「中国古典から学ぶ~」系の本は地雷だらけ、という話

個人的に、日本における中国関連書籍の中でも、一番ハズレを含んでいるのがいわゆる「中国古典から学ぶ~」系のビジネス・自己啓発本だと思ってる。「論語から学ぶリーダーシップ」だの「三国志から学ぶ仕事術」だの、まあそういう類の本。
具体的に何がダメかというと、

・古典の権威を借りて、平凡なフレーズや主張を、さも立派な格言であるかのように飾り立てる。
・作者が自分の主張を通すために、原書の意図をねじ曲げる。

といったことが頻繁に起こるため。そもそも、古典というのは古くから注釈がいくつも作られているのを見ればわかるように、読む側が好き勝手にねじ曲げ解釈出来てしまう余地がある。とりわけ洋の東西を問わず、経書や聖典が特にそう。だから「古典から学ぶ~」系の作者は、自分の都合のいいように古典の文句を引っ張って、さもそれが正しい意味であるかのように書き立ててしまう。また、古典には歴史の重みがあるから、小学生が言いそうな理屈でも何だか立派な言葉のように錯覚させることが出来る。
それでも、作者がきちんと引っ張ってくる古典をきちんと読み込んでいるなら、まだいいと思う。少なくともそこまで的外れな内容にはならない。
が、世の中には「これ、もとの本を読んでないんじゃないのぉ?」というくらい、古典を用いてトンチンカンな本を書く人もいる。
今回買ってしまった「水滸伝に学ぶ組織のオキテ(平凡社新書)」は、まさにそんな書物だった。

いやね、タイトルから地雷臭は感じてたんですよ。でも平凡社さんから出てるし、何より水滸伝から組織論を語る、という着眼点は良さそうだし…と思ってキンドルでポチったわけです。
で、読んでみたらもう…ね…。

まずこの本、内容の三分の二が、水滸伝本編のあらすじの追っかけになっている。なので、肝心の組織論について全然語られていない。これだけでもう大分ハズレ。本編を読んでない人向けに物語を説明するのは必要でしょ、という意見があるかもしれないが、だとしても馬鹿正直に物語を最初から最後まで平坦に紹介する必要性は皆無(実際のところ、水滸伝の面白さは前半の豪傑単独のエピソードに集中しているのだけれど、それをいちいち話していたら柱のテーマである組織論の話が出来ないんだから、そのあたりは積極的に削ってしかるべき)、なので単に紙幅を肥やそうとしてるようにしか見えない。
で、その三分の一しかない組織論がまた酷く薄っぺらい。宋江が晁蓋から礼物をもらったことに関して「高価な礼には注意しよう」とか、武松の藩金蓮殺害エピに関して「証拠集めが肝心だ」とか、読んでいるだけで頭が痛くなってくる。そんなしょーもないことを言いたいがために水滸伝を使うんじゃねぇ!!

