【中古】文芸講話 岩波文庫黄12 / 毛沢東 著/尾崎庄太郎 訳 / 岩波書店 価格:120円 |
一九四二年、革命根拠地の延安で毛沢東が行った講演の記録。正式名称は「延安の文芸座談会での講話」。当時の文芸路線について毛沢東が指標を語ったもの。
まず、この講演が行われた経歴についてちょっとお話ししておこう。もともと、中華民国期における文壇の中心は上海だった。ところが日中戦争勃発によって、上海の作家や知識人は軒並み上海からの避難を余儀なくされた。ある者は国民党支配下の重慶、ある者は日本人支配下の河北、そしてある者は共産党支配下の延安へとやって来た。しかし、共産圏にいるのは農民や兵士といったプロレタリア階級ばかり、つまりは識字率も文化レベルも都市部に比べて低かった。そんなところで少数の知識人達が作家活動をしても、彼らの文芸はいつまでもプロレタリアには浸透しなかったのだ。
毛沢東が講演を開いたのは、そんな状況を是正するためだった。以上がおおまかな経歴。
本編では、文芸活動の主役は労働大衆であり、彼らのための文芸を書かなければならないと主張している。いつまでも都市部のインテリぶった態度を引きずって創作してはいかんよ、と。
もちろん、極端に農民や兵士層のレベルに合わせ幼稚な創作をするのではなく、彼らを底上げするような内容にすべし、といったことも述べている。
毛沢東のこの主張は広く受け入れられ、中華人民共和国建国後には、人民文学というジャンルを確立した。そして現代中国の文壇の大きく発展させ……るには至らなかった。
文芸講話は当初、本編を読めばわかる通りプロレタリア層が主役の文芸をやっていこうぜ、と指標を示す程度のお話だった。ところが、毛沢東が権力の座についてからは、むしろ文壇が絶対守らなければならない掟のようなものになってしまった(事実は、文壇を牛耳りたかった一部の人間が、気に入らない作家をけ落とすため毛沢東の講話を利用した、というのが近いのだと思う。その証拠に、人民文学の担い手だった趙樹里のような作家すらも、いちゃもんで迫害されていたりする)。こうなると創作を制限する枷も同然である。主役は必ず農民や兵士で共産党員は救世主、物語も反動地主をやっつけたり土地を開拓するといったパターン化に終始する……などなど、政治が文芸に深入りするとろくなことはない、という例になってしまった。
とはいえ、文芸がどの層のために存在すべきか? という文芸講話の議題は現代でも大いに考えるべき問題だと思う。大衆に寄りすぎれば低俗化したり、ジャンルの流行廃りがあるし、かといって一部の人間にしか通用しない作品を目指しても、果たしてそれを文学と呼べるかどうか。
文芸の価値は何か、といったことを見つめ直すうえで、本作はとても参考になる本だと思う。
何より、毛沢東はやはり語るのがうまい!と感じた。特に物事の本質をよく突き、それらをわかりやすく主張することに長けている。人民文学の路線は大失敗だったけれど、そのもとになっているこの講話は、決して極端な思考に陥ってはいない。
岩波文庫でお安く手に入り、内容も短いので読みやすい。ただ、語られたのが半世紀以上も昔なので、その時代性を考慮する必要はあると思う。岩波文庫のあとがきも古すぎてちょっと現代では参考にならない気がした。出来れば、新しい解説を加えた版を出してほしい。