白蛇の妖恋 明代怪異小説集

白蛇の妖恋 明代怪異小説集 (岩波文庫 赤32-4) [ 馮夢龍 ]

価格:1276円
(2026/11/3 17:52時点)
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中国明代、馮夢竜が編纂した白話小説集「三言二拍」の新訳第二弾(第一弾はこちら)。翻訳は大木康先生。二百篇ほどある物語の中から、今回は怪異系の七作を選出して収録。

范巨卿雞黍死生交(命をかけた約束)
張道陵七試趙昇(仙人への試練)
薛錄事魚服證仙(鯉になった役人)
灌園叟晩逢仙女(花咲か爺さんと仙女)
李公子救蛇獲称心(蛇の恩返し)
陳從善梅嶺失渾家(奪われた妻)
白娘子永鎮雷峰塔(白蛇の妖恋)
崔待詔生死冤家(幽霊だった妻)

怪異譚特集となっているが、日本でもよく紹介される志怪ジャンルの「聊斎志異」「捜神記」などと比較して「三言二拍」の作品はどれも人間ドラマ寄り。幽霊達の行動も妙に現世的で、そこが現代の私達からすると面白く感じられる部分になっている。
ちなみに本書の一番の目玉は収録作じゃなくておまけとして掲載されている「三言」の序文だと思う。当時、文壇で低く見られがちだった小説が、どんなに素晴らしいものか、価値のあるものであるかを大変わかりやすく力説している。面白いのが、この序における評が現代人から見ても共感出来る要素がとても多いこと。特に昨今ネット上でうるさく語られがちな表現規制とか創作モデル問題とかに興味のある人達は是非読んでみると良いだろう。まあ、要するにエンタメで人間が言い争ってることなんて今も昔も変わらないって話なんですけどね。

以下、各話の簡単な感想。

范巨卿雞黍死生交
契りをかわした義弟との約束が守れなかったため男が命を捨て、さらに弟も兄に殉じて命を捨てるお話。当人達で兄弟愛に燃えるのは結構なことだが、残された家族がひたすら不憫。当時は現代と違って気軽に連絡をとったり旅行が出来たりする環境では無いので、遠く離れた大事な人に会いに行くことの重みが大変大きいことはまあ、わからなくもないけど…。お手紙出して「約束忘れちゃった!マジでごめん!」じゃダメなのかな。ダメなんだろうな、うん…。
内容としてはかなり荒っぽい筋書きなんだけれど、実はそれにもちゃんと理由がある。後書きでもちょっと触れられているが三言の収録作は編纂者である馮夢龍が改変を加えたもの、時代が出版時期に違い明代のもの、それより昔の古本をほぼそのまま掲載しているものがあり、本作は一番後者にあたる。宋・元代の話本を多く収録した「清平山堂話本」には本作が収録されており、三言収録のものと文章にも殆ど差異が無い。宋~元代はまだまだ白話小説の発展段階であり、当時書物として残された小説は、講釈師が使うための「台本」であることが多かった(昔の庶民は識字率が低いため、物語を講釈で楽しむのが普通だった)。そのため読み物として作られていないため、洗練されていなかったり描写不足に思えたりする。そうした足りない部分は、講釈師がアドリブや自分のオリジナルで補うのである。時代はややずれるが、明の有名な講釈師である柳敬亭は独自の語り口で「水滸伝」の講釈を行い、内容が書物の水滸伝とは全然違った、といったこともあったそう(「陶庵夢憶」に依る)。
そんなわけで、本作に限らず古い中国通俗小説が現代の私達からすると描写足らずで薄味な作品に見えてしまうのもある意味自然なこと。とはいえ研究者視点では、宋~元代の話本は古い時代の語法や物語の原型を色濃く残しているので、これはこれで大変価値のある作品なのである。
なお、私は未読だけど本作は江戸時代の読本「菊花の約」としてリメイクされている。知っている人は読み比べてみるのも一興。

張道陵七試趙昇
五斗米道の指導者として有名な張道陵のお話。冒頭における儒仏道の比較評は昔の庶民の宗教観が見えてきて面白い。儒教はあまりに日常的で平凡は草。仏教は高潔すぎてつらいといっているけれど、本編を見る限り道教修行も相当つらそうな気がするが…。
張道陵は地位も財産も手に入れた先でその無意味を悟り、最後に不老長寿を目指して仙人になろうとする。それはそれで欲望から発したものなんだろうけれど、仙人修行は欲からの脱却とセットなため、最終的には不老長寿になろうがなるまいがどうでもいいくらいの心境にいたっている。まあ本人が満足してるならいいけれど、これを読んで道教はいいものだ!と思う人は今も昔もそんなに多くないだろう。

