中国現代散文傑作選 1920-1940

中国現代散文傑作選1920→1940 戦争・革命の時代と民衆の姿 [ 中国一九三〇年代文学研究会 ]

価格:4620円
(2026/3/13 07:02時点)
感想(0件)

主に文学革命~日中戦争期の散文集。これまで日本で翻訳されなかった作家、業績が翻訳や論文によっているため日本では知名度が低い作家も取り上げられており、かなりバラエティ豊かな内容になっている。
文学革命を果たした近代の中国文壇(※註参照)にとって、文章を書くことは即ち政治思想運動だった。小説にしても物語の面白さより、民衆を啓蒙したり時事や旧習を批判したりといったところに重きが置かれがち。そのため当時の批評を読むと「革命精神が不足している」だの「なんとか主義にそぐわない」だの現代の我々から見たら「それ書評になっとるんかいな」と突っ込みたくなような評ももちらほら。また、抗日や内戦が激化してきた40年代以降や人民共和国の「十七年文学時代」はよりその路線が強まり、政治主張やプロパガンダ臭が強くて読めたもんじゃない作品も少なくない。
そういうわけで、近代以降の中国作家を語る際、彼らのエッセイ的な文章は作品背景を知ったり評論したりするうえでとっても重要なのである。
また作家といっても色々ある。主な業績が翻訳、論文、政治革命評論などなど。私のブログでも度々書いていることだけれど、日本の国語便覧では小説家として紹介される魯迅も、作品でいえば圧倒的に雑文が多い。他にも、本書に掲載されている瞿秋白は日本だと大学で中国関連の学問に触れなければまず名前を聞く機会はないだろうが、中国本土における文学者としての業績は非常に大きい。
本書はかなり日本人からするとマイナーな作家(私が知らなかっただけかもだけど)を取り上げているほか、日本や西洋から当時の中国を観察した作品も複数あり、近代中国の文学を学びたい方にはうってつけの本だと思う。大変おすすめ。
※もちろん文壇以外では大衆的な小説を書く作家たちも沢山いる(鴛鴦胡蝶派など)。中には文壇側との区別が曖昧な作家もいる。

以下個別感想(気になったもののみ)

丁玲「国際女性デーに思う」
日中戦争期の革命根拠地「延安」における国際女性デーにて書き上げられた雑文。共産党内部における女性問題、特に結婚や離婚について告発したもの。
私はどうも丁玲という人が苦手で、小説はどれも主張が先行し過ぎてプロパガンダ臭が強く読めたもんじゃないし、政治文書になるとなおのことその臭いがキツイ。
この作品も、開放地区とはいえ戦時下の最中に「女性が」「女性が」と訴えること以前に、もっと問題が沢山あるんじゃないか…と思う(食料とか軍事とか)。肝心な女性達へのメッセージも要するに「がんばれ」みたいな薄っぺらいことしか言ってないし…。
党内で批判にさらされながらも戦い続けた文士みたいな扱いをされる丁玲だが、その割には党に媚び媚びなところも多く見られるし、問題のないところに問題を作り出す現代の駄目なインテリみたいなことをやってるようにしか見えないのが何とも。

費孝通「復讐は勇にあらず」
アメリカに滞在経験のある著者が、1945年の太平洋戦争情勢について語ったもの。日本を倒すところまできたアメリカを中国の同盟国とみなしながらも、その戦争に対するスタンスが平和ではなく戦前の西欧列強の秩序回復にあるのではないかと疑問を呈している。費孝通の読みはある程度あたっており、第二次世界大戦の後に待っていたのは冷戦という新しい形態の戦争だったし、アジアが解放されるには長い時間が必要だった。
費孝通は初めて読む。中国から見たアメリカという勝者への批評、という視点が独特で面白い一編。当時の中国にも多様な思想家がいたことを知れるだけで価値がある。

茅盾「故郷雑記」
友人への手紙という形式で1930年代前後の庶民不安をつづっている。茅盾という人は小説もそうなんだけれど主張が結構遠回しで、最初はなかなか本筋が見えてこなくて退屈になりがち。特に現代人が読むと当時の背景情報がわからないので尚更。
とはいえ作中で出てくる民衆の不安の声、飢餓・戦争・商売不振などは現代の我々でも大いに共感するところがある。いろんなところから不穏な影が見えているのに、しかしそれがいつどのように解決するのか見えてこない。何人かは知ったかでデタラメを口にしたりするが、これは現代のネットで偽情報をばらまきかえって不安を煽る人間のやり方と同じではないだろうか。いつの時代も人のやることは変わらないものだと思った。

