中国古典四大名著「紅楼夢」の映像化。監督は胡玫。
※このレビューは鑑賞二回目のものになります(昨年11月の映画祭にて鑑賞済み)。そのため、一度目のレビューを先に読んでいただくとよりわかりやすいです。下記よりどうぞ。
紅楼夢之金玉良縁(邦題:新紅楼夢~天運良縁~)
ものがたり
さる大貴族の賈家は世代を経るごとに堕落し、表向きの華やかさと裏腹に没落の影が近づいていた。病気がちだが才気溢れる少女・林黛玉は、従兄弟の賈宝玉とともに育ち、心を通わせる仲だった。しかし周囲を取り巻く大人達の陰謀が、想い合う二人を容赦なく引き裂いていく…。
中国では昨年夏の公開後に散々酷評され、一年近く経っても配信すら始まらないという悲しい状況の中、何があったのか日本公開の流れに。実は日本に先駆けてアメリカでも放映されており、監督は国内評価の低さを挽回しようと積極的に海外へ売り込んでいたようだ。本国の状況から、もう二度と見れないんじゃないかと思ってたので日本公開は大変ありがたかった。
で、普段は同じ作品をレビューしたりすることなんて無いんですが、なんといっても大好きな紅楼夢のことなので、再鑑賞した感想をつらつら書いていきます。
結論から言うとこの作品は、
主役カップルへの愛が重すぎる紅迷(紅楼夢ファン)の監督が作った、一部の人間にしか刺さらない二次創作同人
です!!
なので、監督と癖が合えば楽しめるけど、正直それ以外の人達、つまり原作ファンとか紅楼夢初心者はお断りレベルなくらい突き放してる(作ってる本人は多分そんなつもりなかったかもだけど…)。
宝玉と黛玉の恋愛劇として割り切って見れば面白いし、完成度も高いと思う。
問題は、そこに特化し過ぎて犠牲にした部分も多過ぎたところ。ざっくり挙げると以下。
・原作ストーリー改変多数
・キャラ改変も多数
・監督独自の新解釈も盛り込む
・本筋と関係ない小話もやたら盛り込む
これらのせいで、原作ファンにも、未読ファンにも受け容れがたい内容となってしまったのは否めない。
特に物語とキャラクターは監督の宝・黛びいきのせいでかなり歪みが生じている。
個別に説明していこう。まずは物語。
基本的に、二時間程度の尺になる単発映画や舞台だと、紅楼夢は宝黛釵(宝玉、黛玉、宝釵)の恋愛話部分だけを抽出するのがセオリー。そのため使われるシーンも大体決まっている。本作も一見それに倣いながら、実はセオリー外しがかなり多く、従来の紅楼夢ファン達を面食らわせる結果になってしまったように思う。
まず気になるのが、時系列の組み替え。ざっくりな流れだが、下記の通り。
雪山の宝玉(原作120回以降)
黛玉の実家帰省(原作14回)
返済打合せ(原作になし)
寧国邸の花見~太虚幻境(原作5回)
ベッドでの宝黛いちゃいちゃ(原作19回)
宝釵上京(原作4回)
黛玉の嫉妬+史湘雲(原作20回)
カップル西廂記読書(原作23回)
劉ばあさんの来訪(第6回+40回)
大観園設営・元春省親(第17~19回)
凧揚げ(原作80回)
宝玉紛失(原作95回)
偽装結婚・黛玉の死(原作96~98回)
ラストの回想は第3回、上京直後の場面(ラスト以外にも中盤で挿入あり)
従来の紅楼夢映画なら、第三回の黛玉上京から始まるのが通例だ。だから観客の多くは、最初に実家帰省の場面を持ってきたところに面食らうと思う。原作を一度読んだ程度ではかえって混乱してしまうのでは。
また、映像化で必ずといっていいほど出てくる原作第五十七回「慧紫鵑」の場面がない。これは中盤のターニングポイントで、宝玉と黛玉が互いの想いを確認する超重要なエピなのだけれど、本作では省かれていた。
