花魁と油売り 明代人情小説集

花魁と油売り 明代人情小説集 (岩波文庫 赤32-3) [ 馮夢龍 ]

価格:1364円
(2026/7/30 06:51時点)
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中国明代、馮夢竜が編纂した白話小説集「三言二拍」の新訳。翻訳は大木康先生。二百篇ほどある物語の中から、今回は下記七作を選出して収録。

蒋兴哥重会珍珠衫(真珠の肌着)
閑雲庵阮三償冤債 (指輪の因縁)
杜十娘怒沉百宝箱 (遊女の恨み)
卖油郎独占花魁 (花魁と油売り)
唐解元玩世出奇 (唐寅微笑の縁)
钝秀才一朝交泰 (厄災書生の出世)
鬧陰司司馬貌断獄(三国英雄たちの由来)

後書きでは人情譚を中心に選んだとのことだが、どれも「三言二拍」中の傑作とされる作品ばかりなので、むしろ傑作選と呼ぶ方が相応しいと思う。収録作の多くは戯曲化・ドラマ化、日本の江戸読本での翻案化などもされており、中国文学をそれなりにかじった人なら確実に知っているはず。
私自身も、ラストの「鬧陰司司馬貌断獄」以外はどれも平凡社や東洋文庫の過去訳で何度も読んでいるので、今更レビューすることなんて特にないんだけれど、大木先生の解説が気になったので購入。明代後期に各地で勢力をあげた新安商人が物語の中で一種の悪役ポジションとして描かれやすい背景があった、というのは新しい発見だった。勉強になるなぁ。

収録作品のうち「蒋兴哥重会珍珠衫」「杜十娘怒沉百宝箱」「卖油郎独占花魁」は私の別ブログにて個別レビューあるので、気になる方はぜひ(タイトルクリックで記事に飛べます)。結構昔に書いたやつですが。

また「卖油郎独占花魁」に関してはこのブログで二つのドラマ版レビューがある。
愛情宝典「売油郎」
古装ドラマ「三言二拍」1993年版より「卖油郎独占花魁」

さらに「杜十娘怒沉百宝箱」「唐解元玩世出奇」も翻案映画のレビューがある。
杜十娘 映画(旧ブログ記事)
三笑 1964年版

どれも日本未公開だけど、話はシンプルだし中国語も平易なので、割と見やすい部類。古いのでネットとかに落ちてます。

今回収録作の中で「鬧陰司司馬貌断獄」だけは私も翻訳で読んだ記憶がないので、専門書を除けばもしかしたら初翻訳かも。しかし傑作ぞろいの本書の中では、恐らく一番面白くない話だと思う。話のジャンルとしてもこれだけ浮いている。チョイスされたのは、三国志ネタということで日本人にはとっつきやすいから、セールス的な理由かな? なんにせよ翻訳してくれただけで嬉しいですが。
ちょうどこの前「全相三国志平話」を読んだのだけど、読者様がコメント欄でこの「鬧陰司司馬貌断獄」に出てくる冥府裁判の元ネタが平話だとご教示くださり、登場人物と大筋はほぼ「平話」と変わらず、裁判部分を大きく膨らませたものになっている。司馬貌の判決トークがいかにも現実の中国裁判を模したものなのは面白いけれど、まあ話としては平坦で、同じ三言二拍の裁判ものでも「滕大尹鬼断家私」 とかの方が出来はずっと上だと感じた。

ちなみに「三言二拍」はこれまで日本で全編翻訳されていない。ただ、出来の良いものに触れたいのであれば、同じ明代に「三言二拍」から四十編を選出した「今古奇観」という作品があるので、これを読めば大体事足りる。こちらは全訳が平凡社や東洋文庫で出ている。旧約と本書の新訳を読み比べるのも一興だろう。
読み比べといえば「閑雲庵阮三償冤債」は過去の日本における翻訳実績だと、もっぱら馮夢竜が改変する前の「指戒児記」ばかりが取り上げられ「閑雲庵阮三償冤債」はスルーされてきた。「指戒児記」は後半が散逸しているので、翻訳も途切れた部分で切られ、代わりに結末を「閑雲庵阮三償冤債」後半のあらすじを註で紹介するというかなり強引な方法がとられていた。当時翻訳された方の意向としては、明清で改変される前の原型に近い状態を紹介したかったのかもだけど、シンプルに物語だけ味わいたい読者からしたら中途半端なお話を翻訳されても…な感じだろうし、今回三言バージョンで新訳されたことで、ようやく気軽に?読み比べも楽しめるようになったといえる。

後書きでは大木先生が「卖油郎独占花魁 」への思い入れをつづっているが、私も中国古代妓女の物語も文化もめっちゃ好きなので(拙著同人誌「中国古典妓女列伝」を書いた際も色々先生の本を参考にさせていただきました)共感しかなかった。今になって新訳が読みやすい文庫サイズで出てくれたことがとにかくうれしい。
ちなみに次回作として幽霊怪異譚をチョイスした「白蛇の妖恋」が刊行予定とのこと。タイトル通り「白娘子永鎮雷峰塔」が収録されている模様。これは一般に「白蛇伝」として超有名な作品の元ネタ※にも関わらず、これまで平凡社の分厚い全集にしか翻訳がなかったので、文庫で新訳出してくれるなんてほんと神。
紅楼夢の時はさんざんディスってしまったけど、やっぱり岩波さんはいい仕事をするなぁ。

※現代で一般に浸透している「白蛇伝」は清代以降に作られた「白蛇全伝」が主流。「白娘子永鎮雷峰塔」はまだ異種恋愛譚として半端な出来栄えでホラーの趣が強い。もちろんそれでも面白い傑作。