中国現代文学傑作セレクション 一九一〇-四〇年代のモダン・通俗・戦争 [ 大東和重 ] 価格:10,780円 |
周痩鵑の短編小説。
太平洋の真ん中にあるとある島は、失恋した者達が逃げ込む場所となっていた。そこにふらりとやってきた一人の男・情劫生は、かつての恋人を想うあまり段々衰弱していき…。
内容については当時のよくある恋愛小説なので、特段語ることもない。それよりも、本作を取り巻く文壇のお話の方がずっと面白いと思うので、本作のあとがきなども踏まえつつ、ちょっと下記で語っていこう。
中国文学の近代化は、文学を通して人々を啓蒙する目的で行われた。それまでの旧中国において、小説は単に大衆の暇潰しの娯楽でしかなかった。しかし、胡適や魯迅をはじめとする先進的な知識人は西洋文化に触れることで、小説が大衆に与える影響力の大きさを実感した。小説というメディアを用い、人々の精神の近代化をはかろうとしたのだ。彼らにとって、文学は崇高な芸術であり、政治的・社会的なテーマが多分に盛り込まれていた。
しかし、である。そんな小難しい内容ばかり盛り込んでしまうと、肝心の読者たちが「めんどくせえ」と逃げてしまう。そんなわけで、作家達もある程度大衆側にテーマやスタンスを寄り添わなければならなかった。
そうした路線とは別に、従来の大衆向け通俗小説も、徐々に西洋小説風の文体、思想、物語を反映し、進化を遂げていった。早いところでは清末から、西洋小説のスタイルを真似て小説創作をした作家も現れている(二十年目睹の怪現状を書いた呉沃堯あたりが有名だろうか)。文人達の文学革命と前後して、大衆小説も変わっていったのだ。才子佳人、神魔、武侠、演義、譴責、いずれも従来の伝統的な内容・スタイルの中に、西洋風のエッセンスが加わっていった。
そんな民国期の大衆小説で、とりわけ流行ったのが恋愛ジャンルである。
本作もそんな時期に描かれた一編。まあ、現代人の我々からしたら何てことは無い内容である。恋愛に傷ついた男の心情や、そんな男の死を知って後追いするかつての恋人、などなど、ちょっと大袈裟だし、くさ過ぎる。
けれども、当時の読者層にはこういったストーリーが大うけした。何よりも、西洋から持ち込まれた自由恋愛の概念は非常に斬新だった。いくら清朝が倒れても庶民はまだまだ旧来の封建主義を引きずっており、結婚は親が決め、子はそれに従うのがスタンダード。自分達で好き勝手に相手を決めてくっついてしまうなど言語道断の時代。だからこそ、自由恋愛の精神は、否応なしに人々(特に若者達)の興味を惹きつけるものだった。さらに語り調ではない三人称文体、物語が逆行していく叙述法、など旧来には無かった新しい小説作法も存分に用いられている。当時の恋愛小説は作家ごとに多数の作品を生み出し、広く人気を博し、ついには「鴛鴦胡蝶派」のような小説一派を形成するに至った。
しかしながら、文壇のお偉い方々からは痛烈な批判も浴びた。彼らからすれば「我々が国家民族のテーマを論じているのに、恋愛などという小市民的な話ばかりが流行るのはけしからん!」というわけだ(もっとも、それって旧社会で士大夫層が通俗小説を批判してた構図とまるで変わらんような気もするんですが)。
また、ひとたび人気が出れば、他の作家も商売第一と追随して似たような作品を書きまくり、結果として駄作が量産される。当然、ジャンルとしての質も落ちていく。まあ、これは現代に至るまでエンタメの宿命でもあるから、ある程度は仕方ない。
さらに身も蓋も無いことを言ってしまうと、これらの恋愛小説の多くは旧時代の「才子佳人もの」ものを焼き直しただけだったりする。ようするに、国家建設に携わる若者(旧時代なら科挙試験を受ける才子、近代なら知識人青年)が、才能あふれる女性(旧時代なら宰相や大商人の令嬢である佳人、あるいは妓女、近代なら進歩的な家庭に生まれ新式の教育を受けたお嬢様、あるいは大道芸人)と恋に落ちるが、家(旧時代も新時代も親世代)の反発に阻まれてしまい、それらを何とか乗り越えて恋人と添い遂げるハッピーエンドor来世を誓って心中するバッドエンド、というパターン。殆どおんなじじゃん!
とはいえ、そのように馴染みのある部分をなぞったからこそ、読者が入っていきやすかったのも確か。思想・啓蒙うんちゃらは別として、恋愛という概念を通して人々の精神が近代化されたことも間違いない。また、張恨水の「啼笑因縁」のように、現代に至るまで繰り返しドラマ化される傑作も存在している。大衆小説の発展が、中国文学全体の発展に貢献したことは否めない事実ではないか。
悲しいことに、この時期の大衆小説の存在は中国文壇で長らく無視されがちだった。そのあおりか日本でも研究は少なく、中国文学=魯迅をはじめとする何だか小難しい文学、というイメージが根強い。でも実際には、現代の我々でも気軽に読んでいける(というか時代性を考えればむしろ物足りない)くらいの大衆路線小説が、当時から数多く生み出されていたのだということを、もっと沢山の方々にも知っていただければ、と思う。
…結局、肝心の作品の話をまるでせずに終わっちまったい。
本作「レコード盤」が掲載されている「中国現代文学傑作セレクション」には、他にも多数の大衆向け小説が載っているので、気になった方は是非どうぞ。