金庸徹底考察 ヒロイン編 「射鵰英雄伝」より黄蓉

金庸小説「射鵰英雄伝」のメインヒロイン。
頭脳明晰、優れた美貌、邪気のある性格が特徴的な、ファンからも人気の高いキャラクター。
主人公の郭靖についてはこちら。

劇中の活躍
射鵰英雄伝
天下五大武術家の一人・黄薬師の娘。父と喧嘩して桃花島の家を飛び出し、乞食の格好をして放浪していたところ、張家口で郭靖と出会う。互いに意気投合し、何より貧乏な身なりでも優しくしてくれる彼に感動、一生をともにすることを誓う。再会した燕京では男装をといて本当の姿を見せた。
郭靖の周囲にいる江南七怪や全真教長老からは、邪な黄薬師の娘として警戒されるが、郭靖は彼らの反対を押し切って黄蓉と一緒にいることを選び、以降は二人で様々な冒険を繰り広げた。道中では常にイニシアチブをとり、優れた頭脳を活かして郭靖をサポート。また北丐・洪七公に弟子入りし、後には彼の意志を継いで丐幇の幇主に就任した。西毒・欧陽鋒からの縁談や、郭靖の許嫁であるコジンの出現、陰謀によって黄薬師が江南七怪を殺害した犯人だと疑われる、などの障害を乗り越え、郭靖と結婚を果たす。

神雕剣侠
前作から十年ほど経過し、江湖でも広く知られた女侠に。郭靖との間に娘の郭芙を産むが、甘やかしたのが原因でわがままに育ってしまう。江南を訪れた際に、郭靖の義弟・楊康の忘れ形見である楊過を桃花島へ連れて帰るが、楊康を嫌っていた黄蓉は彼に冷たくあたった。
さらに数年後、蒙古の宋侵略が激化したため郭靖と共に江湖の英雄を集めて立ち向かう。この時、新たに子供を身ごもっており、そのせいで満足に戦えないことも多かった。わがままで周囲に多大な被害をもたらす郭芙や、郭靖を仇と誤解して付け狙う楊過に悩まされた。
十六年後も襄陽で夫と共に戦い続けていた。年頃の娘に成長した次女・郭襄が楊過に惹かれていくのを見て警戒するが、最後には和解。
モンゴル軍を退けた後、華山にて新たな五絶の命名に加わった。

倚天屠龍記
直接の出番は無いが、冒頭にて楊過との再会を望む郭襄を家から送り出す。
モンゴルの侵攻で襄陽が陥落した際、夫と共に死亡したことが語られた。しかし屠龍刀と倚天剣に軍略と武芸の奥義を残し、後の世代へ希望を託した。

