一江春水向東流

1947年の大陸映画。製作は昆仑影业公司。

日中戦争期を舞台に、離散する一家の悲劇を描く。『八年離乱』『天亮前後』の二部からなり、三時間を超える大作。タイトルは南唐・李煜の詩「虞美人」からとったもの。ラストの二句が映画冒頭で高らかに歌われ、日中戦争における数え切れぬほどの悲しみを、尽きることがない河の流れに例えている。

あらすじ
上海の女工である若き女性・素芬は、夜間学校教師の張忠良と恋に落ち、めでたく結ばれて一子を授かる。しかしながら、日本軍の侵略で中国各地の平和は破られ始めていた。熱烈な愛国者である忠良は、家族を残して戦地に赴く。素芬は息子と忠良の母を連れ、故郷に疎開するが、そこにも日本軍が侵略してきた。忠良の父は、日本軍へ抵抗したために見せしめに殺され、素芬達も苦難の日々を送る。一方、忠良も戦地で日本軍の捕虜となっていた。何とか逃亡に成功し、重慶にたどり着いた彼は、知人の富豪である王麗珍のもとへ身を寄せる。だが、そこには戦時下とは思えぬほどの豪奢な暮らしが待っていた。家族も地位も失い絶望していた忠良は、贅沢な生活の中で堕落し始める。やがて月日が過ぎ、戦争は終わった。必死に忠良の帰りを待ち続けていた素芬は、生活苦のため王麗珍の従姉・何文艶の家でメイドとして働いていたが、ある晩変わり果てた夫と再会し絶望。息子を残して自殺してしまうのだった。

日本との戦争が終わり、自由な映画製作が期待されたのもつかの間、中国映画業界は内戦の影響で国民党派と共産党派に分かれてしまい、再び両党の宣伝媒体としての役割を担わされることになった。本作を制作した「昆仑影业公司」は、もともと一九三〇年代に上海映画界を牽引していた「联华影业公司」が再編成された会社であり、左傾寄りだった作風も受け継がれている。本作における、戦時下で堕落した生活を送るブルジョア層の描写は(戦時中の重慶は国民党の支配地域でもあったので、表現としてはかなり露骨だったりする)、当時の国民党に対する批判が込められている。

もっとも、こうした制作事情を抜きにして本作がヒットしたのは、庶民の戦争体験をリアルに描いていたからではないかと思う。理想を掲げて参加した抗日運動も国の英雄を生むような華々しいものではなかったし、戦争の勝利も結局人々の生活に幸せをもたらしてはくれなかった。戦時下では貧困、離別、命の危機が常に近くに存在し、結局それに抗う力も術も無い。そうした庶民の現実をストレートに描くことが、大勢の観客の共感に繋がったのは間違いない。「貞淑な夫人が夫の帰りを待ち続け、いざ再会したら夫は堕落して別人になり果てていた」というストーリーも、昔からある悲劇系の破鏡ものや才子佳人ものに近く、すんなり入っていきやすい。これもまたヒットの一因ではないか。

中国映画業界は後に共産党が制圧し、数々の抗日作品を作っていくが、どれも「人民の勝利」や「クリーン過ぎる八路軍」という理想像ばかりを描いて、現実との乖離が酷くなる一方だった(おまけに映像技術レベルも低下した)。それに比べると、本作は地に足着いた作風で現代人の鑑賞にも十分耐えうる出来栄えではないかと思う。映画技術も三〇年代からより進歩しており、共産党が介入するまでの上海映画界は技術・物語ともに一つの頂点だったように思う。

古い作品だが、中国映画史においても重要な一作だし、興味があるなら是非観賞を勧めたい。

登場人物

素芬

主人公。女工として働き、夜間学校で学んでいた。張忠良と結婚し家庭を築くも、日中戦争により一家は離散、数々の苦難に遭う。色々可哀想すぎて見ていられない。演じる白楊は1940年代における四大女優の一角。

張忠良

素芬の夫。夜間学校の教師。当初はちょっと度が過ぎるくらいの熱心な愛国者で、日中戦争にも勇んで参戦。が、死体に扮して日本軍を欺いたり、捕虜になって強制労働させられたり、散々な目に遭って理想を打ち砕かれてしまう。そんなこともあってか、重慶で麗珍のもとに身を寄せてから程なく堕落。最終的には再会した素芬と麗珍の間で板挟みになる。愛国青年なんて実際はこういうもんだろうな、という事実を観客に突きつけるような存在。

王麗珍

重慶の富豪。戦争中に知り合った忠良がぼろぼろになって自分のもとへやってくると、彼を抗日の英雄として父の会社に迎え入れる。典型的なブルジョア悪人として、作中では日本兵士並みに悪く描かれている。

百度リンク

https://zh.wikipedia.org/wiki/一江春水向东流_(1947年电影)