金庸徹底考察 ヒロイン編 「倚天屠龍記」より周芷若

金庸小説「倚天屠龍記」に登場するメインヒロインの一人。
武術の名門に属する、清楚で大人しやかな美少女……なのは前半だけのお話。劇中では色々あって悪へと大覚醒し大暴れ。ファンの間では金庸悪女の一人として有名なキャラである。

劇中の活躍
幼い張無忌が太師父の張三豊と共に少林寺を訪問した帰り道、モンゴル軍に襲われている明教徒・常偶春を助けたところで登場。母は既に亡く、船頭だった父親もモンゴル兵に殺され孤児となってしまうが、張三豊に救われる。その際、短い間ではあったが無忌と交流し、友情を育む。
後、経緯は不明だが張三豊によって峨嵋派に預けられる。滅絶師太のもとで弟子となり、美しい娘に成長。
六大門派の明教討伐の途中、七年ぶりに張無忌と再会を果たす。立派になった彼に少なからず情を抱くものの、明教側についたため敵対することに。
その後、モンゴル公主の趙敏によって他の門派共々万安寺に囚われてしまう。そこで滅絶により峨嵋派掌門の継承と、屠龍刀・倚天剣の秘密について伝えられる。しかしその目的を達するためには、愛する張無忌を殺さねばならないのだった。
万安寺脱出後、芷若は師命を果たすべく、単身張無忌の一行と行動を共にする。が、そこで無忌の心が憎き趙敏に向いていることを知る。芷若は霊蛇島にて趙敏に殷離殺しと屠龍刀・倚天剣を盗んだ罪を押しつけた。そしてひそかに刀と剣から失われた奥義「九陰真経」の技を学び始める。
首尾良く趙敏を追いやり、峨嵋派の掌門となり、無忌との婚約も果たした芷若。ところが、肝心の結婚式を趙敏によって邪魔され、しかも無忌が彼女を追いかけていってしまう。激怒した芷若は復讐を誓った。宋青書を見せかけの夫に仕立て無忌に揺さぶりをかける、屠獅英雄会で無忌の義父である謝遜を亡きものにしようとする、もうとにかく無忌の嫌がることは何でもやろうとする……どれもこれも、本当は彼を骨の髄まで愛しているから…!! 歪んだ想いは結局届かなかったが、数々の修羅場を経て芷若は武術・知謀抜きん出た女性に成長していた。
全てが終わった後、芷若は無忌と趙敏が二人きりで過ごす場所にふらりと現れ、うっすら笑いながら言う。
「無忌兄さん、私の願いを一つ聞いてくれるって約束したわよね……? 今は思いつかないけど、もし、あなたと趙敏が結婚する時が来たら……」

人物
ご存じ金庸最強悪女の一人。誰がなんと言おうと私が金庸作品で一番好きなヒロイン。真面目で健気だった女の子が、使命の重圧とか恋人の裏切りによって悪にハジけてしまう過程がとにかく素敵。登場してしばらくは、ヒロイン枠の割に目立たない。が、悪女化してからはそれまでの地味っぷりが嘘のように大活躍する。本作終盤の盛り上がりは間違いなく彼女のおかげ。

金庸悪女の代表格といえば「神鵰剣侠」の郭芙や「天龍八部」の阿紫がいるが、どちらもバカでガキなため読んでいてもひたすら嫌悪感しか沸かないのに対し、計算尽くで堂々と悪を働く芷若にはヒールとしての魅力がある。また、お姫様とかお嬢様の身分が多い金庸ヒロインの中で、平凡な出自から努力だけでのし上がっているところも、キャラとして地味にポイント高いと思う。大人しやかと描写されつつも、実は当初から結構気の強い部分があり、万安寺に捕らわれた時も趙敏と激しいレスバトルを繰り広げていた。