人物
金庸作品における人気ヒロインの一角。
愚鈍で決してイケメンとはいえない郭靖と、聡明な美少女である黄蓉のカップリングは、一見日本のラノベにあるようなミスマッチを感じるが、作中では二人が惹かれ合う下地もちゃんとつくられている。
第一に、二人は同じ江南出身である。郭靖は蒙古育ちだが、母や師匠も江南生まれで言葉もその訛りがある。黄蓉も絶海の孤島育ちながら根っからの江南人。(なんか他の記事とかでも散々書いてるけど)中国では初めて会った相手を判断する基準として、同郷であることの意味がとても大きい。国土は広くて文化や言語があっちこっちで違うし、そもそも中国人はあんまり他人を簡単に信用しない。古典小説の登場人物などがしばしば「自分はどこどこ出身の◯◯です」と言った名乗り方をするが、これは互いがどんな人間かを確認する最初のステップなのだ。
そして二人が出会った場所も重要なポイント。そう、北の張家口。蒙古から出てきた郭靖にとっても、家出をしてきた黄蓉にとっても異郷の地だ。そこで故郷の言葉が通じる相手に会った、というのはとても安心出来ることだと思う。郭靖の誠実さが独りぼっちで旅していた黄蓉の心の隙間へクリーンヒットしたのも重要だけれど、実は出会った時点で二人が親密になるための土台が結構出来ていた、というわけ。
また、郭靖と黄蓉は作中、常に一緒に行動していてあまり離れることがない。そんなの当たり前だろと思われるかもしれないが、実は金庸作品のメインヒロインは大抵登場が遅かったり(任盈盈、趙敏など)、周囲で起こる事件のせいで全然一緒にいられなかったり(小龍女、天龍八武の諸ヒロイン、戚芳、阿繍など)といったことが多く、むしろ郭靖と黄蓉のようなパターンは少ない。終盤においても、黄蓉は姿こそ見せなかったが常に郭靖のそばにいてサマルカンド遠征を手伝っていた。まあ、おバカな郭靖を一人にするとあっさり死んでしまう状況が多かったので、黄蓉が離れなかったのは作劇上の都合も大きいけど。
それともう一つ大事なのが二人の人格面でのバランス。郭靖の記事でも書いたけど、バカ真面目な彼は常に約束とか正々堂々とかいったことを気にするので、仇討のチャンスを逃したり悪党に手加減したり、読者からするとフラストレーションがたまる。そんな時、黄蓉は「あんな悪党に約束なんか関係ないじゃない! やっちゃいましょう!」とか「相手は卑怯者だし、こっちが卑怯な手を使ってもおあいこでしょ!」と言ってくれる。
反対に、黄蓉に行き過ぎた言動・行動があった時は郭靖がしっかり止める。どちらも違うベクトルを向いているんだけど、重要な局面では一緒に安定したアンサーを出すので、読者も気持ちいい気分で二人の物語を追いかけられる。このバランスが大変素晴らしい。金庸作品のベストカップルを問われたら、私はやはり二人を一番に推したい。
性格面は、一見お転婆で我の強い感じながら、常に郭靖の意見を立て、それが自分の意に沿わない時でも従ったりと、めちゃくちゃ甲斐甲斐しい子である。特に煙雨楼戦以降は郭靖のバカに振り回され苦労の連続。この点、主人公より自分意志を優先する趙敏や任盈盈あたりと比べ、黄蓉は封建的というか意外に古い時代のヒロイン造型だと思う。
一方で、郭靖の制御が無い状態の黄蓉は、素の性格の悪さが剥き出しになる。梅超風を騙していいようにこき使う(趙王府の戦いにて)、腕が格下の穆念慈を「郭靖の許婚だから」という理由だけでいじめる、目上を敬わずひたすら無礼な態度をとる(江南七怪、全真教、丐幇長老)ので第一印象が悪い、などなど。なので周囲の小妖女(小悪魔)という評価もあながち間違いではない。
続編の神雕剣侠ではすっかり賢夫人化。射雕時代にあったバランス関係は崩れて、常に郭靖と同じ方向を向くようになってしまった。これは彼女が大人に成長したとも言えるし、少女時代の魅力を失ったとも言える。常識も身について、全真教の長老達にも大人の対応が出来るようになったが、娘時代と変わらず好き嫌いで相手を判断する欠点も残っており、特に楊過へは終始余計な疑いを挟んで度々問題を起こしている。
父・黄薬師の気質だった身内への偏愛ぶりも射雕時代より強まっており、郭芙がワガママに育ったのは黄蓉の甘やかしによるところが大きい。黄蓉自身母親を早くに亡くしているし、絶海の孤島ではママ友もいなかっただろうから、母親としてのお手本や理想像が本人の中に無かったのが原因かも。
また指導者としての素質も、郭靖同様微妙なところがある。自分が気に入らないからと楊過に武術を教えなかったのはかなり陰湿(その代わり学問を教えれば真人間になるでしょ、と本人は考えていたが、楊過にきちんと向き合ってないことには変わりないから意味がない)。やってることは全真教とどっこいである。郭芙や武兄弟にしても、武術はともかく人格の方はちゃんと育てられてる感じはしない。
色々損をするような描写はありつつも、神雕全体では屈指の智将として出番多め。耶律斉の師匠にいち早く気づく、丐幇大会に紛れ込んだクドゥの正体を見抜く、など鋭さは作中随一。武術の強さも、クドゥや李莫愁といった一流クラスに打ち勝っており、黄蓉を真正面から破れる相手は少なかった。

武功
天下五大達人の一角である父から、幼少より武術を学ぶ。本人の資質も高く、逍遥遊のような簡単な技ならあっという間に習得してしまう。初期は郭靖よりずっと上の実力だった。中盤以降も九陰真経や打狗棒法を学び、一流クラスの達人と渡り合っている。格上の敵に対しても優れた智力を用いて罠にはめて倒すなど、単純に武功でははかれない強さも持つ。また防御面は父にもらった軟衣甲のおかげで外功にはほぼ無敵。そのため作中でまともに怪我を負ったのも裘千仞の時くらい。
神雕時代も修行を積んでさらに腕を上げている。が、ちょうど郭襄達を妊娠していたため、万全に戦えるようになったのは李莫愁戦から。

