金陵十二釵考察、三人目はミステリアスな情の人・秦可卿です。かなり長くなったので、記事も二つに分けることにしました。
劇中の経歴
寧国邸・賈蓉の妻。容貌人格人並みはずれており、最高権力者である史太君をはじめ、家中の誰からも愛される存在だった。第十三回で若くして死亡。しかしその後も魂は現世に留まり、時折賈家の人々の前に姿を現す。
その人物像
金陵十二釵の一人ながら、恐らく初読では殆ど読者の印象に残らないであろうキャラ。何せ大した出番も無いまま、序盤の第十三回で亡くなってしまう(紅楼夢は全百二十回である)。なんだ、大して重要な人物じゃないんだね、はいおしまい!
…などと思うのは早計である。この秦可卿、紅楼夢の中でもトップクラスにミステリアスなキャラであり、その謎もちょっと深く調べれば余裕で研究本が一冊書けてしまうほど。著名な紅楼夢研究者も度々彼女に言及している。紅迷を名乗るなら、彼女について語ることは恐らく避けて通れない道だろう。そんなわけで、今回は文章もやたら長いが、どうか気長におつきあい願いたい。
とりあえず、その謎にあたる前に、彼女の数少ない出番について解説しておこう。
第五回 会芳園における花見の最中、退屈していた賈宝玉の子守を引き受け、自室で休ませる。その際、宝玉は夢の中で太虚幻境を訪れ、警幻仙姑の引き合わせで秦可卿と同じ名前の「可卿」と初めての性体験をする。
第七回 寧国邸へ遊びに来た宝玉・王熙鳳を接待する。そして弟の秦鐘を宝玉に引き合わせる。
第十回 弟の秦鐘が塾へ通い始めたタイミングで病気にかかっている。
第十一回 王煕鳳が見舞いに来るも、既に生きる気力を半ば無くしていた。
第十三回 死亡。その際、宝玉は彼女の死を感じ取り吐血、煕鳳は彼女の霊と出会い、賈家存続のためのアドバイスを授けられる。
その他、第百一回、第百十一回に幽霊として終盤に登場。百一回では、すっかり落ちぶれてしまった 家の内情について煕鳳をなじり、百十回では主人の史太君を失った鴛鴦に、ジェスチャーで自殺を促し、太虚幻境へ導いている。
さて、では彼女にまつわる最大の謎から語っていこう。それは彼女の死について。
普通に本編を読んでいると、秦可卿は病気が悪化して亡くなったように見える。しかし第十三回を詳しくあたれば、周辺人物のおかしな描写に気がつくはずだ。
第一に、可卿の死を一番嘆いているのは夫の賈蓉ではなく、舅の賈珍である。彼は嫁のことを過剰に褒めたたえ、何が何でも壮大な葬儀をしなければならないと主張する。夫ならともかく、なんで舅がここまで騒いでいるのだろうか?
第二に、葬式中に家のことを仕切らなければならない尤氏が、突然病気を理由に引きこもってしまう。ちなみに、尤氏は前の十一回ではぴんぴんしている。
第三に、可卿の侍女・宝珠と瑞珠が謎の行動を起こす。瑞珠は柱に頭をぶつけて自殺、もう一人の宝珠が可卿の義理の娘になりたいと言い出す。普通、主人が亡くなってもこんなことはやらない。本編を見ても、主人の死に殉じたのは鴛鴦くらいである。
そして周囲の人々も、可卿が突然死んだことに疑問を持っている。
このあやふやな描写の数々は、可卿の死に裏があることを示している。では、可卿はどのように亡くなったのか?
答えは第五回にある。宝玉が夢で迷い込んだ太虚幻境では、金陵十二釵全員の最期が詩で残されていた。そこにおける可卿の末路はなんと「首吊り自殺」である。
すると次なる疑問がわくだろう。どうして自殺なんかしなければならなかったのか。そのヒントは第七回にある。
寧国邸へ遊びによった帰りのこと。宝玉と煕鳳は馬車の外で、古株の使用人・焦大が市井の言葉で「舅と息子の嫁が通じている」と喚くのを耳にしている。そう、これが他ならぬ珍と可卿のことなのである。二人は許されぬ関係を築いていたのだ。可卿を可愛がっていた珍は、それゆえに彼女の死を嘆き悲しみ、また尤氏は醜聞を恐れて葬儀の時に表へ顔を出さなかったのだ。
では、二人の侍女の行動は何故か? もともと不倫をしていた可卿が、自殺まで起こすきっかけがあるとすれば、それは「不倫がばれた」時に他ならない。そう、不倫の現場を侍女達が目撃したのだ。知ってはならない秘密を知った以上、どんな災難が自分の身へ降ってくるかわからない。奴隷身分の人間なんて、主人の意向一つであっさり運命が決まってしまう。ゆえに片方の瑞珠は自殺した。もう一人の宝珠は義理の娘になり、葬儀の後も可卿の棺に付き添い、二度と寧国邸へ戻らなかった。娘分になるというのは、あくまで身を守るための口実だったわけだ。
さて、何故秦可卿の死はこうもへんてこな描き方をされてしまったのか。紅楼夢という作品は、作者である曹雪芹の家庭や半生がモチーフになっている。多くの人物にはモデルがあり、物語も実際に身の回りで起きた出来事が作品へと反映されている。「舅と息子の嫁が密通してました!」なんて醜聞をそのまま作品に書いたら、いくら創作といえど身内が黙ってはいない。現代の小説でも、有名人の実際の人生をネタにした結果、遺族からクレームが来た、なんてのはよく聞く話である。まして当時はお上の検閲も厳しい封建社会、へたなことを書いたら作品は禁書、作者は投獄されてしまう時代だ。それらの事情により、第十三回は大幅に加筆修正されたという説が有力である。ちなみに現行本の題は「秦可卿死封龙禁尉」だが、元の題は「秦可卿淫丧天香楼」とされている。この天香楼こそ、可卿と珍が密通した現場であり、さらには自殺に使った場所である。また現行本に出てくる龙禁尉は役人の肩書で、本編でこれを受けたのは可卿ではなく夫の蓉であり、実はタイトル自体がおかしなことになってしまっている。無理矢理内容をいじったせいでこうなってしまったのだろうか。
もっとも、加筆修正されたとはいえ、あえてもとのままに残した部分も多く、聡明な読者なら可卿がどのようにして亡くなったのか、ある程度理解出来るようになっているのだ。
というわけで、最大の謎について語ったところで考察はオシマイ……とはならない。まだまだ色んな謎があるのだ。
長くなり過ぎたので、それは次回に譲るとしよう。