「花束みたいな恋をした」クッソ長い雑感!

菅田将暉・有村架純主演の「花束みたいな恋をした」観てきました!
一言でまとめると究極の恋愛映画でした。
普段ことごとく中国ネタしか扱わない私のブログですが、今日はこの作品について思ったことを沢山書き連ねていこうと思います。
ネタばれだらけなので、出来れば観賞してから読むことをおすすめします。

ツイッターでも書いたんですけど、恋愛の教科書みたいな作品でした。
主役である麦と絹の五年間に起きた出来事は、良いことも悪いことも含め、世の中のよくあるカップルが経験するようなことばかりで、微笑ましくもあれば、胃が痛くなるほど身につまされるし、共感もしてボロ泣きする。まあ、二人が菅田将暉と有村架純という絶対的な美男美女ということは別として笑

見終わった後は、よく恋愛指南本に出てくる「夫婦は二割くらいの共感でちょうどいい」とか「恋愛は忍耐である」とかの格言が次々に浮かんできました。
二人の最後の別れを見てしまうと「じゃあどうするのが正解だったのか? どうすれば別れず、幸せにいられたのか?」を考えずにいられなかったんですよね。
一番しっくり来たのが「恋は互いを見つめ合い、愛は同じ方向を見ること」というサン=テグジュペリの言葉でした。
麦と絹は、恋の相性は最高でした。相手の中に「サブカル好き」という自分を見出し、互いに共感するものを通じて楽しい恋が出来たわけです。無論、色んな偶然や奇跡が重なったのも大きいですけど。
けれども、二人は最初から愛を育むことが決定的に出来てませんでした。見ている方向は違いました。
麦はミイラ展へ行きたがる絹に内心ドン引きし、絹は麦のガスタンク映画を観ている途中で寝てしまいました。麦はずっと現状維持がしたいと願い、絹は始まりには終わりがつきものだと考えていました。
実はつき合ってから間もない時点で、二人には好みにも価値観にも重ならない部分が割とあったわけです。
けれど、彼らはそのことに気がつかないし、あるいは知らない振りをします。よくある恋の罠ではありますが、相手の中にいる自分が好きで、それしか見えていない状態です。恋は盲目というやつなので、幸せの中で何かしらの引っ掛かりや問題が起きても、それは解決されないまま流されてしまいます。実際、恋人の関係性はデートの中で培われますから、お互いの嫌な部分とかを見ることもないわけで。
でも同棲なんかを始めると、途端にそういうわけにはいかなくなります。一緒にいる時間が長くなれば、否応なしに価値観の違いは表面化するし、問題とも向き合う羽目になります。
好きなことだけで食べていけないから就職するという現実派な麦と、好きなことをやり続けながら生活したい理想派の絹。
どちらも相手とのズレに気がつかないまま、これが二人のためだと思って突き進みます。どっちが悪いということではありません。そのせいでストレスは余計に倍増していきます。
仕事人間になった麦は、絹が自分と同じ立場で現状維持の努力をしてくれないことに苛立ちます。絹も絹でこれまで通り趣味を共有したいのにしてくれない麦に対し言いたいことを堪え「そうだね」「また今度でいいよ」などと本音を押し殺した言葉を吐きます。結局、言い争ううちに本音が漏れて、もっと溝が深くなったり……。
告白した夜、お互いに嫌なことを伝えあいますが「白いデニム」も「UNO」も恋をする相手として嫌なことであって、愛する相手、つまり生活を共有する人同士だったら多分どうでもいい問題でした。実際問題になったのは、麦の「じゃあ~する」という言い草だったり、絹の「生活意識が足りない(もともとバイトの給料では家の賃料を払えないのに、さらに不安定な仕事へ転職した)」部分だったわけで。
結局、相手を他人として、一人の別の人格を持った相手として尊重出来るかが、恋と愛の分かれ目なのかなぁ、と。
二人はそれが出来ませんでした。恋をして、相手に没入しすぎると、自分の言いたいことも言えなくなるし、ついには相手への興味を無くして思いやれなくなる。
ゆえに終盤のファミレスに出てきた、あまりにもかみ合わない会話が本当に辛いです。つき合ってきた四年間、違う方向を見続けて愛を育めなかったために出来てしまった決定的な溝。やり直すにはあまりに時間が経ち過ぎていたことに気づかされてしまいます。もうこのあたり辛くて辛くて涙が流れっぱなしです。
で、そこに現れるのが出会って間もないであろう初々しいカップル。何から何まで、かつての麦と絹そのもの。
もうこれ、めちゃくちゃに刺さるトドメなんですよね。
麦と絹は、二人の出会いを特別なもの、運命や奇跡だと思っていたわけです。他に替えの無い特別な相手だと信じてた。だから関係が悪化してもギリギリ踏み止まっていたのです。
それなのに、まるきり同じ現象を目の前で見せつけられてしまいます。自分達の恋も、実際のところ世の中ではありふれたものだったのかもしれない……。この時点で、二人の恋の柱だった部分までがブチ折られてしまいました。別れる意志を貫こうとしていた絹は心を揺さぶられて逃げ出し、何度も結婚しようとしぶとく絹に食い下がっていた麦は言葉を無くします。
ただもう、今の状態に行きついてしまった自分達を嘆き、抱きしめ合うだけ。
あーもー書いてるだけで辛くて泣けてくる。辛すぎ。
でも、本作の肝は別れた後をじっくり描いたことです。
別れを決意した二人の、憑き物がとれたような爽やかな姿。家を引き払うまでの穏やかな生活。二人は恋をしたせいで失っていた「自分」をここでは取り戻していて、お互いを違う人間として尊重し、幸せを願える関係になってるわけです。かつては言えなかったことも全然口に出せるようになりました。だから再会して、多少の気まずさはありつつも、手を振って別れることも出来る。過去の自分達を思い出して、ああよかったな、と思える。
本作で一番いいな、と思えたところでした。別れは決してマイナスなものじゃない。二人が新たな恋人を程なく見つけられたのも、経験した恋から学び、成長できたからこそじゃないでしょうか。
誰もが経験するであろう、恋愛をすることの素晴らしさ、難しさ、辛さをありのままに描いている。
私が本作を恋愛の教科書だと感じたのは、そんな理由からです。

