ゆるゆる金陵十二釵考 賈惜春

 

ゆる~く金陵十二釵メンバーを語るコーナー、第二回は賈惜春です。

 

劇中の経歴
金陵十二釵にして賈家四春の一人。寧国邸当主・賈敬の娘。史太君のもとで他の姉妹と一緒に育つ。詩や文章は苦手だが、画才に溢れる。堕落した寧国邸の家風を嫌い、小さな頃から密かな出家願望を抱く。後半、賈家没落と同時に自らの思いを周囲へ打ち明け、大反対に遭ったものの最終的に出家。静かな余生を送った。

 

その人物像
賈家四姉妹の末っ子。潔癖でちょっと捻くれ者なお嬢様。俗世を嫌い、最終的には出家までしてしまう。本編における出番は、少なくないが多いわけでもない。彼女の人物像を深く知るためには、主役回を読むことに加え、そのバックボーンをあたってみる必要がある。
まずは家系図を見てみよう。惜春は、賈四姉妹の中で唯一の寧国邸系列である(図では右端)。寧国邸といえば、主人公の賈宝玉達が属する栄国邸より一層評判が悪い。外部の柳湘蓮をして「寧国邸で汚れていないのは門前の石造りの獅子だけ」というくらいである。ヒドい言われようだが、惜春を取り巻く人物を見るだけでも、その評価が的外れでないことはすぐわかる。
父親の賈敬は、寧国邸の当主でありながら、部屋に引きこもってアヤしい道教修行に日々を費やしているダメ人間。惜春の生母は本編開始時点で既に亡くなっており、父親もこの有様なので、ろくに愛情を注いでもらえなかったことは想像がつく。実際、彼女は祖母の史太君に引き取られ、他の姉妹達と一緒に育てられていた。
兄の賈珍は父親の尻拭いをするでもなく、金をじゃぶじゃぶ使って遊び放題。おまけに息子の嫁へ手を出すほどの女好き。息子の賈蓉もそんな父親に迎合するろくでなし。ちなみに、珍と惜春は兄妹なのに親子以上に年齢の開きがあるのだが、このあたりの経歴については特に明かされていない。
兄嫁の尤氏は、きちんと家政を管理しないのに口だけはうるさい小物。惜春とはかなり仲が悪く、顔を合わせる度に喧嘩をしている。
彼らの堕落ぶりは、仕えている女房や下男にも伝染している。寧国邸では賭博や姦淫騒ぎ、くだらぬ身内争いが日常茶飯事なのだ。汚い大人達の住む、俗まみれの世界。幼い惜春は、そこに居続けることが耐えられないし、自分も彼らと同じ存在だと思われるのが耐えられない。だからひたすら孤高を守り、潔癖に生きようとする。
そんな彼女が、ひとときの安らぎを得られたのが大観園だった。園内に住むのは宝玉をはじめとする兄弟姉妹ばかり、ここには惜春の嫌っていた汚い人間達は誰もいない。好きだった絵を描いたり、偏屈尼僧の妙玉と交流を結んだり、それなりに楽しく過ごしていた。が、大人達はやがてその大観園にも醜い争いを持ち込んできた。夢の世界は崩壊していき、再び現実に直面した惜春は、ついに出家の道をを選択してしまう。
当時の儒教社会は、子を産み育て、夫や父母に仕えることが女性の義務とされた時代である。出家するのは、その義務を放棄しているに等しい。まして彼女は大貴族のお嬢様。賈家の繁栄や世間体を考えたら、とても許せることではない。実際、周囲の人々も惜春の出家には激しく反対したし、また嫁ぎ先から里帰りした探春は、尼になった惜春を見て不愉快そうにしていた。
本編では黛玉や宝釵達のせいで見落としがちだが、惜春も相当に賢い女性である。第七回、惜春はまだ十歳にもなっていないが、水月庵の僧と余信の妻の会話を盗み聞きして、それが汚い大人同士の取引であることを理解していた。同じ回では、家にやってきたばかりの薛宝釵から髪飾りをプレゼントされるも「私いつか出家して髪そっちゃうから、こんなもの使わないんだけどな」という、年齢にそぐわぬ大人びた返答をしていたりする。
また第七十四回では、大観園でエログッズが見つかり、園内を一斉捜索する事件が起きた。この時、自分の侍女・入画が規則違反で男物の衣類を園内に持ち込んでいた。惜春は、侍女の行動が自分にも悪評をもたらすと考え入画を追放。いくら何でもやり過ぎだとたしなめる尤氏に対し、堂々と自分の主張をぶつけ相手を言い負かしている(尤氏は結局「あんたはまだ子供なのよ」と情けない反論で逃げた)。このあたり、親に叱責されて何も言い返せない迎春あたりとは大違いだと思う。

