金庸徹底考察 ヒロイン編 「神鵰剣侠」より小龍女

金庸小説「神鵰剣侠(原題:神鵰侠侶)」のメインヒロイン。
絶世の美貌と優れた武術を持つキャラ。愛弟子・楊過との禁じられた恋愛譚はファンからも人気が高い。
主人公の楊過についてはこちら

劇中の活躍
孤児として捨てられていたところを拾われ、古墓派の後継者として育てられる。他派と争ってはならぬ掟のため、そのまま古墓で一生を過ごすはずだったが、十八歳のある日、全真教から逃亡した弟子・楊過と出会ったことでその運命は大きく動き出す。育ての親代わりだった孫ばあやの頼みで、やむなく楊過を弟子入りさせ、一門の武術を教えていく。最初は冷徹に接していたが、段々と師弟の絆は深まっていった。数年が経ち、古墓派の奥義を狙う姐弟子の李莫愁が襲撃してきた。激しい激闘の中で死を覚悟した時、小龍女はそれまで秘めていた楊過への想いを打ち明ける。偶然の助けもあって李莫愁を退け、その後もさらに修行を続ける二人。しかしとある晩、小龍女は動けなくなったところを、堕落した全真教の弟子・尹志平に犯されてしまう。てっきり楊過の仕業だと勘違いした彼女は、彼のあやふやな応答を聞いて失望、行く当ても無く逃げ出してしまう。やがて放浪の末、英雄大宴で楊過と再会。半ば巻き込まれる形で、師弟は大宴に乱入してきたモンゴルの使い手達を打ち破る。大きな手柄を立てたのもつかの間、楊過が小龍女を妻にすると宣言して、師弟は結婚してはならないという武林の禁忌に触れたため、二人は英雄達からの蔑視にさらされる。小龍女は愛する楊過が人々の非難の的になってはいけないと、またしても姿を消した。
運命は再び、二人を僻地の絶情谷で引き合わせた。しかし小龍女は楊過への想いを断ち切ろうと、絶情谷の主・公孫止と婚約していたところだった。楊過の熱い心に感化され、小龍女は婚約を破棄するが、そのため公孫止の怒りを買い戦いになる。師弟は敗北し、情花の毒で苦しむことになった。公孫止の元妻・裘千尺の助けで何とか窮地を脱したものの、解毒剤を手に入れるため、楊過と共に親の仇で郭靖の暗殺に襄陽へ趣く。折しも、襄陽はモンゴル軍の襲撃を受けていた。楊過は郭靖の義侠心に心を打たれ、暗殺の決意を鈍らせていく。そのさなか、小龍女は自分が尹志平に犯されたことを知ってしまい、彼を殺すべく全真教の本観まで追跡。使い手達との乱闘で重傷を負ったところを、駆けつけてきた楊過に救出された。二人は敵を退けて古墓に戻り、密かな婚礼を遂げる。小龍女は傷が重く、楊過の情花の毒は以前として残ったまま。夫婦は静かな生活を送るが、外部の人々はそれらを放っておかなかった。郭芙や李莫愁らが古墓へ押し寄せ、一同は因縁の場所である絶情谷へ向かう。
小龍女は公孫止と一騎打ちで戦い、情花の解毒剤を奪う。しかし楊過はそれを捨ててしまった。小龍女は古墓で郭芙から事故で毒を浴びせられてしまい、余命幾ばくもない状態だった。二人で助かれないなら意味がないと楊過は考えていたのだ。
小龍女は夫を生き延びさせようと、十六年後の再会を約束した書き置きを残し、自らは崖を飛び降りた。愛する小龍女のメッセージを見た楊過は、再会を願って解毒に励み、神鵰を連れて長く江湖をさすらう。
やがて、十六年後の約束が近づいてきた。絶情谷へ趣いた楊過は、妻が現れないことに嘆き、崖へ身を投げる。
深い谷底の下、彼を待っていたのは……昔と変わらぬ姿の小龍女だった。
彼女は谷底で解毒の術を見つけ、生き延びていたのだった。
力を合わせて谷を出た二人は、襄陽での戦いに参戦、モンゴルを打ち負かす。
戦の後、華山で群雄と共にしばし安らぎの時間を過ごした夫婦は、古墓へと帰って行った。

人物
個人的に金庸ヒロインの中で最も苦手なキャラ。
神雕剣侠は金庸屈指のラブストーリーと評されているが、それは主に「禁じられた師弟の恋愛」「劇毒による命の危機」「十六年後の再会」といったドラマチックなシチュに依るところが大きく、恋愛ヒロインとしての小龍女の造形はぜんぜん魅力的ではないと思う。
彼女と楊過は作中で何度も離れ離れになっては再会を繰り返すが、(外的要因はあるにしても)離れる時は常に小龍女が楊過を置き去りにしていくパターンばかりなのだ。詳しくは下記の通り。

一回目 目隠しをされてセックスした相手が楊過だと勘違いし(本当は小龍女に想いを寄せていた尹志平の仕業だった)、彼が自分を妻にする気がないと思い込んで失踪。→これについては点穴・目隠しされても肌を合わせてる感覚はあったわけだし、さすがに気がつかない小龍女もおかしいと思う…。何年も一緒に暮らしてたのに。そもそもこの時点の楊過は、前後の台詞から明らかなようにまだ小龍女を師匠として見ていて一人の女性とは考えていない。妻だと思ってるのは小龍女の勝手な思い込みだ。本人がそれに気づけてないのもアレだし、そのうえ楊過(本当は尹志平だけど)が手を出してきた際も拒まず受け入れるのって、言っちゃ悪いけどユル股過ぎじゃないだろうか? 同意無しで目隠ししてセックスなんて、弟子が師匠にやっていいことではないだろう。「婚礼も済ませていないのに何ということを!」と怒るべきでは? ここらへん、貞操観念の硬い他の金庸ヒロインと比べるとあまりにだらしなさ過ぎる。

二回目 英雄宴で周囲から結婚を反対され、さらに黄蓉から将来について諭された結果、独りで合点して失踪。それだけならまだしも、失踪先で出会った男(公孫止)と、楊過を忘れるという目的のために婚約。でもいざ楊過と再開したらあっさり婚約破棄。→もう何も言うまい…。やることが行き当たりばったりすぎる。こんなの世間知らずだからといって許されていい話ではない。楊過にも公孫止にも不誠実。同じ婚約破棄にしても、親同士の因縁が絡んで本人の意図が無視された黄蓉(射鵰英雄伝)とか、義父の命がかかっているやむをえない状況だった張無忌(倚天屠龍記)みたいなシチュならまだ納得も出来るんだけど、小龍女の場合は自分で結婚を決めた後の掌返しだからとにかく印象が良くない。

三回目 楊過が郭芙と結婚すると勘違いしてまたも失踪。→この時、楊過は毒で残り僅かの命だったし、安易に消えたりせずそばにいてやるのが、せめて師匠としての務めではないだろうか。責任感なさすぎ。おまけに全て本人の勘違いだったというところがしょうもない。それは純真ではなくバカというのです。

四回目 楊過に毒消しを飲ませるという目的のためだけに崖からダイブ。十六年後に再開しましょうと、無責任に期待をあおるメッセージを残す(ちなみに、この時は小龍女も病におかされ助からない状態だった)→楊過を助けたい気持ちはわかるが、一緒に生き、一緒に死ぬというのじゃダメだったんだろうか? 楊過が一度毒消しを捨てたのは、二人で助かれないんじゃ意味がないから、という明確な意図があったわけだし。けれども小龍女の行動は衝動的過ぎてちゃんと考えたようには思えない。

上記のように、小龍女は楊過とろくに意思疎通が出来ていない。また彼女は基本「楊過が不幸になるから私はいない方がいい」というスタンスのため、実は愛を貫く意思も薄弱な印象を受けてしまう。おそらく、本来のコンセプトでは「愛し合う二人が外部に邪魔されながらも添い遂げる」はずのストーリーだったのが「意思疎通出来てない二人がすれ違い続ける」ものになってしまい、禁じられた恋愛というおいしいシチュすらも台無しにしている。
他にも、小龍女の処女喪失については翻訳の後書きなどにも書かれているように、当初から批判も多かったようだ。それも道理で、彼女が操を失ったことは物語上であまり重く扱われていない。むしろこのシチュが重要な意味を持つのは尹志平関連の方。楊過は小龍女が処女だろうがそうでなかろうが彼女を愛するのはわかりきっていて、二人の関係性にも大して影響がない。
本作のようなラブストーリーの土台を完璧に活かすなら、趙敏のように情熱的なキャラの方が良かったのでは、と思う。
小龍女が神雕のメインヒロインであることに、私は昔からずっと不満を抱いていて、個人的な意見をいえば楊過の恋人は程英か完顔萍の方がずっと理想的な相手だと思ってた。程英は奥ゆかしくて名門の弟子という正統派だし、何より激怒すると他人に耳を貸さなくなる楊過をなだめられる唯一の存在である(私は楊過と程英のカップリングが好きすぎて、二人が結ばれる二次創作を書いたことがある)。完顔萍は金の遺民ということで楊過とルーツの繋がりがあるし、民族の違いというドラマも作れる。それにファーストキス相手だし内気な性格もかわいい。武修文なんかにはもったいない相手だ。

横に逸れたので話を小龍女に戻すが、
・世俗を知らぬ清純な乙女
・優れた武術を持つ古墓の後継者
この二つの設定もよく噛み合ってない。
前者については、武林や社会の常識に疎く、旅に出たらお金の使い方もわからないほどもの知らず(その割に、中盤で尹志平を追いかけてた時はフツーに店で飯を注文出来るようになっていた。うーむ)。楊過と一緒に動く時も「行き先はあなたの行きたいところでいい」「何かするならあなたが決めた通りでいい」と、基本的に意志薄弱で、保護の必要な子供レベル。やたらと「せけんのひとびとはこわい」と口にしているが、ただのコミュ力不足なだけ。
その割に、一派の長、楊過の師匠としては威厳のある姿を見せたり、凡人よりも余程達観したような台詞を口にしたり、達人を前にしても毅然とした態度を見せたり、年相応の大人のような振る舞いをしている。このあたりが作中ではちぐはぐな印象を与えてしまい、キャラとしての一貫性がない。
またメタ的な話をすると、金庸作品でもかなりメアリー・スー要素が強めなヒロインだと思う。清純な乙女というだけで何もかも許されてる節があり、誰も彼女の常識外れな言動・行動を咎めない(黄蓉や趙敏なんかは悪い部分を作中人物にきっちり突っ込まれている)。楊過が苦しむ原因の一端はどう考えても彼女が作っているとしか思えないのだが…。

