美好年華研習社 青春紅楼夢

芒果台の教育番組「美好年華研習社」で放映された紅楼夢の舞台版。2022年制作。
近年は漢服ブームなどを背景に、若い世代にも中国の伝統芸能や古典文学へ興味を持つ層が増えている。この美好年華研習社は、正しい古典の理解と拡散を目的に、番組に参加している若手芸能人達に古典作品や伝統劇を学習させ、舞台演劇として披露する。特に衣装や音楽には力が入っており、衣装は地味で古くさい古典チックなものに寄りすぎず、若者にも受け入れやすいカラーを取り入れたり、伝統劇の再現にも現代のバレエやミュージカルの要素を加えたりしている。

で、十一回目を迎えた番組のお題は、中国古典小説の最高傑作「紅楼夢」だった。有名な87年ドラマ版を意識したというビジュアルで、放映前から注目を集めていたのだが…。

放映後、各地の紅迷が大爆発。ネットには本作を批判する投稿が相次いだ。
曰く
「原作、特に登場人物への解釈がおかしい」
「(批判だらけだった)李少紅版の方がまだマシだった」
「曹雪芹が生きてたらマジ切れするぞ」
などなど……。

百聞は一見にしかず、というわけで私も見てみました。他の回は見ていないので、もしかしたら美好年華研習社のコンセプトについて浅い理解の部分や誤解もあるかもしれません。何かあればご指摘ください。

まずはこの回の内容紹介。
若い演員や歌手達が、それぞれ紅楼夢の主要キャラに扮する。物語は賈宝玉の誕生日、つまり原作第六十三回を舞台として、一同に会したヒロイン達を紹介していく、といった感じ。
まあつまり、古典作品の紹介が主軸で、ストーリーをきちんと追っているわけではない。

衣装関連は最高傑作と名高い87年ドラマ版のビジュアルを意識したそうで、確かに2010年の新版紅楼夢よりもずっといい。顔立ちも旧版ドラマに比較的寄せている。ただ、女性陣の衣装は今風の古装ドラマっぽいデザインと色合いなので、そこまで87年版に忠実かと言われたら微妙かな。逆に宝玉はそのまんま過ぎてもう少しアレンジいれてもよかったんでないかと思う。個人的に一番よかったのは王怡人の史湘雲。滅茶苦茶可愛いし、いかにも現代的な湘雲といった感じ。後述するキャラクターの解釈違いが無かったのも大きいかも。
音楽や挿入歌も87年ドラマ版で使われたのをそのまま使用。キャスト全員が並ぶ「紅豆曲」のシーンは良かった。

以上、誉められるとこ終わり笑

正直、ビジュアル以外は最悪といってもいいかもしれない。紅迷達のが怒りのほどもよくわかる。
ダメなとこは以下。
・キャラクターの解釈がおかしい
人間ドラマが主軸の紅楼夢において、原作のキャラ再現が出来ていないことは死活問題だと思うのだけど、よりにもよってこの番組はそこが最悪だった。
お妃になれないならいい家に嫁ぎたいと上昇思考全開の宝釵、恋占いで無邪気に喜ぶ探春(原作と真逆じゃん)、宝玉の誕生祝いに自ら顔出しして自らお酒を差し出す妙玉(ありえない)、ただただ卑屈なだけで原作にあった気高さやプライドが根こそぎ消えている黛玉、などなど…。
あと、李紈のことを「徳の高い素晴らしい女性だ!」と持ち上げまくるのはなんか違くないか。現代になって封建時代の賢妻の生き方を評価するの? 価値観後退してない? 李紈は男尊女卑の大家庭において、後家の女性がああいう風にしか生きれなかったという悲劇を描いている、というのが正しい解釈なんじゃないの? ほんとに色々とバグる。
そして、男性陣がジャマ! お話は宝玉の誕生祝いという設定なんだけど、賈蘭、秦鐘(いや原作だとこの時もう死んでるし…)、北静王、柳湘蓮、蒋玉函とありえない顔触れ。恐らく原作のイケメン枠を集めたくてこういう面子になったのだろうけど無理がありすぎる。普通に賈家の男達限定で集めればよかったのでは? そのうえ十二釵に対しておかしな品評(前述の李紈への賞賛とか、黛玉は妻に向かないとか)をぺらぺら話すもんだから正直イラついた。あと、賈蘭の役者さんの尖った顔立ちはむしろ賈環の方があってるんじゃないか(ファンの方すみません)。

・古典作品にそぐわない現代チックな演出
黛玉葬花でバレエが始まる。美しいけど、元気にくるくる回ったりする演出は病弱な黛玉のイメージとあまりにそぐわない。
唐突に始まるキャスト全員での明るい挿入曲。にこにこしながら手を叩いたりして歌う。いや、おかしいだろ…それは…。なんでこんな演出になったのか。古典と現代演出の合体を目指したのかもしれないけど、原作のイメージをぶち壊すようなことはしないで欲しい。

