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戦前の大衆作家・岡本綺堂による志怪小説の翻訳集。
六朝から清代に至るまで、有名な志怪小説集の中から岡本氏が幾つかの作品をピックアップして紹介している。
戦前の時代に、専門の研究者でもない作家がこうした翻訳集を出版していた事実に驚き。翻訳自体も癖がなく読みやすい。昔の日本人は漢文に関する素養が高かったというし、現代よりも気軽に中国の書物へ触れていたのだろう。当時の大衆小説にしても、その元ネタは中国小説に依拠していることが多く、両国の小説文化は非常に近しかったのだと感じる。
ひとくちに志怪小説といっても、時代を経てその実態は大きく変化している。初期の小説というのは、国家に関わること以外の出来事やあてにならない話を記録した野史であり、六朝時代の小説も総じて史書の趣がある。記述される内容も「どこで〇〇という出来事があった」という程度のもので、そこには殆ど物語性がない。それが唐代になってくると、作者が見聞きした話にちょっとした創意をつけ加え、物語としての小説が形作られていく。時代を経るにつれてその傾向は増していき、明清代になる頃には話のボリュームが増え、物語の中に訓話的な要素が入ったり、庶民受けしやすいテーマや設定が用いられるようになるなど、今日私達が読む小説に近いスタイルが完成していく。
本作は新旧含めた志怪小説を紹介しているので、こうした小説史の動きを味わえるのも特徴。各時代ごとに読み比べていくと、上で書いたように単なる記録が物語になっていった過程を堪能できるはず。ちなみに、小説文化が最高潮に達した清代で誕生した「聊斎志異」「子不語」「閲微草堂筆記」といった作品は、あえて六朝時代の志怪小説スタイルを意識して作られており、文章に文語を用いたり、物語的な要素をなるべく省いたりしている。翻訳で読んでも、作風が先祖返りしているのがよくわかるほど。まあ、本書はあくまで怪奇小説の紹介本なので、そこらへんの事情は気にせずとも存分に楽しめる。もし小説史や作品の詳細が気になった方は、是非研究書に触れてみよう。
本書では「捜神記」や「剪燈新話」のような有名どころ以外に「異聞総録」や「池北偶談」といったマイナーどころのタイトルも紹介されている。選定については、岡本氏が面白いと感じたものが選ばれているのだろうが、その面白さというのがなかなか曲者でもある。なにせ志怪小説は現存しているものだけでも相当な数があり、質も量も玉石混合。また先に述べたように、長い歴史の中で内容も変遷しているから、そもそも現代人の言う小説の体をなしていないものもある。ひとくちに面白いもの、といっても選ぶのはなかなか難しいのだ。実際本書でも、何でよりによってコレ選んだのか、という話があったりする。個人的には後代に書かれた作品の方が、きちんと物語になっていて面白い、とは思う。
最後の解説では、中国怪奇小説をモチーフにした日本作品についても軽く紹介されている。作中でも度々、この話は日本の〇〇という作品の元ネタになっています、といったことが言及されているので、なかなか参考になる。日中両国の古典小説の関わりを知りたい人は読んでみるといいかもしれない。それにしても、当時の日本人作家は中国古典からネタを拝借しすぎなのではないか。昨今では中国人の激しいパクリに難色を示す日本人もいるが、昔はまるきり逆だったようだ。時代を問わず、優れたものは真似される運命か。
また、本書の刊行にまつわるエピソードも興味深い。本書は小説家の三上於菟吉が興したサイレン社が支那怪奇小説集のタイトルで1935年に刊行し、サイレン社が潰れて三十年以上を経て旺文社で再版、さらに光文社へ移って文庫化を果たし、しぶとく生き延びてきたのだとか。さすがに名著というのは滅びないものだな、と実感させてくれる作品。