なんでこうなってるかというと、本作の宝黛釵の構図は、宝黛の関係性がほぼ固まっている状態で始まっているからだ(監督は宝黛推しだから)。それは映画序盤で、実家から戻った黛玉が宝玉と再会する場面を見ればよくわかる。他にも宝玉から西瓜をすすめられて機嫌を直すシーンや、香袋で喧嘩するも手巾一つで相手の想いを汲み取り和解するシーンなど、黛玉は原作よりずっと宝玉に素直で心を許している。最初から仲のいいカップルとして描写されているのだ。原作では黛玉の性格が捻くれまくっているので、こんなにあっさり進展していない。
で、そんな監督の宝・黛ごり押しの影響か、本作の宝釵は露骨にカップルの敵扱いにされてしまっている。
たとえば、宝釵の合流は時系列入れ替えでわざと遅らされている。完全に恋人に割り込む敵の構図だ。他の映像作品なら確実に省かれる薛蟠の犯罪シーンを最初に持ってきて、観客の薛家へのイメージを下げにかかったり、キャラ改編されまくってすっかり性格の悪くなった薛夫人が黛玉をディスったり、姉の王夫人に「何とか犯罪をもみ消せないかしら」と泣きついたりする。肝心の宝釵も心情描写が足りなくて、クライマックスの偽装結婚も自我が無いまま言いなりになっているようにしか見えない(申し訳程度に蜘蛛の糸=がんじがらめみたいな演出をちょろっと出すだけ。雑過ぎぃ!)。他の紅楼夢映画なら、黛玉との友情に背くことへの葛藤とか、陰謀に加担してしまった悲しみとかも描かれるのに本作の宝釵は涙一つ流さない。
いくらなんでも悪く描きすぎやろ。※記事下参照
反面、黛玉についてはこれでもか!とかわいそうな描写を積み上げている。
・凧揚げの場面は原作だと黛玉も姉妹達と一緒なのに、本作では病気でぽつねんと部屋に引きこもり。
・王夫人や薛夫人に悪口を言われる(原作ではこんな露骨ではない。なんなら薛夫人は黛玉を可愛がっている)。
・父親の財産を賈家に奪われ大観園造設に使われる、といった本作独自の解釈展開があり「搾取される黛ちゃんがかわいそう!」と強調。(実際は賈家の崩壊も描かれないのでなんか無意味なエピソードになってしまっている)。
・孤独な黛玉に対し、宝玉と史太君が数少ない味方であることを強調。
このように、時系列入れ替えや人物改編の大半は、宝玉と黛玉の関係性の強調、薛一家へのヘイト強調といったかたちで行われている。
いや、それってなんか……タチの悪いオタクの二次創作とおんなじじゃん!!
二次同人創作と上で書いたのは、そういうわけである(あと、一瞬しか出ないキャラを大量に出したり、尺の限られる映画で本筋と関係無い話を無理矢理ぶち込んだりするのもオタ的な感覚を感じる)。
そもそも原作ファン(特に宝釵ファン)に喧嘩売ってるとしか思えないし、原作未読勢はお断りなくらい説明不足だし、中国大陸でめちゃくちゃ批判を食らったのも、まあそうだろうね…と納得してしまう。
とはいえ……である! 胡玫監督の黛玉愛は、作品を通してしびれるくらいに伝わってきた。胡玫監督は間違いなく生粋の紅迷だ。紅楼夢を好きすぎて、黛玉を愛しすぎているがゆえに、それが歪みとして作中に改編とか原作無視というかたちで出てきてしまったんだと思う。
それはね、ほんと伝わってきたわけよ。だからもう、宝玉と黛玉の話にフォーカスして観れば泣ける。何度も。宝玉の「僕は出家する!」、黛玉の「あなたはどうして病気になったの」~「忘れないでね」、ラストシーンの黛玉の笑顔……!