そういうわけで、確かに紅楼夢の内容紹介ものとしては、いや内容紹介ものだからこそきちんと抑えるべきところを抑えていないのはいろいろ論外だと思う。日本人の私ですらこれだけ違和感を覚えるのだから、本国の人々は尚更だろう。
新版紅楼夢は原作をなぞるのに必死で、かえってキャラクターがまるで立たない作品になっていたけれど、この美好年華研習社の舞台版は、若い世代向けにわかりやすくキャラを紹介しようとして、誤解を与えるほど極端な台詞をしゃべったり、無理のある解釈を加えてしまった感じがある。
例えば上述した探春にせよ宝釵にせよ、キャラクターの背景には複雑な家庭環境と人間関係がある。長編小説で読むからこそその深さを味わえるのだけれど、舞台上における一分でそれを説明しろとなれば確かに難しい話だ(だからといって今回のやり方が正しいとは到底思わないけど)。

でも一歩引いて冷静に考えてみると、案外日本で同じことをやっても似たような結果になる気がしなくもない。
結構昔の例になって申し訳ないのだけれど、2006年にTBSで放映された滝沢秀明主演の「里見八犬伝」はあまりにも原作をねじ曲げた部分の多い作品だった。もっとも、八犬伝を二時間ドラマ二回分にまとめるのは無理があるし、原作は現代の倫理観にそぐわない要素も多数あるので改編やむなしといったところもあるのだけれど、それを差し引いても原作の骨になるところが壊されていて「原作に理解のないドラマだなぁ」とぼんやり感じた記憶がある。
でも、別に原作八犬伝を読んだことない人達からすれば、タッキーがカッコイイアクションをしていて綾瀬はるかが可愛くて、菅野美穂の玉梓が妖艶で、といったところにしか注目しないと思う。
今回の紅楼夢にしても、ビジュアルについては完全にいい線いってるし、原作を読んだことない人からすれば紅迷達の怒りも「ふーん、そんなに原作と違うんだな」程度なのかもしれない。

というわけで、私もキャラクターの解釈違いにはおいおい、と思いつつ、古典作品を正しく紹介するというのはやはり大変なことなのでは、と感じさせられたのでした。
youtubeで美好年華研習社は全編視聴出来るので、興味のある方は是非。

好きな古装男優さんを紹介してみる

間が空いてしまいましたが、前回に引き続き好きな古装演員を紹介。
今回は男性編です。好きな演員さんでいえば沢山いるんですが、いざ調べ直してみたら意外と古装全然出てなかった…という方が結構いたので、いずれ別枠で紹介しようかなと思います。

 

霍建华

台湾出身。2000年代以降のイケメン古装演員といえば、彼を思い浮かべる人も多いのではないか。恋愛ものも仙侠ものも武侠ものも何でもござれ。演技の幅は広く、シリアスからギャグまで、天真爛漫な青年からクールな達人までそつなくこなす。原作ありの役柄だと、そのビジュアルもあって大体以上にかっこよさが増す。個人的に「怪侠一枝梅」の離歌笑役が一番好き。

 

楊凡

モンゴル出身。演員だけでなく制作側としても活躍。初めて見た時は凄く八路軍兵士顔だなと思った人。なんといっても「水滸伝」の石秀役が私にとっては印象深い。原作で好きなキャラだし、演じている楊凡もイメージとぴったり。ちなみに「三国演義」でも趙雲を演じているが、何の説明も無く張山から役を引き継ぐ。でも趙雲のハイライトである長坂とかの出番を逃しているので正直そんなに目立たない。

 

王岗

寧夏出身。多くの古装ドラマに出演。武術門派の達人や大家の長など、朝廷の偉い官人など、渋い脇役として活躍。アクションもばりばりこなす。私が知ったきっかけは「射鵰英雄伝」の王処一役から。色んなドラマで見かけるのと、基本的に善人役が多いのでいつしか好きになってしまった。最近では山河令の傲崃子かな。すぐ死んじゃったけど。そう、善人だからよく死ぬんだよね…。それがまた愛着をわかせる。

 

于承惠

山東省出身。立派なお髭が素敵なリアル仙人。古くから武術畑の演員として映画を中心に活躍。その後、大陸でのドラマブームが始まるにしたがって、武侠作品における達人役・師匠役として多数出演。既に老齢となった2000年代以降もばりばり生身アクションをこなす。衰えを感じさせずめちゃくちゃかっこいい。その脱俗的なビジュアルから仙侠ジャンルもよく似合う。2015年に他界しており、残念ながら現在は活躍を拝めなくなってしまった。

 

張智霖

香港出身。演員にして歌手。武侠小説の名作「射鵰英雄伝」の主役・郭靖を演じた時は主題歌も歌っていた。古龍原作の武侠ドラマによく出ていたが、なんといっても陸小鳳伝奇シリーズの主人公・陸小鳳が当たり役。飄々とした原作の雰囲気をよく再現している。最近は古装ものの出演が減少気味で少し寂しい。

计春华

浙江省出身。アクション俳優として80年代から武術映画畑で活躍。その凶暴そうな顔立ちの通り悪役での出演が多め。ノリノリでやってくれるから見ているこちらも楽しい。時々、名作映画にも変な脇役でひょっこり出てきたりするのでびっくりする。残念ながら2018年にお亡くなりに。

林雨申

北京出身。実は古装作品への出演はまだここ数年なのだけれど、どちらも滅茶苦茶はまっていたので今後の期待も込めて紹介。倚天屠龍記では楊逍、飛狐外伝では苗人鳳を演じる。どっちもクールな絶世の達人で、女絡みの問題を抱えている共通点あり(前者は寝取り、後者は寝取られの違いはあるけど)。アクションも生身でいい感じにやってくれるし、古装での立ち振る舞いもしゃれっ気があっていい。これからも古装出演が増えてくれたら嬉しい。

