ゆるゆる金陵十二釵考 秦可卿 その②

前回の続き。

秦可卿には、その死因以外にも様々な謎が残されている。
まず彼女、出自が相当にアヤシい。父親は秦業という役人なのだが、そもそも秦可卿は彼の実の娘ではない。作中では孤児であると明記され、引き取られた時は彼女と他に男の子もいた(ちなみに、男の子の方は小さい頃に亡くなってしまう)…と、少ない出番の割に経歴はやたら詳しく描かれている。また秦業は後、高齢になって一人男児をもうけている。これが本編で宝玉と親友になった秦鐘である。
賈家は大貴族である。家庭内の序列や扱いは、本人の人柄・能力以上に家柄で大きく左右される。秦家はどうかといえば、かなりビンボー。秦鐘は、一族の塾へ通う金を集めることにも事欠いていた。いざ塾へ通ってみても、あいつの親ははたかだか賈蓉の嫁じゃないか!とバカにされている。
 ところが、秦可卿本人の描写を見る限りだと、とてもそんな家の出身とは思えないのだ。
 まず彼女、スペックが相当に高い。第五回、退屈して昼寝をしたがっていた宝玉の面倒を、秦可卿が見る場面。秦可卿は宝玉のために特別の休憩場所を用意していた。そこは「学問を頑張ろうぜ」「人を理解するのに文章は大事だぜ」などの四角張った文人臭い文句の入った画や詩が並んでいた。いくら大貴族の家に嫁いだとはいえ、本人にある程度教養が無ければ、こんな部屋を用意出来るはずはない。前述の通り、お役人の家とはいえ秦家はびんぼーである。秦可卿は、どこでそんな高い教養を養えたのか? 一方、秦可卿本人の部屋は、則天武后、趙飛燕、楊貴妃などの歴代の高貴な女性達にまつわるグッズが並ぶ。これらは、何を示唆しているのだろうか?
 他にもある。死んだ直後、王熙鳳の前に姿を現した時だ。秦可卿は衰退していく賈家を救うため、なんと不動産運営のテクニックを熙鳳に伝授する。紅楼夢には才覚溢れたヒロインが多数登場するが、その中で家庭経営の手腕を持った人物は、数えるほどしかいない。王熙鳳はその一人だが、秦可卿はその彼女に面と向かってアドバイスを授けているのである。
 もちろん、人柄の方も円満。殆どのキャラが何かしら陰口を叩かれたりする中で、彼女を敵視する人物は誰もいなかった。最高権力者の史太君は、宝玉の面倒を任せきりにするほど信頼を置いている。
 さらに、容姿だってずば抜けている。珍が不倫を繰り返していたのは見た目はもちろんだが、あっちのテクニックも凄いのかもしれない。
 これらの描写を踏まえると、孤児になる前の彼女は相当凄い家に生まれていたのではないかと思われる。
 それを裏付ける設定もある。太虚幻境における可卿の地位は、仙女達を束ねる警幻仙姑の妹。滅茶苦茶地位が高い。ご存じの通り、紅楼夢は現実と架空が表裏一体の物語。仮の世界における可卿が高い地位を持っているということは、現実の彼女もまた同じである可能性が高いわけだ。
これらの点を踏まえると、その死がぼかされた理由もさらに説得力が出てくる。凄い家柄の人間だからこそ、不倫のこともそのまま描写するなんて出来なかったのだ。

