例によって前回からかなり経ってしまいましたが、金陵十二釵考の五人目。今回は李紈について語ります。
劇中の経歴
栄国邸・賈珠の妻。しかし夫は若くして亡くなったため寡婦に。幸い一粒種の息子・賈蘭を生んでおり将来を託す。賈家では家政に関わらず、黛玉ら若い娘達の養育係を務める。皆が大観園入りすると、自身もそこに加わりしばし穏やかな日々を過ごした。家政の柱である王熙鳳が病に倒れた時は、代理で家事を回したことも。終盤、賈家が転落していくなかで息子の賈蘭が科挙に及第し、苦労がようやく報われることになる。
その人物像
賈家の若き未亡人。初読だとまず夫の賈珠って誰…?となるだろうが殆ど話題に上らないのでしょうがない。賈珠は賈政と王夫人の長男で、王夫人いわく「百人の宝玉が死んでも一人の賈珠に及ばない(ひでえ言い草だな)」ほどの秀才だった。李紈は彼が二十歳くらいの時に嫁いできたが、ほどなく病で亡くなってしまう。以後、李紈は再婚も出来ず未亡人として生きることを余儀なくされていた。
紅楼夢では、当時の封建社会における女子の様々な不幸のパターンが網羅されているが、李紈の不幸もその一つ。つまりは寡婦ゆえの悲劇である。
まず賈家は堂々たる貴族なので礼教に厳しい。女性達はみな再婚禁止。一人の夫に生涯仕えることが美徳とされていた。日常的にもいろんな制限があり、華美なお洒落は禁止だし、お祝い事への参加も控えなければならない。いくら社会的に評価されようとも、女性本人からしたら罰ゲーム以外の何でもないだろう。
ちょっと時代はずれるが、「金瓶梅」の西門家なんかは妾の大半が再婚女性、そして家長の西門慶の死後も、残された妻妾達の数名がさらに再婚している。このあたりは庶民と貴族の礼教にたいする意識の差かもしれないが、とても興味深いものがある。
で、話を戻すが嫁いできた女性は家庭内での地位も低い。旧中国の家庭における女性で最も地位が高いのは家長の母(孝の精神に基づいて考えれば母親は敬うべき存在であるため)、それに次ぐのが家長の娘、妻は外からやってきた人間なので最下層の地位になる。ここで男児を産めば家の跡継ぎになるので地位も相応にあがるが、李紈の場合は肝心の旦那がいないため、家政に関わる資格がない。まったくないわけではないが、作中でも王熙鳳が過労で倒れた際のピンチヒッターとして、さらにいえばその時も賈探春の補佐という立場だった。彼女は寡婦ゆえに、家庭内で権力を握れない立場にいるのだ。まあ、見方を変えれば家事のごたごたに煩わされずに過ごせてラッキーといえるかもしれんけど……。
作中における李紈のは、奥方や使用人達から仏様のような人間と称されている。争いを避け、慎ましやかな性格をしていることによるのだろうが、礼儀がちがちの賈家ではそう生きるより他なかったともいえる。実家は学者の家系らしいが、李紈本人は当時の伝統的な慣例に従い、女子が学問をするものではないと考えていた模様。彼女が賈家の姉妹達に教えた学問というのも、賢妻の道を説いた「烈女傳」「賢媛集」などに留まっている。
また家計を切り盛りする段になっても、王熙鳳や賈探春などと比較して有能さを発揮する場面は殆どなかった。賈家は長らく続いた繁栄のせいで堕落しきっており、使用人達は目先の利益をめぐって争う連中が殆ど。そんな環境では、下の人達に優しい主人なんてカモにされるばかりである。とはいえ、同じおとなしやかな善人でも尤二姐や賈迎春のようにならなかったのは、李紈がそれなりに人生経験を積み、トラブルや問題に対処する術を心得ていたからかもしれない。李紈のつつましやかな生き方は史太君や王夫人に賞賛され、それゆえか月々の手当も安定して入ってくるようになっていた。また大観園の詩会では皆のまとめ役を務め会計にも携わっているが、こちらの金も王熙鳳が出している。経済的にはさほど苦労していなかったことがうかがえる。周囲と地位を張り合うこともないので、比較的人間関係も良かった。
しかし、李紈の処世術は封建社会だから通用したものなので、現代社会ではどうなることやら、とも思う。
後四十回では黛玉の最期に駆けつけ、その死を看取っている(寡婦なので二宝の婚礼に参加していなかったため)。終盤における彼女の大きな活躍場面かもしれない。またラストでは息子の賈蘭がめでたく及第、賈家をもり立てていくことが予言された。もっとも、一緒に試験を受けた宝玉が失踪してしまったので、あんまり手放しで喜べる状況ではなかったけど…。
ちなみに曹雪芹の原案では、賈蘭はやはり及第するものの李紈本人はその幸せを享受出来ないまま亡くなったという。