一方で、彼女の潔癖ぶりは確かに行き過ぎたところがある。前述の通り、外の評判を優先して、長年仕えてくれた侍女を涙一つ流さずに切り捨ててしまった。入画の行為は故意では無かったし、許す余地だってあったのだが……。自分の侍女へこんな冷徹な仕打ちをしたのは、大観園の兄弟姉妹の中でも彼女くらいである。また、自分の留守番中に強盗事件が起こってしまった第百十二回では、日頃の潔癖ぶりが仇をなし、すっかりヒステリーを起こしていた。

何かにつけて人を寄せつけない態度をとっているせいか、大観園のメンバーが開催するイベントにも、気がつけば迎春と同様欠席していることが少なくない。周囲の連中にしても、惜春のことをきちんと理解している人間は殆どいないように感じられる。惜春は自分の中できっちりした理屈のもと出家を主張しているのだが、周りの大人は「子供だから女子としての常識も弁えず、出家だなんて口にしてる」「幼いので道理をわかっていない」といった調子でしか受け取らない。まあ、惜春の方も醜い現実に対処する手段が、出家しかないと思いこんでいるのは、ちょっと頑固で視野が狭い気もする。そんな彼女のが唯一といっていいほど親しくしているのが妙玉。二人で碁を打ったり、お茶を飲んだり、一晩一緒に語り尽くしたことも。他にも、家に出入りする尼僧達には愛想のいい対応をしている。

そのほか、劇中で結婚話が一切入ってこなかったのも惜春だけ。もっとも、こちらに関しては彼女が年齢的に幼い、親世代がまったくそこらへんを全然世話していない、などなど本人以外にも原因はありそうだが。ちなみに結婚話でいえば、出家の決意がほぼかたまっていた第百十五回では、地蔵庵の尼から「あなたのようなお嬢様はいずれ似合いの婿様に出会い富貴な暮らしを送ることでしょう」と言われて半ギレしている。この時、尼達は冗談半分で惜春に出家のすすめをしたのだが、向こうがあまりに本気なのでドン引きしてしまっていた。良家の令嬢をそそのかして出家させた、なんてことになったら尼達も立場がないから、狼狽したのも無理はない。
現行本でも曹雪芹の原案でも、惜春が出家する末路は同じである。しかし、現行本では屋敷内に住み、紫鵑が一緒に出家して面倒を見てくれているなど、環境は良い。一方、原案では賈家が完全に崩壊しているため、定住先も無いまま貧しい出家暮らしを送っているようだ。
第三十九回において、賈家を訪問した劉ばあさんが、惜春を仙女のようだとほめたたえる一幕がある。何てことないシーンだが、87年版のドラマではこの場面を活かし、終盤で出家した劉ばあさんと惜春が再会している。滅びた賈家を救うために奔走する劉ばあさんだが、惜春は既に家を捨てたとして知らん顔のまま去ってしまう。余りに冷たい態度に涙する劉婆さん。短いながら、よく出来た名場面だった。
さらにまた余談だが、かの有名な中国文学者・飯塚朗氏の書いた「私版・紅楼夢」では、氏のお気に入りなのか惜春の出番が思いのほか多い。作中では汚い大人の世界を批判する役柄を与えられており、原作に沿いつつ彼女のキャラクターをより強調している。

 

ともすれば大人や社会のルールに人生を振り回され、潰されてしまう紅楼夢ヒロイン達の中、周囲を冷静に観察し、自分の意志を貫いて生きようとする彼女は、とても強く賢い女性だと感じる。