青史留名。あるいは名垂青史、青史傳名、青史標名とも。
いずれも「歴史に名を残す」といった意味である。青史というのは歴史・史書のこと。まだ中国に紙がなかった古い時代、青竹を火であぶったものに字を刻んでいたところに由来がある。殆どの場合、良い名を残す意味で使われる。
一見、フツーの成語じゃんと思いがちだが、この青史というワードは中国人にとってとても重いものがあると思う。中国は最も早くから文字を操り、記録を残してきた文明の一つだ。だから行いが記録として後世に残ることへの意識も強い。暴政の好例として延々後の時代にも取り上げられる始皇帝、奸臣として銅像が建てられ民衆に唾を吐き続けられる秦檜など、悪い名を残せばその報いも後世に響く。だから、清廉な文人や忠義軍人はおのずと「青史留名」を掲げるようになる。
この青史留名(正確には青史標名の方だが)の出典は元曲「昊天塔」だという。楊家将系列のお話である。似たような言葉はもっと古い期限まで遡れる。
ところで、最近よくツイッターでも呟く水滸伝の話になるんだけど、日本人読者にはこの物語のラストが煮え切らないバッドエンドだと考える人が少なくない。奸臣が退治されず、梁山泊も使い捨て同然に戦場をたらい回しにされ全滅するからだ。しかし、私はハッピーエンドだと思う。何故か。それは梁山泊が滅びはしたものの「青史留名」を達成したからだ。
日本人は(おそらくは北方水滸伝の影響で)どうも梁山泊の行動指針を「替天行道」に捉えがちだが、その本質は「青史留名」の方だ。宋江は第七十一回で言う「同心報国,青史傳名,有何不美」と。
何故、宋江は自由な梁山泊の暮らしを捨ててまで帰順を選択したのか。賊のままだって「替天行道」出来るかもしれないが、賊は所詮賊としての名前しか残らない。田虎や王慶、方臘と同じだ。それでは「青史留名」にならない。忠義の士として戦い、死んでこそ「青史留名」になる。何故、李逵を道連れにしてまで忠義を全うようとしたのか。奸臣の手にかかっても反逆者にならないことが「青史留名」の達成になるからだ。
私がいろんな記事で引き合いに出すのでまたかと思われるかもしれないが、楊業や岳飛や史可法など、腐敗した朝廷や奸臣のせいで倒れていった英雄達は、単なる忠義馬鹿なのだろうか。そうではない。彼らがどんな妨害を受け、また戦局が不利に傾いても戦い抜いたのは「青史留名」がモチベーションだからに他ならない。自分の正しい行いや忠義の精神は、後世の人々が必ず記録に残してくれる。そういう確信や意識があるからだ。
水滸伝のラストは、梁山泊が忠良の英雄として死んだことを伝えられて終わる。梁山泊は田虎、王慶、方臘のようにはならなかった。宋江は無能で欠点だらけのおっさんだけれども、賊の汚名を着て死ぬかもしれなかった仲間達を「青史留名」に導いた。そのロマンこそが水滸伝で描かれているものだと思う。