金庸小説「射鵰英雄伝」には、卓越した武術を誇る五大達人がキーキャラクターとして登場する。
すなわち
東邪・黄薬師
西毒・欧陽鋒
南帝・段智興
北丐・洪七公
中神通・王重陽
の五人である。彼らは華山論剣で優劣を競い、その結果王重陽を第一位と認め、残り四人は横並びの実力とされた。
しかし、本編を読んでいると、東邪西毒南帝北丐の実力は、必ずしも互角ではないように見える。エンタメにつきものな強さ議論なので、確定的な結論にはならないと思うけれど、以下考察していきたい。
1,五絶の相性
実は五人の間には相性が存在していることが、本編でも言及されている。
・燕京で丘処機が欧陽克と戦った際、全真教武功が西毒一派の武功に対し相性が悪いと明らかにされた。
・洪七公の「南の金は西の火を征す」という台詞。南帝の武功は西毒に対して有利。
特に興味深いのが二番目だ。五絶の相性は、どうやら五行思想に基づいているらしい。まず、五人の方位を五行に当てはめてみよう。
東邪・黄薬師→ 木
西毒・欧陽鋒→ 金
南帝・段智興→ 火
北丐・洪七公→ 水
中神通・王重陽→ 土
となる。七公の台詞は五行の相剋に準じたものだと思われるので、これにより各人の相性が見えてくるはずだ。
当てはめてみると下記の通りになる。
木剋土(木は土に強い)黄薬師>王重陽
土剋水(土は水に強い)王重陽>洪七公
水剋火(水は火に強い)洪七公>段智興
火剋金(火は金に強い)段智興>欧陽鋒
金剋木(金は木に強い)欧陽鋒>黄薬師
うーむ、なんとも微妙である。火剋金を除くと、どれも本編に反映されているようには見えない。せいぜい土剋水だろうか。周伯通は、七公の外家武功には極めるのに限度があるが、内家武功には限界が無いと評し、柔が剛を制するとの理論を展開している。もっとも、修行の浅さ深さで相性は覆るとも言っている。所詮、相性は相性でしかない、といったところか。
ちなみに金(西毒一派)と土(全真教)は相生の関係にある。金は土から生まれる。つまり、土が強くなれば金も強さを増す。言い換えれば、確かに戦いにくい相手かもしれない。こちらにも五絶の関係を当ててみよう。
木生火(木は火を生み出す)黄薬師<段智興
火生土(火は土を生み出す)段智興<王重陽
土生金(土は金を生み出す)王重陽<欧陽鋒
金生水(金は水を生み出す)欧陽鋒<洪七公
水生木(水は木を生み出す)洪七公<黄薬師
いかがだろう。土生金を除くと、相剋と同様微妙な感じ。こじつければ、ある程度は物語にも反映されているところはある。段智興は一陽指を王重陽に伝え、欧陽鋒を一撃で打ち破るほどにその力を強めている。また、優劣とは別だが、洪七公と欧陽鋒がライバル関係なのは相反する水と火の性質によるものだろう。こうしてみると、金庸先生はめちゃくちゃ考えて物語を書いていたのかも。スゴイ。
とりあえず、相性はあくまで相性、といったところでしかないようだ。
2,九陰神経の存在
華山論剣の引き金となったのは、武術の奥義書「九陰真経」の存在である。本編でも、五絶はこれを手にするべく争っており、実際に習得まで至った者もいる。
この争いに関連する形で、王重陽亡き後残った四人の間には明らかに優劣が生まれているように思われる。
まずは段智興。王重陽が亡くなる前に、一陽指と交換する形で先天功の奥義を伝授している。これは自分の死後、欧陽鋒を抑えてもらうためだった。洪七公は「次の華山論剣では二大奥義を取得した段智興が断然有利である」と述べている。
ここで先程の相性関係を持ち出すのだが、水剋火により洪七公は段智興に対して優位である。その七公が認めるほどの強さなのだから、段智興と相性の悪い欧陽鋒はもとより、黄薬師も勝つのは難しいのではないか。また、欧陽鋒は華山論剣後に王重陽との一戦で武功を消失している。
なので、王重陽死亡直後の四人は、段智興>洪七公・黄薬師>欧陽鋒である可能性が高い。
さて、二度目の番狂わせが生じるのが射鵰の本編。即ち郭靖が十八歳の時点だ。ここで四人のうち三人が、郭精を通じて九陰真経をそれぞれの形で習得する。