で、もひとつ本作について伝えておきたいのが、何故主役の二人が「サブカル好き」という設定になっていたのかということ。
さほど作中表面には出てきていないけれども、今の日本社会で文学、音楽、芸術、映画、そういったコンテンツが不当に扱われていることへの怒りが込められているんじゃないかと思いました。
神を認識できない自称映画好きの大人、イラストレーターを安く買いたたくクライアント、オリンピックを自慢げに語る絹の父親、もっと大きなくくりで言えば人間を仕事の中に埋没させて趣味を楽しませようとしない日本社会。
絹と麦にとって、サブカルは恋をするしない以前に、自分の人格として大切なものだったわけです。それを、社会人になるうえで麦は否応なく捨て去ってしまいます。ゴールデンカムイが途中で止まってるとか、パズドラしかやる気が出ないんだよ、という残酷極まりない台詞。環境の変化、特に社会人になったせいでそれまではまっていた趣味がしんどくなる、という現象はネットでも身の回りでもよく見かけます。
これは私自身の話になってしまうのですが、私は未だに絹側の人間です。社会人になろうが歳をとろうが、好きなものを楽しみつつ仕事をしたいと思って生きてます。昔から中国文学と小説創作が好きで、仕事をしながらも未だにそれは続けています。
でも、そういうのは珍しいか運がいい例で、周囲の人達は好きだったコンテンツからどんどん離れていってます。大学時代は文芸サークルに所属していて、それこそ時代は少しずれますが、本作に出てくるような作家を好きなサブカル勢もいっぱいいました。でも、今になっても好きを継続している人達が何人いるか…。大学で小説を書いていた仲間達も、大半は書くのをやめてしまったし、文学フリマに毎年出店していたうちの大学も、近年は名前を見かけなくなりました。
ちょっとずれたので話を戻しますけど、若者に限らず人間にとってカルチャーは必要不可欠なもの。それが、作中に出てくるイケイケな社会人や、成功している大人の間でどうでもいいものとして扱われている。絹のような人達は、いわゆる社会の成功者から見下され、普通に生活することも困難なほど経済的に追い詰められるわけです。これもまた実にリアルな描写でした。
特にここ一年はコロナのせいもあって、現実の日本でもますますカルチャーは窮屈な思いをしています。製作側も思うところが色々あったのではないでしょうか。
この映画を通して、私はずっと好きなものを好きでいられる人間でいたいし、そういう社会になってくれればいい、と改めて感じた次第です。