芷若が闇落ちしてしまった要因は複数あるけど、まぁ六割方無忌が悪い。特に霊蛇島以降のムーブが全てクソ。
・「天上の明月が証人さ」「まだ僕の気持ちがわからないのかい?」などのいかにもテキトーにこしらえた甘い言葉で芷若の機嫌をとる。そのくせ心の中ではいつも別の女(趙敏)を気にかけている。
・事情ありきといえ、結婚式をすっぽかして立ち去る。しかも芷若の恋敵と一緒に。
・上記の行動について、無忌は大人しい芷若なら謝れば許してくれると思っていた、などと高をくくっていた。最低。
そもそもヒロイン四人全員と結婚出来たらいいのにゲヘヘ、というスケベかつ能天気な願望がある。
殺されても文句言えないと思います、はい。
後の四割は滅絶、趙敏だろうか。前者は過激思想と植えつけられ、また死ぬ前に無茶苦茶な遺言を押しつけられた。後者からはかなり嫌がらせをされたので復讐したくなるのも自然。
というか、作中における芷若の行動(闇落ち後も含む)は、正派武芸者としての立場を考えるとそこまで間違ったものばかりではない。
趙敏をぶち殺す→そもそも敵対しているモンゴルの公主だし、中盤までは少林・武当を攻めたり、六大門派の要人を監禁したり散々な悪事を働いていた。
謝遜をぶち殺す→正派と敵対している明教の幹部。また過去に復讐のためとはいえ武林に多数の事件を起こしてきたため、いつ殺されても文句はいえない。まあ芷若としては、悪事を見抜かれていたので口封じをしたかったという事情もあるけれど。
芷若が良くなかったのは無忌への愛憎に凝り固まっていたこと、そのために用いた手段と行動がひたすら過激・陰湿だったことだろう。

もともとの奥手な性格に加え、男女の掟に厳しい峨嵋派に所属していたせいか、恋愛スキルは結構低め。趙敏みたいにストレートな好き好きアピールが出来ないので、無忌の気を惹くために「涙を流して拗ねる」「狂言自殺する」「(美人なのに)私なんてブスで魅力ないし…と猫をかぶる」といった、男が一番嫌がりそうなメンヘラ手段を用いてしまったのはやはりマイナスか。
しかしそこらへんを除いたら、普通に武術知力兼ね備えた面倒見のいい美少女である。悪に覚醒した後も(色んな意味で)強い女性への成長を感じられて大好き。創作キャラクターとしての面白さを沢山詰め込んだヒロインだと思う。

武功
峨嵋派に入門後、七~八年修行を積み若くして高弟の地位を得た。生まれつき強い陰の気を持っており、ポテンシャルの高さを滅絶や張無忌から評価されている。
光明頂の戦いでは華山・崑崙の使い手による剣陣の弱点を見抜き苦戦する張無忌へアドバイスする、万安寺に英雄を監禁した趙敏の企みを看破するなど、知略にも長ける。
といっても、作中にひしめく達人達には遠く及ばず、中盤まで殆どまともな戦闘シーンも無し。頭角を現したのは九陰真経習得後で、江湖最強クラスの武当二侠を翻弄したほか、知略を用いてはるかに格上の張無忌を倒す。しかしその強さも修行期間の短さゆえ付け焼き刃なところがあり、少林三僧や黄衣神女との真っ向勝負では圧倒されている。

峨嵋派内功
一門に伝わる内功。清純な陰の気を持つ。

峨嵋九陽功
九陽真経の一部から作られた護身の武功。作中では殷離の毒技を食らった振りを装いつつ、この技で防御していた。

峨嵋剣法
一門の剣術。弟子の中では強い方だが、奥義を極めるところまでは至っていない。

九陰白骨爪
倚天剣の内部に隠されていた九陰真経から習得。黄蓉の改変が加わっておりオリジナルの九陰神爪とは大分異なる模様。奇抜な型で予想外の方向から相手を切り裂く。凄まじい威力を誇るが習得期間の短さもあって張無忌や愈蓮舟からは付け焼き刃の実力と評されている。実際、黄衣神女には同じ技を使って圧倒された。

長鞭術
同じく倚天剣の内部に隠されていた九陰真経から習得。殷梨亭の太極剣を翻弄した。少林三僧戦では鞭だけでなく短刀との合わせ技で挑んだが通用しなかった。

人間関係
張無忌…幼馴染みにして想い人。しかしその気持ちは無惨な形で踏みにじられてしまう。一応無忌側に立って擁護すると、霊蛇島以降のいい子をやめた芷若は常にネチネチと「趙敏殺すのよね? 約束したわよね?」「ほんとは私のことなんか好きじゃないんでしょ。違うっていうならちゃんと証明してよ!」みたいなこと言ってくるので、無忌からしたら「なんか芷若変わったなぁ…」と苦手意識を抱いてしまうのも無理はなかったかも。まあでも、無忌のやらかしも多すぎるんでちゃんと責任はとってください。