まずは洪七公。郭精・黄蓉の二人へ伝授を手伝う形で、自身も真経の奥義を多数目にする。恐らく、真経の内容を四大達人の中で一番深く知ったのは七公だろう。人に教えるということは、自分もまた結果としてその内容を学ぶわけである。九陰真経に触れたことで、七公の武学は大きく深まったに違いない。また、梵語部分の内功回復法を用い、殆ど廃人同然だった状態から復活。といっても、終盤の華山論剣まで武功が完全に戻っておらず、その真価を発揮出来たのは次作「神鵰侠呂」における欧陽鋒との対決だった。
次に段智興。真経の梵語部分を解読して郭精達に伝え、自身も損なった内功を回復している。本編ではあっさり流されたが、これは結構凄いことだ。というのも、黄蓉を治療するため一陽指と先天功を同時に使用した場合、内功が大きく失われ本復には五年もかかるのである。それがたった数ヶ月で治ってしまったのだから、九陰真経の効果のすさまじさがよくわかる。当人は既に天下第一を争う気を無くしていたが、もし戦えば第二回華山論剣の優勝候補筆頭は、三大奥義をものにした南帝だったのではなかろうか。
そして欧陽鋒。偽物ではあるが九陰真経を習得し、デタラメな強さを得て、洪七公・黄薬師を華山論剣で打ち破る。しかし頭の壊れた暴走状態であり、これを正当な強さと認めていいものかは疑問。とはいえ、それでも修行を続けた結果成果は実り、神鵰では正当な九陰真経を習得した七公と互角に戦っている。
というわけで、黄薬師以外の三人は、九陰真経によるパワーアップを果たしている。黄薬師も早くから九陰真経の下巻を周伯通から手に入れていたのだが、上巻無しでは害になると考え、中身を見ていなかった。洪七公らと異なって機会にも恵まれず、結局射鵰本編では九陰真経を学べずに終わっている。一応、妻が残した書きかけの下巻を桃花島の婿取り合戦で郭靖達に暗唱させているが、何分未完成品なので、黄薬師もこれで修行は出来なかっただろう。郭靖が本物の下巻を暗唱した時も、亡き妻が霊験をあらわしたのか!と勘違いな感動に浸ってて、中身を吟味するような状況でも無かったし。
その後、郭靖が婿入りしたので、彼に頼めばいくらでも真経の修行は出来ただろうが、そこはプライドの高い黄薬師のこと「いくら婿とはいえ天才のワシが頭など下げられるか!」な心境だったに違いない。そんなわけで島が賑やかになるなり、自分は一人でさっさと旅立ってしまう。が、本心では他の四大達人との間に生まれた差をどうしてくれようか、と考えてたのでは。
以上のことから、第二回華山論剣時点では、四人の実力はある程度順位付けが出来るように思う。
段智興>欧陽鋒(暴走状態)>洪七公(ただし武功が完全に回復していた場合)>黄薬師・欧陽鋒(未暴走状態)
な感じではなかろうか。黄薬師は真経に触れなかったとはいえ、不世出の天才である。全真教の奥義・北斗陣の弱点を、たった一度やり合っただけで見抜くほどなのだ。他の三人が九陰真経で優位を占めても、その差を埋めるべく何かしらの修行を積んだことだろう。神鵰でも彼だけが劣っているような描写はされていない。
一方、トップについた段智興は、本人が武功天下一を競うつもりが無く、世捨て人にまでなっているので、修行のモチベーションも大きく落ちたと思われる。他三人との差は射鵰時点より縮まっている可能性が高い。もっとも、金庸江湖では出家人として俗世に拘らなくなるほど武功が強くなっている例もあるので、何ともいえないが。
その点、暴走を繰り返しながらも偽物の真経で修行を続けて成果を得た欧陽鋒、正しい真経に広く触れてその後も武芸者として生き続けた洪七公は、伸び率が高いのではないだろうか。なので、射鵰英雄伝から十数年後の神鵰時点では、
欧陽鋒・洪七公>段智興・黄薬師
くらいになっていたと予想する。
九陰真経に触れたことによる武功の伸び率については、やはり周伯通や郭靖がよい参考例だろう。真経をほぼ完全に学んだ周伯通は、四大達人が一歩譲るほどの腕前に達している。となれば、真経をより深く学んでいる方が、四大達人の中でも上位に来ると考えていいのではないかと思われる。