散々文句を並べてしまったが、本作の悪い部分全てがこの小龍女に集約されているといっても過言ではない。楊過という魅力ある主人公や前作続投のキャラ達、上述したドラマチックなシチュの数々が大きくプラスに働いて、このマイナスを補ってくれているおかげで、優れた作品としての評価を成り立たせている感じがある。

武功
古墓派後継者として幼少から一門の技を学ぶ。本人が登場する前は「世間を騒がしている李莫愁より遙か上の実力」などと言われていたが、いざ蓋を開けると李莫愁にも全真教の丘処幾にも勝てないレベルだった。これはまあ噂の一人歩きみたいなものなので仕方ない。
その後、楊過と一緒に全真教武術と奥義の玉女真経、古墓に隠されていた九陰真経の一部などを習得。師弟で使う「玉女素心剣」はモンゴル最強の金輪法王をも打ち破るほどの強さを発揮した。中盤で周伯通から左右互搏術を習い、一人で「玉女素心剣」を扱えるようになった。
とはいえ、周囲のインフレには今一歩ついていけず、最終的な実力は上の下といったところ。

古墓派内功
陰の気を持つ一門独自の内功。寒玉床による修行で普通の武芸者より遙かに効率よく内力を鍛えている。修行には喜怒哀楽を殺す必要がある。感情が昂ぶるとコントロールが利かなくなる欠点を持ち、そのせいで吐血する場面が度々あった。達人との純粋な内力比べでは劣勢に立たされることも多く、下記の外功と比較するとあまり強いイメージがない。

天羅地網勢
古墓派の入門技である掌法。習得にあたっては、素早い動きで飛び回る雀を掌の圏内に取り込む修練をする。

古墓派軽功
作中でも度々天下無双とされる軽功。格上の金輪法王と戦った際は、常にこれを用いて攪乱し力量差を補った。また中盤では水上飘の異名をとる軽功の名手・裘千仞とも駆け比べをした。内力の差で持久力こそ及ばなかったが、速度自体は互角。

白絹金鈴索術
古墓派外功の一つ。楊過には伝授していない模様。先端に鈴をつけた白絹を振り回す。鈴の音には相手の集中をかき乱す効果がある。白絹そのものに殺傷力はないが、軽やかで変幻自在な動きを利用し、鈴で点穴を行う。剣を使わない時はもっぱらこれを使用しており、小龍女を代表する武功でもある。

美女拳法
古墓派の基本拳法。技の名前は古来の女性故事からつけられている。相手の虚をつく技が多い。力では男性に劣るが、刃を通さぬ金糸の手袋を併用し、相手の得物を折り取るといった芸当も。

玉女剣法
古墓派の基本剣術。軽やかで美しい動きが特徴。

玉蜂針
古墓派の暗器。目に見えないほど細い針状の武器をなげうつ。小龍女自身が飼育している玉蜂から生み出される天然物。刺されると酷いかゆみと痛みに襲われる。一部の蜘蛛毒とは相性が良いらしく、周伯通は玉蜂を刺してもらい自分の毒を解毒した。

玉蜂陣
蜂蜜と口笛で玉蜂の大群を操る。生き物なので不規則に動き、また数も多いため対処法を知らない場合は刺されないよう逃げ回るしかない。毒の威力は玉蜂針と同じ。作中で出てきた主な対処法は蜂が苦手とする松明をたく、内力を込めた風を吹き付ける、など。

全真教武術
古墓派奥義の玉女真経が全真教を破るための技なので、その前段階として学んだ。当初は全真教を侮っていた小龍女だったが、修練を始めてからその奥深さに感嘆している。作中では楊過と玉女素心剣法を展開する際に剣術を使用。

玉女真経
古墓派の奥義。対全真教目的で開発され、あらゆる技を先回りで封じ込めてしまう。また、二人の使い手がそれぞれ全真剣法と玉女剣法を用いる「玉女素心剣」はモンゴル最強を誇る金輪法王を打ち破る威力を見せた。

九陰真経(の一部)
玉女真経の強さに驚嘆した王重陽が対抗心から華山論剣で入手した奥義書・九陰真経の一部を古墓のとある場所に書き記したもの。楊過によって偶然発見され、一緒に学んだ。しかし楊過と違って、小龍女は殆ど使わなかった。

左右互搏術
周伯通より伝授。右手と左手で別々の技を使い手数を倍にする。これによって、玉女素心剣を一人で使えるようになった。

玉女素心剣(単独バージョン)
上記の左右互搏術から着想を得て発明。二人の時より技の速度が大幅に上がる反面、威力は落ちる。しかし作中での強さは凄まじく、モンゴルの食客軍団達を破り、金輪法王にも傷を負わせ、また絶情谷では公孫止を倒している。

人間関係
楊過…弟子にして最愛の夫。小龍女は自分のせいで色々迷惑かけたことをちゃんと謝った方がいいと思う。

李莫愁…姐弟子。所業が悪く一門を追い出され、代わりに後継者となった小龍女を敵視する。実は作中でまともにタイマンをしたことがなく、また内力の修練に関しては小龍女より上、との言及もありどっちが強いのかは微妙なところ。数少ない身内のためか、小龍女は李莫愁に何をされても怒るより哀れみの感情の方が大きかった。

師匠(林朝英の侍女)…小龍女の師匠。作中では言及少なめ。捨てられていた小龍女を拾って育てた。古墓派の内功は喜怒哀楽を取り払わねばならないため、小龍女を厳しくしつけるが、その底にある愛情は弟子に伝わっていた模様。

林朝英…師祖。王重陽との悲恋を知り深く同情する。

孫ばあや…古墓派につかえる老女。小龍女の親代わり。郭大通との戦いで死亡し、楊過を託す。この時、小龍女は悲しみつつもそれを表に出さぬよう修行していたので、表面上は冷徹だった。

郭靖…楊過のおじ。小龍女のことは一門の長として認め、丁重に接していた。師弟結婚話については常識の観点から反対したが、そのうち口にしなくなった。

黄蓉…楊過のおば。悪気はないとはいえ、小龍女が失踪する原因を何度か作ってしまう。

程英・陸無双…楊過と仲良しの姉妹。長く楊過への恋心を諦められなかった二人が、初めて小龍女と対面した際「こんな美人とじゃとても争えない…」と身を引く一幕があるのだが、大事なのは外見じゃ無くて人間性では…。相手が美人だから負けを認める、というのはなんか酷い流れだ。

金輪法王…モンゴルの国師。英雄大宴で楊過と小龍女に敗れて以降、執拗に二人をつけ回す。しかし単独ならば法王の方が圧倒的に上で、小龍女は大宴で戦った時は十手ほどで追い詰められている。終南山の戦いでは小龍女が玉女素心剣を一人で扱えるようになっており、相手を翻弄して傷をつけたが、総合的な力量ではやはり及ばなかったようだ。

周伯通…全真教・王重陽の義弟。小龍女とは馬が合い仲良しに。左右互搏術を教えてもらう。また、お返しというわけではないが、小龍女も玉峰のコツを手ほどきした。

一灯大師…四大高手の一人。小龍女の解毒に助力する。達観した思想の持ち主という面で通じる部分があった模様。

慈恩(裘千仞)…軽功で駆け比べをする。速度は互角だったが、内力の差で引き離される。しかし、周伯通の助勢で最終的には小龍女が勝利した。

丘処機…全真教長老。初めて戦った際はその強い内力に圧し負ける。が、終南山の再戦では技で翻弄し圧倒した。この時、丘処機らは兄弟弟子を含め五人がかりだったが、あっという間に他の四人を傷つけられ、無傷だったのは彼のみ。

郭大通…全真教長老。孫ばあやを誤って殺してしまい、小龍女と戦う。郭大通が彼女を侮ったこともあり圧勝した。

尹志平…全真教の高弟。小龍女に懸想し、ある晩動けない隙をついてレイプしてしまう。が、そのせいで自分自身が長く苦しむハメに。

趙志敬…全真教の高弟。尹志平と小龍女の密事を群雄の前で暴露する。最後は悪事の因果か玉蜂の毒で死亡。

欧陽鋒…楊過の義父。錯乱状態にあった。身内以外で初めて会った相手がこのおかしな人間だったため、小龍女は「せけんはやっぱりあぶない」と思い込んでしまう。また、欧陽鋒が咄嗟に点穴をしたせいで、上述した尹志平の悲劇に繋がってしまった。

公孫止…絶情谷のエロ親父。谷へ紛れ込んできた小龍女へ懸想する。中盤以降、解毒話がちんたら続いた最大の元凶。上述した通り、元恋人が現れた途端婚約を投げ出す小龍女も悪い。江湖はごめんなさいで済む世界ではない。

金庸考察 最良の武功奥義書について語ってみる

武侠小説において欠かせない要素が武功奥義書。金庸作品にも多数登場し、江湖最強を目指すべく、多くの武芸者を巻き込んだ争奪戦が展開されることもしばしば。
そんな武術奥義書、習得すれば最強クラスになれるのは間違いないんだけど、色々問題を抱えている場合が少なくない。例えば以下。
・強さと引き換えに多大なリスクを負う
・修行の条件があまりに厳しい
・修行期間があまりに長い
などなど。実際、これらの弊害によって苦しんでいるキャラが作中何人も出てきている。
ようするに、ただ強くなれるだけの奥義書では意味が無いのだ。
そんなわけで、今回は奥義に関する問題点をあぶり出し、そのうえで金庸作品における最強かつ「最良」の武功奥義について語ってみたい。