 さて、最後に彼女と縁の深い登場人物についても触れておこう。それは賈宝玉と王煕鳳である。この二人、秦可卿が亡くなった晩に、その死をそれぞれ感じ取っている。宝玉は吐血したし、煕鳳は夢を見て可卿の亡霊と話した。そんな二人との結びつきを、改めておさらいしてみよう。
賈宝玉と秦可卿は、家系図だと叔父と姪の関係にある。え?宝玉の方が年下なのに?と思ってしまうかもしれないが、これは宝玉と同世代にあたる賈珍の息子・賈蓉と可卿が結婚しているためにそうなっているのだ。中国の大家庭だと結構ありがちな現象である。それはともかく、宝玉にとっての可卿はどのような存在だったのだろうか。第五回の描写を見てみよう。まず、宝玉の可卿に対するデレっぷりが凄い。同じ人妻の煕鳳や李紈らと比べれば、可卿への態度が明らかに違うのは一目瞭然。しかも可卿の部屋へ平然と休みに行く。儒教社会では男女親しくせずが基本である。宝玉はもともとそうした礼儀に関して緩い方だが、相手が未婚で幼い黛玉や宝釵ならまだしも、可卿は既婚女性である。史太君の寵愛がなければ、恐らく二人が一つ部屋で休むことは許可がおりなかったはずだ。そして決定的なのが、太虚幻境での描写。宝玉はここで警幻仙姑に一人の女の子を紹介される。それが可卿だ。まるで黛玉と宝釵の良さを合体させたような子と描写されている(しかも幼名が兼美だという。わかりやすい)が、とどのつまりそれが可卿ということだろう。そして宝玉は、可卿と初めての性体験をする。
つまり宝玉にとって、可卿は初恋の人なのだ。紅楼夢のメインヒロインは林黛玉・薛宝釵だが、本編を読んだ方ならご存じの通り、二人は容姿・人格に激しい偏りがある。病的な痩せ形の黛玉、デブ豊満体型の宝釵、情熱的だが偏屈な黛玉、温厚だが理屈っぽすぎて冷酷に見える宝釵、そんなわけで好き嫌いの分かれるファンも多い。可卿はそんな二人の良さを兼ね備えた理想の女性として描かれている。宝玉にとって、初恋の人だった可能性が高い。
さて、夢における可卿とのセックスは、本編だと夢精したことになっている。紅楼夢はもともと、曹雪芹自身の半生が反映された物語であり、宝玉少年はイコール雪芹である。ということはつまり…いや、邪推するのはこれ以上やめておこう。

さて、可卿と深い繋がりを持つもう一人が王煕鳳である。この二人も一世代分の差(煕鳳は王辺世代の賈璉、可卿は草冠世代の蓉蓉の嫁)があるのだが、年齢的にはそこまで変わらない。病気になった可卿を見舞うシーンから、二人は一見、親密な関係を築いているように見える。
 だが、果たして本当にそうだろうか?
 王煕鳳は激しい気性の持ち主である。上昇志向も強く、本編では史太君の寵愛を盾にどんどん家庭内での権力を手にしていく。また嫉妬深くもあり、後半では夫の妾になった尤二姐をあの手この手で自殺へ追い込んでしまった。
そんな彼女にとって、可卿は果たして仲良く出来るような相手だろうか? むしろ、家庭内における最大のライバルではないか。何せ可卿は美貌もあり学問の素養もあり、上から下まで家中の人間に好かれている穏やかな人格者。対する煕鳳は激しい性格のせいで内外から陰口を叩かれているし、学が無いので字も余り読めない。容姿は美しくとも、夫はしょっちゅう不倫を繰り返している。
とりわけ重要なのは、若嫁の可卿が男児を産む可能性を持っていることだ。封建社会の中国において、跡継ぎになる男の子を産むのは、嫁の重要な義務である。男児がいれば、それだけで家庭における圧倒的なアドバンテージを得られるのだ。煕鳳は本編でいつも男の子を所望しており、そこには焦りすら感じられる。
これらの要素を踏まえると、煕鳳にとって可卿はむしろ排除対象に近い。本編における煕鳳の行動も、善意ではなく悪意を持っていた可能性が高い気がする。
日頃から親しく接していたのは、言うまでもなく寧国邸の内情を探るためだ。腹黒い感情を隠してにこやかに振る舞うのは煕鳳の十八番であり、尤二姐を自害へ追い込む時も、最初は滅茶苦茶優しげに接して相手を油断させていた。可卿の死後、煕鳳は堕落していた寧国邸の改革に取りかかるわけだが、彼女は寧国邸が抱える人やシステムの問題を正確に把握していた。どこからそんな情報を得ていたのか? 煕鳳には平児をはじめとした腹心も多いが、それでも栄国邸の外まで影響力を伸ばせるとは思えない。やはり可卿が情報源だったと考えるべきだろう。歳も近く、聡明な可卿ならうってつけの相手だ。本心を隠しつつにこやかに接し、彼女から寧国邸の情報を得ていたのではないか。
さらに邪推すると、煕鳳は可卿の死にすら関わっていた可能性もある。煕鳳は第七回にて「舅が息子の嫁を犯す」という発言を聞いた人物でもある。こんなことを耳にしたら、人間たるもの誰だって多少は探りを入れたくなるはずだ。で、ちょっと調べてみたらそれはなんとあの可卿のことらしい。折しも、可卿が病気にかかったので見舞いに行ってみる。もちろん、事の真相を確認するためだ。案の定、可卿はもごもごして「もう生きてはいられません」などと口走る。ははん、やっぱりそういうことか。この時の煕鳳は心の中でガッツポーズを決めたはず。最大のライバルを排除できる弱点を見つけたのだから。かくして、彼女は適当なタイミングで珍に密通のチャンスを促す。ついでに侍女もそそのかして現場がばれるようにしておく。これなら自分の手を汚さず、可卿をスムーズに排除出来る…。
いくら何でも邪推し過ぎじゃない?と思われるかもしれないが、煕鳳は直前の第十二回で自分に懸想してくる一族の若者・賈瑞をこれまた計略で死に追い込んでいたり(もっとも、瑞の死は風月宝鑑で幻の煕鳳をおかずに自慰しまくったことが直接の原因なので、煕鳳としては殺す気まで無かったかもしれんけど)、その後も煕鳳関連で死んだ人間は少なくない。煕鳳の脅威となりうる要素を多数持ち合わせた可卿が、安泰のまま暮らしていけた、と考えることは難しいのではないか。