趙敏…モンゴルの公主にしてにっくき恋敵。出会った順序は芷若の方が先だったのに奪われてしまう。
芷若自身、趙敏には顔を切り刻まれそうになったり、師匠が死ぬ原因を作られたり、婚礼をぶち壊されたりと散々な目にあっているので、敵国モンゴルの公主だという大義名分を抜きにしても恨む理由はめちゃくちゃある。
ちなみに霊蛇島で罪を押しつけた時、芷若は自演で左耳を削ぎ、髪もごっそり切り落とすという力の入れっぷりだった。

小昭…張無忌の侍女。作中では特に因縁は無かったが、ずっと無忌の侍女でいられたら目障りくらいには思ったかもしれない。

殷離…趙無忌の従姉妹。一度手を交えたことがある。趙敏を陥れるべく顔を切り刻んで殺す。結果的に生きてたので芷若にとってはラッキーだった。

滅絶師太…峨嵋派三代目掌門にして師匠。過激な思想の持ち主。可愛がられていたので芷若はとても慕っていた。万安寺で亡くなる前に「掌門継承」「倚天剣・屠龍刀の奪取」「無忌を愛さない」などの試練を与える。さすがに若い芷若には荷が重すぎたので、一時期はやたら命を棒に振るなどヤケクソになっていた。とはいえ、その後掌門になった芷若はちゃんと一門をまとめ、過激派路線も継承。なので滅絶も「わしの見込んだ通りじゃった、よしよし」と草場の陰で喜んだのではなかろうか。

宋青書…武当派高弟。惚れられているのをいいことに利用しまくる。もっとも青書も芷若を手に入れるために一門を裏切るクズ男なので、芷若からしたら適当にこき使っても良心が痛まない相手だったかもしれない。
終盤は無忌を動揺させるため、偽りの結婚を行い夫婦となった。愈蓮舟との戦いで半死半生の状態に陥った時は、さすがに思うところがあった模様。

愈蓮舟・殷梨亭…屠獅英雄会で戦う。この時点の武林における最強クラスだが、芷若は互角以上の戦いを繰り広げた。しかし流石に愈蓮舟は芷若の強さの限界を見抜き、相打ちの局面へ持ち込んでいる。

謝遜…無忌の義父。一時期は互いに親しい振りを装っていた。謝遜は眼が見えない状態だったが、殷離殺しや趙敏への冤罪なすりつけなどを見抜いており、芷若は口封じのため動くことになる。ちなみに丐幇に捕らわれるまでの経緯はわかりにくいのだが、趙敏が大都における祭りの演劇の一幕で詳細を明かしている。

張三豊…武当派掌門。幼い頃の芷若を救い、峨眉派へ預ける。闇落ちした芷若のことをどう思っていたのかは気になるところ。宋青書の裏切りの原因は少なからず彼女にあったわけだし。

丁敏君…一門の姉弟子。何かにつけて嫌がらせされていた。後半は出番がない。粛清されてしまったのだろうか。

金花婆婆…霊蛇島の主。滅絶に敗れたのでリベンジすべく峨嵋派を次いだ芷若の前に現れる。最初は武術の完成していない彼女を侮るが、門弟達のために命を張る姿を見てその度量を認めた。

少林三僧…引退していた少林寺秘蔵の使い手。一目で芷若の実力が無忌に及ばないのを感じ取る。実際に手を交えた時も、無忌と比べてまるで相手にされなかった。

黄衣神女…ふらりと現れて無忌達に手を貸す謎の達人(まあファンにはある程度正体ばればれですが)。芷若を同じ九陰真経の技でボコボコにする。黄衣神女からしたら、亡き郭靖夫婦の遺産を個人的な復讐の道具に使う芷若は成敗せずにいられなかっただろう。