まず、上述した武功奥義書につきものな問題点を詳しく見ていこう。

1、修得後あるいは修行中に多大なリスクを負う。
代表的なのはやはり、子孫が絶えてしまう「笑傲江湖」の辟邪剣法および葵花宝典だろう。凄まじい強さと引き換えに、○○○を斬らなければならないという無茶苦茶な条件がつく。まあ要するに普通の人間ではいられない。また劇中で明確に語られていないが人格にも破綻をきたすようで、東方不敗(衆道趣味に陥って教主としての仕事をサボるように)、岳不群(それまでの君子らしさが一切なくなる)、林平之(強さに溺れて傲慢になる)らはみんなおかしくなっている。
同作品にはもう一つ、吸星大法という奥義も出てくる。相手の内力を奪える極悪な技だが、適切な処理で内力を散じないと奪った内力で自分自身がダメージを受けてしまう。劇中で任我行はその欠点を克服したと語っていたが、そのために何十年も費やす、そちらに集中し過ぎて教主の座を奪われる、など相当苦労している。またせっかく克服したのに存分に技を振るう機会を得られず、終盤で突然死したのも吸星大法が原因ではと語られている。せっかく得た奥義に人生を振り回されてしまっては本末転倒だ。
「天龍八部」に登場する化功大法も相手の内力を奪いそのうえ毒で蝕む強力な技だが、この武功を維持するには常に専用の鼎を用いて毒の摂取が必要。作中では鼎を盗まれてしまい、修得者の丁春秋はかなり焦っていた。
このように、せっかく並外れた強さを得ても、あまりに重いリスクを負ってはプラマイゼロである。なるべく最良の武功からは外しておきたいところである。

2、修業過程が危険、あるいは修業条件が厳しすぎる(特別な才能、前提を必要とする)。
何かしらの素質がある、強い内功を要求する、など条件が揃わなければ習得出来ない武功奥義も、金庸作品には多い。例えば「天龍八部」の六脈神剣。莫大な内力が必要で修得者は100年に一度のレベル。要求が重すぎてまずムリである。劇中で初登場の際は、一人で六脈の剣を使える者がいなかったので六人の達人が一剣ずつ使うという苦肉の策がとられた。
また同作品に出てくる易筋経。武術の奥義書なのに「習得するには強くなりたいという意志を捨てなければならない」という頓知みたいな条件がつく。このため劇中の游担之のように偶然が重ならなければ会得はほぼ不可能だった。
さらに同作品の斗転星移。相手の得意技をそのまま相手にはね返すという強力な技だが、そのために刀槍剣戟各種の武功、また各門派の得意技をある程度学んでおかなければならないという、物凄く遠回りな修業が必要。ただはね返すためだけにそんな手間をかける必要があるのかはなはだ疑問。実際、これを使う慕容復は幅広い武術に手を出していたが、どれも中途半端だと(よりにもよって身内に)こき下ろされていた。
また「倚天屠龍記」の乾坤大挪移のように修行が命懸けのものもある。歴代の明教教主はこれが原因で何人も命を落としており、作中で無事だったのは安全な範囲で修行を中断した楊逍、ずば抜けて強力な内功を持っていた張無忌だけだった。
他にも武芸者自身の素質を重んじる奥義もかなりある。代表例が「笑傲江湖」の独狐九剣。令狐冲の技や型に拘らない柔軟な気風を見て指導者の風清揚がこの剣法を学ぶ逸材、と判断しており、作中の強さも彼だからこそ発揮出来た点が大きい。林平之は自分の辟邪剣法と比較して「メチャクチャな技」と誤解し、まったく本質を理解出来てなかった。岳不群のような型にはまった人間も威力を発揮出来ない可能性が高いだろう。
「射鵰英雄伝」や「天龍八部」に登場する降龍十八掌はシンプルで簡単な技に見えるが、その実強力な内力が基礎に無ければ威力を発揮出来ず、射鵰では郭靖の習得が早かったのは全真教の優れた内功を深く学んでいたからだとされている。作中でも内力の消耗の大きさは度々語られており、誰にでも習得出来る技とは描かれていなかった。
また同作の九陰真経のように、掲載された技が単純にどれも難しくて達人でなければ習得困難、という例もある。作中でこれを手に入れた郭靖は、常に洪七公や段皇帝のようにトップクラスの武術家達の助力を必要とした。続編の「神鵰剣侠」で桃花島に隠棲してからも修行は続けていたようだが、九陰真経の奥義をすべて究めた感じはしない。
似た例としては「侠客行」に登場する侠客島武功。達人達が雁首揃えて集まって数十年かけても習得出来なかったという代物。

3、修行期間が長すぎる。
特に内功関連に顕著だが、習得までに平然と二、三十年を要求する奥義も少なくない。常に戦いだらけの江湖でそんなちんたら修行していたら、奥義が完成するまでに殺されてしまうのではないか。というか、実際そうなっている例がある。全真教の二、三代目の道士なんかはいつまでも内功が成就せず二流どころをうろついている。「連城訣」の神照経は当代最高の内功奥義だが、素質の乏しい狄雲では作中の偶然が無ければ、二十年たっても習得出来たか怪しい、と地の文で言及されていた。
また強力な奥義に数えていいのか怪しいところだが「笑傲江湖」の紫霞功は奥義完成まで三十年近くかかるとされている。そのせいで促成を重んじる剣術派の勢力にボコボコにやられていた。数十年修行を積んだ岳不群すら、江湖のよくわからん六人のオヤジに圧される程度のレベルだったりする。修行の苦労と強さが見合ってない。
そのほか、各作品で出てくる少林寺の七十二絶技。文字通り七十二種あるが難しすぎて寺の達人でも三、四種会得していればいい方。しかも一種会得する度に仏法で闘争心や心の魔を清める必要があり、修行期間が余計長引く一因となっている。

大体こんなところだろうか。
以上を踏まえれば、理想的な武功奥義の基準がはっきりしてくると思う。
つまり修業条件がゆるく(素質のない一般人でも学べる)、時間もかかりすぎず、ノーリスクで、もちろん最強を保障してくれる奥義である。
そんな都合のいいものがあるんかいな、と言いたいところだがそこは流石の金庸先生。作中で登場した数多の武功の中に、上の条件を満たしたものがちゃーんと存在している。
というわけで、以下に私が選定した理想の武功奥義を三つほど紹介する。

・胡家武術書
「飛狐外伝」に登場。ちゃんとした名前が無いので便宜上こう記す。
胡家に代々伝わる秘伝書で、これを究めた胡一刀は天下第一の刀客として知られていた。メインで記されているのは刀法のようだが、それ以外にも内功や徒手技も含まれており、これ一冊を修業するだけで問題無く強くなれる。
本書の凄いところは、作中の主な修業者が子供(胡斐)と武術を学んだことのない一般人(閻基)であった点、そして両者とも問題なく修業をこなしちゃんと強くなっている点だ。
まず閻基の方から説明しよう。彼はもと闇医者で、複雑な経緯を経て偶然奥義書の最初数頁部分を手に入れた。それを何年か修業しただけで、江湖でそれなりに名の売れた飛馬鏢局の親分と渡り合えるほどの強さを得ている。
それから胡斐。登場時点ではまだ幼い子供だ。彼は師匠もおらず、ただ奥義書の内容を修業しただけ。それでいながら二十歳に満たない時点で、紅花会トップクラスの無塵道人と数百手渡り合う実力を身につけている。本を読むにはまず字を覚えなければならないので、彼が修行を始めたのは恐らく八~十歳頃からだと思われるが、そんな子供でも理解出来るくらい平易な内容で書かれているようだ。そしてもちろんノーリスク。強くなれたのは胡斐本人の才能もあったとは思うが、それを差し引いても奥義書自体の優れぶりはわかっていただけるはず。間違いなく金庸作品屈指の優良奥義書だ。

・九陽真経
「神鵰剣侠」「倚天屠龍記」にて登場。全四冊からなる絶世の内功奥義書。作中で習得した張無忌は同時期の達人が誰一人比肩出来ないほどの内力を誇った。
ノンリスクで安全、習得条件が緩い、修行期間もそこまで長くなりすぎない、と本記事の最良条件を全て満たしている。
完全な習得者は覚遠と張無忌。前者はまったく武芸の心得がなく、後者は子供だった。また部分的に張三豊、郭襄、無色大師が武術に取り入れている。
無忌は全四冊を五年かけて習得している。彼の場合、張三豊から断片的に武当九陽功を教えられていたのでまったくの初心者ではなかったが、それでも修行期間としては短い方だ。仮に武芸の心得が無い者が学び、倍の十年がかかったとしても他の内功奥義に比べたらずっと緩い修行期間ではなかろうか。それに、実は全冊学ばなくてもかなりの内力が会得できる。作中では二冊目を終えた時点で、数年間どうにも出来なかった玄冥神掌の毒を駆逐しきっていた。これだけでも相当なものだ。
また部分的な習得に留まった張三豊、郭襄は一派の総帥になり、無色大師が数世代後にまで使われる少林九陽功を開発している。断片だけでここまで強くなり、しかもノーリスクな武功は金庸作品でも非常に少ない。
欠点があるとすれば、本書で学べるのが内功だけということ。しかし金庸江湖では強い内力が基礎にあれば外功は後回しでも全然問題にならない。大した欠点ではないだろう。

・凌波微歩と北冥神功
「天龍八部」にて登場。前者は最上級の軽功、後者は内力を吸い取る武術。作中でもセット運用が前提として用意されていたので、ここでも一纏めに扱う。作中では武術の心得が一切無い段誉が逍遙派の洞窟で発見し、(半ば事故も含めてだが)短期間で凄まじい内力を身につけた。
書物に記された基本的な使い方は
①凌波微歩を使いそのトリッキーな動きで相手の攻撃をかわしつつ肉薄。
②北冥神功で相手から内力を奪って戦闘不能にする。
といったところ。
凌波微歩はいったん展開すると殆ど攻撃を当てられなくなり、実際作中の段誉もいくつか油断した場面を除き一流クラスの達人の攻撃をやすやすとかわしていた。また、凌波微歩は内功の修練にもなるので、北冥神功に自信がないうちはただこれを修行すれば自然と内力が強くなっていく。
北冥神功は効果こそ吸星大法や化功大法と同じだが、なんとこれらと違ってノーリスク。一応、段誉が半ば事故的な形で一気に大量の内力を吸い、丹田で散じることが出来ず苦しんだりもしたが、正常な範囲で運用すればまず大丈夫だろう。
基本的に、内力を奪い尽くせば殆どの者は何も出来なくなり、武芸者としては廃人同然。北冥神功を使うだけでケリはついてしまう。しかも倒せば倒すほどこちらは強くなっていく。実際、作中の段誉も六脈神剣より北冥神功で倒した敵の方が多い。
リスクがあるとすれば、内力を奪う技自体は江湖で評判が悪いので、乱発すると周囲に敵を作りまくってしまうことだろうか。したがって使いどころは選ぶ必要がある。