ちなみに、ドラマや映画では作者の原案が反映されやすく、可卿が自殺に至る経歴も明確にされている。もはや紅迷のみならず視聴者にとっても、可卿まわりのミステリーは常識のようだ。映像作品を初めて見た後に現行本を読むと、かえって混乱してしまうかも。
何かにつけてミステリアスな彼女の存在が、紅楼夢という作品を奥深くしているのは間違いない。

ゆるゆる金陵十二釵考 秦可卿 その①

金陵十二釵考察、三人目はミステリアスな情の人・秦可卿です。かなり長くなったので、記事も二つに分けることにしました。

劇中の経歴
寧国邸・賈蓉の妻。容貌人格人並みはずれており、最高権力者である史太君をはじめ、家中の誰からも愛される存在だった。第十三回で若くして死亡。しかしその後も魂は現世に留まり、時折賈家の人々の前に姿を現す。

その人物像
金陵十二釵の一人ながら、恐らく初読では殆ど読者の印象に残らないであろうキャラ。何せ大した出番も無いまま、序盤の第十三回で亡くなってしまう(紅楼夢は全百二十回である)。なんだ、大して重要な人物じゃないんだね、はいおしまい! 
…などと思うのは早計である。この秦可卿、紅楼夢の中でもトップクラスにミステリアスなキャラであり、その謎もちょっと深く調べれば余裕で研究本が一冊書けてしまうほど。著名な紅楼夢研究者も度々彼女に言及している。紅迷を名乗るなら、彼女について語ることは恐らく避けて通れない道だろう。そんなわけで、今回は文章もやたら長いが、どうか気長におつきあい願いたい。

とりあえず、その謎にあたる前に、彼女の数少ない出番について解説しておこう。
第五回 会芳園における花見の最中、退屈していた賈宝玉の子守を引き受け、自室で休ませる。その際、宝玉は夢の中で太虚幻境を訪れ、警幻仙姑の引き合わせで秦可卿と同じ名前の「可卿」と初めての性体験をする。
第七回 寧国邸へ遊びに来た宝玉・王熙鳳を接待する。そして弟の秦鐘を宝玉に引き合わせる。
第十回 弟の秦鐘が塾へ通い始めたタイミングで病気にかかっている。
第十一回 王煕鳳が見舞いに来るも、既に生きる気力を半ば無くしていた。
第十三回 死亡。その際、宝玉は彼女の死を感じ取り吐血、煕鳳は彼女の霊と出会い、賈家存続のためのアドバイスを授けられる。
その他、第百一回、第百十一回に幽霊として終盤に登場。百一回では、すっかり落ちぶれてしまった 家の内情について煕鳳をなじり、百十回では主人の史太君を失った鴛鴦に、ジェスチャーで自殺を促し、太虚幻境へ導いている。

さて、では彼女にまつわる最大の謎から語っていこう。それは彼女の死について。
普通に本編を読んでいると、秦可卿は病気が悪化して亡くなったように見える。しかし第十三回を詳しくあたれば、周辺人物のおかしな描写に気がつくはずだ。

