死水微瀾

李劼人の長編小説にして代表作。
四川省を舞台に、清朝末期~辛亥革命を描いた三部作「死水微瀾」「暴風雨前」「大波」の一作目にあたる。

本作では、清末四川における民衆の姿を通して、政府の腐敗や、西洋人に対する様々な反応、革命の先触れなどを描いている。富裕層と貧困層、都市部と農村部、どちらにも属さない結社のやくざ者と、登場人物の階層が明確に分けられており、その格差が物語のキーにもなっている。

日本ではあまり触れられないが、辛亥革命の発生には四川一帯の事件が大きく関わっている。このあたりは以前レビューした郭沫若の「辛亥革命前夜」に詳しい。その革命前の社会状況をリアルに描いたのが本作というわけ。

阿片戦争から五十年が過ぎ、既に列強の強さを思い知っていた中国政府は、ひたすら彼らに弱腰。特に役所では、西洋人が事件に関わると過剰反応し、民衆を片っ端から逮捕する、法をねじ曲げる、事件をなあなあにして上に報告するなど、保身のためになりふり構わぬ行いを繰り返す。庶民からすればたまったものではないが、そんな庶民側も、西洋人の威信を利用するためにキリスト教へ改宗する、したたか者が現れたりする。
また一方では、西洋人の横暴に耐えかね、彼らを追い出そうとする勢力もいる。彼らは教会を襲撃したり、はるか北京における義和団の活躍に一喜一憂したりする。
もちろん、西洋人への感情はそうした恐怖や怒りだけに留まらない。富裕層などは、彼らの進んだ技術に興味を示し、積極的に自分たちの生活へ取り入れていく。ランプだったり、衣服だったり、レコードだったり、先進文化に対する素直な驚きや、理解できない技術へのとんちんかんな反応は読んでいて面白い。それほど興味を持っている割に、真に理解すべき国際情勢についてはまるで無頓着、西洋の国名や地理をまるでわかっていないのは序の口で、国内で起きている侵略事件についても他人事。この頃の中国ではもう新聞の発行が始まっていたが、まだまだメディアが発達していない時期だけに、遠く北京の出来事はやたらねじまがった形で四川に伝わってくる。義和団や紅燈照に関する深刻なニュースも、富裕層一家にとってはお茶の間を盛り上げるネタでしかない。
こうした社会のデタラメさに影響を受け、まともな人々もおかしくなっていく。雑貨屋の貞淑な夫人だった蔡大嫂が、贅沢や不倫や権威の利用など、色んな悪徳に塗れていく描写は見事に尽きる。

そのほか、当時の四川の生活風俗(婚礼、地理、料理、祭事、言語などなど)に関する描写も非常に詳しく、色々勉強になる。

梁啓超文集

梁啓超文集 (岩波文庫 青234-1) [ 岡本 隆司 ]

価格:1,452円
(2020/9/27 15:36時点)
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清朝末期のジャーナリスト・政治家である粱啓超の文集。年代別に幾つか特徴的なものを収録し、彼の思想の変遷をわかりやすく追えるようになっている。

清末から民国期の中国は、まさに大変な激動期だった(正確にはその後もまだまだ安定しない時期がずっと続くわけだけど)。阿片戦争以来、長らく諸外国の侵略に悩まされ、朝廷の威信はすっかり低下していた。清朝を維持すべきか、それとも西洋のような近代国家へと改革すべきか、あるいは朝廷そのものを打倒すべきか、様々な可能性の間で揺れ動いていた。
梁啓超は、そんな激動の真っただ中で活動していた一人である。高校の世界史などで学ぶ限りだと、変法運動に名前が出るだけで、孫文や袁世凱のように大きな事績を残したようなイメージは無いかもしれない。しかし本書を読めばわかるように、梁啓超が近代中国の思想へ与えた影響は非常に大きい。
彼には学者・政治家・革命家・記者と様々な顔があるけれども、最大の貢献はマスメディアに対するものではないだろうか。自ら様々な雑誌を刊行し、和製漢語などの新語を用いたわかりやすい文章を書き、国家、経済、教育、思想、歴史、男女平等などあらゆる問題へ言及している。
これだけ広範囲な分野へ言論を展開できたのは、彼が偉大な勉強家だったことを物語っていると思う。ただ彼の場合、自身でも反省するくらい、主張の変化が激しい。「立憲して朝廷を改革せヨ!→いや革命で清朝を潰そう!→やはり国体は大事だ!共和国を作ろう!」「西洋に学べ!→日本をお手本に!→いややっぱり古き中国の伝統も大事にしよう!」数年スパンで言うことがころころ変わる。なんちゅー変節漢だ!と批判されても仕方ない。
しかし、学び続けると言うことは、変化し続けることでもある。彼は当初、変法運動の先頭にいた康有為を師匠と仰いでいた。粱啓超が日本や世界をまわり、様々な知識を吸収して進歩した後も、康有為は昔の思想に固執し続けた。その結果、彼は時代遅れの人物となり新中国の建設に貢献出来なかった。梁啓超は常に新しい知識を素直に受け入れ、変化を拒まなかった。それゆえ、彼は学問の最先端にい続けた。さらに、定期的に自ら学んできたことを自省する心がけもあった。こうした梁啓超の学問に対するスタンスは、現代の我々が大いに見習うべき点だと思う。

本文集は、梁啓超の膨大な著作から三十あまりを収録している。中でも印象深かったものについて、以下で少々語っていこう。

「自序・女学について」
梁啓超初期の教育論。女子教育の重要性を訴えている。中国古典を(半ば強引に)引き合いに出して、西洋の話をわかりやすく伝えようとしているのが特徴。翻訳で読んでも、後年の新文に比べ文体の古臭さを感じられる。教育の重要性についての主張は、今の日本にとってもかなり耳の痛い話なのでは。

「小説と政治の関係」
小説が大衆へ与える影響力の大きさを語ったもの。以前、平凡社の中国現代文学選集に収録されていた訳を読んだので、正確には再読になる。梁啓超は西洋の人々が小説を通して教養を得ていることを理由に、中国の小説改革を主張する。後の文学革命に通じる点も多く、その影響は計り知れない。
清末に活躍したジャーナリストは、結構な割合で小説執筆にも手を出している。後年、譴責小説と呼ばれたジャンルで、多くは中国の腐敗や改革を声高に訴えた作品を指す。が、中には作者の主張ばかりが先行して殆ど小説の体を成していないものすらある。物語の力を借りた運動文章の印象が強い。
梁啓超自身もこうした風潮に触発されてか「新中国未来記」という作品を書いているが、未完で挫折。あんまりこの分野への才能と熱意は無かったようだ。