落英神剣掌
桃花島の代表的武功。父の黄薬師も得意技として用いる。射雕時代はそこまで極めていなかったのかあまり使用されない。神雕では腕を上げ、これで李莫愁にとどめをさした。

蘭蘭花拂穴手
桃花島武功の一つ。点穴技。穆念慈戦で使い、素の実力差もあってあっさり倒す。どういう理論か不明だが料理にも応用出来、作中では豆腐を丸くカットするのに使った。

玉簫剣法
桃花島武功の一つ。神雕時代に宴席で披露したことが武兄弟の口から語られる。作中で主に使用したのは楊過の方。

奇門遁甲・五行八卦術
桃花島に伝わる陣法。相手を迷路に閉じ込めたり、突破不能の壁を作ったりする。陣法に無知な場合基本的に打つ手が無い。射雕時代は自分で運用出来ず、敷かれた陣の中を問題なく出入りするくらいだったが、神雕では自在に使いこなし、強敵の金輪法王を迎え撃った。

逍遥游
師匠の洪七公から伝授。わずか数時間で習得。作中では穆念慈をいじめる時と、丐幇大会の時くらいしか使われなかった。まあ教えた七公自身が大した技じゃないと言ってるし、黄蓉の方も「靖さんより私が強くなったら意味がない」と答えている。恐らく、後に弟子になるための布石にしておきたかったのだろう。

打狗棒法
師匠の洪七公から伝授。丐幇歴代幇主に受け継がれる守りの武功。全三十六手のみだが威力は絶大。射雕時代は習得間もない時点で既に丐幇の長老たちを破るほどの威力を見せた。神雕ではさらに奥義を極めたようで、身重の上体でもクドゥを圧倒した。幇主としての立場もあってか、作中では桃花島武術よりこちらの方を使う局面が多い。

九陰真経
伝説の武功奥義。作中では五大達人の手を借りつつ、郭靖と一緒にいくつかの武功を学んだ。丐幇の大会では相手を操る移魂大法を使用。とても便利な技に思えるが作中で使用したのはここのみ。続編の神雕では真経をもとに内功を磨いた模様。それでも最上級クラスの達人には及ばなかったため、恐らく真経の習得も一部に留まっているものと思われる。しかし後年では打倒モンゴルのため九陰真経を研究し、いくつかの奥義を倚天剣に隠して保存した。これらの技は促成のため黄蓉の改良が加わっていると作中で説明されている。

人間関係
郭靖
最愛の恋人にして後の夫。

黄薬師
最愛の父にして五絶の一人。黄蓉の素の性格の悪さは恐らく(というか確実に)彼のせい。武術から学問まで一通り教わっているが、なにせ父親が希代の天才なため、黄蓉の賢さをもってしてもその全てを学びきることは出来なかった模様。

洪七公
師匠にして五絶の一人。作中随一の人格者だけあって黄蓉も彼の言うことは素直にきく。神雕では何度か彼を探しに出たが、結局再会出来ずじまいだった。

欧陽鋒
最大の敵にして五絶の一人。黄蓉は常に殺意まんまんだったが、郭靖があーだこーだ言ってとどめを刺そうとしないので、結局生き延びてしまう。が、偽九陰真経を用いて欧陽鋒を狂わせ、間接的に仇討ちを果たす。

段智興
五絶の一人。内傷を治療してもらう。神雕でも郭靖を差し置き二回ほど再会。黄蓉が楊過に南海神尼の嘘をついた時は話を合わせてもらった。

楊康
郭靖の義兄弟だが終始嫌っていた。まあ彼のせいで色々ひどい目にあわされたので仕方ない。ちなみに楊過が死んだ原因は黄蓉と欧陽鋒にあり、後に色んな厄介をもたらすこととなった。

穆念慈
楊康の恋人。一時は郭靖の許婚にされていたので、黄蓉は嫉妬のあまり彼女を殺そうとした。その後は仲良くやっていたものの、終盤で半ば事故とはいえ恋人の楊康を殺してしまったので、黄蓉からしたら色々気まずかったと思う。