以上、個人的に金庸でも優良な武功奥義を選んでみました。
「書剣」の百花錯拳とか「碧血」の混元功なんかも安全で強力なのでありかと思いつつも、いかんせん学んでるのが素質に優れた主人公だけなので、今回の選定からは外しました。
いずれにしても奥が深くて考察しがいがあります。金庸先生はやはり偉大です。

金庸徹底考察 ヒロイン編 「射鵰英雄伝」より黄蓉

金庸小説「射鵰英雄伝」のメインヒロイン。
頭脳明晰、優れた美貌、邪気のある性格が特徴的な、ファンからも人気の高いキャラクター。
主人公の郭靖についてはこちら。

劇中の活躍
射鵰英雄伝
天下五大武術家の一人・黄薬師の娘。父と喧嘩して桃花島の家を飛び出し、乞食の格好をして放浪していたところ、張家口で郭靖と出会う。互いに意気投合し、何より貧乏な身なりでも優しくしてくれる彼に感動、一生をともにすることを誓う。再会した燕京では男装をといて本当の姿を見せた。
郭靖の周囲にいる江南七怪や全真教長老からは、邪な黄薬師の娘として警戒されるが、郭靖は彼らの反対を押し切って黄蓉と一緒にいることを選び、以降は二人で様々な冒険を繰り広げた。道中では常にイニシアチブをとり、優れた頭脳を活かして郭靖をサポート。また北丐・洪七公に弟子入りし、後には彼の意志を継いで丐幇の幇主に就任した。西毒・欧陽鋒からの縁談や、郭靖の許嫁であるコジンの出現、陰謀によって黄薬師が江南七怪を殺害した犯人だと疑われる、などの障害を乗り越え、郭靖と結婚を果たす。

神雕剣侠
前作から十年ほど経過し、江湖でも広く知られた女侠に。郭靖との間に娘の郭芙を産むが、甘やかしたのが原因でわがままに育ってしまう。江南を訪れた際に、郭靖の義弟・楊康の忘れ形見である楊過を桃花島へ連れて帰るが、楊康を嫌っていた黄蓉は彼に冷たくあたった。
さらに数年後、蒙古の宋侵略が激化したため郭靖と共に江湖の英雄を集めて立ち向かう。この時、新たに子供を身ごもっており、そのせいで満足に戦えないことも多かった。わがままで周囲に多大な被害をもたらす郭芙や、郭靖を仇と誤解して付け狙う楊過に悩まされた。
十六年後も襄陽で夫と共に戦い続けていた。年頃の娘に成長した次女・郭襄が楊過に惹かれていくのを見て警戒するが、最後には和解。
モンゴル軍を退けた後、華山にて新たな五絶の命名に加わった。

倚天屠龍記
直接の出番は無いが、冒頭にて楊過との再会を望む郭襄を家から送り出す。
モンゴルの侵攻で襄陽が陥落した際、夫と共に死亡したことが語られた。しかし屠龍刀と倚天剣に軍略と武芸の奥義を残し、後の世代へ希望を託した。

人物
金庸作品における人気ヒロインの一角。
愚鈍で決してイケメンとはいえない郭靖と、聡明な美少女である黄蓉のカップリングは、一見日本のラノベにあるようなミスマッチを感じるが、作中では二人が惹かれ合う下地もちゃんとつくられている。
第一に、二人は同じ江南出身である。郭靖は蒙古育ちだが、母や師匠も江南生まれで言葉もその訛りがある。黄蓉も絶海の孤島育ちながら根っからの江南人。(なんか他の記事とかでも散々書いてるけど)中国では初めて会った相手を判断する基準として、同郷であることの意味がとても大きい。国土は広くて文化や言語があっちこっちで違うし、そもそも中国人はあんまり他人を簡単に信用しない。古典小説の登場人物などがしばしば「自分はどこどこ出身の◯◯です」と言った名乗り方をするが、これは互いがどんな人間かを確認する最初のステップなのだ。
そして二人が出会った場所も重要なポイント。そう、北の張家口。蒙古から出てきた郭靖にとっても、家出をしてきた黄蓉にとっても異郷の地だ。そこで故郷の言葉が通じる相手に会った、というのはとても安心出来ることだと思う。郭靖の誠実さが独りぼっちで旅していた黄蓉の心の隙間へクリーンヒットしたのも重要だけれど、実は出会った時点で二人が親密になるための土台が結構出来ていた、というわけ。
また、郭靖と黄蓉は作中、常に一緒に行動していてあまり離れることがない。そんなの当たり前だろと思われるかもしれないが、実は金庸作品のメインヒロインは大抵登場が遅かったり(任盈盈、趙敏など)、周囲で起こる事件のせいで全然一緒にいられなかったり(小龍女、天龍八武の諸ヒロイン、戚芳、阿繍など)といったことが多く、むしろ郭靖と黄蓉のようなパターンは少ない。終盤においても、黄蓉は姿こそ見せなかったが常に郭靖のそばにいてサマルカンド遠征を手伝っていた。まあ、おバカな郭靖を一人にするとあっさり死んでしまう状況が多かったので、黄蓉が離れなかったのは作劇上の都合も大きいけど。
それともう一つ大事なのが二人の人格面でのバランス。郭靖の記事でも書いたけど、バカ真面目な彼は常に約束とか正々堂々とかいったことを気にするので、仇討のチャンスを逃したり悪党に手加減したり、読者からするとフラストレーションがたまる。そんな時、黄蓉は「あんな悪党に約束なんか関係ないじゃない! やっちゃいましょう!」とか「相手は卑怯者だし、こっちが卑怯な手を使ってもおあいこでしょ!」と言ってくれる。
反対に、黄蓉に行き過ぎた言動・行動があった時は郭靖がしっかり止める。どちらも違うベクトルを向いているんだけど、重要な局面では一緒に安定したアンサーを出すので、読者も気持ちいい気分で二人の物語を追いかけられる。このバランスが大変素晴らしい。金庸作品のベストカップルを問われたら、私はやはり二人を一番に推したい。
性格面は、一見お転婆で我の強い感じながら、常に郭靖の意見を立て、それが自分の意に沿わない時でも従ったりと、めちゃくちゃ甲斐甲斐しい子である。特に煙雨楼戦以降は郭靖のバカに振り回され苦労の連続。この点、主人公より自分意志を優先する趙敏や任盈盈あたりと比べ、黄蓉は封建的というか意外に古い時代のヒロイン造型だと思う。
一方で、郭靖の制御が無い状態の黄蓉は、素の性格の悪さが剥き出しになる。梅超風を騙していいようにこき使う(趙王府の戦いにて)、腕が格下の穆念慈を「郭靖の許婚だから」という理由だけでいじめる、目上を敬わずひたすら無礼な態度をとる(江南七怪、全真教、丐幇長老)ので第一印象が悪い、などなど。なので周囲の小妖女(小悪魔)という評価もあながち間違いではない。
続編の神雕剣侠ではすっかり賢夫人化。射雕時代にあったバランス関係は崩れて、常に郭靖と同じ方向を向くようになってしまった。これは彼女が大人に成長したとも言えるし、少女時代の魅力を失ったとも言える。常識も身について、全真教の長老達にも大人の対応が出来るようになったが、娘時代と変わらず好き嫌いで相手を判断する欠点も残っており、特に楊過へは終始余計な疑いを挟んで度々問題を起こしている。
父・黄薬師の気質だった身内への偏愛ぶりも射雕時代より強まっており、郭芙がワガママに育ったのは黄蓉の甘やかしによるところが大きい。黄蓉自身母親を早くに亡くしているし、絶海の孤島ではママ友もいなかっただろうから、母親としてのお手本や理想像が本人の中に無かったのが原因かも。
また指導者としての素質も、郭靖同様微妙なところがある。自分が気に入らないからと楊過に武術を教えなかったのはかなり陰湿(その代わり学問を教えれば真人間になるでしょ、と本人は考えていたが、楊過にきちんと向き合ってないことには変わりないから意味がない)。やってることは全真教とどっこいである。郭芙や武兄弟にしても、武術はともかく人格の方はちゃんと育てられてる感じはしない。
色々損をするような描写はありつつも、神雕全体では屈指の智将として出番多め。耶律斉の師匠にいち早く気づく、丐幇大会に紛れ込んだクドゥの正体を見抜く、など鋭さは作中随一。武術の強さも、クドゥや李莫愁といった一流クラスに打ち勝っており、黄蓉を真正面から破れる相手は少なかった。

武功
天下五大達人の一角である父から、幼少より武術を学ぶ。本人の資質も高く、逍遥遊のような簡単な技ならあっという間に習得してしまう。初期は郭靖よりずっと上の実力だった。中盤以降も九陰真経や打狗棒法を学び、一流クラスの達人と渡り合っている。格上の敵に対しても優れた智力を用いて罠にはめて倒すなど、単純に武功でははかれない強さも持つ。また防御面は父にもらった軟衣甲のおかげで外功にはほぼ無敵。そのため作中でまともに怪我を負ったのも裘千仞の時くらい。
神雕時代も修行を積んでさらに腕を上げている。が、ちょうど郭襄達を妊娠していたため、万全に戦えるようになったのは李莫愁戦から。

落英神剣掌
桃花島の代表的武功。父の黄薬師も得意技として用いる。射雕時代はそこまで極めていなかったのかあまり使用されない。神雕では腕を上げ、これで李莫愁にとどめをさした。

蘭蘭花拂穴手
桃花島武功の一つ。点穴技。穆念慈戦で使い、素の実力差もあってあっさり倒す。どういう理論か不明だが料理にも応用出来、作中では豆腐を丸くカットするのに使った。

玉簫剣法
桃花島武功の一つ。神雕時代に宴席で披露したことが武兄弟の口から語られる。作中で主に使用したのは楊過の方。

奇門遁甲・五行八卦術
桃花島に伝わる陣法。相手を迷路に閉じ込めたり、突破不能の壁を作ったりする。陣法に無知な場合基本的に打つ手が無い。射雕時代は自分で運用出来ず、敷かれた陣の中を問題なく出入りするくらいだったが、神雕では自在に使いこなし、強敵の金輪法王を迎え撃った。

逍遥游
師匠の洪七公から伝授。わずか数時間で習得。作中では穆念慈をいじめる時と、丐幇大会の時くらいしか使われなかった。まあ教えた七公自身が大した技じゃないと言ってるし、黄蓉の方も「靖さんより私が強くなったら意味がない」と答えている。恐らく、後に弟子になるための布石にしておきたかったのだろう。