「追悼」
梁啓超が亡き妻へのために書いた追悼文。彼の妻は新式の学問や教育に対してとても理解のある人物だったようだ。以前「馮友蘭自伝」を読んだ時も思ったことだけど、清末の段階で進歩的な思想を獲得していた女性が相当にいたんじゃないかと思う。若くして妻に先立たれてしまった悲しみを述べるところは「浮生六記」を彷彿とさせた。

文庫サイズでこれだけのものが手に入るのはとってもお得。近代中国に興味のある方は是非読むべし。

昭和十八年-元日本兵の回顧

中国現代文学(第6号) [ 中国現代文学翻訳会 ]

価格:2,200円
(2020/8/27 22:43時点)
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全勇先の短編小説。ひつじ書房の「中国現代文学6」に収録されている。

あらすじ
韓国へ出稼ぎに出ていた中国人の私は、優しげな日本人の老人と出会う。すぐに打ち解けた老人は、五十年前の満州で起きた一つの事件について語るのだが…。

物語は主に老人の語る日中戦争期の満州が舞台。目の前の優しげな日本人が、かつて中国人の虐殺に荷担していた軍人だという事実を聞いて、そのギャップに呆然とする私が印象深い。
よくある日本の戦争回顧録では、軍隊生活における過酷ないじめをとりあげることが多いが、同じ兵隊同士の虐待でも、日本人同士より、現地で召集された中国・朝鮮兵士への方が酷かったのではないだろうか。作中の重要人物である中国人兵士・常高麗は文弱で、度々上官から制裁を受ける。掃除や料理などの仕事は出来でも、軍人として人を殺す訓練には進歩が見られず、兵士達からも馬鹿にされていた。が、彼が自殺まがいの行動を起こすと、驚いた日本人達はいじめはぴったり止めてしまう(こういうところが実に日本人っぽい)。
本作の肝である五頂山事件は、そんな常高麗が、現地へ視察に来た楠木実隆中将を銃で殺害するというもの。ここで日本人達は初めて、日頃の常高麗の態度や行動が、日本人へのささやかな抵抗だったことに気がつく。
中国側には常高麗のモデルとなった人物の記念碑があり、郷土資料にも件の事件が記録されているのだが、一方で日本の軍事史料には該当する人物がおらず、そうした事件があった記録も無いらしい。それと近しい楠本実隆という軍人がいるが、彼は戦死せず終戦を迎えている。日中戦争後の抗日映画ブームの時期は、映画のロケ地に(本当は戦闘など起きていなかったのに)記念碑が立ったり記録がでっちあげられたりといったことも多かったそうだから、本作についても事実のところはよくわからない。
だからといって、この作品が不当に中国人を英雄視して日本人を貶めている、という話ではないだろう。私がラストで直面したように、かつて中国を侵略していた日本人の存在を、どのように受け止めるべきか、それを読者に問いかける形で物語は幕を閉じる。
日本でも中国でも、このような作品がもっと沢山作られ、読まれるべきだと感じた。

文芸講話

【中古】文芸講話 岩波文庫黄12 / 毛沢東 著/尾崎庄太郎 訳 / 岩波書店

価格:120円
(2020/8/23 12:59時点)
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一九四二年、革命根拠地の延安で毛沢東が行った講演の記録。正式名称は「延安の文芸座談会での講話」。当時の文芸路線について毛沢東が指標を語ったもの。

まず、この講演が行われた経歴についてちょっとお話ししておこう。もともと、中華民国期における文壇の中心は上海だった。ところが日中戦争勃発によって、上海の作家や知識人は軒並み上海からの避難を余儀なくされた。ある者は国民党支配下の重慶、ある者は日本人支配下の河北、そしてある者は共産党支配下の延安へとやって来た。しかし、共産圏にいるのは農民や兵士といったプロレタリア階級ばかり、つまりは識字率も文化レベルも都市部に比べて低かった。そんなところで少数の知識人達が作家活動をしても、彼らの文芸はいつまでもプロレタリアには浸透しなかったのだ。
毛沢東が講演を開いたのは、そんな状況を是正するためだった。以上がおおまかな経歴。

本編では、文芸活動の主役は労働大衆であり、彼らのための文芸を書かなければならないと主張している。いつまでも都市部のインテリぶった態度を引きずって創作してはいかんよ、と。
もちろん、極端に農民や兵士層のレベルに合わせ幼稚な創作をするのではなく、彼らを底上げするような内容にすべし、といったことも述べている。
毛沢東のこの主張は広く受け入れられ、中華人民共和国建国後には、人民文学というジャンルを確立した。そして現代中国の文壇の大きく発展させ……るには至らなかった。
文芸講話は当初、本編を読めばわかる通りプロレタリア層が主役の文芸をやっていこうぜ、と指標を示す程度のお話だった。ところが、毛沢東が権力の座についてからは、むしろ文壇が絶対守らなければならない掟のようなものになってしまった(事実は、文壇を牛耳りたかった一部の人間が、気に入らない作家をけ落とすため毛沢東の講話を利用した、というのが近いのだと思う。その証拠に、人民文学の担い手だった趙樹里のような作家すらも、いちゃもんで迫害されていたりする)。こうなると創作を制限する枷も同然である。主役は必ず農民や兵士で共産党員は救世主、物語も反動地主をやっつけたり土地を開拓するといったパターン化に終始する……などなど、政治が文芸に深入りするとろくなことはない、という例になってしまった。

とはいえ、文芸がどの層のために存在すべきか? という文芸講話の議題は現代でも大いに考えるべき問題だと思う。大衆に寄りすぎれば低俗化したり、ジャンルの流行廃りがあるし、かといって一部の人間にしか通用しない作品を目指しても、果たしてそれを文学と呼べるかどうか。
文芸の価値は何か、といったことを見つめ直すうえで、本作はとても参考になる本だと思う。
何より、毛沢東はやはり語るのがうまい!と感じた。特に物事の本質をよく突き、それらをわかりやすく主張することに長けている。人民文学の路線は大失敗だったけれど、そのもとになっているこの講話は、決して極端な思考に陥ってはいない。
岩波文庫でお安く手に入り、内容も短いので読みやすい。ただ、語られたのが半世紀以上も昔なので、その時代性を考慮する必要はあると思う。岩波文庫のあとがきも古すぎてちょっと現代では参考にならない気がした。出来れば、新しい解説を加えた版を出してほしい。

