ゆるゆる金陵十二釵考 賈迎春

久しぶりの金陵十二釵考察、今回は懦小姐・賈迎春です。その可哀想すぎる境遇ゆえ、紅楼夢では一番好きなヒロインだったりします。

劇中の経歴
栄国邸・賈赦の娘。劇中では賈家四姉妹の一人として数えられる。気弱な性格が災いして、家族のみならず使用人達からも舐めてかかられており、また本人も他の姉妹のような才能に恵まれず、賈家の中では冷遇気味だった。下男の興児いわく渾名は「二木頭(木偶の坊な二番姉さん)」で、針で刺しても痛いと言わないような人。やがて孫紹祖という男に嫁ぐが、彼によって虐待され一年あまりで亡くなってしまう(第百九回)。

その人物像
紅楼夢で一番不幸なヒロインは誰か?と聞かれたら私は間違いなくこの迎春だと思う。
家族関係がずば抜けて最悪、環境もひどい、内気な性格のため周囲から軽んじられる、容姿才能優れるヒロイン達の中で一人だけ何にも優れた部分がない、あんまりな結婚相手とその後の悲惨な生活……などなど可哀想な面が多すぎる。
え~、本編じゃ全然出番ないしただの地味キャラじゃん、などと思っている方がいたらその認識は間違っているので今すぐ紅楼夢を五回読んでくるべし。直接出てくる場面が少ないだけで、迎春に関する描写は周りの人物達を通してかなり細かく書かれているのだから。

とりあえず、彼女の不幸ぶりについて、順番に詳しく語っていこう。まず家族。実の母親は既に亡く、父親は漁色家で金遣いも荒い。母親代わりであるはずの父の正妻・邢夫人は、まともに面倒見ないくせに嫌味だけはしょっちゅう言ってくる。羽振りのいい兄夫婦(賈璉・王熙鳳)からはガン無視され、最高権力者である祖母は父の素行を嫌っているため孫娘の迎春にも冷たい。もうこの時点で悲惨である。ちなみに迎春の母親は妾の身分だが、邢夫人いわくとても出来た人だったらしい。そのために同じ妾腹の探春と比較され「お前の母親はあっちのアバズレな母親(趙氏)よりよっぽど立派だったのに、娘のお前が妹に全然及ばないのはどうしてなんだろうね!」と言われてしまう。
では、使用人達はどうか? 紫鵑のような忠義者の侍女がいれば、黛玉みたいに孤独な身でもまだ救いがある。迎春の筆頭侍女は司棋。気弱な主人をフォローするかのように気丈で弁も立つ。ところがこの侍女、周囲に内緒で長らく下男と姦通していた。後半でそのことがバレてしまい、屋敷からあっさり追い出されてしまう。さらに育ての乳母が、屋敷で禁止されている賭博の常習犯だった。身近な使用人までこの有様。しかも彼女たちの悪行は主人である迎春の不行き届きということで処理されている。最悪。
じゃ、じゃあ友人関係は? 大歓園の優しい兄弟姉妹なら、迎春の心の支えになってくれたはずだ。
もちろん仲はいいのだけど…これもちょっと怪しいのだ。なにせ姉妹達は宝黛を筆頭に学識あふれた才女ばかり、自ら詩社を立てて風流な作詩合戦を繰り広げたりする。が、学の浅い迎春はついていけない。姉妹の中で一番年上なのに、毎回肩身の狭い思いをさせられては立場が無い。やがて病欠だの何だのといった理由でだんだん詩会に顔を出さなくなり、ついには誕生祝いなど普通のイベントでもハブられるように…。姉妹達も口にこそ出さないが「あの人はおとなしくて死人みたいな方だから…」などとディスるようになる。ちなみに林黛玉とは地の文で日頃あまり仲が良くないと言及されている。黛玉なんてしょっちゅう「私は天涯孤独なの……」とか言ってメソメソしているが、それでも宝玉や紫鵑などの理解者がいるし、史太君からも自慢の孫娘として扱われている。迎春に比べればずっとましなんじゃないかと思うのだけど。
極めつけが結婚相手。よりにもよって、DV常套のクソ野郎であった。あんまりである。

