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清朝末期のジャーナリスト・政治家である粱啓超の文集。年代別に幾つか特徴的なものを収録し、彼の思想の変遷をわかりやすく追えるようになっている。
清末から民国期の中国は、まさに大変な激動期だった(正確にはその後もまだまだ安定しない時期がずっと続くわけだけど)。阿片戦争以来、長らく諸外国の侵略に悩まされ、朝廷の威信はすっかり低下していた。清朝を維持すべきか、それとも西洋のような近代国家へと改革すべきか、あるいは朝廷そのものを打倒すべきか、様々な可能性の間で揺れ動いていた。
梁啓超は、そんな激動の真っただ中で活動していた一人である。高校の世界史などで学ぶ限りだと、変法運動に名前が出るだけで、孫文や袁世凱のように大きな事績を残したようなイメージは無いかもしれない。しかし本書を読めばわかるように、梁啓超が近代中国の思想へ与えた影響は非常に大きい。
彼には学者・政治家・革命家・記者と様々な顔があるけれども、最大の貢献はマスメディアに対するものではないだろうか。自ら様々な雑誌を刊行し、和製漢語などの新語を用いたわかりやすい文章を書き、国家、経済、教育、思想、歴史、男女平等などあらゆる問題へ言及している。
これだけ広範囲な分野へ言論を展開できたのは、彼が偉大な勉強家だったことを物語っていると思う。ただ彼の場合、自身でも反省するくらい、主張の変化が激しい。「立憲して朝廷を改革せヨ!→いや革命で清朝を潰そう!→やはり国体は大事だ!共和国を作ろう!」「西洋に学べ!→日本をお手本に!→いややっぱり古き中国の伝統も大事にしよう!」数年スパンで言うことがころころ変わる。なんちゅー変節漢だ!と批判されても仕方ない。
しかし、学び続けると言うことは、変化し続けることでもある。彼は当初、変法運動の先頭にいた康有為を師匠と仰いでいた。粱啓超が日本や世界をまわり、様々な知識を吸収して進歩した後も、康有為は昔の思想に固執し続けた。その結果、彼は時代遅れの人物となり新中国の建設に貢献出来なかった。梁啓超は常に新しい知識を素直に受け入れ、変化を拒まなかった。それゆえ、彼は学問の最先端にい続けた。さらに、定期的に自ら学んできたことを自省する心がけもあった。こうした梁啓超の学問に対するスタンスは、現代の我々が大いに見習うべき点だと思う。
本文集は、梁啓超の膨大な著作から三十あまりを収録している。中でも印象深かったものについて、以下で少々語っていこう。
「自序・女学について」
梁啓超初期の教育論。女子教育の重要性を訴えている。中国古典を(半ば強引に)引き合いに出して、西洋の話をわかりやすく伝えようとしているのが特徴。翻訳で読んでも、後年の新文に比べ文体の古臭さを感じられる。教育の重要性についての主張は、今の日本にとってもかなり耳の痛い話なのでは。
「小説と政治の関係」
小説が大衆へ与える影響力の大きさを語ったもの。以前、平凡社の中国現代文学選集に収録されていた訳を読んだので、正確には再読になる。梁啓超は西洋の人々が小説を通して教養を得ていることを理由に、中国の小説改革を主張する。後の文学革命に通じる点も多く、その影響は計り知れない。
清末に活躍したジャーナリストは、結構な割合で小説執筆にも手を出している。後年、譴責小説と呼ばれたジャンルで、多くは中国の腐敗や改革を声高に訴えた作品を指す。が、中には作者の主張ばかりが先行して殆ど小説の体を成していないものすらある。物語の力を借りた運動文章の印象が強い。
梁啓超自身もこうした風潮に触発されてか「新中国未来記」という作品を書いているが、未完で挫折。あんまりこの分野への才能と熱意は無かったようだ。
「追悼」
梁啓超が亡き妻へのために書いた追悼文。彼の妻は新式の学問や教育に対してとても理解のある人物だったようだ。以前「馮友蘭自伝」を読んだ時も思ったことだけど、清末の段階で進歩的な思想を獲得していた女性が相当にいたんじゃないかと思う。若くして妻に先立たれてしまった悲しみを述べるところは「浮生六記」を彷彿とさせた。
文庫サイズでこれだけのものが手に入るのはとってもお得。近代中国に興味のある方は是非読むべし。