打狗棒法
師匠の洪七公から伝授。丐幇歴代幇主に受け継がれる守りの武功。全三十六手のみだが威力は絶大。射雕時代は習得間もない時点で既に丐幇の長老たちを破るほどの威力を見せた。神雕ではさらに奥義を極めたようで、身重の上体でもクドゥを圧倒した。幇主としての立場もあってか、作中では桃花島武術よりこちらの方を使う局面が多い。

九陰真経
伝説の武功奥義。作中では五大達人の手を借りつつ、郭靖と一緒にいくつかの武功を学んだ。丐幇の大会では相手を操る移魂大法を使用。とても便利な技に思えるが作中で使用したのはここのみ。続編の神雕では真経をもとに内功を磨いた模様。それでも最上級クラスの達人には及ばなかったため、恐らく真経の習得も一部に留まっているものと思われる。しかし後年では打倒モンゴルのため九陰真経を研究し、いくつかの奥義を倚天剣に隠して保存した。これらの技は促成のため黄蓉の改良が加わっていると作中で説明されている。

人間関係
郭靖
最愛の恋人にして後の夫。

黄薬師
最愛の父にして五絶の一人。黄蓉の素の性格の悪さは恐らく(というか確実に)彼のせい。武術から学問まで一通り教わっているが、なにせ父親が希代の天才なため、黄蓉の賢さをもってしてもその全てを学びきることは出来なかった模様。

洪七公
師匠にして五絶の一人。作中随一の人格者だけあって黄蓉も彼の言うことは素直にきく。神雕では何度か彼を探しに出たが、結局再会出来ずじまいだった。

欧陽鋒
最大の敵にして五絶の一人。黄蓉は常に殺意まんまんだったが、郭靖があーだこーだ言ってとどめを刺そうとしないので、結局生き延びてしまう。が、偽九陰真経を用いて欧陽鋒を狂わせ、間接的に仇討ちを果たす。

段智興
五絶の一人。内傷を治療してもらう。神雕でも郭靖を差し置き二回ほど再会。黄蓉が楊過に南海神尼の嘘をついた時は話を合わせてもらった。

楊康
郭靖の義兄弟だが終始嫌っていた。まあ彼のせいで色々ひどい目にあわされたので仕方ない。ちなみに楊過が死んだ原因は黄蓉と欧陽鋒にあり、後に色んな厄介をもたらすこととなった。

穆念慈
楊康の恋人。一時は郭靖の許婚にされていたので、黄蓉は嫉妬のあまり彼女を殺そうとした。その後は仲良くやっていたものの、終盤で半ば事故とはいえ恋人の楊康を殺してしまったので、黄蓉からしたら色々気まずかったと思う。

コジン
モンゴルの公主。実際に会うまで郭靖が許嫁のことをまったく説明しなかったので、黄蓉からしたらまさに青天の霹靂。現代的に言うなら、未婚だと思ってた彼氏が実は既婚者でしたみたいな感じだろうか。最悪。そのうえバカな郭靖が「さきにやくそくしたのでコジンとけっこんします。でもおようはすきです」とかクソみたいなことをのたまうのでさらにダメージを受けた。多分この時がカップル最大の危機だったと思う。

欧陽克
欧陽鋒の甥。一方的に惚れられて大変迷惑していたので、常に殺意まんまんだった(まあもともと悪人だし)。明霞島では岩の下敷きにするがしぶとく生き延びる。

裘千仭
鉄掌幇の幇主。黄蓉に致命傷の傷を負わせた。自分の油断が悪いと考えていたのか、作中では仕返しをすることもなく終わった。

江南七怪
郭靖の師匠達。序盤は嫌われていたが、だんだん仲を認められるように。が、作中最大の悲劇によって柯鎮悪以外は死亡。
柯鎮悪には兄妹の仇と恨まれたが、一時行動を共にしたことで和解。郭靖との結婚後は桃花島で数年一緒に暮らしていた。きっかけは柯鎮悪が博打で借金を作ってしまい、弟子のとこへ逃げてきたというアレな理由だが…。ちなみに借金は黄蓉が裏で手を回し返済している。柯鎮悪同様、黄蓉も偏屈な面があるので、案外気は合う模様。

丘処機
全真教長老。洪七公に五絶の説明をされた時、黄蓉は父と比較してその武功を全然大した事ないと評価(でも、この時の黄蓉が丘処機と戦ったら多分負けると思う……)。郭靖と穆念慈をくっつけようとしたり、勘違いで父親に戦いを挑んできたりしたこともあって、射雕時代は一方的に嫌っていた。
神雕期は黄蓉も大人の対応が出来るようになっていたが、とうの全真教が堕落気味だったので、一部の長老達を除いてやはり悪い印象を捨てきれなかった様子。

梅超風
姉弟子。趙王府で会った際は父の名を利用してこき使う。が、一門に忠実な梅超風はそれも恨みには思わず、その後もお嬢様と恭しく応じていた。

楊過
楊康の息子。桃花島へ引き取った際自分の弟子にするが、武芸を教えず学問だけやらせた。常日頃の生活でも思いやりを見せず、英雄宴で再会した時は「私のことは恨んでも構わないわよ」と開き直り。ひどすぎ。作中では何回か歩み寄る局面もあったが、黄蓉も楊過も互いに賢すぎるのが災いしてうまくいかなかった。
とはいえ、絶情谷では見事なコンビネーションで公孫止を挑発したりする面も。諸々の問題が無ければかなりいい関係にはなっていたと思う。

小龍女
古墓派の後継者にして楊過の師。黄蓉に悪気はなかったといえ、作中では小龍女の二度目の疾走と崖ダイブの原因を作ってしまった。師弟結婚問題に関しては途中でさじを投げたのか、常識の通用しない相手だと考えたのか、後半は黙認気味。

郭芙
長女。自分と夫の悪い部分だけを見事に受け継いでしまう。黄蓉の偏愛教育もあってモンスターみたいな娘に成長。さすがに歳をとってからは黄蓉もそのダメっぷりを後悔したが、既に手遅れだった。

郭襄
次女。長女の失敗を反省して躾けたが、こっちは黄蓉の奔放さを受け継いでしまい別ベクトルで手を焼く。おまけに恋心を抱いた相手がまさかの楊過だったので黄蓉からしたら親の悩みは倍増。とはいえ、賢いところや一途なところに自分と似た面影を見出しているのか、三人の中では一番愛おしい存在であると内心で打ち明けている。

郭破慮
長男。長女の(ry。父親似で控えめな子。恐らく一番手がかかってない子。

武敦儒・武修文
弟子。郭靖が師匠だが、黄蓉もある程度武術を教えていたようだ。揃ってポンコツで、作中黄蓉から何度か説教されるもそこから成長した様子はない。

李莫愁
古墓派の使い手。江湖で悪名を売り、好き放題に暴れていたが黄蓉の前では武芸・知略一歩劣り完全に抑え込まれる。赤子の郭襄に向けた愛情には一定の理解を示した。

金庸考察 『神鵰剣侠』より 郭靖はいつから楊過夫婦の禁断の恋を認めたのか

金庸の武侠小説「神雕剣侠」では、楊過と小龍女師弟の禁断の恋が描かれる。武林において、師匠と弟子は恋愛してはならない決まりがあったのである。
しかし楊過は、モンゴルに対抗すべく多数の豪傑が集った英雄宴にて小龍女を妻にすると宣言、人々から非難を浴びる。
そんな楊過を誰よりも心配したのが、名付け親であり伯父の郭靖だった。
彼は楊過が人の道に外れるのを止めようと説得するも、一向に聞き入れてもらえないので激怒し、最後には命をとる寸前までいった。

ところが、問題はその後だ。郭靖はいつの間にか楊過カップルの関係へまったく口出ししなくなるのである。英雄宴での怒り具合を考えると、このスルーぶりは実に妙だ。

そこで今回は、郭靖が二人の仲を容認するようになった経過を考察していこうと思う。

さて、問題が発生した英雄宴以降、郭靖と楊過はそんなに顔を合わせていない。二人が次に会ったのは、郭靖が襄陽でモンゴルと戦っている時だ。この時、楊過は郭靖を親の仇とつけ狙っており、かなりかたい態度をとっていたのだが、郭靖は楊過と小龍女が揃ってやってきても何事も無かったかのように温かく出迎えた。そしてしばらくの間一緒に過ごすものの、最後まで楊過に小龍女との関係を聞いたりしていない。まるで結婚問題なんてはなから無かったかのような態度だ。唯一、黄蓉に対しては楊過が人の道を踏み外さないようにしないと、と口にする場面はあったが、軽く流されてしまった。
というわけで、英雄宴~襄陽での再会までの間で、郭靖の認識に変化が起きていたと考えるのが自然だろう。

では、その変化のきっかけは何か。
一つは、やはり黄蓉の命を助けてくれたことかもしれない。英雄宴の直後、郭芙が金輪法王に浚われてしまい、黄蓉も危機に陥ったところを、現場に居合わせた楊過と小龍女が法王を撃退してくれた。その後、法王は再度襲撃してきたが、またしても楊過が駆けつけて(この時小龍女は疾走して行方不明)、黄蓉を救っている。
郭靖からしたら、この恩は非常に大きい。英雄宴での活躍も含めれば、彼の楊過に対する株の上がりっぷりは相当なものだったはず。
とはいえ、その恩と楊過が人の道を踏み外そうとしている点はやはり別問題だ。むしろ郭靖の性格からふれば、妻を救ってくれた恩返しに、楊過の将来のため、一層結婚についてきちんと諭してやらねば、くらいに思ってもおかしくない。

では、誰かが郭靖に楊過の結婚を認めるよう説得したのだろうか。そういう家庭事情にまで口を出せるのはやはり身内が限度だろう。となると、一番身近にいるのは黄蓉だ。彼女は、一緒の部屋にいながら別々の寝床で休むという、夫婦としては不可解な関係性の楊過カップルの姿を目にしている。あの二人は普通じゃないからもう放っておきましょう、くらいのことは夫に言ったかもしれない。しかし、神雕以降の黄蓉はすっかり封建社会の賢妻といった感じで、郭靖の意向には余程のことがないと逆らわない。彼が楊過・小龍女の結婚に反対の立場をとる以上、黄蓉が賛成・容認側になって説得する可能性はかなり低いはず。そのうえ黄蓉は楊過を好いていないので、彼の恋愛事情にわざわざ深く突っ込むほどの熱量があったとも考えにくい。

うーん、色々語ってみたが、郭靖の考えの変化はやはり謎だ。
もしかすると、金庸先生もストーリーを進めることばかり意識して、このあたりは描写する余裕がなかったか、見落としちゃったのかな。うんうん。じゃ、この考察はそういうことでオシマイ!

