勝手に選ぶ中国古典小説の名言集

世間には中国古典の名言集なるものが出回っていますが、その出典は大体論語などの経書か、史書に出てくる偉人の言葉か、菜根譚などの処世訓だったりで、小説類から名言を紹介したものはあまり見かけません。というわけで、中国古典小説からコレ!といった名台詞を抜き出してご紹介。
完全に私の好みで選んでますので、どこが名台詞やねん、というものも混じるかもしれませんがご容赦を。

・我为的是我的心 
――私は自分の心に正直でいたいの。「紅楼夢」より林黛玉

第二十回より。中国古典小説における永遠のヒロイン、林黛玉の台詞。現代よりもずっと女性が生きにくかった男尊女卑社会の中で、それでも自分自身を貫いて生きようとする黛玉のスタンスが全面に出ている言葉だと思う。だからこそ、彼女はしょっちゅう周囲と軋轢を起こし、想い人である賈宝玉とも喧嘩を繰り返してしまうのだけど…。この台詞に続く宝玉の思いやりあるフォローも含めて好き。
黛玉は名言製造機なので、今後も色々紹介していきたいと思ってます。

・生時伏侍哥哥,死了也只是哥哥部下一個小鬼!
――生きている時も兄貴に従い、死んでも兄貴の下で一匹の幽霊になるまでだよ。 「水滸伝」より李逵

最終回より。朝廷の陰謀で死を賜った宋江は、血気盛んな弟分の李逵が反乱を起こし、これまで打ち立てた功績を台無しにするのではと考え、李逵を騙して毒酒を飲ませる。しかし李逵は宋江の意図をくみ取り、来世でも彼に仕えることを誓う。まさに男の友情の極致。恨み言一つ口にしない李逵がたまらない。この一連の場面は読んでいて毎回泣いてしまう。中国古典小説で一番好きな台詞。

・我这段姻缘还落在他手里 ――私の夫婦の縁は、やっぱり彼のもとへ行きつくことになっていたのね。「金瓶梅」より藩金蓮
第八十七回より。平たく訳せば「私はこの人と結ばれる運命だったんだわ」になるけど、原文的にもっと粋な訳があってもいい気がする。
流刑から戻ってきた武松は、自分をはめた金蓮への復讐を画策(もう一人の仇であった西門慶は既に死んでいた)、西門家を追い出され寡になっていた彼女へ偽りの縁談を持ち掛ける。武松が自分を娶るつもりだと知り、無邪気に喜んでいたのが上記の独白。金蓮は悪女だけれど、愛情絡みになると結構裏表がない性格だったりする。そんなところが憎めない。結果的に、武松の心中を見抜けなかったことが、悲惨な最期へ繋がってしまう。

・我是我 ――あたしはあたしよ。 「児女英雄伝」より十三妹
古典武侠小説「児女英雄伝」のヒロイン、十三妹の台詞。賊に「てめえは誰だ?」と尋ねられた時の返答がコレ。何というか、まるで答えになってない。
彼女の本名は何玉鳳といい、十三妹というのは仇討ちのため使っている偽名に過ぎない。彼女自身の本当の姿ではないから、こんな名乗り方をしているのか、あるいは侠客によくある「お前に名乗る名前はない」ということなのか、妙に考えさせられる台詞で、印象に残る。

・凡你我俠義作事,不聲張,總要機密。能彀隱諱,寧可不露本來面目。只要剪惡除強,扶危濟困就是了,又何必諄諄叫人知道呢。
――我ら義侠を行う者は、それを言い触らしたりせず、機密を守らねばなりません。隠すことが出来るなら、むしろ自分の正体も現さない方が良い。ただ悪を懲らしめ、苦しむ人々を救えればいいので、どうしてそれを人に知らせる必要があるでしょうか。 「三侠五義」より 欧陽春

中盤から登場する最強クラスの侠客、欧陽春が丁兆蘭を諭した時の台詞。義侠の精神の何たるかを的確に表現している。当時のみならず、現代でも普通に通用するカッコよさ。欧陽春は武術がずば抜けているのみならず、こういう頭の良さとか人格面も完璧だから隙が無い。
一応、侠客集団のリーダーであるはずの展昭がイマイチ輝けないのは、この欧陽春みたいな名台詞が無いせいではなかろうか、とも思ったりする。

今回はこんなところで。三国志演義でも好きな台詞が沢山ある(華雄の「割鶏牛刀」とか曹操の「鶏肋じゃっ!」とか)のですが、大体が史書や経書からの出典だったりするので、あえて小説名言として紹介するものではないかな、と考え今回は見送りました。次回は戯曲などからもチョイスしてみようかと思ってます。

