唐代の伝奇小説。中国の女流詩人・魚玄機にまつわるお話。晩唐の文人・皇甫枚の伝奇小説集「三水小牍」に収録されている。
ものがたり
長安の娘・魚玄機は若くして詩才に溢れていた。清浄な世界を渇望し出家するものの、詩には恋心を詠んだものが多く、それに惹き付けられた男達が彼女のもとへ集まってくる。魚玄機はそんな彼らと交際を繰り返しているのだった。
魚玄機のもとには緑翹という美しい侍女がいた。魚玄機自身が女道士の身で平然と男遊びをしているにも関わらず、緑翹には男と一切交際せぬよう命じていた。ある日、魚玄機の外出中に男が道観を訪れたので、緑翹は門をしめたまま彼を追い返す。帰ってきた魚玄機は、男と親しい関係だったので、緑翹が言葉を交わしただけで嫉妬の念を抱いた。その晩、魚玄機は緑翹を呼び出し、裸にして激しく鞭をうった。緑翹は魚玄機に恨み言を残して死亡。
魚玄機は侍女を裏庭に埋めたが、そこからにじみ出る血痕と死臭で殺害がばれてしまい、裁判のすえ死刑に処されるのだった。
日本では森鴎外によるリメイクで有名。本作と読み比べてみるのも一興だろう。
中国古典小説における尼寺や道観はしょっちゅう不貞行為の隠れ蓑になり、そこにいる女道士や尼も俗人以上に色事熱心だったりする。唐代は中国史の中でも比較的性に開放的だったといわれているが、普通の既婚女性は家庭に押し込められて自由がなく、男と遊べるような環境にいたのは妓女や出家女子だった。
本作は矛盾だらけな魚玄機の生き様が面白い。清浄でありたいと願いながら俗人より奔放に遊び、侍女には厳しい戒律を押しつけながら自分は平然とそれを破る。
緑翹を打ち殺したのは、表面的には決まりを破ったからという理由だが、本当にそれだけだろうか。唐代伝奇は心情描写に乏しいので、魚玄機の動機や内面までは書かれていない。それゆえに読者には想像する楽しみがある。美しく、自分よりも若く、戒律もよく守る緑翹に、魚玄機は穏やかではいられなかっただろうと思う。
明末の「板橋雑記」には本作を彷彿とさせるエピソードが出てくる。年老いた名妓・寇白門が、自分の侍女が愛人といちゃついたと疑い鞭で何百も叩く。女性の嫉妬の矛先は、浮気男ではなく自分よりも弱い女子に向きやすいのだろうか。
魚玄機の最後は自業自得でもあるけれど、そんな情熱的な性格だからこそ優れた詩も生まれた。本作の最後は、彼女の詩の美しさを讃えて終わっている。
唐代伝奇の魅力が凝縮された名作なので、よろしければ是非。