…と思いきや、一人だけいたのである。
郭靖を完璧に説得出来る人物が。

そう。舅の東邪・黄薬師だ。
実は黄薬師は、本編でもっとも早く楊過夫婦の仲を認めていた人物だ。
小龍女を師匠と認め、そのうえで彼女と結婚したいと主張する楊過を見て「なんと立派な反骨精神! ワシの若い頃にそっくりじゃ! 素晴らしい」と、偏屈な彼にしては珍しく絶賛している。
しかも別れ際に「お前の婚礼を邪魔する者がいれば駆けつけるぞ」とも言っている。人嫌いな癖にお節介な面もあり、前作の射雕では強引に陸冠英と程瑶迦をくっつけて夫婦にしたりしていたから、この手の悩みはお手の物だろう。
さらに重要なのが作中の登場タイミングで、彼と楊過の出会いは英雄宴~襄陽戦の間。おお、ドンピシャじゃないか。
何より彼は郭靖の舅。基本的に目上に従順な郭靖だが、道徳問題となると話のレベルも重い。黄薬師くらい身近でかつ上の立場にいなければ、納得させるのは困難だろう。

てなわけで、黄薬師が動いたと考えればこの謎はほぼ解決だ。
天才な黄薬師のことだから、楊過が伯父に結婚を反対された件も、会話の節々から察することが出来たに違いない。
うーむ、なるほど原因はあのバカ婿か。こうなればわしが一肌脱がねばなるまい。
かくして黄薬師は、戦争準備で忙しくしている郭靖の事情もそっちのけに襄陽へやってきて、いきなり説教を始める。
多分、こんなやり取りがあったのだろう。
黄「靖、お前はどうして若い二人の恋路を邪魔するのか」
郭「あ、いや、義父上、師弟が結婚するのは世間の道徳に背くことですので……」
黄「なにぃ。道徳に背くじゃと。だったらお前こそ蒙古の許嫁との約束を破ってわしの娘とくっついたではないか。人のことが言えるのか」
郭「お、おっしゃる通りですが、あれは事情が特殊ですし、何より私達の婚礼は義父上が認めてくださいましたし……」
黄「あぁん? 目上が決めたら納得するのか。じゃあわしが楊過夫婦のことを認めたら、婿のお前は当然従ってくれるんじゃな?」
郭「ですが義父上、それではあの二人が世間から、礼儀知らずだとか人の道に沿っていないとか非難されてしまいます」
黄「バカモン! この東邪の婿になっておいて世間の礼儀道徳に囚われるとは何事か! 俗物共には好き放題言わせておけばよい。あの二人が夫婦になって誰の迷惑になるというのか。お前のように頭のかたいヤツが多いから世の中には不幸が絶えんのだ。とにかく二人が結婚したいというなら全力で応援せよ。でなければわしはお前と親子の縁を切るぞ! わかったか!」
 口下手な郭靖が黄薬師に反論出来るはずもなく「はい、はい。おっしゃる通りにします…」と答えるのが精一杯。どのみち相手は江湖最強クラスの達人で自分の舅。強く言われたら従うしかない。
 それに郭靖も根が単純だから「まあ父上があそこまで言うんだから、師弟の結婚は案外大した問題じゃないんだろう。世の中には父上や周の兄貴みたいな変人も多いしな」とそのうち納得したのではなかろうか。

 というわけで、導き出された回答は黄薬師が郭靖を説得した、でした。黄薬師があのタイミングで物語に登場したのも、きっと金庸先生の綿密な計算によるものだったのだろう。やはり先生は偉大である!

金庸考察 華山論剣の謎 

 金庸の武侠小説「射雕英雄伝」に登場する伝説の奥義書・九陰真経。本書をめぐって、作中では武術家達の激しい争奪戦が蹴り広げられた。最終的に、華山の頂上に集った達人達が腕比べを行い、勝利した全真教の王重陽が九陰真経を得ることになった。これが「華山論剣」である。

 金庸作品では、多数の武術家が一同に介して戦いを繰り広げるイベントがしばしば登場する。ところが、この崋山論剣は謎なところが多い、不思議な大会だ。

 まず、主催者が不明。他の金庸作品では少林寺のように実力のある門派や、朝廷のような巨大組織が音頭をとるのだが、論剣は舵取りをした人物や組織について一切語られていない。そのせいなのか、作中終盤で開催された第二回の論剣も、達人たちが自主的に集まって開催、そして決着らしいものもつかないまま解散するというグダグダぶりだった。第一回は「九陰真経争奪戦」という明確な目的があるが、二回目は開催意図も曖昧。恐らくは「天下第一を決める」なのかもしれないが、それなら尚更準備と運営くらいちゃんとやるべきだろう。
 また戦いのルールも不明。一応、論剣の名の通り、最初は剣術を競っていたらしい。作中では第一回論剣時、洪七公と欧陽鋒が剣術で他の達人に遅れをとり、以来剣を捨てて他の得物を使うようになったことが語られている。もっとも、剣で勝負がつかなくて途中からルールを変えたのか、五絶は各々の特技(蝦蟇功や一陽指など)をぶつけ合い、その結果東西南北の四人が互角、王重陽がその上という結果になった。第二回にいたってはみんな好き勝手に戦っている。つまりルールも相当いい加減だったようだ。
 第一回は、作中の描写からすると招待制だったらしい。中には裘千仭のように実力不足を感じて参加を断る者もいた。また、規模もそこまで大きくなかったと感じさせる描写がある。例えば、王重陽が論剣に連れてきたのは弟子の王処一と義弟の周伯通のみだった。乱戦状態になるのを避けるため、同勢力の参加者は数人のみ、みたいな規定があったのかもしれない。第二回では丘処機や趙王府の食客軍団をはじめ、参加する気があるのか見物のみなのか、とりあえず崋山に赴いた人間はいたが、それでも少数である。というか、この人達も肝心の論剣が始まる前に退場しちゃったし…。
 仮に小規模な大会だったとして、そうなると不可解なのが開催期間の長さだ。作中では決着までに七日七晩かかったという。まあこれは諦めの悪い西毒とか、プライド高くて負けを認めたがらない東邪あたりがゴネて勝負を引き伸ばした、とか考えてもいいけど…。
 他にも意味不明なのが「二十五年に一度」という開催ルール。いくらなんでも長過ぎ。何故そんなに開催期間を空けるのだろうか。注目すべきはやはり二十五年という数字。世代交代が起きるくらいの間隔だ。それだけの時間が経てば、第一回の頃に絶頂期だった達人も死んだり衰えたりしているだろう。なので好意的にとらえるならば、新世代の五絶を定めるため二十五年間隔の開催にしました!といったところだろうか。生憎、作中では二十五年経っても東西南北の達人がピンピンしており、若い世代が参加する余地は殆ど無かったが…。
 このように、実態を見ると運営のグダグダぶりが際立つ「崋山論剣」だが、それでも作中の武林では「物凄い達人達が天下第一を競ったスゴイ大会」みたいな感じで語られている。まあ、集まってる達人の実力は本物だし、間近でそれを見物してた人達が少ないからこそ、余計に神聖視されているのかもしれない。
 ちなみに、続編の「神雕剣侠」終盤でも、低レベルな武芸者達が崋山論剣を称して武芸を競う場面に、主人公たちが出くわしている。
 もしかすると第一回の崋山論剣も、こんな感じでなんとなく達人達が集まり、適当に戦ってただけなのかもしれない。後になってみんなが好き放題に語るうち「奥義書をめぐる凄まじい戦い!」のように神話へ昇華されてしまったのかも。そういえば「倚天屠龍記」でも、楊過が百年前にモンゴルの皇帝をどう倒したかは正確に伝わっていなかった。江湖の噂なんていい加減なものなのだ。
 色々推測だらけになってしまったが、こうやって空想させる余地を沢山与えてくれる金庸先生はやはり偉大である!

金庸考察 射鵰英雄伝 丘処機と江南七怪の十八年を賭けた勝負について考えてみた

金庸の代表作である武侠小説「射雕英雄伝」。
その物語の序盤で、全真教の達人・丘処機は殺された二人の友の妻を探す途中、些細な行き違いから侠客集団の江南七怪と敵対。二度戦っても決着にならなかったため、丘処機は新たに一つの勝負を提案する。それは連れ去られた二人の夫人を捜し出し、彼らの子供に武術を教え十八年後試合をさせる…というものたった。
壮大なスケールの物語に相応しい幕開けなのだが、私はずっと気になっていたことがある。どうして丘処機は江南七怪にこんな回りくどくて長ったらしい勝負を提案したのだろうか。実はそこには、本編では言及されていなかった恐るべき真実があったのだ。
というわけで以下、語っていきます。

まずは事の発端から整理しよう。
丘処機は旅の途中で知り合った二人の青年、郭嘯天と楊鉄心と友の契りをかわす。二人は義兄弟で、ちょうどどちらの夫人も子供を身ごもっていた。ところが悪徳官吏の段天徳に二人は殺され(鉄心の方は生きてたことが後に判明)、夫人は誘拐されてしまう。怒りに燃える丘処機は段天徳を追うが、相手はたくみに逃げ回り、法華寺の焦木大師のもとへ「狂暴な道士に追われている」と嘘をつき匿ってもらう。
焦木は自分の実力を遥かに上回る丘処機を止めるため、旧知の江南七怪に助力を依頼した。
かくして、丘処機と七怪は酒楼で対面。しかし話しても話がこじれるばかりなので、両者は勝負をすることになった。

一戦目は、丘処機が持ってきた巨大な鼎の酒を飲み干せるかの腕試し。七怪は丘処機が投げつけてくる鼎を、それぞれの特技を使って受け止め、酒を飲み干す。いったんは丘処機が負けを認めたものの、結局段天徳探しのため法華寺に入らせろと言い出したので交渉は決裂してしまう。

二戦目は法華寺での直接対決。江南七怪に加え焦木も含めた八対一の激戦にもつれ込んだが、結果は相打ち。途中で毒を浴びた丘処機は、戦闘後解毒剤を七怪に処方してもらったことを理由に、自分の負けを宣言する。が、七人がかりでほぼボコられる一方だった七怪は納得せず、三戦目の勝負をすることになった。

三戦目が、冒頭でも述べた例の勝負である。内容は以下の通り。
1,七怪は郭嘯天の夫人、丘処機は楊鉄心の夫人を探す。
2,二人の夫人は身ごもっているので、子供が生まれてきたら武芸を教える。
3,十八年後、子供達を試合させて決着をつける!