死水微瀾

李劼人の長編小説にして代表作。
四川省を舞台に、清朝末期~辛亥革命を描いた三部作「死水微瀾」「暴風雨前」「大波」の一作目にあたる。

本作では、清末四川における民衆の姿を通して、政府の腐敗や、西洋人に対する様々な反応、革命の先触れなどを描いている。富裕層と貧困層、都市部と農村部、どちらにも属さない結社のやくざ者と、登場人物の階層が明確に分けられており、その格差が物語のキーにもなっている。

日本ではあまり触れられないが、辛亥革命の発生には四川一帯の事件が大きく関わっている。このあたりは以前レビューした郭沫若の「辛亥革命前夜」に詳しい。その革命前の社会状況をリアルに描いたのが本作というわけ。

阿片戦争から五十年が過ぎ、既に列強の強さを思い知っていた中国政府は、ひたすら彼らに弱腰。特に役所では、西洋人が事件に関わると過剰反応し、民衆を片っ端から逮捕する、法をねじ曲げる、事件をなあなあにして上に報告するなど、保身のためになりふり構わぬ行いを繰り返す。庶民からすればたまったものではないが、そんな庶民側も、西洋人の威信を利用するためにキリスト教へ改宗する、したたか者が現れたりする。
また一方では、西洋人の横暴に耐えかね、彼らを追い出そうとする勢力もいる。彼らは教会を襲撃したり、はるか北京における義和団の活躍に一喜一憂したりする。
もちろん、西洋人への感情はそうした恐怖や怒りだけに留まらない。富裕層などは、彼らの進んだ技術に興味を示し、積極的に自分たちの生活へ取り入れていく。ランプだったり、衣服だったり、レコードだったり、先進文化に対する素直な驚きや、理解できない技術へのとんちんかんな反応は読んでいて面白い。それほど興味を持っている割に、真に理解すべき国際情勢についてはまるで無頓着、西洋の国名や地理をまるでわかっていないのは序の口で、国内で起きている侵略事件についても他人事。この頃の中国ではもう新聞の発行が始まっていたが、まだまだメディアが発達していない時期だけに、遠く北京の出来事はやたらねじまがった形で四川に伝わってくる。義和団や紅燈照に関する深刻なニュースも、富裕層一家にとってはお茶の間を盛り上げるネタでしかない。
こうした社会のデタラメさに影響を受け、まともな人々もおかしくなっていく。雑貨屋の貞淑な夫人だった蔡大嫂が、贅沢や不倫や権威の利用など、色んな悪徳に塗れていく描写は見事に尽きる。

そのほか、当時の四川の生活風俗(婚礼、地理、料理、祭事、言語などなど)に関する描写も非常に詳しく、色々勉強になる。

哪吒鈎沈

同人サークル「中壇元帥進香団・日本支部」より1999年に刊行された同人誌。タイトル通り、中国における少年神・哪吒について特集した作品。神保町をほっつき歩いて偶然見つけたのだけれど、面白かったのでレビューさせていただく。二十年前の同人誌なので、当然ながら現在では入手困難。

内容は140頁とボリュームたっぷり。哪吒に関する解説は、小説や雑劇だけでなく民間信仰や経典など幅広い分野から紹介されていてとても参考になる。その他マニアックなネタ、グッズ、巡礼地、イラスト、コラム、さらに有名教授の寄稿(なんと「封神演義」の新訳を刊行した二階堂善弘先生だ!)まであり。
著者の水歌ななこさん曰く、当時はちょうど藤崎版「封神演義」の連載によるブームがあり、またインターネットを使った幅広い情報収集(当時はまだネット黎明期だからね)もあり、完成にこぎつけることが出来たのだとか。古い同人誌は製作経歴にも時代性が感じられるのが面白い。

目玉はやっぱり明雑劇の翻訳「二郎神酔射鎖魔鏡」だろう。抄訳とはいえこんなマイナータイトルを同人誌で掲載しているのは凄い。しかし後書きでも述べられているようにあんまり面白くはない(笑)。ストーリーは突っ込みどころだらけで設定もガバガバ。まあ雑劇や通俗小説にはよくある話だ。哪吒が登場する古い作品、という部分以外の価値はあんまりないように思う。

その他、当時日中合同で製作されたスーパー歌舞伎・京劇の「リュウオー」に関するコラムも見物。哪吒の作品が演目に選ばれた理由がとっても興味深い。中国古典には全然日本が登場しないし、歌舞伎の中国像はデタラメだし、でなかなか合同で作るのに相応しいタイトルが探せなかったのだとか。ていうかコレ見てえ! どっかのアーカイブとかに残ってないのかな。情報求む。

参考文献も凄く充実している。どうせ同人誌作るなら私もこんぐらい気合入れなくちゃなぁ…と学ばせていただきました。