中華人民共和国演義 5、6巻

【中古】 中華人民共和国演義(1) 毛沢東の登場 /張涛之(著者),伏見茂(訳者),陳栄芳(訳者) 【中古】afb

価格:200円
(2020/7/16 18:27時点)
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中華人民共和国演義の五巻および六巻のレビューです。現代中国史の激動を、物語としてわかりやすく描いた良作だと思います。

第五巻「林彪の挫折」
翻訳版の帯の文句は「毛沢東の暗殺を企てた林彪の無残な最期。四人組の陰謀渦巻く中でついに周恩来も他界!」。
前巻に引き続き文化大革命の動乱が語られる。党内で毛沢東に次ぐ地位を得た林彪だったが、劉少奇死後の国家主席になろうとしたため毛沢東と溝を作り、暗殺計画を立てるも失敗し命を落とす。林彪の死により、残された四人組と周恩来の対立が激化。毛沢東は横暴を極める四人組を抑えるため、左遷されていた鄧小平を引っ張り出すが、その矢先頼りにしていた周恩来が亡くなってしまう。

有名な林彪事件は、ほぼ史実をなぞっているのではないだろうか。諸説ある最後の死因については、逃亡に使っていた飛行機の燃料切れが採用されている。
林彪がいなくなったことで四人組はますます暴れ放題。彼らが恐ろしかったのはメディアを掌握していたことに尽きると思う。四人組は軍隊もそこまで持っていなかったし、党内での政治的地位も最高クラスではなかった。それでも大きな影響力を発揮できたのは、やっぱりメディアの力だと思う。張春橋が切れ者として描かれる一方、王洪文はかなり無能な人物となっている。実際どうだったのか気になるところ。江青はヒステリー女王みたいな感じで、読んでいて本当に胸糞が悪い。
そのほか、病気で弱りながらも精力的に働き続ける周恩来の姿が痛々しい。亡くなってしまった古参同志へ思いを吐露する場面は泣ける。
毛沢東も話が進むにつれすっかり耄碌していく。四人組はまるでコントロール出来なくなり、復帰させた鄧小平も猜疑心のせいで重要な仕事をさせられずで、国内の混乱は続くばかり。そんな状況に振り回されたせいか、跡継ぎには有能な人物よりも、出来の悪い王洪文や大人しい華国鋒の方がよいと考えたりする。部下に語る中でいちいち呂后や周勃の故事を引用したりするんだけど、現代社会にそんな旧中国の例えをあてはめるのはどうなんだろうか。人民共和国に至っても、やはり中国が本質的には皇帝の国である、ということなのか。なかなか興味深かった。
この時期の対外的なお話として、ニクソンの訪中が盛り込まれている。ここでもやっぱり「中国はスゴイ!」な持ち上げが多数。中国を訪れた指導者はもれなく没落する、のブラックジョークが笑える。実際、その通りになっちゃってるのがね…。

六巻「毛沢東時代の終焉」
帯の文句は「四人組は失脚し、鄧小平は復権するが…はたしてこの先中国はどこへ行くのか?」
お話は周恩来の死による天安門事件、毛沢東死去、華国鋒・葉剣英らによる四人組討伐、鄧小平の復帰と経済改革、領土返還、そして天安門事件へ…といった感じ。

終盤になってやたら故事の引用が増えていくのだけど、この巻ではとうとう隕石による吉兆まで引っ張り出してきた。謎の隕石落下は、過去の歴史で偉人が亡くなった時のように、周恩来・朱徳・毛沢東の相次ぐ死の予兆だとか何とか。通俗古典小説じゃないんだからさ…。
前の巻で亡くなった周恩来の追悼運動で、四五天安門事件が発生。事件当日の内容はあっさり書かれてるけど、これ数千人くらい死んでませんか? 四人組の悪事を強調するため、こんな書き方になったのだろうか。
迫りくる死に対する毛沢東の独白が印象深い。日本および国民党への勝利、建国事業と対外戦争の勝利、一方で大躍進や文化大革命での失敗。本作では毛沢東の悪い部分もかなり描いているのだけれど、総合的に見れば、彼が国家の英雄であることは揺るがないと思う。
四人組逮捕は本作のクライマックス。緊張感に満ちてとても面白い。毛沢東の後釜になった華国鋒を暗殺すべく暗躍する四人組。それを倒そうと各地の勢力を結集する華国鋒・汪東興・葉剣英コンビ。特に四人組との決戦前夜、身を守るためにと汪東興にピストルを渡された華国鋒が、銃弾を一発だけ残して「(四人組逮捕が)成功するなら銃は不要だ。失敗するとしたら(覚悟を決めて自殺するから)弾はこれだけでいい」と答えるシーンは超カッコいい。もっとも、四人組失脚後は権力にしがみつくヘタレキャラに成り下がってしまうのだけれど。
それにしても、大勢の人間を虐殺した四人組ですら無期懲役で済んでしまうのは、やっぱり文化大革命の構造そのものが歪んでいた証拠なのだろう。彼らの活動はある程度毛沢東の容認のもと行われていたわけで、それを全面的に批判すれば、毛沢東自身を叩くことになってしまうのだから。
党内のトップとして舞い戻った鄧小平は、次々と改革を実行。貧しかった中国を少しずつ回復させていく。対外政策としても、イギリスから香港を、ポルトガルからマカオの返還約束をとりつける。鄧小平の断固たる姿勢はサッチャーをも震撼させた!らしい…。ベトナムに対しても中国は自衛のためやむなく反撃を行った…ということになっている。
諸外国の問題に関してはとにかく中国が圧倒的正義で、外国が悪!のスタンスが最後までぶれなかった感じ。あれ、そういえば日本との関係は全然触れられてない。日中戦争の時といい、この扱いは何なのだろうか…。
ラストは忌まわしき天安門事件だが、その詳細は深く語られずに物語は幕を閉じる。多分、現在でもこのあたりを物語に昇華するのは難しいのではないか。
いつかまた、新たに中華人民共和国演義の物語がつづられるのを待つとしよう。