さて、こうして改めて並べてみると、三戦目はあまりに内容を盛り過ぎというか、どうしてここまでやらなければいけなかったのか?という疑問がわいてくるのではないだろうか。
この勝負を提案した丘処機の立場になって考えてみよう。
一戦目と二戦目が発生した原因は、要するにしょうもない勘違いと話し合い不足からである。特に二戦目では両者が死にかけたうえ、騒動の元凶である段天徳にはまんまと逃げられてしまった。とんだ失態である。江湖でうわさが広まったりしたら、地元で有名な七怪にとっても、天下に名高い全真七子の丘処機にとっても肩身が狭いではないか。
つまり三戦目の勝負は、そうした醜聞を、よりスケールの大きい義侠の行いで上書きしてしまおうという意図があったのではないか。「七侠と丘大侠は忠臣の遺児を探して立派な武芸者に育てようとしているそうだ」となれば、江湖の人々もそれは素晴らしい!と賞賛して、前座になったしょうもない一件もスルーしてくれることだろう。
それに、七怪は勝負ごとにかけてかなり執着心が強い集団である。二度の勝負を経て、丘処機もそうした気質を心得ていたはず。勝負をやたら面倒くさくしたのは、これだけ時間と手間をかけまくれば勝っても負けても「あ~疲れた。まあ十八年も頑張ったからもういっか」と気持ちの落としどころがつくだろうと、考えたのではないか。

なるほどさすがは全真七子の丘処機、ちゃんと七怪へのフォローも考えてこんな勝負を提案したんだね!
……と、納得するのは早計である。
何故ならこの勝負は、丘処機が圧倒的に有利になるよう仕組まれたゲームだったからだ。

え?どこが?と思う方もいるだろう。確かに一見すると公平な感じの勝負だ。が、以下を読んでいただければ、これがめちゃくちゃ不公平なバトルとして仕組まれていた事実がわかるはずである。

1,教える武術の質が不公平
この三戦目の勝負は、丘処機と七怪が生まれてきた子供にそれぞれ自分たちの武術を教える、といったことが内容に盛り込まれている。実はこれがそもそも不公平なのだ。
全真教の武術は、開祖の王重陽がかつて天下第一の称号を得たことからわかるように、大変強力なものである。とりわけ内功に関しては、敵味方問わず作中のあらゆる武芸者達に絶賛されている。
一方の江南七怪。すりや馬術などそれぞれ見るべきところはあるものの、外功・内功どれをとっても名門の全真教に及ぶものではない。
つまり子供へ教える武術自体に、圧倒的な差があるのだ。

2,教える弟子の素質が不公平
法華寺での話し合いでは、七怪が探すのは郭夫人、丘処機は楊夫人、という取り決めになったが、これがそもそもクサイ。七怪が前者になったのは、法華寺の戦いで段天徳が彼女を連れていてその姿を目撃していたからなのだが、この時彼女は兵士の格好に偽装され、皆はよく顔を認識出来ていない(盲目の柯鎮悪は声を聞いたので絶対に忘れない、と言っていたが、結局子供見つける役には立たなかった)。
つまり、丘処機も七怪も殆どノーヒント状態なので、どっちがどっちを探そうとも苦労の度合いは変わらない。本当に公平にやるのであれば、くじ引きで探す相手を決めてもよかったはずだ。しかし、丘処機はあえて何も言わなかった。なぜか。
武術を習得するには、本人の素質も非常に重要である。事実、苦労して郭靖を見つけた七怪は、その素質の無さにガッカリしており、実際の修業でも相当手こずっていた。
恐らく丘処機は、郭家と楊家のうち、教えるなら後者の方が有利になる、とはなからわかっていたのだ。というのも、彼は牛家村で二人の父親と会っており、楊鉄心とは手も交えている。七怪でさえ、出会ったばかりの郭靖の素質不足を見抜いたのだ。達人の丘処機なら猶更だろう。郭・楊の二人の挙動などから、楊家の方が武術の素地として優秀だと判断したに違いない。親の素質は、そのまま子供にも受け継がれるはず。そして案の定、郭靖と楊康の才能差は歴然としていたのである。

3,組織力の差が不公平
七怪は郭靖を見つけてから、その指導にかかりきりで、蒙古に留まり故郷へ帰ることも出来なかった。
十年目のある日、突然丘処機の弟子・尹志平が手紙を届けてくる。そこでは「近況いかがですか~。こっちも楊家の子を無事見つけましたぁ。てなわけで約束通り対戦よろ!」と述べる以外に、蒙古で張阿生が亡くなったことまで言及していた。恐るべき情報収集力だが、これにはもちろんわけがある。
この時期の全真教は絶賛勢力拡大中。七子は多くの弟子をとっていた。丘処機も各地に散らばる仲間から、色々情報を聞き及んでいたのだろう。また、尹志平が(師匠の許可を得ない自己判断とはいえ)郭靖と腕試しをしたことで、うまい具合にその実力を偵察出来てしまった。
丘処機本人は一対一のつもりかもしれないが、仲間が大勢いればそれは自然と差に繋がってしまうのだ。七怪は楊家の子の情報を何一つ持ってないのに、こっちは郭靖の実力が筒抜け。ひどい話ではないか。

要するに、丘処機は一流の武術と素質のある弟子とついでに組織力までも使って戦おうとしてたわけである。これじゃ一介の武芸集団に過ぎない七怪が勝てるはずもない。察しのいい柯鎮悪や朱総あたりは、手紙をもらった時点で「しまった! あのクソ道士にはめられた! 全然公平な勝負じゃないじゃん!」と思ったに違いない。
もっとも、丘処機も勝負を提案する段階で「武芸だけでなく智力と忍耐力を競い」云々いっているので、有利な結果になったのも「智力」を用いただけなんですよぉ~と言い逃れ出来なくはない。なんという策士。

こんだけ不公平なので、全真教側でも「こりゃイカン」と考える者が出たのは当然のこと。教主の馬鈺は再三勝ちを譲るよう丘処機を説得していたことが、作中でも述べられている。多分こんなやり取りがあったのだろう。
馬「丘師弟。天下の名門たる全真教が、こんな不公平な勝負をしてはならん。はやくあちらへ勝ちを譲って詫びてきなさい」
丘「何を言います師兄。私はもう二度も七侠に負けているのですぞ! このうえ三度目の敗北を喫したら、それこそ一門の恥。それに七侠も頑固ですからな。試合もせぬまま勝ちを譲ったところで納得しますまい。何より十八年もかけた大勝負。約束はきちんと果たさねばならんのです!」
馬「(うーむ、言うだけ無駄か。七侠も大変よな。馬鈺、動きます)」
そんなわけで、馬鈺は教主の任もほったらかして、七怪のフォローのために砂漠で数年も過ごす羽目になるのである。

やがて、ついに約束の十八年目がやってきた。この日に備えて万全の対策をしていた丘処機は、自分の勝ちを確信していただろう。
が、予想外のことは起こるもの。
趙王府における戦いで、楊康は全真教の師叔を傷つけたのみならず、自分の産みの親を見捨てて売国奴になりさがった。
丘処機は武術の方こそしっかり鍛えたが、人格はまるで育てられていなかったのである。
かくして、三度目の勝負で本当の敗北を認めることとなった。彼もこの一件を経て、深く反省したに違いない。武芸者に必要なのは力の強さではなく心の強さなのだ、と。

……と思いきや数十年後にまた同じようなやらかしをしてしまうのだった。まるで成長していない……。

雪山飛狐 レビュー

金庸三作目の武侠小説。伝聞形式で進む物語と、あんまりなラストで有名な一作。
一部ネタバレありなのでご注意ください。

ものがたり
清朝の乾隆治世。とある雪山の荘に招かれた武林や緑林の豪傑達。彼らは百年前の胡・苗・范・田の四家が作った秘密に関わりを持っていた。その秘密は山荘に隠された財宝、そして雪山飛狐を名乗る凄腕の男の正体を暴き出していく…。

武侠というのはアクションあり恋愛ありファンタジーありな総合エンタメだけど、金庸先生は特にミステリーの描き方が素晴らしいと思う。史実を絡めた壮大な謎を武侠らしいロジックやアイテムで巧みに解いていく。後期の倚天屠龍記、連城訣、笑傲江湖はその真骨頂。しかし初期作品である本作も負けていない。短い物語ながら謎のスケールはかなりのもので、登場人物が順々に謎の核心を語っていく展開も、食い違いや嘘が入り交じって引き込まれる。まともに見えたキャラがむしろ酷い隠し事をしていたりと、とにかく語りが上手い。もっとも、本筋の謎を一番ややこしくさせていた要因がいつもの「話を聞かなすぎる登場人物達のケンカ」だったのは笑えるけど。
胡一刀と苗人鳳のバトルは語りによる回想形式で展開されるが、それゆえにバトルの臨場感やそれぞれの人物像がより印象深く浮かび上がってくるのが面白い。このパターンは笑傲江湖の序盤でも出てきて、そちらはさらに洗練された場面となっている。

謎解きが終わった後、ようやく中心人物の雪山飛狐が登場する。が、そこから終盤まではさすがに色々詰め込みすぎだと感じた。胡斐と苗若蘭の恋物語もかなりの急展開。ちなみに胡斐は二十七歳らしいけど、若蘭への対応や思考は童貞臭が凄い。「俺は別に下心を抱いているのでは無いのだが、点穴を解くためには体に触れる必要があるので、許してもらえぬか?」とかいちいち言うあたりがもう…。何でしょうね、この礼儀正しく振る舞おうとして予防線を張りまくってる感じが堂々としてないっていうか。これが古龍作品のキャラなら「フッ、悪いが温室育ちのお嬢様は趣味じゃないんでな」とか何とかキザなこと言ってさくっと点穴解いてそうな気がする。やたら仇討ちに戸惑うモノローグも多くて、鳴り物入りで出てきた割にいまいち格好良く描かれていないのが残念。