なんか武侠とか武打系に偏ってるなぁ~。
基本的に古装の男性演員はどっしりした老人だったりかっこいい中年侠客とかに魅力を感じるので、最近のドラマで有名な若い男神はランキングから外れがち…。

好きな古装女優さんを紹介してみる

今年はあまりドラマ見れなかったなぁ…。見たいのは沢山あるんだけど。急な思いつきですが、中国古装ドラマで個人的に好きな女性演員さんを紹介してみる。いっぱいいるので選ぶの大変なのですが、とりあえずすぐに浮かんできた方を順不同で。

 

赵雅芝

香港出身。70年代より活躍。俳優になる前はスチュワーデスとして働いていた。古装じゃんるだと、若い頃から金庸原作の武侠小説や古典小説原作の作品に出演。白娘子を演じた92年の「新白娘子傳奇」は人気を博しレジェンドドラマに。このドラマや三花系列シリーズでは、男性役を演じることが多い叶童とよく主演コンビを組んでいる。全く老けないことで有名なリアル仙女。40歳でも平然と十代の役を演じてたりするし、70歳近くなった現在でも若い頃とまったくスタイルが変わらない。最近はようやく?年相応の配役になってきた(それでも若い気がするけど…)。

 

刘晓庆

四川省出身。恐らく大陸で最も有名な女優ではないだろうか。西太后をはじめ数々の大作映画に出演しスターの地位を築く。80年代のドサ回り生活や数々の不倫、脱税問題など、映画に負けず劣らず本人の人生もドラマチックで面白い。正直いって美しさなら同時代にもっと上の女優がいるけれど(初めてのオーディションでは顔の作りがよくないと酷評されたとか)、凄まじい演技力が持ち味で「西太后」や「武則天」では娘時代から老年まで子役を使わず演じきっている。

 

何晴

浙江省出身。古装女星といえば必ず名前のあがる演員さんではないだろうか。特に80~90年代に主演作が多め。気品溢れる顔立ちの江南美人。中国古典四大名著「紅楼夢」「水滸伝」「西遊記」「三国志演義」全作に出演しているのが特徴。善良な薄明佳人の役が多め。そんなわけで末路も不幸になりがち。これまた20歳の頃から全然老けてない。

 

陳紅

江西省出身。太平公主、貂蝉、嫦娥などを演じその美しさから「大陸第一美人」の称号を得たことも。が、女優としてまだ活躍盛りの時期に映画監督の陳凱歌と結婚し、第一線からは身を引いている。とっても残念。張芸謀と恋愛関係にあった鞏俐といい、90年代はこういうムーブが流行っていたのだろうか。現在は制作側としての活動が中心。とはいえ完全に顔出ししなくなったわけでもなく、時々バラエティ番組にも出たりする。

 

陶慧敏

浙江省出身。くりっとした瞳が美しい江南美人。国家一級演員であり、林黛玉、小白菜、崔鶯鶯など古典名作のメインヒロインを演じてきた。個人的に彼女の林黛玉は陳暁旭に次ぐ素晴らしさだと思う。

 

杨幂

北京出身。子供の頃から役者として活躍し、今や押しも押されぬ大女優の一角。サブヒロインを演じることが多かった2000年代時点で既にメインヒロインを食うほどの人気を見せていた。2010年以降は主演も増えてまさに彼女の時代。つぶらな瞳と演技力の高さが好き。髪はデコだしの方が似合うかな? もう30代後半だけど、古装なら娘役も全然いけると思う。

 

郑爽

遼寧省出身。90后四小花旦の一人。2010年代以降「武則天秘史」や「凰图腾」などの古装ドラマに出演し人気を博す。可愛いルックスから天真爛漫な感じのキャラを演じることが多かった。近年のドラマを見ているとあんまり若い頃に比べ古装向きの顔立ちではないような気もしてきた。日本に入ってくるドラマにもよく出演しており知名度も高まってきたとろこに、代理母事件やら脱税事件やらが重なって完全に抹消状態。大変だろうけど復帰に向けて頑張って欲しい。

 

邓莎

湖南省出身。大学生の頃、新版紅楼夢のオーディションに参加し上位に選出、それをきっかけに次々とドラマに出演。ちなみにオーディションでは薛宝釵役に参加し、実際後の「黛玉伝」で同名役を演じている。柔和な顔立ちと裏腹に、どちらかといえばサブヒロインそれも嫌な役どころが目立つ。最近は女優としてだけでなく、ママタレントとしても有名な様子。

 

南笙

四川省出身。ネットに自らの写真をアップしていたところ「凄い美少女がいる!」と話題になり芸能の世界へ。以後はその脱俗的なビジュアルで人気を博す。仙女役や侠女役がよく似合う。演技力はもうちょいかも。ドラマよりも映画などの単発作品が多め。よく整形絡みのニュースが出てくるがどこまで本当かは不明。

 

 

次回は男性演員をやろうかと思います~。

 