中華人民共和国演義 3、4巻

【中古】 中華人民共和国演義(1) 毛沢東の登場 /張涛之(著者),伏見茂(訳者),陳栄芳(訳者) 【中古】afb

価格:200円
(2020/7/16 18:27時点)
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中華人民共和国演義の三、四巻のレビューです。現代中国の激動期だけあって、どちらも非常に楽しい巻でした。

第三巻「粛清の始まり」
帯の文句は「中国ものブームの真打!!血湧き肉躍る現代中国史劇」。
主な内容は大躍進と反右派闘争、中ソ問題、チベット侵攻、中印戦争などなど盛り沢山。建国十年足らずで大事件の連続。
歴史小説の素晴らしいところは、教科書や参考書で読むと退屈極まりない事件の羅列を、かみ砕いた内容で、かつ楽しく読み進められるところだと思う。それが実際の史実を幾つか捻じ曲げたり、簡素化させてしまう弊害はあるにせよ。
本作に描かれた歴史を読み、やっぱり中華人民共和国は色んな意味で凄い国だと感じた。たった十年で三つの戦争を戦い抜き(この後もやりまくるけど)、内政では社会主義経済を本当に実行していく。
とりあえず、個々のイベントについて詳しく触れていこう。
まずは大躍進。成功面も失敗面も良く描かれている。所詮社会主義は机上の空論であり、人間の実態にはちっとも則していない。最初は上手くいったものの、徐々に粗が出始めていく。
大躍進は現代中国における大失敗政策の一つでもあるが、今回読んで思ったのは、毛沢東や共産党指導部の誤りはもとより、大衆側の暴走も相当に酷かったのだろうな、ということ。そりゃ、上から命じられれば下は従うものだけれど、そのやり口が滅茶苦茶悪い。農業や工業の生産に行き詰った地方幹部が故意に数字を誤魔化して実績を水増ししたり、政府の指導部が視察に来たら人民へ「大躍進は素晴らしいです! 人民公社万歳!」などの台詞を言わせる、といった偽装工作が全国的に横行する。作中の毛沢東も徐々に大躍進が実を伴っていないことに気づくけれど、大衆が率先して政策を台無しにしているものだから、コントロールも上手くいかない。大躍進の混乱は幹部同士の対立を招き、ついには反右派闘争といったかたちでさらなる暴走へ発展してしまう。中国の社会主義政策が失敗した原因を毛沢東全部に押しつけている人もいるが、実態はもっと複雑なのだと感じる。
そんな大躍進の中でも、社会主義的な人民英雄は沢山生まれている。現代中国史に詳しい方なら、雷峰のことはもちろんご存じだろう。本作でも彼をはじめ、模範的な労働者が多数出てくる。現実にはあり得ないけれど、人民がみんな雷峰のようなら、社会主義はうまく機能するのだろう。
反右派闘争の始まりは、論文による遠回しな人物批判なのだが、こういうのは実に中国的で面白いところ。
次に対外戦争とチベット侵攻だが、こちらに関しては中国に正義があり、悪いのはソ連でありインドでありアメリカでありチベットの反乱者である!という断定的な描写が強すぎて、ちょっとう~んと思ってしまった。でもまあ、こういう歴史小説では中国に限らず、どこの国の作家もわざわざ自分の国が悪とは書かないと思うので何とも言えない。現代の出来事なら尚更だろう。それに当時の中国の国際的立場を考えたら、強硬的な外交姿勢もやむを得ない部分はある。
キャラクターとしては毛沢東がやっぱり印象深い。内政よりも対外戦争とかの場面で活き活きしている感じがするあたり、根っからの戦略家なのだと思う。長江で泳ぐシーンは何だか可愛かった。
それから彭徳壊。朝鮮戦争での英雄が、廬山会議であっという間に地位を追われてしまう。中国政府の首脳陣は軍人あがりも多いのだけれど、軍で重視される率直さや豪気さが、権力闘争ではかえって仇となってしまうのが悲しい。

4巻「文化大革命」
いよいよ来ました現代中国における屈指の暗黒時代。いくつか脇のエピソードはあるものの、ストーリーの殆どは六十年代の文化大革命について描かれている。
長く野心を抱いていた江青が本格的に暴れ出し、階級闘争が激化。政府内部では次々に有力な古参幹部が弾圧される。
この権力抗争の構図がとにかく面白い。トップにいる毛沢東は、これまでの積み重ね(政策の大失敗、部下の様々な密告、劉少奇や鄧小平など古参有力幹部との対立)もあって、いったん党内をクリーンな状態に戻すべく、文化大革命の拡大をあえて放置する。その周辺で、周恩来、江青、林彪がそれぞれ毛沢東の権威を使い、互いに闘争を繰り返す。相手を打倒する時の文句は決まって「毛主席の命令です」。各自がそんなことを繰り返すうちに、毛沢東そのものが神格化され、皇帝じみた存在になっていく。皇帝がいない筈の社会主義国家で、どう見ても皇帝がいた旧社会とおんなじような権力闘争をやっているのが中国的だと思う。それから誰かを批判する名目として、とにかく文章が重視されているのも面白い。重要なのはあくまで文章を用いる形式と著者名(もちろん、毛沢東とその周辺人物が書いたことにするのが一番良い)で、内容自体は殆ど言いがかりみたいなもん。それが本当に弾圧の火種なってしまうのだから恐ろしい。
古参党員達を襲う悲劇の数々は読んでいて本当に辛かった。特に、死ぬに死ねない状態へ追い込まれる劉少奇夫妻のエピソードは悲し過ぎる。政府内部の闘争模様についてはかなり詳しく描かれている反面、人民の被った被害に言及が少なかったのは残念だったかも。
江青と林彪は相当な悪人として描かれている。江青はとにかく胸糞が悪い。林彪は頭が切れる反面、小心者な人物になっている。バックにいる林彪夫人の葉群の方がもっと凶悪。
周恩来は文化大革命の中で毛沢東との距離感が広がり始める。劉少奇や鄧小平の失脚に関しては、毛沢東が彼らを嫌っていることもあって何も出来なかった。巧みに頭を使い、江青に狙われている幹部達を牢獄という名目の避難場所へ逃がしたり、閑職に追いやられた幹部を色んな口実で復帰させたり必死の工作を続ける。江青や林彪の暴走をおさえるためには時に毛沢東の権威を利用しなければならず、同様の手口を相手に使われると彼もまた何も出来ない、という状況がもどかしい。
小粒なエピソードだが、ソ連のコスイギンが十年ぶりにホットラインで中国に電話をかけたら、無知なオペレーターの女性に「侵略者! 修正主義分子!」と罵られた話が滅茶苦茶面白かった。