あと、本を全部読んでみて、作者の稲田氏は水滸伝を通読していないんじゃないかと思った。
あらすじを平坦に紹介(ただの物語紹介にしたって、もっと水滸伝を読んでみたい!と思わせる書き方が出来ないのかと思った)したのもそうだし、内容に触れている箇所でおかしな点が多すぎる。
例えば梁山泊の席次について、作者は「もともと宿命で順序が決まっているから順番の決め事は重要ではなく能力が重要だ」云々と語る。んなわけがない。本編では新たな仲間が入山する度に、席次の変化が繰り返し詳しく述べられている。順序にもきちんと意味がある。百八星の並びが九天玄女のお告げや石碑文で定められている、というのは正解の半分でしかない。なぜなら、百八星終結後の序列は、明らかに宋江の目的が運営しやすい体制に並び替えられているからだ。
ちょっと詳しく解説しよう。
宋江が目指したのは、忠義の軍を作って朝廷に帰順することだ。けれども梁山泊の豪傑達は色んな事情で集まってきたから必ずしも一枚岩で無い。山賊暮らしで一生をやっていきたいという者もいた。朝廷なんか潰して宋江を皇帝にすればいいと冗談を吐く過激派もいた。それらをうまくコントロールするために作られたのがこの席次なのだ。
え、そんなこと本編で説明されていないって? そうだね。でも、席次をじっくり眺めれば色々と見えてくるものがある。
例えば第二位の盧俊義。席次の高さと裏腹に、本編ではだめっぷりが目立つ男。なんでこんなのが二位なんだ…と思う読者は多いんじゃなかろうか。けれども、盧俊義がこの順位でなければならない理由が実は沢山ある。
宋江は周囲に推されて一位になったが、武芸も弱く見た目もしょぼく身分も低いオッサンである。要するに組織の長としては華が無い。一方の盧俊義、北京の大商人で、(一応)武芸の達人、さらに風采も備える。つまり、宋江には無いものを全て持っている。だから横にいてくれるだけで、宋江の外面の欠点を全て補ってくれる。それでいて、戦をやらせたら無能。けれども、そういうヘマをするヤツだから宋江の地位を脅かす危険は薄いし、能力が無いから梁山泊の方針にうるさく口出ししてくることもない。ナンバーツーに置いておくにはまたとない、安心出来る人材なのだ。
他にも、五位以下の連中を見てみよう。関勝、林冲、秦明、呼延灼、花栄と並ぶ。このうち四名は、軍の中核である騎兵のメンバー。そもそも宋江の目的は忠義の軍勢を作ることだから、特に重要な騎兵の配下は、彼の思想に共鳴してくれる者でなければならない。
このうち、一番厄介な男が林冲である。梁山泊の古株で、席次も高く、騎兵の将でもあるから当然高い席次に置きたいが、彼は根っからの帰順反対派である。となれば、周囲に賛成派を置いて封殺するしかない。
五人のうち、関勝は「今の朝廷は良くない」と不満を言いつつも、もとは熱心な忠義軍人、秦明と呼延灼も高位の軍官で、帰順には文句を言っていない。そして花栄は宋江の親友なので当然宋江派。ちなみに秦明は花栄の妹を奥さんにもらっているので、彼のことは無下に出来ないはずだ。大体、実力があるとはいえ新参な関勝(もとの身分はしがない捕り物役人)が林冲より上、という時点で、この席次に宋江の意図が働いていることは明白なのだ。関羽の子孫だから五位なんでしょ、なんて単純なものではない。水滸伝は奥が深いのだ。
他にもざっくり語ると、十位の柴進や十一位の李応は高過ぎず低すぎない位置。この二人は梁山泊の大事な財源バックアップであると同時に、ナンバーツーに置くと宋江を脅かす危険性がある。というのも、二人は梁山泊解散後あっさり隠遁したことからもわかるように、もともと朝廷のために尽くそうという志が薄い。トップに置いたら必ずしも宋江の方針に共鳴はしないだろう。また、柴進も李応も多数の食客をもてなす財力と人望があり、盧俊義と違って有能である。前線に出したらきっちり活躍してしまうのだ。とりわけ柴進は後周の末裔なうえに、もともと宋江に匹敵する声望の持ち主である。こういうのは放っておくと、梁山泊内に強力な派閥を生み出す可能性がある。だから下手に高い席次よりは、ほどほどのところに置いておき、普段は地味な後方支援にまわしておいた方がいい…なんて意図が働いていたのではと想像出来る。
派閥といえば、皆が思うのは李俊をはじめとする水軍勢だろう。梁山泊がいくら攻められても陥落しなかったのは、ひとえに彼らの存在によるところ大きい。そして彼らは根っからの帰順反対派。しかし、宋江が梁山泊を忠義の私軍へとどんどん改編していったので、戦力の中核は騎兵になり、水軍勢の席次も貢献度の割に天罡星の後ろへ追いやられ、発言力を失っていく。李俊がようやく声をあげた時には、もうすっかり宋江体制が出来上がってしまい手遅れだった。結局、義理もあって李俊達も帰順の方針へ従ったわけだが、これもすべては宋江(と呉用)がうまくことを運んだ結果だろう。
また、上位層の帰順反対派といえば武松や李逵が挙げられるが、彼らは反対派といえど宋江とは仲の深い関係である。兄弟の義理を持ち出せば、まあ兄貴のためだから、と動いてくれる。一番あぶなかっしい李逵については、宋江が要所で直々にしつけなければならないが、基本的には忠犬なのでよく働くし、朝廷のためではなく宋江のために戦う分には文句は言わない。また彼らの周辺も宋江の仲良しもしくはもと朝廷の軍人or役人でかためられている。ゆえに、反対されても宋江の方針が通りやすい序列になっているのだ。
……と、一介の水滸伝ファン私である私でさえ、席次一つでもこれだけ組織に関する妄想と分析を並べ立てられるのに、稲田氏ときたら「席順は石碑文による宿命だから~」ときた。浅すぎ!! そもそも、水滸伝への愛が足りないんだよ、愛が! こういう本の書き手には、まず第一に作品のファンであって欲しい。愛があれば言葉は拙くても、熱量が読者に伝わる。正直、あとがきを読んで「ああ、とりあえずこの人は水滸伝をめっちゃ好きでもないし、本気で世に広めたいほどの情熱は持ってないんだなー」と思ってしまった。原作をいくら読もうが、旅行で梁山泊に行こうが、作品への愛の無い者が、他人へその面白さ・魅力を伝えるだけのエネルギーを本へ注ぐのは無理だと思う。
あと、ついでに言っておくと、利益追求を目的とする現代日本の企業と、国家防衛を目的とする私軍集団(当初は単に生き延びるために身を寄せあってる賊の集まりだけど)という、全然比較しようもない両者を並べて組織かくあるべしと語ろうとしたのに無理があると思う。編集さんはそのあたり突っ込まなかったのか。恐らく編集も水滸伝読んでないね…。

結論
「中国古典から学ぶ~」系はやっぱり地雷多し。

コメント

  1. 偽君子 より:

    うーむ。小生はその本は幸か不幸か読んでおりませんが、お気持ちはよくわかります。そういうのって、悲しいかな増えてるんですよね。だから、それに「物申す」方がいないと、巷に溢れるのは役に立ちそうで立たないようなものばっかりになってしまいますよ。多分小生のような人間が読んだら、間違いなく魯智深・鉄牛状態になるだろうなぁ・・・。これ、やっぱり著者が存命中のより、過去の作品に対しての方がタチ悪いですよね。死人に口なしだと思って良い加減なことを言うな、と。古装劇なら「該当何罪!」(自分のやってることがわかってるのか)と叫んで机を叩くところか。

  2. 西貝 蓮 より:

    >そもそも、水滸伝への愛が
     >足りないんだよ、愛が!
    高校で紅楼夢に出逢うまでは、
     水滸伝が大好きだったので、
    楽しんで読ませていただきました。
    私には文才がまるで無いですが、
    上の引用部分に激しく共感しました。
    それにしても、水滸伝から紅楼夢…
    極端から極端!(以来、数十年)
    私の名前ですが、環境依存文字に
     嫌気が差し、部首を変えました。
    スマートフォンからだと、
      どうしても已むを得ないです。