コジン
モンゴルの公主。実際に会うまで郭靖が許嫁のことをまったく説明しなかったので、黄蓉からしたらまさに青天の霹靂。現代的に言うなら、未婚だと思ってた彼氏が実は既婚者でしたみたいな感じだろうか。最悪。そのうえバカな郭靖が「さきにやくそくしたのでコジンとけっこんします。でもおようはすきです」とかクソみたいなことをのたまうのでさらにダメージを受けた。多分この時がカップル最大の危機だったと思う。

欧陽克
欧陽鋒の甥。一方的に惚れられて大変迷惑していたので、常に殺意まんまんだった(まあもともと悪人だし)。明霞島では岩の下敷きにするがしぶとく生き延びる。

裘千仭
鉄掌幇の幇主。黄蓉に致命傷の傷を負わせた。自分の油断が悪いと考えていたのか、作中では仕返しをすることもなく終わった。

江南七怪
郭靖の師匠達。序盤は嫌われていたが、だんだん仲を認められるように。が、作中最大の悲劇によって柯鎮悪以外は死亡。
柯鎮悪には兄妹の仇と恨まれたが、一時行動を共にしたことで和解。郭靖との結婚後は桃花島で数年一緒に暮らしていた。きっかけは柯鎮悪が博打で借金を作ってしまい、弟子のとこへ逃げてきたというアレな理由だが…。ちなみに借金は黄蓉が裏で手を回し返済している。柯鎮悪同様、黄蓉も偏屈な面があるので、案外気は合う模様。

丘処機
全真教長老。洪七公に五絶の説明をされた時、黄蓉は父と比較してその武功を全然大した事ないと評価(でも、この時の黄蓉が丘処機と戦ったら多分負けると思う……)。郭靖と穆念慈をくっつけようとしたり、勘違いで父親に戦いを挑んできたりしたこともあって、射雕時代は一方的に嫌っていた。
神雕期は黄蓉も大人の対応が出来るようになっていたが、とうの全真教が堕落気味だったので、一部の長老達を除いてやはり悪い印象を捨てきれなかった様子。

梅超風
姉弟子。趙王府で会った際は父の名を利用してこき使う。が、一門に忠実な梅超風はそれも恨みには思わず、その後もお嬢様と恭しく応じていた。

楊過
楊康の息子。桃花島へ引き取った際自分の弟子にするが、武芸を教えず学問だけやらせた。常日頃の生活でも思いやりを見せず、英雄宴で再会した時は「私のことは恨んでも構わないわよ」と開き直り。ひどすぎ。作中では何回か歩み寄る局面もあったが、黄蓉も楊過も互いに賢すぎるのが災いしてうまくいかなかった。
とはいえ、絶情谷では見事なコンビネーションで公孫止を挑発したりする面も。諸々の問題が無ければかなりいい関係にはなっていたと思う。

小龍女
古墓派の後継者にして楊過の師。黄蓉に悪気はなかったといえ、作中では小龍女の二度目の疾走と崖ダイブの原因を作ってしまった。師弟結婚問題に関しては途中でさじを投げたのか、常識の通用しない相手だと考えたのか、後半は黙認気味。

郭芙
長女。自分と夫の悪い部分だけを見事に受け継いでしまう。黄蓉の偏愛教育もあってモンスターみたいな娘に成長。さすがに歳をとってからは黄蓉もそのダメっぷりを後悔したが、既に手遅れだった。

郭襄
次女。長女の失敗を反省して躾けたが、こっちは黄蓉の奔放さを受け継いでしまい別ベクトルで手を焼く。おまけに恋心を抱いた相手がまさかの楊過だったので黄蓉からしたら親の悩みは倍増。とはいえ、賢いところや一途なところに自分と似た面影を見出しているのか、三人の中では一番愛おしい存在であると内心で打ち明けている。

郭破慮
長男。長女の(ry。父親似で控えめな子。恐らく一番手がかかってない子。

武敦儒・武修文
弟子。郭靖が師匠だが、黄蓉もある程度武術を教えていたようだ。揃ってポンコツで、作中黄蓉から何度か説教されるもそこから成長した様子はない。

李莫愁
古墓派の使い手。江湖で悪名を売り、好き放題に暴れていたが黄蓉の前では武芸・知略一歩劣り完全に抑え込まれる。赤子の郭襄に向けた愛情には一定の理解を示した。