本作で描かれているのは六十年代の終わりまで。文革はまだまだ続き、物語は七十年代に突入していく。

中華人民共和国演義 1、2巻

【中古】 中華人民共和国演義(1) 毛沢東の登場 /張涛之(著者),伏見茂(訳者),陳栄芳(訳者) 【中古】afb

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(2020/7/16 18:27時点)
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1996年刊行。張涛之作。日本語訳は全六巻。
中華人民共和国の成立と、その後の様々な事件を描く長編小説。演義と名のつく通り、多数の人物が登場し、物語も概ね史実をなぞっている。
今回は1巻と2巻についてレビューする。

1巻「毛沢東の登場」
帯のキャッチコピーは「三国志を彷彿とさせる現代中国の国盗り物語」。まあ、共産党vs国民党vs日本軍、と考えれば三国志っぽいようなそうでもないような。
物語は共産党の結成、国民党および日本軍との激闘、中華人民共和国の建国までを描いている。
肝心の内容についてだが…色々大事なところをすっ飛ばし過ぎではなかろうか? 建国の父として登場したかと思ったらろくな見せ場も無く退場する孫文とか、あちこちで割拠していたはずなのに無視されまくってる軍閥勢力とか、何より日中戦争の詳細が殆ど描写されず、あっさり終わってしまったのには驚いた。百団体戦とか台児荘の戦いとか、物語として面白くなりそうなネタはいっぱいあるじゃん! なぜ書かない? 個人的にかなり残念な部分だった。
じゃあ主にどんな話が展開されているのかといえば、ほぼ共産党vs国民党の内戦模様。しかしこちらも物足りない部分が多い。いくら史実をなぞるとはいえ小説なのだから、長征とか西安事件はもっとドラマチックにやって欲しかった。1950年代の小説とか回想録なんて、それこそ「嘘つけ!」と言いたくなるくらい大袈裟に八路軍の勇士を描写してたわけだし。
演義小説、というだけあってキャラの数は多い。蒋介石はわかりやすい悪の親玉キャラになっており、敵対勢力の共産党を圧倒的な数の暴力でつぶそうとする。適度におバカなあたりが抗日ドラマの日本軍司令官を彷彿とさせる。それを迎え撃つは毛沢東&周恩来のコンビ。誰に対しても誠実で聖人君子を体現したような周恩来に対し、清濁併せ持ち時には冷酷な判断も下せる毛沢東など、なかなかキャラは立っている。毛沢東が独裁者として変貌していく過程は、本作の見所の一つだと思う。他にも彭徳懐やら朱徳、陳毅など、中華人民共和国には欠かせない偉人が脇をかため、史実を知っていればなかなか楽しめるはず。
中盤以降はよくある抗日ドラマのように、共産党の一方的な勝利が続く。戦争描写は総じてさほど面白くない。まあ三国志演義のように華々しい一騎打ちが現代戦で描けるわけもなし、これは仕方ないところか。

二巻「朝鮮戦争」
帯のキャッチコピーは「アメリカ軍仁川上陸!毛沢東のつぎの手は?」
内容は朝鮮戦争及び、それに伴うソ連・アメリカへの外交と政治劇。1巻は色んなところが削られてがっくりきたが、この巻は丸ごと朝鮮戦争で占められ、その過程もじっくり描かれる。
印象的だったのが、建国間もない中国にとって、朝鮮戦争がいかに大きなリスクを負ったものだったかということ。共産党の人民解放軍はもともと近代的な装備が乏しく、経済的にも貧しい国だった。党内の対立もあれば、国民党の残党や、社会主義に従わない資本家もいる。バックについているソ連も社会主義に対する意見の相違や、指導者同士の目論見もあって、全然あてに出来ない。このような状態の中国が、わざわざ朝鮮で、しかも世界トップクラスの大国であるアメリカと戦うことは非常に大きなプレッシャーだったのだ。戦うべきか、見逃すべきか、共産党首脳陣が苦悩する姿は、物語ながら私にとって大きな発見だった。
とはいえやっぱり物語なので、中国解放軍は世界最強の勇敢な軍隊であり、対するアメリカ軍は抗日ドラマの日本兵並みにスペックがガタ落ちしている。 戦争も休戦という形で終結しているのに、周恩来が「我々の勝利だ!」などと声高に宣言しているのは苦笑するしかない。
スペックと言えば、ソ連陣営も中国へ背信行為を続けるしょーもない連中みたいに描かれており(まあ実際、史実でも五〇年代のソ連は大変な時期だったわけで…)、このあたりも中国からすると油断ならぬ同盟国として、物語の緊張感を上手く高めている。
そのほか三巻への布石として、社会主義推進のため奮闘する人民の活躍も描かれる。郝建秀という人物を、私はこの作品で初めて知った。貧民出身の女工であった彼女は、社会主義のシステムによって大学で学び、故郷の発展に貢献していく。中国の社会主義改革は失敗ばかりが取り上げられるけれど、雷峰みたいな社会主義的な英雄を沢山生み出していたとも思う。特に女性の社会進出については、かなりの進展があったのではなかろうか。男女平等の実現が作中のあちこちで語られている。
女性といえば、忘れちゃいけないのが江青。これまたステレオタイプの悪女キャラである。武訓伝やソ連滞在時の事件など、彼女にまつわるエピソードは豊富に描写されている。その後の動向については、また以降の巻のレビューで語るとしよう。

共産党礼賛の描写もマイルドで、普通に読める歴史小説だとは思う。ただ、やっぱり話の取捨選択と、小説として盛り上げるべきところをスルーしてしまっているのは気になるかも。

大学で読んでほしい中国小説ランキング(近代編)

前回に引き続き、おすすめの中国小説ランキングです。
今回は文学革命以降の近代小説を紹介しています(勝手な区分で申し訳ないですが、ここでは文化大革命より前を近代扱いとしました)。
古典小説に比べると作家・作品が多様化していてとても悩んだのですが「中国の歴史や文化について深く学べる」「幅広く読んで欲しいので、同じ作家の作品はなるべく避ける」「現代の日本人がある程度とっつきやすい作品にする」あたりの要素を重視して選んでいます。
ちょっと手に入りにくい邦訳もありますが、大学図書館や研究室なら確実に置いてあると思います(私のいた大学には全部ありました)。

