金庸の武侠小説二作目。タイトルの碧血は中国故事で強い忠義を意味する。
ものがたり
明朝末期。悲劇の名将・袁崇煥の遺児である袁承志は、父を陥れた崇禎帝、ホンタイジへの仇討ちするため崋山で修行を積む。奥義を究めて下山した袁承志は、師に秘密で得た「金蛇朗君」の遺産のため、江湖の因縁へ巻き込まれていく…。
オーソドックスな作りで武侠小説初心者には大変優しい作品。ストーリーは直球だし、序盤から主人公が出てくるし(金庸小説は基本的に主人公の登場が遅い)、長さも日本語訳で三巻とちょうどいい。全体的に癖が無く、すらすら読み進めることが出来る。
江湖の世界観がかなり大人しいし、武術描写もまだまだはっちゃけていない。特に袁承志はかなり旧来の道徳観念を引きずった(ようするに真面目すぎる)キャラで、それが面白みの無さに繋がっている気もする。
本作の面白さは、後の金庸作品の定番キャラクターの原型が随所に見られるところ。
例えば凶暴で嫉妬深いメインヒロインの夏青青は、後の阿紫や郭芙を彷彿とさせる。他にも、恋愛を拗らせ闇落ちした何紅薬は神鵰侠侶の李莫愁、お色気姉様な何鉄手は笑傲江湖の藍鳳凰の原型といったところか。可憐なサブヒロイン達にも後続作品の面影が見える。
また忘れてはならないのが金蛇郎君。金庸名物の一つ、主人公を振り回す師匠の元祖的存在である。善悪や常識にとらわれぬ思考と行動力、圧倒的な強さ、正道から外れた武功奥義など、後の金庸師匠キャラに与えている影響は非常に大きい。袁承志との関わりは間接的ながら、彼が巻き込まれる江湖のゴタゴタはほぼ全てこの金蛇郎君絡みである。むしろ正式な師匠であるはずの穆人清は出番も少なく、戦闘でも見せ場が殆どない。
そのほか、史実のキャラや故事の引用が非常に多いのは初期金庸作品の特徴だと思う。何となく歴史小説の初心者やプロ成り立ての作者は、知識自慢やリップサービスでやたら史実絡みの小ネタを盛り込んだりするけれど、まあこの頃の金庸先生もそんなノリだったのかもしれない。後期になるとこのあたりは洗練されて出し方も嫌みがないというかとても自然な感じ。
個人的に、ラストはかなりもやもやした。王朝や組織が滅んでしまい新天地を求めて海外へ行くというのは、伝統的な古典武侠小説でもよく見かける展開。袁承志の場合、明も清も父の敵だし、李自成は堕落するしで、どこにも属する場所を見いだせなかったという心情もわからなくはない。それでも「戦うのは天下の民のため」と散々口にしているわけだから、引き続き国に留まって人々を助け続けるというのじゃダメだったんだろうか。一応、冒頭で海外へ旅立つ伏線を張っていたとはいえ、どうにもスッキリしない。この反省?があったのか、後の射鵰英雄伝の郭靖は民衆のために戦い続け、まさに民のための英雄らしく描かれている。描き方としては、やっぱりこっちが正解だと思う。
読みやすさとしてはお勧め出来る作品だけれど、金庸ワールドを堪能するならやはり一冊目は「射鵰三部作」を推したい。