高森純一郎氏の長編小説。第三十二回文学フリマ東京にて購入。
舞台は南アフリカ共和国。少数の白人勢力が、多数の黒人勢力を隔離するアパルトヘイト政策が行われていた。中華民国外交部の宋瑞炎は、自らも本省人として差別されてきた経験から、南アフリカ共和国の現状に冷めた視点を持ちながらも自らの仕事をこなしていく。瑞炎の学生時代の回想を挟みながら、南アフリカ共和国と中華民国、二つの歪んだ政治経済の実態が描かれていく…。
読み応え抜群の重厚な歴史政治小説(ちょっと長ったらしいけれど、高森氏の作品を一言で表すならこれに限る)。毎度のことながら、これだけの作品を書き上げる高森氏の精力には感嘆させられる。本の画像がちょっと汚いのはごめんなさい汗。一度読み始めたらトイレに寝床に手放せなくなってしまうのが高森作品の素晴らしいところなのダ!
本作では主に、民族間の多重な差別構造、大国から爪弾きにされた国家同士の外交関係、支配者と差別者それぞれの視点から描かれる政治のあり方などが、主人公である宋瑞炎を中心に描かれる。
まずは多重差別構造について。南アフリカ共和国も中華民国も、似たような差別構造を持つ国家である。少数の白人が多数の非白人を支配する南アフリカ共和国。大陸からやってきた外省人が、現地人である本省人を支配している中華民国(台湾)。本作ではさらにそれを深掘りし、南アフリカ共和国で事業を営む華僑・馬村孫が、名誉白人としての地位待遇を得て、現地の黒人を搾取する姿を描いている。差別されている側が、差別する側に回っている醜い現実がある。その一方で面白いのは、差別の頂点に立つ白人議員のダニエル・アボットが、人間的な魅力を持ち合わせた存在として描かれていること。反アパルトヘイト運動が広がる中、支配者である白人の利益を守るべく働く彼は非白人にとって悪そのものだが、常に誠実でプロフェッショナルな姿勢には、主人公の宋瑞炎が抱いた複雑な好感を、我々読者も抱かずにはいられない。
そして差別に立ち向かう人々の姿も、イトゥラ率いる非白人達のように徹底的な非暴力・平和的な運動を展開する者達がいれば、瑞炎の回想に出てくるように、大学や警察への反対運動を過激化させた結果当初の目的を見失っていく学生会など、決して一面的には描かれていない。
次に大国から爪弾きにされた国家同士の外交関係。中華民国はご存じの通り、七十年代からどんどん国交を中国大陸に切り替えられ、孤立の度合いを深めていく。そんな彼らは経済的なメリットを用いることで他国家との関係を繋ぎ止めるしか無い。アパルトヘイトが原因で大国から経済制裁を受けた南アフリカ共和国も、それを乗り切るために中華民国を頼らざるを得ない。のほほんとした平和的なものではない、まさに生き延びるためのリアルな国家関係がありありと浮かび上がってくる。
また、瑞炎の回想で描かれる外交官のロールプレイングも非常に興味深かった。オリンピックのパンフレットに書かれている国名がなんと表記されているか。我々も普段のニュースで聞く分には、なんてつまらないことで言い争っているんだと流してしまう内容かもしれないが、それこそ本作の中華民国の国際的な立場になって考えれば、非常に重大な意義を持った外交ゲームであることを実感出来るだろう。
さて、最後に支配者と差別者、それぞれの視点から描かれる政治のあり方について。特筆すべきは、一見中立的に見える主人公の宋瑞炎も、南アフリカ共和国では名誉白人というれっきとした支配者側のポジションであり、粛々と外交官の仕事を果たす立場にしかいないということ。そんな中でも、彼らは支配者層の歪んだ実態を見抜き、被差別者である黒人達に何とか歩み寄ろうとする。非白人のイトゥラと瑞炎の間に生まれた信頼は、本作における大きな救いの場面だと感じた。
また、最後に黒人達の運動で民主化への道が開かれ始めた南アフリカ共和国だが、アボットが指摘するように、平等化の波に揉まれれば白人層は没落する。同じ白人として、彼らがそうなってしまうのは何とか防ぎたい。例え黒人を敵に回すとしても。政治家の立場なら、それが悪いことだと責められるだろうか?
それぞれの立場で、自らが出来ることを最大限にやるしかない人達。そこにどうしても生まれてしまう軋轢。人間の営みのやるせなさ、政治の酷薄さを感じずにはいられない。
最後に、タイトルがとてもよかった。プロテアの花、なかなか出てこないのでどこで出てくるのか…と思ったらとても重要なキーワードだった。高森氏は小道具の使い方も一流だと思う。
長い小説だが、複雑な歴史政治問題をとてもわかりやすく描いた名作。