ゆるゆる金陵十二釵考 妙玉

金陵十二釵を語るこのシリーズもだいぶ終わりが見えてきました。今回は孤高の尼僧・妙玉です。

劇中の経歴
有髪の尼僧。元春帰省のタイミングで賈家に招かれ、大観園内の櫳翠庵に住む。敬虔な修行者として尊敬を受ける一方、気難しく人を寄せつけなかったため、親しく交流していたのは賈宝玉、賈惜春、邢岫烟といった僅かな人物のみだった。また周囲の評判と裏腹に、本人は俗世への未練を感じさせる様子も見られた。
終盤、賈家の崩壊時に誘拐されて行方知れずとなってしまう。

その人物像
紅楼夢の金陵十二釵は、当時を生きた女性のあらゆる悲劇を描いている。妙玉の悲劇は、若くして望まぬ出家を強いられたこと。
出家というと俗世間から解き放たれた清いイメージを浮かべるかもしれないが、結局彼らも食べて暮らしていかなければならないわけで、その実態はクリーンなものばかりではない(「三姑六婆」の記事を参照)。妙玉は自らを厳しく律し、俗世と距離を置き清純を保っていたが、なんといっても妙齢の女性。身を寄せた賈家は大貴族であり、そこにはこの世のあらゆる楽しみが存在していた。彼女はその栄華を、離れた世界から眺めることしかできない。その反発ゆえか、彼女は俗世の人々にも突き放すような態度で接し、結果的に孤高を深めていく。
妙玉の俗世への未練は、ややぼんやりしているものの何度か描かれている。特に第八十七回では修行に集中できず、惜春に失望されてしまう一幕がある。

俗世と関われない鬱憤を、妙玉は学問や芸術に触れることで解消していた。わかりやすくいうと、オタクに邁進したのである。庵の庭は彼女の拘りもあって丹念に手入れされ、訪れる者達に賞賛されている。また第四十一回ではレアな茶器をコレクションしていることが判明。賈家一同が櫳翠庵へ遊びに来た際、その真骨頂が発揮される。彼女は黛玉と宝釵に珍しい茶器を披露し、蘊蓄をオタク特有の早口でまくしたて、黛玉を辟易とさせてしまう(多分、性格悪い黛ちゃんは内心で「うわ何こいつキッショ」とか思ってたかも)。他にも第六十三回では「漢から宋まで古人の詩にはろくなのがない!」と過激派オタクみたいな暴言を吐く。また、素朴な気持ちで「出家したいなぁ」と口にする惜春にも「はいにわか乙。そんな気軽にできるもんじゃないから」と見下し全開ムーブ。はっきりいって友達なくす子の態度である。作中きっての常識人な邢岫烟には「あの方は生まれつき悪い一面があって、今も直ってないんです」と厳しい言われよう。
しかしこうしたヘンテコな気質も、幼い頃から世間と切り離され仏道修行をさせられていた環境によるところが大きいだろう。妙玉にとって、出家は望んだものではなかったのだから、それなりにねじ曲がってしまうのも仕方ない。