一位 四世同堂
老舎の長編小説にして代表作の一つ。日中戦争期、日本軍に占領された北平。老人からひ孫までが同居する四世同堂の祁家を中心に、人々の受難と抵抗を描く。
日中戦争を描いた中国小説の中でも屈指の傑作。徹底的に庶民視点で描かれているのが良いと思う。空爆のような直接的被害ではなく、商売の不振、言論や行動の弾圧、飢餓などで徐々に生活が脅かされていくのがリアル。人々はそうした状況にまったく無力で、ただ日々を精一杯生きることしか出来ない。こうした苦しみは、国を問わず共感出来るものなのでは。
作者が幼少時代を過ごしたこともあって、老北京の描写も素晴らしい。車引きや京劇役者、巡査など老舎小説お馴染みの人物が多数登場。個性豊かな祁家の三兄弟も魅力的。
中でも特筆すべきは奸漢一家の冠家。日本軍という強者に張りつき、妓館を立てたりスパイ活動をしたり、活き活きと悪事を働くさまが実に圧巻。本人達としては、ただ占領下でも人よりいい暮らしがしたい程度の感覚なのが凄い。中国人らしいしたたかさというか、漢奸もまた民衆の一つの姿、一つの生き方なのだと感じさせる(作中でも決して肯定されてはいないにせよ)。
また戦後間もない頃の作品にも関わらず、日本人の戦争被害者を登場させているのも凄い。日本人ではなく、戦争という行為こそが真の悪であることをしっかり描いている。
他国の戦争小説を読むことはそれだけで歴史理解に繋がるし、戦時下における中国庶民の姿を想像できない日本人は多いと思う。長い小説だけど、是非おすすめしたい。

二位 家
巴金の自伝的小説。由緒ある大家族・高家。その新世代の三兄弟と、古き悪習に満ちた家との静かな戦いを描く。
中国近代小説における代表的なテーマの一つ「悪しき儒教社会からの脱却や闘争」が描かれている。進歩的な教育を受けた高家の三兄弟は、厳しい長幼の序列、女性差別、無意味な呪術信仰といったものに散々苦しめられる。長男の覚新はそれに屈服、次男の覚民は妥協の道を探し、三男の覚慧は徹底的に反抗と、三者の異なる選択が見所。また、妾になることを強要され自害する侍女、家庭のしきたりに従順だったせいで死に至らしめられる若妻など、この時代につきものな女性の悲劇も沢山描かれている。
大家庭の没落というお話は紅楼夢を彷彿とさせるが、外部から押し寄せる圧力にまったく無力だった賈宝玉や林黛玉と異なり、それに抗おうとする人物がいることは、中国の近代社会における変化や救いを感じられる。
実は三部作で「春」「秋」の続編もあるのだけれど、邦訳が出ていないのは残念。ただ、ドラマや話劇でも「家」のみで完結させている例は多いので、これ一作だけでも十分楽しめる。一時期岩波文庫で絶版になり、古書店でも凄い値段で売られてたりしたが、最近復刊した。

三位 日出
曹禺の話劇。「雷雨」「原野」と合わせて彼の代表的な作品の一つ。資本主義社会の行き詰った現実を、資本家の娼婦である陳白露や孤児の小東西、下っ端銀行員としてこき使われる李石清など、様々な階層の人物を絡ませ、ホテルの一室を中心として描く。骨太なテーマ、わかりやすい物語構造、立ち位置の明確な登場人物達と、非常によくまとまった作品。1930年代以降増大していた、資本主義への不信や社会不安が見事に暴き出されている。日の出というタイトルに反して、物語は終始暗い。
曹禺は近代以降の中国における代表的な劇作家。嬉しいことに日本では彼の主要作品が全て翻訳されているし、たまに舞台上演も行われている。中国文学を学ぶなら絶対抑えておくべき作家の一人だと思う。

四位 傾城の恋
張愛玲の中編小説。戦時下を背景に繰り広げられる、旧家の出戻りお嬢様とイケメン華僑のラブロマンス。二人とも、どこか時代とずれた感性の持ち主で、そんな彼らの心情描写にはどんどん引き込まれる。最初は打算で始めた恋愛が、特殊な環境に揉まれていつしか真実の愛に変わっていく流れも見事。
張愛玲こそ近現代の中国女流作家で最も優れた存在だと思う。作品には、いつの時代のどんな場所でも通じる普遍的なテーマが内包されている。それでいて、伝統的な中国小説のテイストも強い(作者が愛読していた古典小説の影響だと思う)。中国の近代小説に初めてチャレンジするならまず一番におすすめしたい作家の一人。嬉しいことに、本作は光文社で最近文庫の新訳が出ているので、入手も容易。

五位 中国現代文学珠玉選 1~3巻
二玄社刊行の短編小説翻訳選。全三巻。このランキングは基本的に長編ばかりなので、短編から中国近代小説に触れてみたい方のためにご紹介。本作では中国近代の主要作家がほぼ網羅されている。もともと大学授業の副読本として作られているので、収録作品も講義でよく使われるような有名作品ばかり。もし中国文学を学ぶなら読んでおいて絶対に損は無い。
収録作でのオススメは、時代に置いて行かれた知識人の悲劇を語る魯迅の「孔乙己」、教育差別の実態が生々しく描かれた簫紅の「手」、自己陶酔が半端ない郁達夫の「蔦蘿行」、辺境独特の恋愛模様が面白い沈従文の「夫」、父と母と娘の歪んだ愛を描く「心経」、父と子の異なる視点で学校問題と貧富を語る張天翼の「包さん父子」あたり。

五位 憩園
巴金の中編小説。小説家の私は、友人の姚が住む屋敷へ逗留し、かつて屋敷の持ち主だった人物の過去を追うことになる。
作中では、楊夢痴という資産家の子息がキーパーソンとして登場する。本質的には善人なのだけれど、家計管理能力がゼロで、仕事もせず、そのくせ金遣いは荒いという、典型的な社会不適合者。手持ちの貯金を使い果たした彼は、先祖から受け継いだ屋敷を売り払い、とうとう妻や息子にも見放されてしまう。けれど、それらは全て彼自身の責任なのか。社会や周囲の人々も彼を救うべきだったのでは? 巴金のヒューマニズムが全開に発揮されている名作。楊夢痴の姿は、現代日本のニート問題や自己責任論にも通じるものがあると思う。