第一に、可卿の死を一番嘆いているのは夫の賈蓉ではなく、舅の賈珍である。彼は嫁のことを過剰に褒めたたえ、何が何でも壮大な葬儀をしなければならないと主張する。夫ならともかく、なんで舅がここまで騒いでいるのだろうか?
第二に、葬式中に家のことを仕切らなければならない尤氏が、突然病気を理由に引きこもってしまう。ちなみに、尤氏は前の十一回ではぴんぴんしている。
第三に、可卿の侍女・宝珠と瑞珠が謎の行動を起こす。瑞珠は柱に頭をぶつけて自殺、もう一人の宝珠が可卿の義理の娘になりたいと言い出す。普通、主人が亡くなってもこんなことはやらない。本編を見ても、主人の死に殉じたのは鴛鴦くらいである。
そして周囲の人々も、可卿が突然死んだことに疑問を持っている。

このあやふやな描写の数々は、可卿の死に裏があることを示している。では、可卿はどのように亡くなったのか?
答えは第五回にある。宝玉が夢で迷い込んだ太虚幻境では、金陵十二釵全員の最期が詩で残されていた。そこにおける可卿の末路はなんと「首吊り自殺」である。
すると次なる疑問がわくだろう。どうして自殺なんかしなければならなかったのか。そのヒントは第七回にある。
寧国邸へ遊びによった帰りのこと。宝玉と煕鳳は馬車の外で、古株の使用人・焦大が市井の言葉で「舅と息子の嫁が通じている」と喚くのを耳にしている。そう、これが他ならぬ珍と可卿のことなのである。二人は許されぬ関係を築いていたのだ。可卿を可愛がっていた珍は、それゆえに彼女の死を嘆き悲しみ、また尤氏は醜聞を恐れて葬儀の時に表へ顔を出さなかったのだ。
では、二人の侍女の行動は何故か? もともと不倫をしていた可卿が、自殺まで起こすきっかけがあるとすれば、それは「不倫がばれた」時に他ならない。そう、不倫の現場を侍女達が目撃したのだ。知ってはならない秘密を知った以上、どんな災難が自分の身へ降ってくるかわからない。奴隷身分の人間なんて、主人の意向一つであっさり運命が決まってしまう。ゆえに片方の瑞珠は自殺した。もう一人の宝珠は義理の娘になり、葬儀の後も可卿の棺に付き添い、二度と寧国邸へ戻らなかった。娘分になるというのは、あくまで身を守るための口実だったわけだ。

さて、何故秦可卿の死はこうもへんてこな描き方をされてしまったのか。紅楼夢という作品は、作者である曹雪芹の家庭や半生がモチーフになっている。多くの人物にはモデルがあり、物語も実際に身の回りで起きた出来事が作品へと反映されている。「舅と息子の嫁が密通してました!」なんて醜聞をそのまま作品に書いたら、いくら創作といえど身内が黙ってはいない。現代の小説でも、有名人の実際の人生をネタにした結果、遺族からクレームが来た、なんてのはよく聞く話である。まして当時はお上の検閲も厳しい封建社会、へたなことを書いたら作品は禁書、作者は投獄されてしまう時代だ。それらの事情により、第十三回は大幅に加筆修正されたという説が有力である。ちなみに現行本の題は「秦可卿死封龙禁尉」だが、元の題は「秦可卿淫丧天香楼」とされている。この天香楼こそ、可卿と珍が密通した現場であり、さらには自殺に使った場所である。また現行本に出てくる龙禁尉は役人の肩書で、本編でこれを受けたのは可卿ではなく夫の蓉であり、実はタイトル自体がおかしなことになってしまっている。無理矢理内容をいじったせいでこうなってしまったのだろうか。
もっとも、加筆修正されたとはいえ、あえてもとのままに残した部分も多く、聡明な読者なら可卿がどのようにして亡くなったのか、ある程度理解出来るようになっているのだ。

 というわけで、最大の謎について語ったところで考察はオシマイ……とはならない。まだまだ色んな謎があるのだ。
長くなり過ぎたので、それは次回に譲るとしよう。

レコード盤 周痩鵑

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周痩鵑の短編小説。
太平洋の真ん中にあるとある島は、失恋した者達が逃げ込む場所となっていた。そこにふらりとやってきた一人の男・情劫生は、かつての恋人を想うあまり段々衰弱していき…。

内容については当時のよくある恋愛小説なので、特段語ることもない。それよりも、本作を取り巻く文壇のお話の方がずっと面白いと思うので、本作のあとがきなども踏まえつつ、ちょっと下記で語っていこう。

