中国古典小説の最高峰「紅楼夢」のヒロイン達である金陵十二釵語り。今回は賈家四姉妹の三番目にして薔薇のお嬢様・探春です。
劇中の経歴
栄国邸・賈政の娘。母親は妾の趙氏。主人公の賈宝玉とは腹違いの妹にあたる。また同腹の弟に賈環がいる。
しっかり者で何事にも筋を通したがる性格。黛玉・宝釵には及ばないものの学問に通じる。賈家の兄弟姉妹達の中でも存在感を示し、詩社の結成を呼びかけたり、大人達に代わって家政を取り仕切ったりした。後、良縁を得て南海の周家に嫁ぐ。しかし彼女がいなくなったことで、賈家はいよいよ没落の勢いを増してしまうのだった。
その人物像
紅楼夢で好きなヒロインは?と聞かれたら彼女を上位に推すファンも多いのではないだろうか。周囲の大人達にも堂々と主張出来る意思の強さ、物事の白黒をはっきりつける聡明さ、家事をびしばし取り仕切る仕事力など、魅力は限りない。
他のヒロイン同様、彼女もまたろくでなし家族に悩まされている。母親の趙氏は低い出自の妾で弁えを知らず、しょっちゅう騒ぎを起こして周囲の反感を買っている。また弟の賈環は見た目も悪く才能も無くおまけに性格もひねくれている…とどうしようもないヤツ。父の賈政は栄国邸の主人だが、探春は妾腹なので、賈家の中にはそのことを馬鹿にする者もいる。
賈家の姉妹達は教育係の李紈のもとで育てられていたので、母親みたいなあばずれにならなかったのはそのおかげかもしれない。
とはいえ、よくよく本編を読むと、探春も何だかんだ母親の血が濃厚だと感じさせる。
例えばプライドの高さ。趙氏は自分が馬鹿にされたりすることに対して非常に敏感。探春も同様で、他人から軽く扱われたりすることには黙っていられない。第七十四回でお部屋捜索をされた際はあからさまな喧嘩腰で王煕鳳らを出迎え、自分に無礼を働いた王善保の女房に対しては平手打ちまで浴びせた。また第七十三回でも迎春の部屋で給金騒動があった際も、わざわざ自分事のように考え平児にこの家はどうなっているのかと詰問している。
口にこそ出さないが、やっぱり妾腹なのは気にしているようで、周囲の姉妹と比べて良家のお嬢様らしい生き方をしようと意識している感じがある。それゆえか、気弱で使用人達にも主人らしく振る舞えない迎春や、出家してお嬢様の身分を捨てた惜春には辛辣な態度をとる場面も(その意味では、黛玉や宝釵も探春的にアウトな面があるけれど、外から越してきた姉妹ということ、自分よりも学問などで尊敬出来ることもあってか、口出しは控えている模様)。
他にも、下の人間に対する態度。上のプライドにも繋がる話だが、趙氏も探春も下の人間に対しては結構態度が冷たい。前者は、自分は側室なので使用人達から舐められた態度をされるのが許せない、というのが主な理由。探春の場合も妾腹と舐めてかかってくる相手には容赦がない。もっとも、使用人達にしてもつまらないことで喧嘩したり、家のルールを破ったり、まともな教育を受けていなかったり、探春から見て軽蔑すべき点が多いのも事実。ただしお嬢様達にしても、探春と同様使用人を見下しがちな黛玉、表面上は穏やかに通す宝釵、気弱で注意も出来ない迎春、ヒステリーを起こす惜春など色々対応が違うので、探春の態度が一概に良いとも悪いとも言えない。
同じ見下しにしても、黛玉は表立って文句を言ったりはしないが、探春の場合ははっきり「お前みたいな古株の使用人でも帳簿をちゃんと覚えていないわけ?(第五十五回)」「うちの使用人達の荷物なら、よそに文句を言われないよう私がしっかり管理させてます(第七十三回)」と口にしてしまうのが大きな違いだろうか。その厳しさは、使用人達に恐れられている王煕鳳よりも厳しい、とすら評されるほど。趙氏の場合はただ身勝手な理由でわめくだけなのでまだいいが、探春の場合正しい理屈をごり押ししてくるので、のんびり働きたい下の人間からしたら厄介なパワハラ上司みたいにうつるかもしれない。また、金陵十二釵の侍女達はいずれも個性的で出番も多いが、探春に仕えている待書はかなり没個性でこれといった活躍もない。主人から徹底的に管理されているので変なやらかしは無い一方、よその部屋と比べてあんまり羽目を外せていないのでは…なんて思ったり。探春を薔薇と表したのは下男の興児で「綺麗な花にはトゲがある」という皮肉から(第六十五回)。