さて、迎春を不幸にしている要素の一つが、その内気な性格だ。嫌なことがあっても我慢し、主張すべき時も黙ってしまう。争いごとをしたくない、という気持ちゆえのスタンスなのだけれど、大抵そのせいで事態は悪化する。
例えば、第七十三回では、賭博に興じていた乳母が借金のかたに迎春のかんざしをこっそり盗んでいたことが判明。侍女の繍橘が「奥様達に訴えましょう」と促してくれたのに、迎春は「うーん……あの乳母さんだって、多分すぐ返すつもりで持って行ったのだろうけど、どういうわけか忘れてしまったんだと思うわ。別に、無くなったら無くなったでいいのよ。簪の一つ二つ、大して困らないし…」などと超弱腰。乳母一人の間違いも注意出来ないのか、と散々邢夫人に怒鳴られるが、言い返しもせず帯をいじくってうつむくだけ。気弱すぎぃ!
また第七十七回、司棋が追い出されることになった時も何一つ出来ず見送るしかなかった。司棋は前述した通り規則を犯していたのだが、日頃は周囲から舐められがちな主人のため強気に振る舞うなど、それなりにフォローもやっていたのだ(第六十一回)。唯一の味方がいなくなったことで、迎春はますます形見の狭い思いをしたことだろう。
本人がそんな性格なので、周囲も容赦無くそこへつけ込んでくる。例えば邢岫烟が賈家へ引っ越してきた時、王熙鳳は「人が増えても文句を言わなそうだから」という理由で岫烟を迎春の部屋へ押しつける。貧しい邢岫烟は「迎春さんのような大人しい方にお金の頼み事をするのもちょっと…」と、自分で服を質入れしたりして金を工面していた。ようするにあてにされていなかったということだ。か、悲しい…。また、岫烟のそんな様子をひょんなことから見つけた宝釵も「あぁ…迎春さんは空気みたいな方ですからね。お金のことなら、私に任せて。いつでも助けてあげる」と支援を約束。え、アレ…?そこまで知ってるならなんで迎春も助けてあげないんですか宝釵様!!

そのほか、紅楼夢のヒロインといえば容姿才能に恵まれているキャラばかりだが、迎春はその点でも姉妹達に劣っている。妃に選ばれるほどの才徳を持った元春、大家庭を切り盛りするほどの能力を備えたしっかり者で学才もある探春、幼いながらに画力に秀でた惜春、そしてメインの宝・黛については言うまでもないだろう。
しかし迎春はどうか。容姿については、さすがに大貴族のお嬢様なので、そんじょそこらの庶民よりずっと上だろうが、作中で彼女個人の容貌が名指しで誉められた場面はほぼ無い。史太君が自慢の孫娘達を安南太妃に紹介する時も、黛玉、宝釵、探春らが呼ばれたのに迎春だけは見事にはぶられてしまった(まぁ、この時は史太君が邢夫人に腹を立てていたのも理由の一つなのだけれど)。
学問についても、明確に姉妹達の中で最下位レベル。元春の帰省で詩を作った時も何とかしょぼいものを作るのが精一杯、また第二十二回で元春から届けられた灯籠のなぞなぞを当てられなかったのは姉妹達の中で迎春だけ。姉妹達が立てた詩会でも、参加はするが初回から色々消極的である。当時の社会だと女子に学問はそこまで求められておらず、あくまで大観園という環境だからその才能が発揮出来たわけだが、何もない迎春はそのためにかえって居場所がないのだった。つらい…。

そんな迎春だが、気弱な点を除けば性格的に難は無く非常に善良な子である。争いを避け、誰かを傷つけることもしないし、我を張ることもしない。これは彼女なりの世渡り手段だ。問題なのは、周りの連中が彼女のそういう良いとこを見てくれないとこなんですが…。私は優しい迎春の性格がとても好きだけど、人によっては、惰弱で物事を主張できないような奴は嫌いだ!なんて方もいるだろうから、意見は分かれるかもしれない。
ちなみに賈家では、迎春のような性格だと間違いなく不幸なコースをたどる羽目になる。同じく大人しやかな尤二姐や香菱の末路を見ればよくわかるだろう。