金庸武功考察 「神鵰剣侠」より神鵰式剣術 

複数の金庸作品にまたがって登場する伝説的達人・独孤求敗。
射鵰三部作の二作目「神鵰剣侠」では荒山深くの洞窟に生前使っていた剣を保存しており、彼の相棒だった謎生物・神鵰がそれを守っていた。そして驚くべきにこのドデカイ鳥は、かつて独孤求敗が行った剣の修行法も熟知しており、洞窟に迷い込んできた主人公・楊過へその奥義を伝授するのである。
「笑傲江湖」の独孤九剣と異なり、作中では特に剣法の名称などは明かされていなかったので、ここでは便宜上「神鵰式剣術」という名で、その詳細について語ってみる。独孤九剣については別記事で書いてますので、よろしければそちらもどうぞ。→独孤九剣考察

1、神鵰重剣術
独孤求敗は剣塚にいくつか剣を保存していたが、そのうちの一つが玄鉄で出来た重剣だった。通常の剣と異なり非常に重く、切っ先も丸まっていて斬るのには不向き。中国剣法は伝統的に片手使いで、型を駆使して戦うものだが、この重剣は持って振り回すだけでも精一杯という代物。楊過も最初はろくに扱えなかったが、やがてその純粋な破壊力を利用した「拙で巧を破る」道理を悟る。以降は、神鵰の助けでひたすら内力を鍛え重剣を振る稽古に専念。基本的に型などは無く、ただ目の前の敵に思い切り剣を振るうだけだが、その威力はかつて苦戦したモンゴル食客軍団をほぼ一撃で葬り、ライバルだった金輪法王とも互角以上に渡り合うほどった。ちなみに、この重剣術のせいで古墓派奥義玉女真経の立場が完全に無くなってしまったのはナイショ。初期は天下第一の王重陽でも破れなかった究極武功みたいな扱いだったのに…。
剣塚の遺言によると、生前の独孤求敗は三十代から普通の剣を捨て、四十歳までこの玄鉄重剣を用いていた模様。

2、神鵰木剣法
重剣を極めた独孤求敗の次なる境地は「軽い木剣で重剣以上の威力を出す」ことだった。修行の内容はそれまでと同じだが、金庸江湖ではやわい得物に内力を込めると壊れてしまうことが多い。したがって、重剣並みの威力を遙かにもろい木剣で発揮するにはより強力な内力のコントロールが必要になる。楊過は神鵰の指導のもと厳しい修行に励み、七年ほどで木剣を操れるようになった。

3、神鵰無剣法
重剣・木剣をも超えた独孤求敗の最終到達点。石や草といった周囲のあらゆるものを剣として操り、極めれば無剣で有剣に勝つことも可能。
楊過は神鵰と十六年ほど過ごしたが、独孤求敗と同レベルまで達したのかは微妙なところ。作中最後の戦いとなった襄陽の金輪法王戦では普通の剣を二本使ったが、どちらも折れてしまった。本人は「重剣を持ってくるべきだった」と独白していたので単純に得物がやわかったとも考えられるが……。
また、彼自身が開発した独自武功「黯然銷魂掌」は全身を武器にする技で、これまで学んできたあらゆる武功を渾然一体にしている。神鵰との修行成果も大いに含まれているだろう。

さて、これらの神鵰式剣法で興味深いのは「笑傲江湖」の独孤九剣とは真逆のコンセプトで作られていること。独孤九剣は優れた技を駆使した「巧」の極地であり、これを学んだ令狐冲は内力を失った状態でも達人を圧倒していた。しかし神鵰式剣法は鍛えた内力を得物に込めてぶつける「拙」の極地であり、そこには技や型らしいものは見当たらない。
つまり生前の独孤求敗は巧・拙の両方を極めていたことになる。金庸作品の最強ランキングでも常に上位に置かれる彼だが、武功の中身を見るだけでもその強さのほどは十分納得出来るのではないか。