薛錄事魚服證仙(鯉になった役人)
重い病にかかって鯉になる不思議な体験を経て昇仙するお話。先行訳に「中国文学大系(1959年)」があるらしいけどレア本なので私は未読。そんなわけで今回文庫化で出してくれて嬉しいタイトルの一つ。
作品の元ネタは唐代伝奇「薛偉」で、こちらは平凡社中国古典文学大系「六朝・唐・宋小説選」に日本語訳が収録されているので読み比べてみるのも一興。「薛偉」は怪異譚として短く綺麗にまとまっているので、その増補版である本作は昇仙のくだりが蛇足にも感じられる。まあ、無理やりハッピーエンドとしてまとめようとすればこんな感じか。本書収録の八編に限らないが、三言の終わりは「出家しました」「長寿で子宝に恵まれました」「仙人になれました」と幾つかの定型パターンで占められている。

灌園叟晩逢仙女(花咲か爺さんと仙女)
花好きオタク爺さんのお話。「今古奇観」にも収録されており古くから日本語訳もあるので本書の中では知名度の高い一編。
ファンタジーを絡めてはいるが話の内容は結構地に足がついていて、狭量オタクだった花好き爺さんが外部とのトラブルを経て悟りを開くあたりは訓話的なドラマになっている。花園をめぐる裁判沙汰も権力者に逆らえない庶民側の視点が浮かび上がって興味深い。その花園を手に入れようと横暴を極めた張委の派手な死に様も見所。

白娘子永鎮雷峰塔
有名な白蛇伝の元ネタ。日本語訳は過去に平凡社「中国古典文学体系 宋・元・明通俗小説選」にあり。しかし分厚い全集本サイズだったので、今回文庫で読めるようになったのは有り難い限り。
本作は古くから作られてきた「白蛇伝」物語の中間形態にあたり、主要人物の設定もまだ大雑把で、話もシンプルな怪異譚。現代中国のラブアクションファンタジー全開な白蛇伝とは全然違うので、もし中国人に「白蛇伝知ってるよ!」と言って本作の話をすると「???」と反応されるので注意しよう。
今回再読してみて、杭州の地理や季節ごとのイベントを丁寧になぞっていてちょっとしたガイド本みたいな感じだと思った。

陳從善梅嶺失渾家
妖怪に妻を奪われてしまった青年のお話。端的に言えば「西遊記」に出てくる妖怪被害者目線の物語といったところか。陳辛の妻である如春は別に悪人というわけでもない(むしろ妖怪の誘いも拒むなど貞操観念もしっかりしてる)のに、ちょっと信心を欠いただけで三年間も妖怪のもとで強制労働させられるのが可哀想過ぎる。ここらへんは理不尽に民を苦しめる西遊記の天界とか妖怪そのまんま。
なお、本作の妖怪は斉天大聖を名乗るおサル。名前だけ聞いたら誰もが孫悟空を連想してしまうだろう。好色な性格は猪八戒も混ざっているのだろうか。人間相手には圧倒的な力を持つものの、天界の将にあっさり捕らえられてしまう。

李公子救蛇獲称心
浦島太郎と鶴の恩返しを重ね合わせたようなお話。
蛇の精である称心が、李元の科挙合格を手助けする方法がよりにもよって「答案を盗む」なの、怪異のくせに割と地に足着いたやり方で実に面白い。で、その盗んだ回答を使って大喜びで試験を受ける李元。あの、それ立派なカンニングですけど…。倫理観ガバガバである。
本作も「范巨卿雞黍死生交」同様、宋・元代の話本とされる「雨窓欹枕集」に収録されたのとほぼ同じ物を三言で収録している。

崔待詔生死冤家(幽霊だった妻)
本書収録の中では最も純粋なホラーとして仕上がっている一編。先行で「中国古典文学大系」にも日本語訳がある。後書きにもある通り元のテキストは宋代にまで遡れるようで、本文中にも二部構成の講釈の名残が見られる。
中盤までは秀秀が殺されて幽霊になっていることがうまくぼかされており、また最期の展開も珍しくハッピーエンドではない。現代人が読んでも普通に楽しめる怪異譚になっていて、三言でもかなり完成度の高いタイトルといえる。
これまた後書きの話になるが「京本通俗小説」の偽作に関する話は「中国古典文学大系」にも詳しく載っているので、気になる方はそちらも参照されたし。

とりあえず読みやすい三言二拍の新訳を文庫で出してくれただけでも神。
出来ればこのシリーズもっと続けて欲しいんですが…。

コメント

  1. 偽君子 より:

    「薛偉」と「白娘子」は「雨月物語」に翻案がありますが、「陳従善」は都賀庭鐘の「繁野話」に翻案があって、かなり良くできていますので、未見でしたらお試しあれ。
    https://dl.ndl.go.jp/pid/1913539/1/125