87年版 聊斎志異 娥眉一笑

中国の志怪小説集「聊斎志異」をベースにしたドラマシリーズ「聊斎」の一編。原作は「連城」。娥眉一笑はドラマオリジナルのタイトル。

ものがたり
名家の令嬢・史連城は教養溢れ、学問のある男性に嫁ぐことを望んでいた。心優しい貧乏秀才の喬大年は、自作の詩を送ったところ連城の目に留まる。しかし富豪の王化成が金にものを言わせて無理矢理連城を奪おうとする。連城は喬大年への想いで重い病にかかり、医者をも見放した。ふらりと現れたアヤシイ僧は、人間の胸の肉を切り取って与えれば本復するという。我が身が可愛い王化成は拒否、しかし喬大年がそれを実行。連城は回復し、二人は結ばれる。しかし、そこへ王が現れて連城を奪い去ってしまう。今生で幸せになれないと悟った連城は自害。喬大年もそれを追い、二人はあの世で再会する。

なんといっても陳紅の美しさが神がかっている。ネットに散らばる彼女のPVやまとめ動画では必ずといっていいほど本作の場面が出てくるので、ファンにもかなり印象深いのでは。
物語はこの手の古装あるあるで、原作より内容が水増しされている。とはいえ、連城は小粒な短編揃いの「聊斎志異」においてはそれなりに長いお話なのでドラマオリジナル部分は少なめ。悲劇的なラストも良し。特殊効果とかあの世の描写は古い時代の作品なのでチープ気味だけど、雰囲気は出ている。音楽があの王立平なのも大きいかも。
このドラマシリーズ「聊斎」は良作揃いで、若い頃の有名演員が出ていたりするので、今後も紹介していきたい。

以下キャスト
史連城/陳紅
史孝廉の娘。マジで神がかりな美しさ。大陸第一美女に相応しい。冒頭シーンの素敵な微笑みはネットでもよく画像が落ちている。

喬大年/阮志强
心優しき貧乏書生。肉をえぐり取る場面は迫真の演技。権力者の前では殆ど抵抗出来ないのがお約束。

史孝廉/李又子
連城の父。娘を深く愛している。

王化成/徐小帆
富豪の若様。めちゃくちゃしつこい。悪事の罰を受けずに終わってしまうのは何だかな。

顾正/崔正闽
喬大年の友人。原作にも登場。唐突に死んだかと思ったらあの世で再会し、カップルの還魂を助ける。

西域头陀/张宝贵
見るからにアヤシイ行脚僧。原作にも出てくる。

時が滲む朝

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楊逸の中編小説。2008年芥川賞受賞。
将来有望な青年だった浩遠は、中国民主化の学生運動に参加したことで退学に追い込まれる。日本へ移住し、貧乏に苦しみながらその後も民主化の志を捨てずにいた彼だったが、周囲はどんどん運動への熱を失っていき、無情にも数十年の時が流れていく…。

ミクロな視点から天安門事件を描いた作品。といっても実際の事件は中盤で少々触れられるのみ、主人公も天安門にいたわけではなく「運動が起きていた時期に喧嘩騒ぎを起こした」という半ばとばっちりな理由で退学処分され、未来を奪われてしまう。物語の大半は前途を失った青年のその後が中心。

天安門事件と聞くと、日本人は民衆を迫害した共産党のイメージばかりが先行して、肝心の運動側の実態を知らない(あるいは妥当した共産党側を絶対悪に見立て、運動側をそのぶん美化している)人も多いのではないか。個人的に、中国の革命運動は中華民国期にせよ人民共和国建国初期にせよ相当にグダグダで、天安門もその例からさほど外れていないと感じる。本作に出てくる運動家も美辞麗句で学生を扇動する教師、中身を伴わないぼんやりしたイメージで民主を叫ぶ学生、革命を利用して利に走る人間と、全然ろくなのがいない。これでは清末期の声だけでかい革命家達とおんなじでは……。ちなみに、若い学生達が熱に浮かされて暴走した危険例でいえば紅衛兵もそうだろう。私は小説が歴史の真実を描けるとは1ミリも考えていないけれど、それでも日本人が勝手に理想化している民主化運動家の印象を取り除く入り口として、本作はいい参考になると思う(あくまで小説なので、真実の検証がしたいなら専門的な本に触れるのをお勧めします)。

作中で一番感動したのは、終盤における浩遠と父との会話だった。これは読者が近現代の中国史を把握しているかどうかで全然感動具合が違うのだけれど、浩遠の父はかつて右派分子として下放(文革期、知識青年に表向き農業を学ばせるという名目で、政府に反抗的な人物を僻地へ追いやる政策)されてしまったエリート学生だったことがさらりと語られている。その後は右派の見直しが行われたものの、彼は平凡な農村女性と結婚し、地方の教師という小さな立場におさまる。つまり、浩遠は父親と殆ど似たような人生をたどってきているわけだ。父について意外と深く知らなかった浩遠は、同じく子供を持ち、断たれた夢を経験して、初めて親の心情を理解出来たのではないだろうか。

読んだ感覚としては映画の「芳華」あたりに近かった。近い歴史事件に触れようとすると、どうしても似た感じのアプローチになるのかと思う。コンパクトにまとまって読みやすいので是非。

中国歴朝通俗演義

中国古典小説の中でも、実際の歴史を元にした作品を講史もしくは演義小説と呼ぶ。
この演義は大きく分けると王朝を語ったものと偉人を語ったものの二つに分れ、前者はみんな大好き三国志演義や隋唐演義など、後者は楊家将演義や洪秀全演義などがある。