中国文学の近代化は、文学を通して人々を啓蒙する目的で行われた。それまでの旧中国において、小説は単に大衆の暇潰しの娯楽でしかなかった。しかし、胡適や魯迅をはじめとする先進的な知識人は西洋文化に触れることで、小説が大衆に与える影響力の大きさを実感した。小説というメディアを用い、人々の精神の近代化をはかろうとしたのだ。彼らにとって、文学は崇高な芸術であり、政治的・社会的なテーマが多分に盛り込まれていた。
しかし、である。そんな小難しい内容ばかり盛り込んでしまうと、肝心の読者たちが「めんどくせえ」と逃げてしまう。そんなわけで、作家達もある程度大衆側にテーマやスタンスを寄り添わなければならなかった。

そうした路線とは別に、従来の大衆向け通俗小説も、徐々に西洋小説風の文体、思想、物語を反映し、進化を遂げていった。早いところでは清末から、西洋小説のスタイルを真似て小説創作をした作家も現れている(二十年目睹の怪現状を書いた呉沃堯あたりが有名だろうか)。文人達の文学革命と前後して、大衆小説も変わっていったのだ。才子佳人、神魔、武侠、演義、譴責、いずれも従来の伝統的な内容・スタイルの中に、西洋風のエッセンスが加わっていった。
そんな民国期の大衆小説で、とりわけ流行ったのが恋愛ジャンルである。
本作もそんな時期に描かれた一編。まあ、現代人の我々からしたら何てことは無い内容である。恋愛に傷ついた男の心情や、そんな男の死を知って後追いするかつての恋人、などなど、ちょっと大袈裟だし、くさ過ぎる。
けれども、当時の読者層にはこういったストーリーが大うけした。何よりも、西洋から持ち込まれた自由恋愛の概念は非常に斬新だった。いくら清朝が倒れても庶民はまだまだ旧来の封建主義を引きずっており、結婚は親が決め、子はそれに従うのがスタンダード。自分達で好き勝手に相手を決めてくっついてしまうなど言語道断の時代。だからこそ、自由恋愛の精神は、否応なしに人々(特に若者達)の興味を惹きつけるものだった。さらに語り調ではない三人称文体、物語が逆行していく叙述法、など旧来には無かった新しい小説作法も存分に用いられている。当時の恋愛小説は作家ごとに多数の作品を生み出し、広く人気を博し、ついには「鴛鴦胡蝶派」のような小説一派を形成するに至った。

しかしながら、文壇のお偉い方々からは痛烈な批判も浴びた。彼らからすれば「我々が国家民族のテーマを論じているのに、恋愛などという小市民的な話ばかりが流行るのはけしからん!」というわけだ(もっとも、それって旧社会で士大夫層が通俗小説を批判してた構図とまるで変わらんような気もするんですが)。
また、ひとたび人気が出れば、他の作家も商売第一と追随して似たような作品を書きまくり、結果として駄作が量産される。当然、ジャンルとしての質も落ちていく。まあ、これは現代に至るまでエンタメの宿命でもあるから、ある程度は仕方ない。
さらに身も蓋も無いことを言ってしまうと、これらの恋愛小説の多くは旧時代の「才子佳人もの」ものを焼き直しただけだったりする。ようするに、国家建設に携わる若者(旧時代なら科挙試験を受ける才子、近代なら知識人青年)が、才能あふれる女性(旧時代なら宰相や大商人の令嬢である佳人、あるいは妓女、近代なら進歩的な家庭に生まれ新式の教育を受けたお嬢様、あるいは大道芸人)と恋に落ちるが、家(旧時代も新時代も親世代)の反発に阻まれてしまい、それらを何とか乗り越えて恋人と添い遂げるハッピーエンドor来世を誓って心中するバッドエンド、というパターン。殆どおんなじじゃん! 

とはいえ、そのように馴染みのある部分をなぞったからこそ、読者が入っていきやすかったのも確か。思想・啓蒙うんちゃらは別として、恋愛という概念を通して人々の精神が近代化されたことも間違いない。また、張恨水の「啼笑因縁」のように、現代に至るまで繰り返しドラマ化される傑作も存在している。大衆小説の発展が、中国文学全体の発展に貢献したことは否めない事実ではないか。

悲しいことに、この時期の大衆小説の存在は中国文壇で長らく無視されがちだった。そのあおりか日本でも研究は少なく、中国文学=魯迅をはじめとする何だか小難しい文学、というイメージが根強い。でも実際には、現代の我々でも気軽に読んでいける(というか時代性を考えればむしろ物足りない)くらいの大衆路線小説が、当時から数多く生み出されていたのだということを、もっと沢山の方々にも知っていただければ、と思う。