妾腹とはいえど、主人のお嬢様なのでその家庭内地位はよそから嫁いできた夫人達よりも上。最高権力者の史太君が機嫌を損ね、夫人達が黙りこんでしまう場面でも、探春が堂々と主張してその気持ちを宥める場面が作中では度々出てくる。また王煕鳳などは(自身が金策のため家計をいじくりまわしていることもあって)目敏い探春へとても気を使っていたりする。
第五十五回では王煕鳳が病気でダウン、李紈がその代理となり、探春は本来補佐だった。しかし前述した地位関係もあってか、気がつくと探春が頭に立っていたという流れ。探春の改革はある程度の成功をおさめるが、経済的なアイディアについては宝釵の助言によるところが大きい(これは宝釵の記事も参照のこと)。根っからのお嬢様なので、お金については黛玉や湘雲同様疎いところがある。
同じ回では、例によって趙氏が「身内の葬儀費用を削られた! あなたは娘なんだから少しは融通しなさいよ!」と怒鳴り混んでくるが、探春は家の決まりだからと徹底的に突っぱねる。見かねた王煕鳳が増額してもいいと口添えしたが、探春を余計に怒らせただけだった。けれども、中国の官僚やビジネスマンでうまくいくのは清濁使い分ける煕鳳のような人だと思う。
さて、探春はとても男子気質で、趣味も男の子っぽいところがある。彼女の部屋はまるで学問をする男性のような内装になっている。詩社の立ち上げに際しても「詩作を男の人達だけの文化にしてはおけません!」と主張している。また「私が男だったら……」とこぼしたりする場面も。女子に生まれついてしまったことが、探春自身にとって不幸の一つだったかもしれない。
兄弟達の中では特に宝玉、黛玉と仲が良い。宝玉とは兄弟として長年一緒にいるせいか、彼の不勉強ぶりもそれほど気にならないらしく、宝釵や襲人のように文句を言ってはいない。お嬢様の探春は男性ほど自由に外出も出来ないので、宝玉が出掛ける時にはお土産をねだっていたりする。
黛玉のことは先述したように学問の面で尊敬の念がある様子。特に黛玉の場合、父から本式の男性教育をほどこされていることもあって、探春からすれば羨ましい気持ちがあるのかもしれない。そのほか、現行本では黛玉の臨終にも駆けつけており、黛玉にとっては湘雲に次ぐ親友ポジション。
宴会や兄弟姉妹の集いにも必ずといっていいほど顔を出しており、病気やら何やらで欠席しがちな黛玉、迎春、惜春らと比べてもかなり出番が多め。
他にも探春を語るうえで外せないのが結婚ネタだろう。作中ではなにかにつけて良縁ありの兆候が描写される。
第二十二回 姉妹達の宴席芸で燈謎(燈籠になぞなぞを書く遊び)を書いた際の探春の答えが「凧」。飛んでいったら戻らない、つまり嫁いでいってしまうことの暗示。
第六十三回 宝玉の誕生祝いの遊びで、姉妹達が順番におみくじを引く。探春の引いたくじに書かれていたのは「素敵な旦那様をゲット!」。本人は喜ぶどころか「何これ、くだらない!」と一蹴した。
第七十回 姉妹達で凧揚げをしていたら、探春の凧はどこからか飛んできた「喜」の字の凧と絡まって、一緒に飛んでいってしまった。言うまでもなく「喜」は婚礼で使われる祝い文字。
…と、作中でこれでもかと結婚について強調されている。
結婚後の生活については迎春以上に描写がない。現行本では終盤に帰省して他の登場人物と共に締めくくりを飾った。一応、立派な身なりをして戻ってきたので幸せな暮らしを送っていたようだ。現行本は後の世代に希望を匂わせるエンドになっているので、探春の扱いも話が暗くなりすぎないようにした配慮の一つだろうか。
曹雪芹による原案では嫁いだきり賈家へ帰ってくることはなかった模様。嫁ぎ先は距離的にもかなり遠かったし、本人に帰る気があっても賈家は程なく滅亡状態だったので、どうしようもなかっただろうが…。