で、王朝を扱う演義小説は、その王朝一代分の始まりと終わりまでを扱うのが基本。ところが、なんと歴代の王朝を全部まとめて書こうと試みた演義小説が存在する。
それがタイトルにある「中国歴朝通俗演義」。作者は蔡東藩。舞台は秦~民国期の途中までと滅茶苦茶長い。執筆期間は十年、字数も六百万にのぼる、まさに大作。
作者が清末生まれなのと、語り口が旧来の小説を踏襲していること、執筆開始が1916年とぎりぎり文学革命手前なので、一応古典小説扱いになっているようだが、実質的には近代小説にカテゴライズすべきかもしれない。作者の執筆動機や主張も、西欧列強や日本の侵略に対する民族危機意識が強い模様。
ちなみに紹介してる私も読んだことはない。長すぎて気が遠くなる笑

上で全部の王朝、とは言ったが正確には全てではない。周より前は省かれている。また、各王朝の物語は独立しており「前漢演義」「後漢演義」「両晋演義」「南北史演義」「唐史演義」「五代史演義」「宋史演義」「元史演義」「明史演義」「清史演義」「民国演義」から成る。ちなみに各章の執筆時期は時代順ではなくかなり前後している。また民国演義は日中戦争や作者の病気により中断。作者の死後、別人の続編として「抗戦演義(日中戦争期が舞台)」なんてものも書かれているらしい。

あまりに長すぎるし日本での需要も無いと思うので恐らく今後翻訳されることも無いだろうと思うけれど、日本で誰にも知られないままなのは惜しいなぁ、と何となく紹介させていただきました。
読んでみたいぜ、という方は中国のネットをあたれば無料で読めます。是非お試しあれ。

金庸小説における少林寺の歴史

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感想(0件)

金庸の武侠小説各作を通して、名門正派のトップに君臨する少林寺。
歴史もあり、一流の使い手を多数抱え、七十二絶技や易筋経などの奥義を持つ、まさに一流の武術門派……のハズなのだが、作中ではあまり活躍に恵まれておらず、しばしば強力な達人のかませ犬にされたり、寺を戦場にされたりうんこまみれにされたりいいところがない。

そんな少林寺、金庸の代表作である射雕三部作、とりわけ「射雕英雄伝」と「神雕剣侠」でほぼ出番がないのをご存じだろうか。前者は九陰真経をめぐる崋山論剣、後者は英雄が集結してモンゴルの脅威に対抗する、など武林全体を巻き込んだイベントが発生している。にもかかわらず、巨大門派たる少林寺はそれらに殆ど関わっていなかった。
これは一体どういうことなのか。

実は、金庸先生の武侠小説を実際の中国史順に読んでいくと、この謎に関する答えらしきものが見えてくる。そこには、涙なしには語れない苦難の歴史があったのだ。今回はそんな少林寺の内情について語ってみよう。

栄光と転落「天龍八部」
「天龍八部」は金庸先生の長編傑作。本作は宋の神宗期の話である。
この時期における少林寺は、丐幇と並んで間違いなく武林最強の門派だった。強いて言えば量なら丐幇、質なら少林寺といったところか(少林寺には長老格にあたる「玄」の字世代の弟子が多数存在したため)。この時期の江湖は、どちらかといえば突出した個人の武芸者が活躍しており、後の「倚天屠龍記」や「笑傲江湖」のように多数の門派同士がせめぎあう時代ではない。少林寺や丐幇のような巨大武術組織は、存在するだけで強力といえる。
そんなわけで繁栄を極めていた少林寺。が、転落は突然やってきた。武林を騒がす謎の連続殺人事件で、少林寺は「玄」の字世代の有力門人を多数失ってしまう。さらに七十二絶技や易筋経の盗難、天竺の僧と組んでイチャモンをつけてきた神山上人の来訪など災難続き。
極めつけが、群雄を巻き込んだ少林寺の戦いで、掌門の玄慈が隠し子を作っていたという大スキャンダル。しかも相手はよりによって悪名高い「四大悪人」の葉二娘。結局、玄慈は責任をとって自らを罰し、そのダメージがもとで死んでしまう。一応、名もなき掃除番のじーさんが武林で暗躍していた連続殺人事件の黒幕二人を出家させ、どうにか寺の面子は保たれたものの、少林寺が受けた傷はあまりに大きすぎた。
ライバルの丐幇も色々被害はあったものの、命を賭けて宋と遼の戦争を阻止した簫峰の行動は、武林における株を大きく上げた。ここでの差が後に響いてくるわけだが、それについては次の項目で解説しよう。

