金庸武功考察 「天龍八部」「射鵰三部作」より一陽指・六脈神剣

一陽指は金庸の武侠小説「射鵰三部作」「天龍八部」に登場する至高の武術奥義。作中では主人公や最上級クラスの達人が使用する。映像作品では指先からビームを発射する荒唐無稽な演出もあってインパクト大。シンプルで真似しやすいため、金庸ファンならみんな一度は「一陽指ごっこ」をやったはず(ほんまかいな)。
本項では派生型である六脈神剣についても解説する。

金庸作品の時系列で最も早い登場は北宋が舞台の「天龍八部」(ただし執筆は「射雕」三部作の方が先)。雲南大理国の王族・段氏によって開発され、代々受け継がれてきたとされる。
深い内力を指先に込め、点穴を主軸に戦うのが基本的なスタイル。通常の点穴と違うのは一陽指の名の通り、食指一本しか用いないところ。それ以外は特に変わったところの無い点穴法に見えるが「神雕剣侠」で楊過が武三通の一陽指と対峙した際は「攻撃範囲の広さ」「繰り出される技の速さ」に驚愕しており、至高の武芸に恥じない威力を持つ。発せられる内力は柔和と表現され、同じ指力を用いた少林寺の武功が直接的な破壊力を持つのに対し、こちらは柔を強みとしている(「神雕」でも全真教の丘処機が「当代きっての指力を持つ一灯大師の一陽指ですら、木材に字が刻めるとは限らない」と述べており、単純なパワーより技に重きが置かれているのは間違いない)。
奥義は奥義を究めると指先から無形の真気を打ち出して攻撃することも可能(いわゆる内力ビーム)。間合いの離れた相手にも点穴を食らわせることが出来る。この発展系が後述する六脈神剣である。
そのほか、戦闘だけでなく医療にも使える。指先から内力を送り出して内傷治療をしたり、強力な点穴でピンポイントに毒が回るのを防ぐ、などなど。ここらへんのテクニックは点穴に通じた武芸者なら大抵こなせるのだが、一陽指の使い手は優れた内力の持ち主であることが多いため、そのぶん効力も大きく描写されている。
極めるには非凡な内力を要求するが、入りはそこまで難しくないらしく、郭靖のポンコツ弟子である武兄弟も習得している。また蒙古における欧陽鋒との戦いでは、郭靖が見よう見まねの一陽指を使い危急を脱したこともあり(ただし本当にかたちだけの真似だったので速攻で偽物とバレた)、型も割合シンプルなようだ。

天龍八部の頃は大理という僻地で段氏一族のみに受け継がれていたため、中原ではその名を知られつつも実際に戦ったり技を目にした者は多くなかった。そのため天下の武芸を幅広く収集していた逍遙派やこそ慕蓉家も、一陽指の秘伝書は未入手だった。
それから百年ほど経過した「射雕英雄伝」「神雕剣侠」の南宋時代は、段家子孫の南帝こと段智興が四大達人の一角に登り詰めたこともあって、天下に広く名を知られている。また伝授の基準も緩くなったようで、段智興は段氏とは血縁の無い弟子達、友人の王重陽らにも一陽指を教えていた(ただし王重陽は自らの奥義と交換というかたち。理由は後述)。
さらに百年が過ぎた「倚天屠龍記」でも、段氏は滅んだが弟子の子孫が生き延びており、やはり一陽指を修行している。しかしながら往年ほどの威名はなく、僻地のちょっとした使い手程度まで落ち込んでいる。そして彼らも屠龍刀・倚天剣をめぐる争いに関わった結果死んでしまったので、一陽指もこの世代で断絶してしまったと思われる。

「天龍八部」の時代には、一陽指の発展形として六脈神剣という奥義が存在。大理の天龍寺に奥義書が残されていた。六脈とはそれぞれ
太陰肺経(親指)
厥陰心包経(人差し指)
少陰心経(中指)
太陽小腸経(薬指)
陽明大腸経(小指)
少陽三焦経(小指)
を言い、鍛え上げた一陽指のテクニックを用いて内力を六脈へ通すことにより、指先から内力の剣気を打ち出せる。各指の剣はそれぞれ少商剣、商陽剣、中衝剣、関衝剣、少衝剣、少沢剣と名前がつけられており、例えば親指の少商剣は力強く威力がある、など剣ごとに特徴を持つ。剣気は刀剣に勝る殺傷力を誇り、人体を貫いたり得物をへし折ったりすることも可能。また一陽指より遥かに射程も長い。殆どファンタジーの領域だが、これには金庸先生も後年「ちょっとやりすぎちゃった。メンゴ」と反省コメントを残している。
修業のためには一陽指を最低でも四品の位まで極める必要があり、(最高は一品)また莫大な内力が必要。そのため奥義が作られてから百年あまり経ってもまともな習得者がいなかった。そんな折り、吐蕃国の鳩摩智が六脈神剣の奥義書をよこせと要求に来る。天龍寺も面子のため「誰も習得者がいません」なんて情けないことは言えないため、やむなく寺の中で最も優れた人材六人をかき集めて、それぞれが一脈ずつ剣を使う「六脈神剣陣」を大急ぎで作り、鳩摩智を迎え撃った。その騒動のどさくさに紛れ、様々な奇縁に恵まれて凄まじい内力を得た段誉が六脈神剣を完全習得。唯一の完全な継承者となった。なお、六脈神剣の奥義書は後難を案じた枯栄大師によって燃やされてしまう。後代には登場していないため、段誉の代で失伝してしまったと思われる。

