中国古典四大名著攻略法

中国古典小説で最も有名な四大名著「紅楼夢」「三国志演義」「水滸伝」「西遊記」。
中国文学を学ぶなら是非読破を勧めたい作品だが、何せ四つとも非常に長く、古典特有のとっつきにくさもあるため、ハードルの高さを感じる人も少なくないはず。
まあ基本的には面白そうだな、と思ったものから手を出していけばいいのだけれど、最初にどれを読めばいいか悩んでいる、という方には次の順番を推したい。

1、三国志演義 or 西遊記
2 水滸伝
3 紅楼夢

である。まず演義と西遊記を勧めるのは、何といっても四作の中で比較的読みやすいから。この二作は導入がわかりやすく、ストーリーが一本道で、物語のテーマも明快、また時代も漢・唐と日本人が触れる中国史の中ではメジャーな部類の時代である。そして日本における作品の知名度も高く、解説本も多々出ている。以上の点から、初心者でもとっつきやすい。もし、長くてちょっと……という方はさらにハードルを下げ、抄訳から手を出してみるのもいいだろう。ただし、その後も水滸伝や紅楼夢にチャレンジするつもりなら、抄訳で終わらせず完訳本も読んでおくべし。章回長編小説の長さに慣れておかないと、紅楼夢あたりを読んだ時きつくなる。
強いて演義と西遊記の間で比べるなら、西遊記がより読みやすいと思う。演義は登場人物が多く、魏・呉・蜀の三国のお話が入れ替わる形で進むので。
で、一番重要な点は、この二作を先に読んでおくと、水滸伝と紅楼夢を読む楽しさが大きく増すことだ。というのも、この二作には西遊記や三国志演義のネタ・故事が沢山出てくるため。水滸伝でいえば豪傑のあだ名が三国志の武将由来だったり、紅楼夢でいえば作中に登場するヒロイン達のウィットな会話に西遊記や演義の引用があったりする。

次の水滸伝になると、やや難易度があがる。豪傑達の群像劇ということで、主要人物が次々と入れ替わり、話の雰囲気もがらりと変わる。時代も北宋と、日本で扱われる中国史のメジャーどころからは一段遠ざかる。前置きに長ったらしい百八星誕生秘話までついてくる。ただ、先に演義を読んでおくとこのあたりはスムーズに受け入れられるはず。
水滸伝は、アウトローすぎる豪傑達の残虐行動が見ていられない、敵対しまくっていた朝廷に帰順する流れはおかしい、といった声を時々聞くが、これは当時の中国における「義」と「忠」の概念に対する理解の問題だと思う。まあ要するに現代人の倫理観や時代感覚で読んだらわけがわからないし、つまらなくなる。演義や西遊記を土台に、これは「中国の古典小説なのだ」という意識を頭の片隅に入れて読めるようになっていれば、水滸伝も非常に楽しめる。
日本では百回本と百二十回本が主流の訳だが、私は百二十回本をおすすめする。改編が行われた経歴なども解説含んで読めば、中国小説の出版事情がある程度理解出来、さらに多くの中国小説を読むうえでとても参考になる。

そして最後の紅楼夢。序盤の前置きがヒジョーに退屈、膨大な登場人物、ファンタジー要素含めた設定の数々、故事の引用の多さ、未完ゆえの謎の多さ、などからとにかく読みにくい。マジで副読本の類が必要なレベルだと思う。最初にドラマなんかを見て、紅楼夢の流れをある程度知ってます、というレベルならともかく、何も予備知識無しで挑むと確実にやられる。ちなみに私も四回くらい挫折してたりします。今はもう紅楼夢無しじゃ生きられないけど。
とはいえ、先に三名著を読んでおけば、章回小説のルールも踏襲されているし、作中の故事もそれとなく理解出来るし、話についていくことは十分出来る。
紅楼夢の楽しさは、いわゆる中国文化が持つユニークさにある。即ち、面子の立て方だったり、家庭の様々な作法だったり、封建社会の矛盾だったり、そこかしこに漂う中国の匂いがとても面白いのだ。逆にそれが読みにくさにも繋がっている。また、先の三名著はいわゆる通俗小説である。いつの時代、どこの国の人々でも楽しめるエンタメの基本が詰まっている。しかし紅楼夢は金瓶梅や儒林外史のように、作者が大衆向けの読み物としてでは無く、自分自身の主張のため作り上げた個人的な作品――いわゆる文学のカテゴリーになる。面白さの質やコンセプトが全く異なることも、事前知識として持っていた方がいい。

四大名著を読破すれば、どんな中国古典小説でもすんなり読めると思う。
もっと中国小説沼につかりたいという方は、四名著の後は、金瓶梅、儒林外史といった六大奇書に類する作品や、有名どころの戯曲(西廂記、長生殿)、短編小説(三言二拍、聊斎志異)などがオススメだ。それらを一通り終えたら、再度四名著を読んでみるといい。一回目より二倍も三倍も楽しくなっている。特に紅楼夢は中国古典に精通するほど楽しさが増していく。他にもエンタメ作品でいえば封神演義や三侠五義などの傑作もあるし、未翻訳の古典小説も大量に存在する(まぁ、翻訳されていない理由の半分は単純につまらないものが多いから、でもあるけれど)。
まあつまり、中国古典小説にはまれば一生楽しめます。ということで。