長き冬の時代「射雕英雄伝」「神雕剣侠」
さて、時代は百年ほどくだって南宋時代である。遼が滅んだあとも、宋は相変わらず外敵の侵略に苦しみ、武林もまた強力な武術奥義書・九陰真経をめぐる争いが起きていた。
奥義書の争奪戦は、崋山論剣で全真教の王重陽が勝利したことにより終結する。彼と争った東邪・西毒・南帝・北丐は、五大達人として武林の頂点に君臨する存在となる。
ここで「あれ?」と思った方もいるだろう。そう、少林寺はこの中に入っていなかった。丐幇のボスや、大理国の末裔など、天龍八部の頃と同じ勢力の達人が名を連ねているにも関わらずである。
これが意味するところは明らか。少林寺は「天龍八部」での痛手から未だ立ち直れていなかったのだ。武芸に優れた長老格が軒並み死んでしまったので、次世代の弟子達は質が大きく低下したことだろう。加えて「天龍」の時に寺の奥義をさんざん狙われた彼らからすると、新たに九陰真経なんぞ手に入れても災いの種にしかならんと考えたのかもしれない。結局、武林で大事件が起こっても、知らん顔で寺に引きこもっているばかりだった。そんなわけで、天下第一の座も王重陽とかいうぽっと出の男に持ってかれてしまうのである。嘆かわしい。
射雕における少林寺は本当に影が薄く、主要登場人物もまるで彼らに言及しない。序盤にて登場する仙霞派の枯木は少林の流れを汲む武術家らしいが、こちらは黄薬師からボロクソに言われている。作中終盤で繰り広げられた二度目の華山論剣でも少林寺は参加表明せず、射雕の物語は終わる。
続編の「神雕剣侠」でも彼らの引きこもりは続いた。蒙古人の侵略で南宋は滅亡の危機。武林の人々も立ち上がり、英雄宴を開いて抗戦を誓う。
ところが、ここにも少林寺の姿はない。河北はもう侵略されちゃってるし、今更打倒モンゴルにもやる気が起きなかったのだろうか。同じく河北に本拠を置く全真教は敢然とモンゴルに抵抗してたのに。情けない。
ようやく少林寺の名前が出てきたのは十六年後の物語。そう、郭襄の誕生祝いだ。この時、寺の実力者である無色禅師が楊過の頼みで郭襄にプレゼントを送っている。しかし、郭靖夫婦は無色禅師の名を聞いてもあまりいい顔はしていなかった。まあ国難の最中に協力もしてくれない連中だから、そもそも印象がよくないだろう。そして物語の終盤、崋山の頂上で新たなる五絶についての議論が交わされるが、ここでも蚊帳の外。
しかし、少林寺から盗難品を取り戻すべく派遣されてきた覚遠と張君宝の二人によって、ようやく彼らの物語も動き出すのである。

復活の兆し?「倚天屠龍記」前半
さて、射雕・神雕ですっかり鳴りを潜めていた少林寺だが、倚天では序盤から物語の舞台になる。楊過の消息を求めた郭襄が、旅の途中でたまたま立ち寄るのだ。折しも、西域からの挑戦者が少林寺に挑もうとしているところだった。
百年以上も武林の争いから遠ざかっていた少林寺。その実態は―――あまりに悲惨なものだった。
客人としてやってきた郭襄に対する無礼な対応に始まり、羅漢堂のトップがその小娘との立合いできりきり舞いさせられる。そして西域から来た田舎者の武芸者に僧達が誰も対抗できず、運良く絶技を身につけた覚遠のおかげでどうにか面目を保つ。かと思ったら、見る目のない老害がその覚遠を追い出す……。
なんかもう、組織としてダメダメである。戦いから遠ざかりすぎていたせいで、世間へのコミュ力も武功レベルも軒並み落ちてしまったのだろうか。寺にこもって修行してた百年は無駄だったようだ。
しかし、少林寺はひょんなことからお宝を手にいれる。そう、他ならぬ九陽真経である。覚遠が臨終の際に唱えた経典の文句を、無色禅師がそばで盗み聞きして聞いていたのだ。得られたのは九陽真経の一部に過ぎなかったが、それでも一門の武術を底上げするのに絶大な効果があった。それはたった一代で武林のトップに躍り出た武当派と峨眉派を見ればよくわかるだろう(張君宝と郭襄も覚遠の臨終に立合い、それぞれ経典の文句を暗誦し、自らの武術に取り入れ一派の創始者となった)。無色禅師は、持ち帰った経典の内容をフル活用し、少林九陽功を作り上げる。そして二世代あまりかけて、少林寺の力を底上げしていったのである。

棚ぼたの栄光「倚天屠龍記」後半
倚天屠龍記は、金庸作品における江湖のターニングポイントでもある。神雕以前は突出した個人が君臨していた武林が、倚天以降だと武術家は基本的に門派へ属し、組織同士の強さを競う世界になっていく。
少林寺にとって、この時期はまさに躍進のチャンスでもあった。余計な争いを避けつつ人材を蓄え、少林九陽功のおかげで武力もアップ。かつて強力なライバルだった丐幇は優秀な人材を蒙古戦争で失って没落気味、武当や峨眉は新興勢力で質は良くても勢力はさほど大きくない。魔教も楊頂天の死で内部分裂している。いよいよ、少林寺が再び武林のトップに戻る日が来たのだ!
…が、世間はそんなに甘くなかった。まず、少林寺に対する武林の視線は実に冷ややかだった。それもそのはず、何せ蒙古戦争の時、戦いもせずひたすら傍観に徹していた連中である。そんなのが正派の旗振り役としてしゃしゃり出たところで、周りが大人しく従うはずもない。
そのうえ門人のモラルも良くない。張翠山と争った円の字世代の弟子は粗暴極まりないし、トップに立つ神僧達も空智は心が狭量、空性も喧嘩っ早くて大人げない、など色々問題だらけだった。
そんな有り様なので、劇中の活躍もやはり悲惨。出る杭は打っとけとばかりに、速攻でモンゴルに狙われ寺が占領される、掌門が二回も人質になる、暗躍する成崑に散々利用される、などなどいいところがまったくない。ろくな人材がいないせいか、最後には隠退したよぼよぼのジジイ達を引っ張り出して戦わせる始末。
結局、敵対していた明教に何度も救われ、武林盟主の座も手に入れられずじまいだった。世の中甘くないのである。
しかし、最後の最後で運は少林寺に味方をした。武林の盟主に等しかった明教のリーダー・張無忌が突然失踪してしまうのだ。その後、教団で頭角をあらわした朱元璋は明を建国し、やがて明教を禁教にまで追い込む。また、武当をはじめとする緒門派もそれまでの戦いで有力な門人を多数失っていた。
かくして、しぶとく生き延びた少林寺は徐々に勢力を強めていき、ついに「笑傲江湖」の時代には誰もが認める武林第一の門派になっていた。この頃には方証をはじめ、武功人格兼ね備えた人材も存在しており、武林の人々も尊敬の念で少林派に接している。

