死水微瀾

李劼人の長編小説にして代表作。
四川省を舞台に、清朝末期~辛亥革命を描いた三部作「死水微瀾」「暴風雨前」「大波」の一作目にあたる。

本作では、清末四川における民衆の姿を通して、政府の腐敗や、西洋人に対する様々な反応、革命の先触れなどを描いている。富裕層と貧困層、都市部と農村部、どちらにも属さない結社のやくざ者と、登場人物の階層が明確に分けられており、その格差が物語のキーにもなっている。

日本ではあまり触れられないが、辛亥革命の発生には四川一帯の事件が大きく関わっている。このあたりは以前レビューした郭沫若の「辛亥革命前夜」に詳しい。その革命前の社会状況をリアルに描いたのが本作というわけ。

阿片戦争から五十年が過ぎ、既に列強の強さを思い知っていた中国政府は、ひたすら彼らに弱腰。特に役所では、西洋人が事件に関わると過剰反応し、民衆を片っ端から逮捕する、法をねじ曲げる、事件をなあなあにして上に報告するなど、保身のためになりふり構わぬ行いを繰り返す。庶民からすればたまったものではないが、そんな庶民側も、西洋人の威信を利用するためにキリスト教へ改宗する、したたか者が現れたりする。
また一方では、西洋人の横暴に耐えかね、彼らを追い出そうとする勢力もいる。彼らは教会を襲撃したり、はるか北京における義和団の活躍に一喜一憂したりする。
もちろん、西洋人への感情はそうした恐怖や怒りだけに留まらない。富裕層などは、彼らの進んだ技術に興味を示し、積極的に自分たちの生活へ取り入れていく。ランプだったり、衣服だったり、レコードだったり、先進文化に対する素直な驚きや、理解できない技術へのとんちんかんな反応は読んでいて面白い。それほど興味を持っている割に、真に理解すべき国際情勢についてはまるで無頓着、西洋の国名や地理をまるでわかっていないのは序の口で、国内で起きている侵略事件についても他人事。この頃の中国ではもう新聞の発行が始まっていたが、まだまだメディアが発達していない時期だけに、遠く北京の出来事はやたらねじまがった形で四川に伝わってくる。義和団や紅燈照に関する深刻なニュースも、富裕層一家にとってはお茶の間を盛り上げるネタでしかない。
こうした社会のデタラメさに影響を受け、まともな人々もおかしくなっていく。雑貨屋の貞淑な夫人だった蔡大嫂が、贅沢や不倫や権威の利用など、色んな悪徳に塗れていく描写は見事に尽きる。

そのほか、当時の四川の生活風俗(婚礼、地理、料理、祭事、言語などなど)に関する描写も非常に詳しく、色々勉強になる。