ラストのオチは色々言われるが、個人的には碧血剣の方がえぇ…という感じだったのでまだ受け入れられた。まあいいか悪いかで言ったら悪いんだけど、とりあえず作中最大の謎は明かされてるし、大半の登場人物に関しては話もケリがついてるしね。このラストは、苗人鳳に対してとどめの一手をさせる状況にある胡斐が決断をためらう場面になってしまっているから読者としては「決断しろよ!」な心情になってしまうわけで、二人が拮抗したままどちらが勝ったのか真相は雪の中…みたいなエピローグにしたらまだマシだったかも、という気はする。
しかし外伝まで描いたのに本伝の終わりは結局このまま、というのはもはや一種のギャグに近いですね…。

ちょろちょろ文句は言いつつも、読んでる間はページをめくるのに夢中になってしまうんだから、やっぱり金庸先生は偉大。外伝のレビューはいずれまた。

碧血剣 レビュー

金庸の武侠小説二作目。タイトルの碧血は中国故事で強い忠義を意味する。

ものがたり
明朝末期。悲劇の名将・袁崇煥の遺児である袁承志は、父を陥れた崇禎帝、ホンタイジへの仇討ちするため崋山で修行を積む。奥義を究めて下山した袁承志は、師に秘密で得た「金蛇朗君」の遺産のため、江湖の因縁へ巻き込まれていく…。

オーソドックスな作りで武侠小説初心者には大変優しい作品。ストーリーは直球だし、序盤から主人公が出てくるし(金庸小説は基本的に主人公の登場が遅い)、長さも日本語訳で三巻とちょうどいい。全体的に癖が無く、すらすら読み進めることが出来る。
江湖の世界観がかなり大人しいし、武術描写もまだまだはっちゃけていない。特に袁承志はかなり旧来の道徳観念を引きずった(ようするに真面目すぎる)キャラで、それが面白みの無さに繋がっている気もする。

本作の面白さは、後の金庸作品の定番キャラクターの原型が随所に見られるところ。
例えば凶暴で嫉妬深いメインヒロインの夏青青は、後の阿紫や郭芙を彷彿とさせる。他にも、恋愛を拗らせ闇落ちした何紅薬は神鵰侠侶の李莫愁、お色気姉様な何鉄手は笑傲江湖の藍鳳凰の原型といったところか。可憐なサブヒロイン達にも後続作品の面影が見える。
また忘れてはならないのが金蛇郎君。金庸名物の一つ、主人公を振り回す師匠の元祖的存在である。善悪や常識にとらわれぬ思考と行動力、圧倒的な強さ、正道から外れた武功奥義など、後の金庸師匠キャラに与えている影響は非常に大きい。袁承志との関わりは間接的ながら、彼が巻き込まれる江湖のゴタゴタはほぼ全てこの金蛇郎君絡みである。むしろ正式な師匠であるはずの穆人清は出番も少なく、戦闘でも見せ場が殆どない。

そのほか、史実のキャラや故事の引用が非常に多いのは初期金庸作品の特徴だと思う。何となく歴史小説の初心者やプロ成り立ての作者は、知識自慢やリップサービスでやたら史実絡みの小ネタを盛り込んだりするけれど、まあこの頃の金庸先生もそんなノリだったのかもしれない。後期になるとこのあたりは洗練されて出し方も嫌みがないというかとても自然な感じ。

個人的に、ラストはかなりもやもやした。王朝や組織が滅んでしまい新天地を求めて海外へ行くというのは、伝統的な古典武侠小説でもよく見かける展開。袁承志の場合、明も清も父の敵だし、李自成は堕落するしで、どこにも属する場所を見いだせなかったという心情もわからなくはない。それでも「戦うのは天下の民のため」と散々口にしているわけだから、引き続き国に留まって人々を助け続けるというのじゃダメだったんだろうか。一応、冒頭で海外へ旅立つ伏線を張っていたとはいえ、どうにもスッキリしない。この反省?があったのか、後の射鵰英雄伝の郭靖は民衆のために戦い続け、まさに民のための英雄らしく描かれている。描き方としては、やっぱりこっちが正解だと思う。

読みやすさとしてはお勧め出来る作品だけれど、金庸ワールドを堪能するならやはり一冊目は「射鵰三部作」を推したい。

書剣恩仇録 レビュー

金庸の武侠小説第一作。

ものがたり
清朝の乾隆帝治世。反清秘密結社の二代目首領となった貴公子・陳家洛は配下の豪傑達と共に乾隆帝へ挑む。その中で明らかになっていく、陳家洛と乾隆帝の秘密。敵同士であるはずのは二人に、複雑な関係が生まれていく…。

処女作とは思えないほどの完成度。時系列が複雑、主人公が中盤まで出てこない、本筋の話がなかなか明らかにされない、など一見読みにくい始まり方にも関わらず、そのリーダビリティは圧倒的。どんどん引き込まれてしまう。
悪の朝廷vs義侠の武芸者達、という構図は当時の伝統的な武侠小説の王道でもあるけれど、そこに色々捻くれた設定を入れているのが金庸先生らしいところ。互いに話を聞かなすぎるせいでグダグダな乱戦に発展する流れはこの頃から存在。まだ江湖の世界観が出来上がってないのか、スケール感が小さくて人間関係がやたら狭い。出会う武芸者がことごとく知り合いだったり身内なのは笑える。

いかにも高貴な育ちを感じさせる陳家洛は、金庸主人公だと珍しいタイプのキャラかもしれない。人格武術殆ど完成された状態で登場するので安心して読める一方、あまり成長を感じられないところは少し残念かも。
気になったのは、男キャラがどれも女性絡みになるとダメダメなとこだろうか。結果的にカスリーを死に追い込んだ陳家洛、妓女にデレデレする姿が権威がた落ちな乾隆帝、惚れた女に騙されて自分の腕を切り落とす無塵道人(作中最強格のキャラだけに、こんなエピで腕を無くしたというのが間抜けすぎる)など…。そのせいで、彼らに惚れるヒロイン達の株をも下げる結果になっていると思う。女性側も駱冰はちょっとな…。恋愛脳過ぎるキャラはどうも苦手だ。

乾隆帝がやたらこき下ろされていると思ったら後書きに金庸先生の答えらしきものが書いてあった。陳家洛との腹兄弟設定は、民の上に立つ天子と、民の側にいる紅花会、両者の対立や理解を描ける面白そうな要素だったと思うんだけど、乾隆帝が結局単純なワルに成り下がってしまい、いまいち話の中で活かされていない気がした。個人的に、金庸先生はライバルキャラの描き方がうまくないと思う。射鵰英雄伝の楊康とかもそうだけど、ひたすらライバルの株を下げるような描写を重ねていくので最終的にやたら小物になってしまう。

本作で一番魅力的なのはやはり張招重ではないだろうか。殆どの金庸作品において、序盤に登場する敵は大抵インフレにおいていかれて中盤だと雑魚扱いになってしまう。が、張招重は最後まで最強の敵として君臨し、かつ戦力がどんどん充実していく紅花会を相手にほぼ一人で渡り合うなど、圧倒的な強さと存在感を誇る。最期も改心したりせず悪役を貫いたのが見事。

最初の金庸小説なら他の作品の方が良いとは思うけれど、文句なく面白い一作。

武侠映画「辺城浪士」と「仁者無敵」の謎

1993年公開の香港武侠映画「辺城浪士」。原作は武侠小説御三家の一人・古龍の同名小説。日本でも「英雄剣」のタイトルでDVDが販売されている。

で、この「辺城浪士」、実はかなり色んなバージョンが出回っているらしく、ネットを見ていてもノーカット版と編集版の二つをよく見かける。ちなみに日本に入ってきているのは編集版のようで、シーンのつなぎにかなり不自然な部分がある。
じゃあノーカット版はしっかりしているのかと思えば、やはりまだ不自然な途切れが残っていて、長年疑問だった。

そんな中で発見したのが「仁者無敵」という作品。サムネがまんま辺城浪士なので、てっきり中国映画によくある別題かと思って中身を見てみたら、これが全然辺城浪士と違う。といっても、キャストは同じだし、どちらの映画にも共通したシーンが30分くらいある。何より重要なのは、辺城浪士でカットされていたと思しき重要な場面が映像化されている! 何コレ? どゆこと? と思って百度の記事をあたったら、真相が書いてあった。何でも、最初は一つの映画として撮影したものを、それぞれ二つに分けて放映したというのだ。
じゃあ、この二つを一緒に見れば、一つの物語としてすっきりまとまった感じになっているのかといえば、それも違う。結末部分や登場人物の最期が全然違っている。だから、片方ずつ見てもストーリーに穴があってわけがわからない、両方見ても終わりが全然違っているので、原作を読まないとどちらが正しいのかわからない、と色々意味不明な事態になっている。
ちなみに「辺城浪士」は1993年の放映、「仁者無敵」は1995年の放映である。どちらも100分くらいの内容。
「辺城浪士」で抜けていた部分を「仁者無敵」のシーンで補って160分くらいにまとめると、綺麗に原作通りでいい作品に
なるんだけど、上映時間の制限とかに引っかかるからこうなったのだろうか。うーむ。

一応、それぞれにコンセプトがあるらしく「辺城浪士」は主人公達の仇討ちに重点が置かれ、「仁者無敵」の方は恋愛に重点が置かれている。が、その重視した部分のせいで、お互いに盛り上がる場面とかを切り捨てているのがもったいない。
例えば「辺城浪士」では、原作の山場である傅紅雪と翠濃の恋愛シーンが丸ごとカット。翠濃はぽっと出てきていつの間にかいなくなる意味不明なキャラになってしまっている。反面、「仁者無敵」は二人の恋愛を全部きちんと映像化しているが、凄腕の剣客・路小佳の出番が全部カットされてしまい「辺城浪士」で見所だったアクションがまったく見れない。それに馬空群の殺し方も物凄く雑。片方ずつ見てしまうと「なんでこのシーンが無いんだ!」となって非常にもどかしくなる。

どうしてわざわざ記事まで書いてこの映画を語るのかというと、結構出来がいいから。アクションもキャストも舞台も悪くない。物語も上述した抜けを除けば原作通り。終盤の傅紅雪vs路小佳は見応えがあって昔はよく繰り返し見ていた。
だからこそ惜しい。誰か、二つの映画をうまくまとめた「完全版」を作ってくれないだろうか。あ、今は動画編集ソフト使えば簡単にできるかな…。

参考百度リンク
https://baike.baidu.com/item/%E4%BB%81%E8%80%85%E6%97%A0%E6%95%8C/1023219