そんなわけで、金庸小説を歴史順に読んでいくと、見事に少林寺の没落と再生が一繋ぎのエピソードとして描かれているのだった。さすが金庸先生は偉大である!

それからの三国志

それからの三国志(上(烈風の巻)) (文芸社文庫) [ 内田重久 ]

価格:638円
(2022/9/24 14:14時点)
感想(12件)

日本では吉川版を始めとする創作三国志の影響か、諸葛亮死後の三国模様はよくスルーされてしまう。それまでの主要人物がいなくて寂しい、物語的に面白くない、などファンそれぞれの主張はあるが、本作はそんないまいちスポットのあたりにくい統一までの三国志について、小説仕立てで紹介している。
ちなみに中国の通俗古典小説を読み慣れていれば、原作である三国志演義の諸葛亮死後~晋統一も別に出来が悪いとは感じないように思う。「諸葛亮死後がつまらない」の意見は、あくまで日本人の創作した三国志ものにしか触れていないファンが、演義をよく読まずに下している評価、というのが私の印象。

あとがきによると作者は在野の研究者?らしく、それだけに論文や研究本のように内容が堅くならず、ライトな三国志好きにも読みやすい作り。章ごとに各国の主要人物を視点として(蜀なら姜維、魏なら司馬兄弟など)、三国統一までどのような歴史の流れがあったかを語っていく。特に物語ではスルーされがちな各国の政治や経済についても詳しく触れられているのは良いところ。結果的に統一は果たしたものの、何だかんだ屋台骨が結構脆かったのでは、と感じさせる魏の内情もよく描かれて面白い。個人的には病をおして反乱鎮圧に向かう司馬師と、都を守る司馬昭の兄弟愛に胸が熱くなった。

もっとも、作者は本流の研究者でもなければ小説家でもないので、歴史公証や物語描写などでいちいち細かな不満が出てしまうのはやむを得ない。あと、魏呉蜀の話の配分にやたら偏りが生じているのも気になる。多分作者は蜀(というか姜維)が好きで、その彼の魅力を伝えるには宿敵にも詳しく言及しなければならないから魏へページが費やされている。そのあおりを食らってか、呉については明らかに深掘りが足りない。有名な陸抗と羊祜のエピソードくらい載せて欲しかったし、呉の最期の奮戦についてもあっさり過ぎ。このあたり、研究者ならもっと配慮があっただろうし、小説家なら盛り上がりの目のつけどころとして外さない場面だと思うのだけど。
とどのつまり、本作の問題は諸葛亮死後の三国志を楽しみたいなら演義でいいよね、の域を超えられていないところではないだろうか。研究書として読むにはバランスが悪く、物語として読むなら演義の方がよく描けている。

それでも、現代人向けにわかりやすく三国の終末を紹介した良書だとは思う。諸葛亮の死後で三国志がストップしてしまっている方々は是非どうぞ。

金庸小説ベストバトルランキング

偉大なる金庸先生の武侠小説で好きなバトルをちょっと紹介してみる。一応ランキングをつけたけれど、どれも大好きなのでその時の気分で入れ替わりはありそう。
個人的な意見だけど、金庸小説は予定調和(勝つのが読む前にはっきりわかってしまう)な主役のバトルより、どちらが勝つのかわからない脇役のバトルの方が盛り上がる気がする。

一位 『神鵰侠侶』より華山での洪七公vs欧陽鋒
射鵰英雄伝から因縁のあった五代武術家の二人・洪七公と欧陽鋒の最後の戦い。雪の華山を舞台に、七日近くもジジイ達が戦い続ける見せ場。素手、得物、内力比べでも決着がつかず、ついには奥義の打狗棒術の型を破れるか頭脳を駆使した勝負に持ち込まれる。決着の果て、宿敵同士が笑い合って抱擁しながら逝くという最期がとても素晴らしい。戦いを見届けて変化する楊過の心情描写も好き。

二位 『射鵰英雄伝』より牛家村での黄薬師vs全真七子 
成り行きで手を交えることになってしまった黄薬師と全真七子の戦い。中盤以降、五代武術家の登場ですっかりインフレにおいていかれてしまった全真教の面々が意地を見せた名勝負。欧陽鋒の横やりが入るまで一晩近く渡り合ってみせた。奥義の北斗陣が設定描写含めてとにかくかっこ良い。陣を敷く際の口上も好き。七子達も、常に激情マックスな丘処機、黄薬師を前にしても冷静な馬鈺、目上への礼儀を気にして頬を打たれてしまう王処一などそれぞれ個性が出ていて良い。

