紅楼夢後四十回の薛宝釵と襲人(おまけ)

紅楼夢の後四十回を書いた高鶚先生。
出来については紅迷(紅楼夢ファン)の間で賛否両論分かれるのだけれど、個人的には結構好きで、特に賈宝玉と結婚後の薛宝釵の描写は白眉だと思う。
黛玉の死後は賈家崩壊や金陵十二釵をはじめとする主要ヒロイン達の退場劇が続くので、どうしても宝玉夫婦の生活描写はそれらの物語の中に埋もれがちなんだけれど、ここでは薛宝釵のヒロインぶりが最高潮に発揮されていると思う。
悲劇の婚礼、その後も半分廃人の旦那、崩壊していく賈家、不幸続きの実家、そんな状況でも彼女はひたすら己を保ち妻としての役目を果たそうとする。
なんというか、結婚後の宝釵はいろんな意味でふりきれている。一つには黛玉への仕打ちに対する罪悪感があったんじゃないかと思う。聡明な彼女は宝黛の仲を察していただろうし、仲のいい黛玉を騙すような真似をするのは忍びない。かといって偽装結婚に協力しろという親の命令にも背けない。結局、彼女は後者を選んだ。黛玉は亡くなり、宝玉は精神を病んでしまう。けれど後戻りは出来ない。宝玉がさらに壊れてしまうのを恐れて周囲が黛玉の死因を明かせない中、宝釵は荒療治とばかりその死を伝える(結果的に宝玉は回復を見せた)。このあたり、もう宝玉に対する責任を全て背負っていこうという覚悟していたのではないか。
もう一つは諦念だ。宝釵は商家の娘で、貴族のお嬢様でありながら経済観念がしっかりしている。物語の中盤以降は探春の補佐として賈家の経営にも少なからず関わっている。だから賈家が傾き始めていることも薄々察していたはずだ。しかし彼女は女子。科挙を受ける資格も無いし、商才があっても男子のように外へ出て働いたり出来ない。だから自分が結婚した夫に尽くし、彼が社会的成功をおさめられるようにするしかない。それは封建社会における賢妻としては紛れもなく立派なスタンスなんだけれど、結局そのせいで宝釵は自分の首を絞め、ますます己を不幸に追いやってしまう。悲しいことに、聡明な彼女ですらそのからくりに気がつかない。
そんな彼女の涙ぐましい献身の真骨頂が第百九回だ。結婚後も死んだ林黛玉を延々と想い続ける宝玉を、宝釵はどうにかして正気に戻そうと考える。それは生きている自分の色香でもって宝玉を誘惑し、死んだ黛玉を忘れさせようというものだった。思惑はうまくいき、夫婦は寝床を共にする。ちなみにこれが二人の初夜。いやぁ…でもこんなの嫌すぎるだろ。夫が他の女を思ってるのが明らかな状態で、無理矢理自分から誘惑するなんてさぁ。こういうことを冷静な心理でやってのけちゃう宝釵は、やっぱりどこか吹っ切れていたんだと思う。
自分の幸せは度外視で、ひたすら夫と賈家のため。献身のあまりか自分の誕生日も忘れていた(第百八回)。周囲の大人達も(自分達がそういう立場へ宝釵を追い込んだのをそっちのけで)不幸な結婚生活を心配する。
度重なる説得にも宝玉は心を動かさず、それどころかますます浮世離れした言動が増えていく。宝釵はついに気持ちを爆発させる。いつもの理屈じみた説教が、ついには懇願に変わった。お願いですから、心を入れ替えて家のために勉強してください、と。それが既に俗世への興味を無くしていた宝玉の心を、ほんの僅かに動かしたのか、彼は科挙を受けて及第する。が、結局因縁を変えるには至らず、彼は失踪してしまう。宝釵もこれには泣き崩れるしかなかった。
ただ、原稿本の彼女には救いがある。宝玉の子供がお腹に宿っていたのだ。賈家復興の希望は次世代に託されることになり、宝釵もそれを糧に立ち直る。
曹雪芹の原案に準じるなら、多分宝釵にこういうハッピーエンドを与えるのはいけないのだろう。けれど悲惨な結婚生活の描写を見ると、まあこれくらいの救いはあってもいいんじゃないかと思ったりする。そんなわけで、自分は割と好きなエンド。

ちなみに後四十回といえばもう一人触れておきたいヒロインがいる。宝玉の筆頭侍女・花襲人だ。後四十回における彼女はかなり悪く描かれている。
悪気は無いとはいえ(だからこそ余計に質が悪いともいえるけど)偽装結婚に荷担し、しかも黛玉が死んだ直後に彼女を貶めるような発言をする。結婚後は実質的な妾の立場だが、宝釵のせいで明らかに損をしている。襲人は美貌教養何一つ宝釵に勝てる部分がない。特に教養の差は顕著で、宝釵と並んで発言すると襲人の方は明らかに考えの浅さが出てしまう。事件が起きても泰然としている宝釵に対し、襲人は常におろおろし泣き出す。賈家の正妻として子種を得た宝釵、身分の低い役者と再婚させられて高貴な身分におさまれなかった襲人(これは原案通りとはいえ)と、ラストも明らかに差がつけられている。
そのうえ宝玉からもかなり冷たい扱いをされる。通霊宝玉を守ろうとしたら「僕より玉の方が大事なんだね」と嫌味を返されたり、一緒に出家したいと願い出たら撥ねつけられたり、なんかもう踏んだり蹴ったりである。
これらの扱いは、高鶚先生が襲人を嫌いだったか、宝釵の良さを強調するためあえて襲人を道化役に貶めたか、のどちらかではないかと思っている。あるいは両方。
もちろん襲人も可哀想ではあるんだけど、基本全部自分で墓穴を掘っているのが悲しい…。平児・鴛鴦・紫鵑あたりと比べ侍女としての忠を貫徹出来た感じはしないし、最後の死ぬ死ぬ詐欺も単純に「周りに迷惑をかけられないから」って思いだけじゃなくて、「正妻になれるし夫も優しいからちょっと様子を見よっか」程度の打算は入ってると思う。
邪推のし過ぎか…。うーん、やっぱり私も襲人が嫌いなのかもしれない…笑