…結局、肝心の作品の話をまるでせずに終わっちまったい。
本作「レコード盤」が掲載されている「中国現代文学傑作セレクション」には、他にも多数の大衆向け小説が載っているので、気になった方は是非どうぞ。

源氏物語と紅楼夢 主人公比較

源氏物語と紅楼夢。なにかと比較される日中の古典名著。今回は両作品における主人公、光源氏と賈宝玉について、簡単に比較しつつ語ってみようと思う。どちらも共通点が結構あるようで、その実大きな違いがあったりするのが興味深い。

・人物像
源氏も宝玉も高貴な生まれで、容姿端麗・才気に溢れる点は共通している。しかし周囲の評判は真逆。源氏が誰からも憧れられるスーパースターなのに対し、宝玉は内外問わず変人呼ばわりされている。
性格は共にヘタレ。擁護出来ないレベルでヘタレ。

・異なるベクトルのメインヒロインが二人、それとは別にあこがれの女性がいる。
源氏には紫の上と明石の君。あこがれの人は藤壷。
宝玉には林黛玉と薛宝釵。あこがれの人は秦可卿(明言されていないが、宝玉にとって特別な女性であることは確か。太虚幻境の夢で初めて情交した女性が可卿。その容貌は黛玉と宝釵を兼ね備えている。この夢を見たのが現実の秦可卿の部屋。さらに彼女が死んだ時、宝玉はそれを感じ取って吐血するなど特別な繋がりがある)。
ただし、二人の女性観・恋愛観には大分差がある。後述にて。

才能
源氏も宝玉も才能に恵まれている。源氏は文武両道、芸術にも優れている。宝玉も子供ながら資質は優れており、周囲の人々からもそれは高く評価されている。
源氏は自分の才能を、恋愛、政治、あらゆることにかけてフル活用する。才能は彼にとって成功の道具である。
一方の宝玉。素質に恵まれていても、当時の社会で出世の王道だった科挙試験の勉強に全く精を出さない。本を読んで得た知識も、侍女に風変わりな名前をつけたり、独自の哲学(男は泥で出来た汚い存在、女は水で出来た清い存在)を語る典拠にしたり、といったところで使うばかり。

恋愛
光源氏の恋愛は、一部の例外を除き肉体的な関係によって作られる。そして源氏は女性に対して常に支配的である。住居から行動、精神まで、何もかも自分の思惑の中に置きたがり、女性に自由を与えない(義理の母である藤壺と関係を持つ、明石の君を娘と引き離す、紫の上の出家に反対する)。相手に深い愛情はあっても、自身の政治家としての立場から、時として非情ともいえる仕打ちをくだしたりする。そのため、様々な手を尽くして最愛の人・紫の上を得たにも関わらず、自分の手で彼女を苦しめることになってしまう。
宝玉の恋愛は一部を除いてプラトニックである。肉体交渉よりも、詩歌や音楽などを通じた精神的な交流を求める。当時の儒教社会の性格上、結婚した女性が金や家庭内の地位などにばかり固執し少女時代の自由な精神を失うことに強く反対している。宝玉の想い人は黛玉だけだが、彼女を自分のものにしようという束縛意識は無いし、決定権も持っていなかった(当時の結婚は親が決める)。そのため、結婚については受け身にならざるを得ず、心は通じ合っても最終的に一緒になることは叶わなかった。

最盛期
源氏の六条院、宝玉の大観園は共にこの世の楽園である。ただし、源氏が自らの力で楽園を築いたのに対し、宝玉の大観園は、賈家の力によって作られたものである。宝玉本人はその設立にまるで関与していない。

末路
源氏の楽園は、自身の犯した過ち(女三宮との結婚と、その後の不義密通)によって崩壊する。
宝玉の楽園だった大観園は、外部的な圧力のために崩壊する。彼自身はその圧力に対して、何一つ抵抗出来ないまま終わる。
最後に現世を見限って出家する点は共通している。

大体、こんな感じでしょうか。深く掘り下げればもっと出てくるとは思いますが。自らの手で楽園を作り、愛する人を手に入れるも、また自らの手で全てを壊してしまう光源氏。
外部から得た束の間の栄華に浸かり、何一つ抵抗出来ないままそれを外部の力によって奪われ、想い人も一緒に失ってしまう賈宝玉。二人の違いは、そのまま物語のテーマの違いにも直結しているように思います。ただ、源氏物語のテーマに関しては多数の説が入り乱れているので、今回は述べないことにします(私自身、源氏物語の研究本には全然手を出してないので)。