さて、金陵十二釵としての妙玉でもう一つ特筆すべきは、賈宝玉と恋愛関係を築いている点(日本で出回っているクソな紅楼夢解説のせいでよく誤解されるが、賈宝玉と恋愛までに発展しているヒロインはそこまで多くない)。
二人の主な交流は下記の通り
第四十一回 妙玉が黛玉・宝釵だけを別室に招いて茶器を披露しているところに割り込む宝玉。妙玉は彼にせがまれて仕方なく黛玉達と同様にもてなす。「あなたがこれを飲めたのは、お二人のおかげですからね。お一人でいらしたらこんな対応はしてませんわ」と皮肉を言うも「あ、そうですか。じゃあ僕もお二人にだけ感謝しておきますね!」と鮮やかに論破されてしまう。普段、黛玉や宝釵にはレスバで負かされてばかりの宝玉にやられてしまったのは、妙玉が人とろくに交流せずコミュ力不足なゆえか。ちなみに、妙玉は宝玉に対して自分の普段遣いの茶器を使わせようとした。一方で、同じ時に劉婆さんが使った茶器は「汚いからもうここに置かないで!」と命じており、同じ俗人でも宝玉に心を許しているのがわかる。
第五十回 雪の日の詩会にて、宝玉は罰ゲームとして李紈から櫳翠庵の梅の花を持ってくるよう命じられる。直接描写こそされていないが、宝玉はかなり拝み倒して、見事妙玉から立派な梅花をもらってきた。妙玉からすると、肌寒い日の心温まる訪問だったことは想像に難くない。
第六十三回 宝玉の誕生祝いに、妙玉は人を遣わしてこっそりバースデーカードを送る。しかし「『檻外の人』という意味不明な自称」「普段使いではない名刺をカードとして送る」など常識はずれなオタ気質が出てしまい、受け取った宝玉を困惑させる。宝玉はどう返答すべきか黛玉に相談へ向かう途中、邢岫烟に遭遇。普段から妙玉と仲が良い岫烟は妙玉の壊滅的なセンスを批判するが、宝玉はあくまで「あの方は凡俗の境地を超えた方ですから…」とリスペクトを崩さない。岫烟は「道理で以前、妙玉さんがあなたにあんな立派な梅の花を差し上げたわけですわ…」と理解のある親友ポジで、宝玉へ返事の内容をアドバイス。
第八十七回 櫳翠庵を出て惜春と囲碁をしていたところに宝玉が現れる。親しく話しかけられて赤くなってしまう妙玉。気持ちが揺さぶられたせいで、その晩は修行に身が入らず悪夢を見てしまう。後、外の人間からは妙玉が宝玉に懸想したのだと噂が流れたりした。

妙玉と宝玉の交流で面白いのは、読者からすると欠点だらけの宝玉が、とても魅力的に見えてくるところ。世間ずれした変人に対して宝玉は常に優しく、尊敬の念をもって行動する。バースデーカードの件も、襲人達が大したことではないと考える中、妙玉のヘンテコなセンスと真面目に向き合って全力で返信をしようとするのである。このあたり、表面上妙玉を立派な修行者と扱いながらもまともに交流しない史太君や王夫人らと違い、妙玉が宝玉を特別な存在に感じた理由もわかるのではないか。しかし、二人のつき合いには俗人と出家人という大きな壁が立ちはだかり、妙玉の想いも表に出せぬ儚いものとして終わってしまうのである。

宝玉を除くと、目立った交流があるのは賈惜春と邢岫烟の二人。
惜春はもとから出家願望があり、立派な尼僧として妙玉を尊敬していた。碁を打ったりお茶を飲んだり仲良くしていたのだが、後半では上述したように関係にもややヒビが入る面も。
邢岫烟は過去に、妙玉が修行していた寺に家族で間借りして住んでいたことがあり、実は十年以上にわたる長いつき合い。岫烟は妙玉から字や学問を教えてもらったので先生と仰ぐ一方、その偏屈な性格も知り尽くしており、欠点も遠慮なく言える関係。賈家で再会してからは、以前よりも仲良く交流している模様。まあ、これは岫烟の人柄あってこそだろう。通例宝玉が紛失した第九十五回では、岫烟が妙玉に降霊術を依頼して行方を捜索させている。

さて、妙玉のプロフィールについては、作中でも何度か説明がある。生まれは蘇州で、官僚を輩出したこともある学問の名門、小さい頃は病気がちで、そして偏屈な性格…。初読でも鋭い方なら気がつくだろう。メインヒロインである林黛玉との共通点が非常に多い。名前にも「玉」の字を持ち、賈宝玉との恋物語もある。そして黛玉は幼い頃に出家を勧められて断ったことがある。つまり妙玉は「もし黛玉が出家していたら」という仮定を再現した人物なのだ。

妙玉の最後は、曹雪芹の原案も現行の後四十回本でも概ね変わらない。家宅捜索と史太君の死後、賈家は警備もガタガタになっており、泥棒にも侵入されるようになった結果、誘拐されてしまう。妙玉が普段住んでいたのは尼寺であり、奥方やお嬢様たちと比較して警備も薄かったのも原因だろう。だいぶ経ってからその死の報告がもたらされるが、ただでさえ災難続きの賈家で彼女に深く関心を寄せる者は僅かだった。
出家した世界にも幸せや平穏はなく、俗世の悪によって身を滅ぼされるという、あまりに救いの無い最後。金陵十二釵の中でも上位に入る不幸ぶりだと思う。