六位 阿Q正伝
魯迅の中編小説。無知な人民・阿Qが自らを破滅させていくまでを描く。当時のみならず現代に至るまで、中国人の根底に存在する精神的病理を風刺した作品。ねじ曲がった自尊心、権力への無意味な従属、現実から目を背ける阿Qは、中国人の負の面を凝縮した存在でもある。阿Qを取り巻く人々もまた同様で、ラストのおぞましい場面は魯迅自身の体験が反映されている。
日本での知名度も高い魯迅だが、彼の作品は全体的に難しい。どれも当時の中国社会と密接に関わっている内容なので、ある程度歴史知識を備えてから読むのが望ましいと思う。また魯迅の本領は小説よりも散文にある。日本は魯迅研究が盛んで、作品の邦訳も豊富に揃っているので、機会があれば是非そちらも読んで欲しい。

七位 駱駝祥子
貧しくも実直な働き者の車引き・祥子の苦難を描く老舎の代表作の一つ。頑張っても頑張っても豊かになるどころか、一層貧しい立場に追い込まれてしまう祥子。何故なら労働社会は、必ずしも真面目な人間が報われるように出来てはいない。祥子はそのことに気がつかず、愚直に働き続け、ついに精神を病んでしまう。まさにブラック企業に使い潰される人材そのもの。良くも悪くも真面目な働き者が多い日本人には、共感出来る部分が多々ある小説だと思う。虎妞と小福子、祥子をめぐる二人の女性の物語も印象深い。
四世同堂と同じく、老北京の人々や風俗、そして車引きの生態が細やかに描写されている。初めての老舎作品として大変おすすめ。

八位 倪煥之
葉紹鈞の中編小説。理想に燃える教師の倪煥之が、新式教育の推進をはかろうとするも、現実の壁にぶつかり挫折するまでを描く。
これは本当に面白い。当時の中国における教育業界の実態を、作者の実体験も含めて描いている。改革の黎明期だけに、どうして国と人々に教育が必要なのか、それがどんな役に立つのか、といったことが高らかに語られる。一方で、教育を金儲けに利用する者、教育の理念に理解を示さない親達(学校に行かせておけば、遊んでいる子供の世話をする手間が省ける程度にしか考えていない)など、様々な障害もきっちり描かれている。そのほか、倪煥之と同じ理想の持ち主だったヒロインが、結婚した途端凡庸な主婦に成り下がってしまう展開も面白い。
ちなみに中盤から作者が迷走し、小説とは呼べない主張の垂れ流しが始まり(翻訳者が匙を投げて省略するほど)、物語も半端な結末を迎えてしまうのがちょっと残念。

十位 子夜
茅盾の代表的長編小説。舞台は1930年代の上海。資本家、労働者、共産主義者、軍人、ブローカー、様々な階層の人々と、その周辺で起きる事件が絡み合い、資本主義の複雑な実態と限界を描く。
当時の中国社会をまるごと語ってみせた、贅沢な作品。大変面白い反面、とても読みにくい部類の小説だと思う。何せ膨大な数の登場人物が出てくるうえに、投資や革命、労働争議などあっちこっちに話が飛ぶ(茅盾小説につきものな特徴でもあるけれど…)。またちょうどこの時期の中国は混乱の極みで、物語の背景も色々ややこしい。作中でも丁寧に書かれてはいるが、やはりある程度の歴史知識はあった方がよい。
ちなみに作品テーマは上で紹介した「日出」と共通点も多い。そして日出の方が物語も人物もすっきりまとまっている。子夜が駄目だったらそちらを読めばいいと思う。

以上、中国近代小説オススメ作品紹介でした。
近代中国は激動続きの時代ですが、中国文壇もその影響を多分に受けています。1910年代の文学革命以降、それまで軽んじられていた小説は、人々を啓蒙する立派な文学としての役割を担うようになりました。そのため作品には革命や抗日など歴史・政治に関わるテーマが深く込められ、重たくてとっつきにくいイメージがあります。また政治による文壇への干渉も多く、日中戦争期や国共内戦時はプロパガンダじみた作品ばかりが書かれたり、作家の作品性が捻じ曲げられたりといったことも起きています。
そんな時代に書かれたからこそ、近代小説は中国を知るうえでまたとない学びになる作品も多いです。
また日本で邦訳されている作品は、いわゆる文芸路線が殆どで、大衆路線小説はあまりありません(大衆路線小説は、読み物として人気を博していたものの、文壇からは軽視されがちでした。代表的な作家達は鴛鴦蝴蝶派と呼ばれています)。中には張恨水のように、何度も原作がドラマや映画になっている人気作家もいるので、もっと日本でも知られるようになってくれればなぁ、と思う次第。
ちなみに、古典小説便覧との姉妹作「中国近代小説便覧」もありますのでよろしければどうぞ。作家紹介、簡単な文学史、訳本一覧などが載せてあります。
中国近代小説便覧

もっと明るく 明光書店奮闘記

中国現代文学(21) (チュウゴクゲンダイブンガク) [ 中国現代文学翻訳会 ]

価格:2,200円
(2020/4/11 22:19時点)
感想(0件)

張抗抗の中編現代小説。
街の古き良き小さな書店、明光書店は経営危機に立たされていた。ネット通販による書籍価格の下落、電子書籍の流通、読者の減少……。苦悩する女性店主の廬娜が、最後に下した決断とは……。

日本ではどんどん書店が倒れていく。お隣の中国はどうだろうか? これが実にそっくり。表紙だけを撮影して家に帰ってからネットで安く本を買う若者、店を維持するためカフェを経営したり文具を販売する、返品や輸送でコストばかりがかさみ売り上げが残らない、などなど、日本の書店でもよく耳にするエピソードがちらほら。もう涙がでるほど共感してしまう。
本に理解を示さない人々も日本と同じ。服やバッグならいくらでも買う金持ちが、本にはまったく金を出さない。たまに出したかと思ったら、それは自分をインテリに見せるファッションとしての購入で、本を読む気はさらさらない。政府や行政は、土地を買ってビルを建てることに投資しても、苦しんでいる書店を助けてはくれない。