映像作品では指からビームが飛び出す仙侠ものみたいな演出をされる。古い時代は赤や青の光線で表現され、効果音もピョイーンとかキーンみたいな安っぽい感じだったが、CGが発達した2000年代以降は透明な光弾やビームが主流(効果音もバショウウウン!と重厚な音に)。放たれた剣気は壁や地面にあたれば爆発し、人体ならば貫いて血の煙が噴き出す。演出としてはかなり派手で見栄えがする。

主な修得者
段正明
「天龍八部」序盤での大理国皇帝。在家では最も優れた使い手。後、天龍寺にて鳩摩智襲撃の際に出家。寺を訪れてから僅かな時間で六脈神剣の一脈を習得している。

段正淳
大理国の皇族にして段正明の弟。同じく一陽指を操るが、不倫活動に忙しくてあまり武芸に身を入れていなかったせいか兄ほどの境地には達していない。中盤の段延慶との戦いでは一陽指の内力が届くのも三尺が限界だった。

枯栄
天龍寺の長老。武功・見識ともに深いが、それでも六脈神剣を習得するには至らなかった。

本因、本観、本相、本参
天龍寺の長老達。少なくとも全員が四品以上の境地に達している。鳩摩智の来訪に際して、それぞれ一脈ずつ六脈神剣を学び、剣陣を披露。一戦目は鳩摩智を破るが、二戦目では圧倒される。内力不足のせいか、六人合わせても段誉の六脈神剣の威力には及ばない模様。

段延慶
天下四大悪人のボス。もとは大理国皇族で、本来の継承者。かつて強敵との戦いで重傷を負い、以降は厳しい修行のすえ松葉杖兼武器の鉄杖に一陽指を通せるようになった。その指力は段正明とほぼ互角。

段誉
天龍八部主人公の一人。奇縁を得て六脈神剣を習得するが、ろくに武術の基礎を学んでいないため終盤近くまで思い通りに使いこなせなかった。少林寺の慕容復戦では最初でたらめに六剣を打ち出していたが、簫峰からの技を絞って使うようアドバイスされ、そこから一気に相手を圧倒した。物語が進む中でどんどん内力の貯えが多くなったため、いくら六脈神剣を撃っても内力が底をつくことはなかった。
そのほか、作中では酒気を指先から逃がし、いくら酒を飲んでも酔っぱらわずにいられるという妙な使い方も。
なお、一陽指は学んでいないが基礎は同じなので、その気になれば多分使用可能。

段智興(一灯大師)
「射鵰英雄伝」時代の大理国皇帝。天下五大達人の一角であり「南帝」の異名を持つ。作中では過去の過ちから隠棲しており、まともに一陽指を使って戦ったのは続編「神鵰」終盤における金輪法王戦くらいだったりする。この時既に九十を超える老齢だったが、その指力は依然として高く、モンゴル最高峰の達人である金輪法王とも渡り合ってみせた。
「射鵰」では一陽指と先天功の合わせ技で黄蓉の重い内傷を治療。本復に五年もかかるほどの内力を消耗してしまうが、郭靖が手に入れていた九陰真経の奥義を用いることで短期間で回復した。「神鵰」における強さも、純粋に一陽指を極めたというよりは先天功・九陰真経が合わさっての功力と考える方が打倒かもしれない。

王重陽
全真教の開祖にして天下第一の達人。崋山論剣で西毒・欧陽鋒の技に苦しめられたことから、段智興に一陽指の伝授を請い、その代わりに自身の奥義である「先天功」を教えた。これには、自分の死後南帝に西毒を抑えてもらいたいという意図もあった。
自身の死の直前に襲撃をかけてきた欧陽鋒に対し、一陽指を眉間へ打ち込んでその武功を破壊、回復まで二十年近くかかるほどに追い込んでいる。
なお、金庸先生の初稿だと一陽指は全真教の奥義だったそうで、段智興と奥義を交換したり、欧陽鋒を撃退するくだりは改稿時の整合性を合わせるために作られたもの。

武三通
段智興の四大弟子のひとり。普段は農夫の身なりをしている。一陽指もそれなりに極めているものの、李莫愁には技で翻弄されて敗北を喫している。

朱子柳
段智興の四大弟子のひとり。四弟子の末席だが、武芸の筋がよく弟子の中では一陽指を最も極めた。さらに自身の得意とする書法と一陽指を融合させた「一陽書指」を編み出している。この武功では指の代わりに筆で点穴を行う。作中ではモンゴルの若き王子・クドゥや李莫愁をも上回る実力を見せた。

武敦儒・武修文
武三通の子供達。郭夫婦の弟子だがそろってポンコツ。英雄大宴で朱子柳から一陽指の基礎をならい、その後十六年をかけてある程度ものにした模様。

朱長齢
朱子柳の子孫。天驚一筆の異名を持つ。一陽指も先祖から継承しているが、大手を振って中原に出てこれないあたりさほど深く極められていない様子。それでも家伝の武芸として重視してはいるようで、娘の朱九真にも伝授している。

武烈
武敦儒もしくは武修文の子孫。ただし作中ではほとんど一陽指を披露していない。武家の二人は郭靖から様々な技を習っているため、朱家と比較しても継承の度合いは微妙なところ。