や、モンゴルの食客軍団などの強敵と渡り合っている。特に「亢龍有悔」の一手については七公と異なる独自の境地へ磨き上げた。
ちなみに、郭靖は丐幇には属していない。そのため、幇主を継いだ黄蓉に十八掌を伝えなければならないはずなのだが、作中ではスルーされている。まあ郭靖は黄蓉の夫なので丐幇にいなくても身内みたいなもんだけど。蒙古との戦争が激化する中で、娘婿にして新たに丐幇を継いだ耶律斉に十八掌を伝えた模様。また後の世代のため、黄蓉と一緒に倚天剣へ奥義書を残した。
黎生…丐幇の八袋弟子。七公に目をかけられ、降龍十八掌の一手を伝授されている。欧陽克と宝応県で戦うが敗北。
史火龍…元末期の丐幇主。「倚天屠龍記」にて登場。前作から百年が経過しており、十八掌のうち六掌が失伝。それでも黄衣神女曰く「一流の腕前」。修行のし過ぎで療養の旅に出ていたところ、武林で暗躍する成崑と出くわし数日激闘を繰り広げるが敗死亡。あの謝遜すら倒す成崑と正面からやり合えるのは間違いなく達人だろう。しかし彼の死で丐幇からは十八掌が失われてしまった。
張無忌…「倚天屠龍記」主人公。厳密には習得者ではないが、倚天剣の中に残された「降龍十八掌」の奥義書を終盤で入手している。黄衣神女に丐幇のことを託されたのだから、見つけた武功も彼らに渡してあげるべきだと思うんだけど、無忌が江湖から失踪してしまったので結局どうなったのかは描かれず。