そんな状況だからこそ、本を心から愛している人達のエピソードが心に染みる。時勢は書店を次々に潰していくけれど、それでも本好きの読者がいなくなることはない。
ラストのやり取りもとてもいい。中盤、廬娜は「书(shu:本)」は「输(shu:負け)」と読めるから、書店を営むのは負け商売だと考える。けれど彼女の夫は言う。「始皇帝は書物を焼いたけど、その悪行は書物によって後世にまで残った。書物に負かされたのだ、結局は書が強いのだ」と…。読書の苦手な夫が、こんな励ましをしてくれたというのがまたいい。

そのほかにも見所あり。書店の物語だけあって、作中では度々名著のタイトルが出てくる。特に日本で翻訳されていない本には興味をそそられた。また、賄賂じみた手段で売れ筋本の情報をゲットする廬娜、昔は仕官するために書物が必要だったから本が売れたのだ、という台詞など、中国らしいエピソードも沢山あって面白い。

本と書店をとりまく人々に、是非読んで欲しい傑作。

レコード盤 周痩鵑

中国現代文学傑作セレクション 一九一〇-四〇年代のモダン・通俗・戦争 [ 大東和重 ]

価格:10,780円
(2019/12/29 17:28時点)
感想(0件)

周痩鵑の短編小説。
太平洋の真ん中にあるとある島は、失恋した者達が逃げ込む場所となっていた。そこにふらりとやってきた一人の男・情劫生は、かつての恋人を想うあまり段々衰弱していき…。

内容については当時のよくある恋愛小説なので、特段語ることもない。それよりも、本作を取り巻く文壇のお話の方がずっと面白いと思うので、本作のあとがきなども踏まえつつ、ちょっと下記で語っていこう。

中国文学の近代化は、文学を通して人々を啓蒙する目的で行われた。それまでの旧中国において、小説は単に大衆の暇潰しの娯楽でしかなかった。しかし、胡適や魯迅をはじめとする先進的な知識人は西洋文化に触れることで、小説が大衆に与える影響力の大きさを実感した。小説というメディアを用い、人々の精神の近代化をはかろうとしたのだ。彼らにとって、文学は崇高な芸術であり、政治的・社会的なテーマが多分に盛り込まれていた。
しかし、である。そんな小難しい内容ばかり盛り込んでしまうと、肝心の読者たちが「めんどくせえ」と逃げてしまう。そんなわけで、作家達もある程度大衆側にテーマやスタンスを寄り添わなければならなかった。

そうした路線とは別に、従来の大衆向け通俗小説も、徐々に西洋小説風の文体、思想、物語を反映し、進化を遂げていった。早いところでは清末から、西洋小説のスタイルを真似て小説創作をした作家も現れている(二十年目睹の怪現状を書いた呉沃堯あたりが有名だろうか)。文人達の文学革命と前後して、大衆小説も変わっていったのだ。才子佳人、神魔、武侠、演義、譴責、いずれも従来の伝統的な内容・スタイルの中に、西洋風のエッセンスが加わっていった。
そんな民国期の大衆小説で、とりわけ流行ったのが恋愛ジャンルである。
本作もそんな時期に描かれた一編。まあ、現代人の我々からしたら何てことは無い内容である。恋愛に傷ついた男の心情や、そんな男の死を知って後追いするかつての恋人、などなど、ちょっと大袈裟だし、くさ過ぎる。
けれども、当時の読者層にはこういったストーリーが大うけした。何よりも、西洋から持ち込まれた自由恋愛の概念は非常に斬新だった。いくら清朝が倒れても庶民はまだまだ旧来の封建主義を引きずっており、結婚は親が決め、子はそれに従うのがスタンダード。自分達で好き勝手に相手を決めてくっついてしまうなど言語道断の時代。だからこそ、自由恋愛の精神は、否応なしに人々(特に若者達)の興味を惹きつけるものだった。さらに語り調ではない三人称文体、物語が逆行していく叙述法、など旧来には無かった新しい小説作法も存分に用いられている。当時の恋愛小説は作家ごとに多数の作品を生み出し、広く人気を博し、ついには「鴛鴦胡蝶派」のような小説一派を形成するに至った。

しかしながら、文壇のお偉い方々からは痛烈な批判も浴びた。彼らからすれば「我々が国家民族のテーマを論じているのに、恋愛などという小市民的な話ばかりが流行るのはけしからん!」というわけだ(もっとも、それって旧社会で士大夫層が通俗小説を批判してた構図とまるで変わらんような気もするんですが)。
また、ひとたび人気が出れば、他の作家も商売第一と追随して似たような作品を書きまくり、結果として駄作が量産される。当然、ジャンルとしての質も落ちていく。まあ、これは現代に至るまでエンタメの宿命でもあるから、ある程度は仕方ない。
さらに身も蓋も無いことを言ってしまうと、これらの恋愛小説の多くは旧時代の「才子佳人もの」ものを焼き直しただけだったりする。ようするに、国家建設に携わる若者(旧時代なら科挙試験を受ける才子、近代なら知識人青年)が、才能あふれる女性(旧時代なら宰相や大商人の令嬢である佳人、あるいは妓女、近代なら進歩的な家庭に生まれ新式の教育を受けたお嬢様、あるいは大道芸人)と恋に落ちるが、家(旧時代も新時代も親世代)の反発に阻まれてしまい、それらを何とか乗り越えて恋人と添い遂げるハッピーエンドor来世を誓って心中するバッドエンド、というパターン。殆どおんなじじゃん! 

とはいえ、そのように馴染みのある部分をなぞったからこそ、読者が入っていきやすかったのも確か。思想・啓蒙うんちゃらは別として、恋愛という概念を通して人々の精神が近代化されたことも間違いない。また、張恨水の「啼笑因縁」のように、現代に至るまで繰り返しドラマ化される傑作も存在している。大衆小説の発展が、中国文学全体の発展に貢献したことは否めない事実ではないか。

悲しいことに、この時期の大衆小説の存在は中国文壇で長らく無視されがちだった。そのあおりか日本でも研究は少なく、中国文学=魯迅をはじめとする何だか小難しい文学、というイメージが根強い。でも実際には、現代の我々でも気軽に読んでいける(というか時代性を考えればむしろ物足りない)くらいの大衆路線小説が、当時から数多く生み出されていたのだということを、もっと沢山の方々にも知っていただければ、と思う。

…結局、肝心の作品の話をまるでせずに終わっちまったい。
本作「レコード盤」が掲載されている「中国現代文学傑作セレクション」には、他にも多数の大衆向け小説が載っているので、気になった方は是非どうぞ。