辛亥革命前夜

中国近代を代表する文人・郭沫若による自伝。一九一一年、清朝政府を揺るがした辛亥革命の前後状況がいかなるものであった、当時郭沫若のいた四川を舞台に回想したもの。
この時、郭沫若はまだ学生であり、その目にうつっていたのは西欧列強の度重なる侵略ですっかり弱体化した朝廷の姿だった。朝廷は変法運動を唱えて近代化を推進したが、それらは教育や産業に至るまで、外面だけを装った中身の無い代物。改革を名目に、腐敗した官僚達が賄賂や利権を我がものにしていた、というのが実体だったようだ。例えば郭沫若がいた四川一帯の新式学校は、勉強しなくても金さえ出せば卒業証書や資格が貰えるようになっていた。証書さえ持って帰れば、何一つ学ばなくても故郷ではヒーロー扱いになり(旧中国でいうところの挙人みたいなもんである)、官界や優良企業への道が開ける。留学生なら行って帰ってくるだけで博士になれる。教員側の質も悪く、テキトーに外見を拵えた新式風の授業をするだけ。これではとても教育による近代化など望めたものではない。
勉学熱心で真面目な学生だった郭沫若青年にしてみれば、当然こんな事態は許し難い。ろくな教育制度が整っていない学校に憤り、やけ酒を煽るわ、運動に参加してしょっちゅう退学騒ぎを繰り返すわ……うん、こっちもこっちでろくでもない。まあそんなわけで、中国を救うには清朝を倒すしかない!という志を抱くようになる。

折しも、四川では鉄道産業の国有化をめぐって民衆の激しい抵抗運動が行われていた。実はこの事件こそが、後に起こる辛亥革命の大きな原因でもあったりするのだが、清朝側は運動を抑え込もうとして短絡的な行動を繰り返し自滅、民衆側も統率を欠いており朝廷の撃退後に軍の暴走や革命家同士の主導権争いが起こるなど、その実状はかなりグダグダで、理想の革命には程遠かった。とはいえ、世界のどの場所を問わず、革命の現実なんてこんなものだろう。
本作を書いた時の郭沫若は日本亡命中で、中国は未だ混沌のまっただ中だった。歴史に「もし」は無いが、郭沫若が四川の革命を回想した際、いくつもの「もし」があれば、中国はどうなっていたかと考えずにはいられなかったのではないか。

本作は辛亥革命について書いているが、内容はあくまで四川一帯の出来事に留まっており、これ単体で読んでも理解は難しい。本人の記憶だけを頼りにしているので、実際の歴史と食い違う場面や、やや誇張の見受けられる部分もある。より深く中華民国初期の実体に触れたい、といった方におすすめする。