全部、いい!!! 紅楼夢を深くわかっている人が作ったのが、めっちゃ伝わってくる。
原作映像化としてみたら、せいぜい二十点~三十点くらいだろうけれど、紅楼夢好きの二次創作として観れば、八十点くらいになるだろうか。なんなら、歴代で見てきた紅楼夢映像作品の中でも上位に食い込むくらい。というか、私も紅楼夢のドラマにしろ映画にしろ散々見てきていて、今更新作で原作通りやられてもなぁ、という思いが常々あった。だから、良くも悪くも熱意をもって新しい紅楼夢を作ろうとした胡玫監督の心意気は買いたい。
ともあれ、級者向け作品はであることに変わりないと思う。前のレビューでも書いたけど、原作は数回読んで映像作品もいくつか見ておいた方がいい。ある程度紅楼夢好きの下地がないと、映像美とかセットのすごさみたいなとこにしか良さが見出しにくいと思う。あー、日本でこれがどう評価されるのやら…。
とりあえず、全然ヒットしなかったとしても日本の配給会社さんにはDVD出して欲しいです。よろしくお願いします…。それか三回目見に行くか…。
以下雑感。
・冒頭の雪山シーン、剃髪せずさ迷ってるのでまだ出家前? でも石や絳珠草が出てきてるってことはもう幻境まで来てるんだろうか。よくわからん。なんか馬まで引き連れてるのは他の映画版にない描写で新鮮。
・大観園の建設が後半にもってかれてるので、読西廂の場面って多分賈家の庭園だろうけど、一体ドコなんだろ。
・凧揚げの場面、宝玉が「林妹妹も誘ってあげたいな」に対する宝釵の「あなたが代わりにあげてるじゃない」の台詞。病気な人を連れてくるのは良くないでしょという合理的な意図を含みつつも宝釵らしい冷たさがあって、監督、宝釵のキャラをしっかり理解しつつ彼女の好感度下げようとしてやがる…!と唸らされた。
・宝釵撲蝶。宝釵の名場面なのに何故か原作に出てきてない宝玉が現れ「姐姐、遊ぼうよ」「お互いいい歳なんだから、男女の弁えを持って。あなたは遊ぶより勉強した方がいいわよ」「はぁ。黛ちゃんならそんな言い方しないけどなぁ」とわざわざ宝釵と宝玉の距離感が開くエピに改編されてる。だからやりすぎぃ!
・晴雯とか秦可卿とかいつの間にかフェードアウトしてる人達が何人かいた(原作時系列だと死んでる)。
・賈家三姉妹、鑑賞二回目でも見分けがつかなかった。
・音楽が大変素晴らしい。特に「読西廂」の場面で流れる曲(他にも凧揚げとエンディングで使われてました)。
・賈家の経済事情に散々触れておきながら賈家崩壊を描かなかったのはやっぱりマイナスだよな~。「財産奪われる黛ちゃんかわいそう!」がやりたかっただけか。
・王熙鳳と賈璉、原作で何度も出てきた浮気話が無いせいかまともに夫婦をやってる感じなのが面白い。
個人的な名場面
・「読西廂」。宝玉が不意に発した「君が死んだら僕は出家する!」の台詞。これは愛してるが気軽に言えない時代の精一杯の告白。音楽の効果もあってとにかく泣ける。
・「元春省親」。実は宝黛釵とはあんまり関係無いエピなのでなんでこれを尺の限られる映画に入れた?という感じはあるんだけど普通にいい場面。ドラマ版では結構じっくりやられるんだけど、映画では必要な台詞とかシーンを凝縮していてこれだけでも泣けるエピに仕上がってる。
・「ばか姐や~黛玉の告白」。原作だと「宝玉さんはどうして病気になったの?」「黛ちゃんのために病気になったんですよ」で終わり。映画では台詞をつけ足して黛玉が読西廂の時の返事をする感じになっている。凄く良い。
・「宝黛初会」。映画のラスト。いい……! これを最後にもってくる胡玫監督のセンス……!! あぁ、あなたは紅楼夢が、黛玉がホントに好きなんですね……!!!
映画見たけど全然わかんなかったよ!という方、よろしければ半年前に見た時の解説記事がありますのでどうぞ。
紅楼夢之金玉良縁 いろいろ解説
※でも、胡玫監督が巧妙なのは、改編を散々やりつつも意外とキャラ解釈でおかしなものがそんなに見当たらないところ。数年前にこれまた紅楼夢ファンに叩かれまくった美好年華研習社 青春紅楼夢なんかと比べたら、めちゃくちゃまともなのだ。