三位 『連城訣』より雪山ので血刀老祖vs落花流水の四達人
中盤というか、アクション少なめの本作で一番の見せ場。脱出不能な雪山を舞台に五人の達人が生死をかけて対決。とっさの機転と狡猾さで、自分と同等レベルの武術家四人を不利な状況から見事に倒しきってしまう血刀老祖があっぱれ。どう考えても悪人な血刀老祖なんだけど、読み手からするとなんとなく彼の奮闘に肩入れしたくなるのが不思議。ちなみに主役の狄雲は完全に蚊帳の外でした。

四位 『笑傲江湖』より衡山での令狐冲vs田伯光および羅人傑
恒山派の尼僧・義琳の口を通して語られる戦い。伝聞形式なので、聞き手である林平之や読者にも、最初は令狐冲の正体がわからず徐々に明かされていく過程が面白い。作中でも言及されている通り、戦っている者達の武力レベルはそんなに高くないものの、格上を相手に口の上手さと知力で立ち回る令狐冲のかっこよさが見所。こういう面白さは小説ならではと思う。

五位 『天龍八部』より少林寺での英雄大決戦
少林寺を舞台に武林の名だたる英雄達が勢揃い。主役の段誉・簫峰・虚竹が義兄弟の契りを交わしそれぞれ因縁の敵に向かっていくシチュエーションが激アツ。とはいえ、基本的に負け無しの簫峰、既にパワーアップがカンストしている虚竹、自由に武功を操れないだけで既に慕容復なんか歯牙にかけないほどの内力と奥義を持っている段誉など、明らかにどれも主役側の勝ちが見えてしまうバトルなのはややマイナスかな。

次点 『神鵰侠呂』より襄陽での楊過vs金輪法王
襄陽での最終決戦におけるライバル同士の対決。金輪法王が十六年で予想以上のパワーアップを遂げ、楊過は愛する小龍女との再会で十全の力が発揮出来ず(楊過の奥義は悲しみの心が原動力なため)、さらに郭襄も人質にとられ思わぬ苦戦を強いられる。しかし、追い詰められて小龍女との別れが脳裏をかすめた瞬間、蘇った悲しみの心で奥義「黯然銷魂掌」が発揮され、金輪法王を見事に打ち倒す。戦場まっただ中での救出劇、因縁のライバルとの対決、華麗な逆転劇ととてもすっきりする戦い。

次点 『笑傲江湖』より少林寺での三本勝負
少林寺に集結した武林の首脳達。娘を救出するため寺に忍び込んでいた仁我行達を逃がすまいと、正派最強の使い手である方証・冲虚・左冷禅が勝負を挑む。この時点における武林トップクラスの達人達の戦いが見物。自らの命をかえりみない向こう見ずな仁我行の戦いぶりが凄い。また、仁我行にけしかけられて戦わざるを得なくなった令狐冲に対し、きっぱり不戦勝を告げる冲虚の潔さも達人らしくてかっこいい。

大体こんなところでしょうか。皆さんも好きなバトルがあればコメントなどいただけると嬉しいです。

絳紗記

三省堂書店オンデマンド 東洋文庫「断鴻零雁記」

価格:4,180円
(2022/8/29 21:14時点)
感想(0件)

中華民国初期の作家・蘇曼殊の中編小説。
清朝末期。二人の青年と、彼らをとりまく女性達との悲恋を描く。

一応、鴛鴦胡蝶派の作家として分類されている蘇曼殊。本作は代表作の「断鴻零雁記」と殆ど同じコンセプトで、世の流れに適合できない愛国青年が、綺麗なおにゃのこ達と愛だの死ぬだのといった甘美なイチャイチャを繰り広げるお話。身も蓋もない言い方だけど本当にそんな感じだからしょうがない。国家が大変な時に恋愛にうつつを抜かすとは何事じゃ!と当時の文壇から叩かれたりもした鴛鴦胡蝶派だが、一方で大衆はこういう進歩的なロマンスを強く支持しており人気のジャンルでもあった。いつの時代も、お堅い文学よりエンタメ路線がウケるのは変わらない。

主人公の曇鸞と彼の友人である夢珠はどちらも作者の蘇曼殊がモデル。先進的な教育を受けながらもそれをいかせずうろうろするだけの曇鸞。特殊な出自で世を儚み、出家をしながらも俗世の愛に未練がましい夢珠。どちらも当時の青年にありがちな悩みを抱えた、感情移入しやすい存在だったのでは。
短い小説にも関わらず、ヒロインが続々出てくる。しかも今時のラノベでもそうはならんやろと言わんばかりの、男に都合のいい(美人で、性格もよく、特に理由もなく主人公に惚れる)造型のヒロインばかり。もう少し何とかならなかったのか。「断鴻零雁記」もそんな感じだったので作者はこういう女性がタイプなのだろう。
主人公がアレなのでストーリーは暗いし終わり方にも希望が無い。鴛鴦胡蝶派の作品は悲恋ものが多いので、これまた当時のセオリーといったところか。主人公の退廃的な姿、作者自身がモデル、といった作風は郁達夫あたりとよく似ているが、郁達夫は蘇曼殊の作風を結構手厳しく批評していたりする。うーん、何となく同族嫌悪でないかと邪推してしまう。

作者の父親は買弁であり、シンガポールや香港を舞台にした商取引の様相などが作中で描かれているのも、そうした背景によるものだろう。このあたりは当時の空気を知ることが出来て面白い。