おまけで、以下適当に細かいことをつらつら
・純愛ブームを経験してた世代なので、とにかく若いカップルの美しい別離(大抵は完治不能の病気という理由だけど)とかにケッと舌打ちしてたのですが、まさにそういう作品を書いていた方(脚本の坂元裕二さんは「世界の中心で、愛を叫ぶ」を書き純愛ブームの牽引役になった方です)が十数年後に本作のような話を書けるのはスゴイと思いました。時代と共に価値観をアップデートしてるのか、あるいは感性がずっと若々しいのか……。個人的に作家やシナリオライターは、時代を問わぬ不変の価値観で作品を書く人と、価値観を時代に合わせて書く人の二通りがいると思っているのですが、エンタメ的には後者が絶対いいと思います。でも、そういう書き手の作品には時代性という賞味期限があるので、時代にマッチしている間は爆発的な面白さがあるけれど、時が経つにつれ古い価値観の作品として忘れられてしまう。結局、古典とかで残り続けるのは前者なんだろうなぁとも思います。…って何の話だコレは。

・カップルで観ない方がいい、とのことでしたが私は相方と行きました。どんな反応するか気になったし、感想聞きたかったので。私は号泣しちゃいましたが相方はそうでもなかったです。まあでも、別れようか別れないかの分かれ目にいるようなカップルが本作を観たら、相当きついんじゃないかと思います。あ、ちなみに私が観た回はカップル全然いませんでした。なんでかな。

・作中に出てきた作品や作家の名前は半分くらいしかわかりませんでした…ので、真のサブカル好きにとって彼らのサブカルぶりがどれだけ深いものなのか聞きたくなります。私は単純にオタクというと広いくくりで二人を見ちゃってました。個人的に、趣味は恐ろしく重なるより、適度に重なるくらいがちょうどいいのでは、と思ったり。
本作はとても現実の反映が色濃いので、間違いなく今見ておいた方がいい作品ではないでしょうか。もちろん、五年、十年先に見ればそれはそれで味わいがあると思いますが。

・キャストについて諸々。美男美女の菅田将暉と有村架純がフツーのサブカル好きなんてありえないだろ!いい加減にしろ!という思いはありますが演技のせいでまったく気になりません。スゴイ。それよりもインパクトあったのは清原果耶と細田佳央太の二人。まじでファミレスのシーンしか出番無いのにあの存在感!あと、絹のお母さんが戸田恵子だと気づかなかったの悔しい。押井守が本人役で出てるのが笑えます。

・女子大生ってカラオケを装ったカラオケにみんな行くもんなんですか…?

・同棲する部屋の間取りやインテリアがいかにも恋人って感じ。もう少し大人になると、寝室を別にしたり、一人だけの時間が出来る場所を作ったりしたくなるんだろうなぁ、と。もちろんフリーターな麦と絹に家賃的な事情はあったにせよ。それにしても駅徒歩三十分で仕事に通う麦は辛すぎ…。それを数年も続けられたのは凄い。

・小道具の使い方がいちいちニクイ。最後のグーグルマップは本当に良かったです。

・タイトルの解釈は色々あると思いますが、私は花束=恋なのかなと解釈。絹の台詞に出てくる通り、恋は終わりの始まり。いつかは枯れる。
逆に愛は、花が枯れないようにすることでしょうか。もらった時の美しい花の状態は保てないかもしれないけれど、枯れないように水を注ぎ続ける努力。
でも、枯らしてしまった恋でも、それは一生の思い出として人生の宝になる。それもまたむべなるかな、といった感じです。

こんなところかな。色々書いてすっきりしました。
みんな素晴らしい恋愛をしよう。
それではまた!

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