恋愛をするなら林黛玉、結婚をするなら薛宝釵

タイトルにも書いたのは中国古典小説「紅楼夢」で有名なフレーズ。メインヒロインの二人について端的に表現したもの。
でもこのフレーズ、実は中国人ではなく日本人が作ったものらしい…という驚愕の情報を最近ネットで見かけてで今調査中なんですが、それはさておき。

この「恋愛をするなら林黛玉、結婚をするなら薛宝釵」の解釈を間違えてる人結構いないか? というのが本記事の主題。
私はずっと、このフレーズにおける黛玉、宝釵というのはキャラクター自体を指してるんじゃなくて、本編での

黛玉=趣味や考え、感覚がぴったり合致する相手。ただし病弱で経済力もなく親戚もおらず結婚には向かない。
宝釵=実家が太く健康的(子供を安全に生める)で結婚向きの相手。でも趣味や思想は合わず恋人には向かない。

っていう有り様を象徴した意味合いで使ってるのだと解釈してました。黛玉というのは感情で繋がるパートナー、宝釵というのは条件で繋がるパートナー。つまり本編に描かれた木石縁と金玉縁のことだろうと。

だからネットやメディアで時々見かける「私は黛玉みたいな性格の悪い子は嫌だな~」みたいな反応はちょっと違うなぁ、と。自身も変人である賈宝玉の立場からは、黛玉は理解ある知己ですから、心で繋がるパートナーとしては大変理想的な相手です。また宝玉の父母からしたら、実家が太くて健康体型な宝釵は結婚相手の条件を完璧に満たした存在です。

だからフレーズを細かく解釈すると
「恋愛をするなら林黛玉(みたいに趣味や思想の合う人がいい。感情重視)、結婚するなら薛宝釵(みたいに家が太くて健康な人がいい。条件重視)」じゃないかな、と。
というか、そういう風に考えないと、キャラクターとしての黛玉も宝釵も相当変人の部類なので実際に恋人にしたい、結婚相手にしたい、という人は少数派じゃないでしょうか…。
条件婚の話題は昨今の婚活界隈でよくいわれてるヤツなので、それに照らし合わせればわかりやすいかも。気が合うけど、年収低くて実家暮らしだから結婚にはちょっと…的な。逆もしかりで高身長高年収だけど、性格合わなすぎてムリ!とかね。

まあそもそも「恋愛は黛玉、結婚は宝釵」のソースが不明な状況なので、これを考えた人がどういう意図で使ったのか、自体がわからないんですが…。