郁達夫「還郷記」
作者が故郷へ帰ったときの一幕をつづったもの。情景描写の秀逸さで評価が高いらしいんだけど、それよりも例に漏れず爆発している郁達夫の赤裸々自虐ラッシュが読みどころだと思う。友人達と夜通しで愛国について語っているのかと思えば実際のトークは女のことばかり(で、そんなしょーもない一夜のせいで翌日の汽車に遅刻したことを延々と愚痴る)、駅で女学生に親切にしようとしたら不審な目を向けられてきょどってしまい必死に心の中で自己弁護、公園のカップルを見て不機嫌に「私のように孤独な男の前でイチャイチャするのは自重したまえ!」と苛立つ、宿の隣室で客と娼婦の話し声を聞いてまたイライラ……、いやお前女のことばっかりじゃねーか! 
いっぱしの知識人でありながら人並みの生活力も無い。「愛国インテリなんてしょせんこんなもんなんだよ!」という暴露と自虐、何より理想とのギャップに苦しむ声が聞こえてくる。まあ現実に郁達夫のような人がいたら絶対おつき合いはしたくないんだけど、こういう赤裸々なメッセージが同じような愛国青年達に大受けしたであろうことは感じられる。

徐志摩「我が心のケンブリッジ」
作者がケンブリッジ大学に留学していた時の思い出をつづった散文。この経験が後年の徐志摩の創作活動に大きな影響を与えたという。詩人として有名な徐志摩だが、私は中国近代詩について全然知らないので、シンプルに往年の中国知識人の留学経験談として読んだ。哲学的な話も多いので、徐志摩の本をいくつか読んでからまた再読したい。
ちなみに本文中で述べている「もっとも苦しかった頃」については訳文解説で明かされているのだが、何かと思ったら不倫のことだった笑 現代と違って、当時の不倫は真実の恋愛を追い求める美談みたいに語られてるような気がする。まだ自由恋愛も謳われたばかりで、実際には親同士で決めた結婚が多かっただろうから、当人達からすると自分の決めた相手と恋をすることが先進的な感覚だったのでは。なお、徐志摩は元妻と離婚までしたが、肝心の恋人とはゴールイン出来なかった。うーん。

夏丏尊「日本の障子」
中華民国期の雑誌「宇宙風」に寄稿されたエッセイ。タイトル通り日本の障子文化について当時留学経験のあった著者が書いたもの。
夏丏尊は日本の障子について、紙質の良さ、間仕切りに紙を使うことによる機能性の高さ、文化としての上品さなどを挙げて、かなりべた褒めしている。なお、理由は書いてないが下駄は嫌いらしい笑 日本の裸足文化は屋内でも靴が常識の中国人からすると下品なものだと当時も思われていたそうだから、多分その類の理由かもしれない。
私からしたら障子ってすぐ破れるし日焼けもするし、インテリアとしても格子型の形状は面白味が無く、中国の古民家にあるような複雑な木彫りの枠窓の方が全然オシャレに見えるけどなぁ、と思ったり。
ところで、このエッセイで重要なのはその執筆時期。1936年。既に満州国が建って四年余り、日中は華北工作でバチバチやりあい、翌年はいよいよ日中戦争突入の頃である。
そんなピリついた情勢下で日本人の文化芸術特集なんてものをやっていた模様。まあ、戦争危機というのは自分の頭上に降りかかってこないと実感出来ないものだし、文化と政治はまた別物って意見もあるだろうけど…。なお、この「宇宙風」という雑誌は林語堂を筆頭に大御所が集い、老舎の小説なども掲載されていた雑誌で、日本特集をやっていたのも別に日本軍のプロパガンダに与してたとかいうわけではない。
夏丏尊を読んだのは今回のエッセイが初めてだけど、当時の日本小説を中国語に翻訳したりとかなり日本文化通だったそう。

簫紅「東京にて」
作者が1936年に不安定な大陸情勢を避けて東京に一時期留学していた時のエッセイ。魯迅の急逝にまつわる日本人と中国人の反応をつづっている。
簫紅は作家活動を始めた頃からずっと日本人による弾圧を受けており、華北や上海よりかは幾らかマシ程度の理由で渡ってきた日本にもそんなに思い入れが無さそうな感じ。実際、日中戦争が始まった翌年にはとっとと帰国している。
そんな彼女が敬愛していた魯迅の死に対する周囲の反応は薄い。日本にいる中国人ですら関心を示さない。加えて、簫紅が魯迅の死を知ったタイミングはちょうど靖国大祭の開催時期だったので日本人はみんなお祝いムード、悲しみを共有出来る相手は誰もいなかった。
ちなみに簫紅の作品で個人的に好きなのは、人の容姿に対して結構容赦ない書き方をするところ。本作でもその特徴がよく出ている。
ところで、ラストでただ一人魯迅の葬儀に出て嗤われた女性というのは簫紅のことであってるんだろうか?

朱自清「後ろ姿」
著者が二十歳の頃、父と別れたときの思い出をつづったもの。朱自清はかなり著名な散文家で本作も中国の国語教科書にも取り上げられているらしいが、恥ずかしながら私は初めて読む。
翻訳でも飾り気の無いストレートな文章で書かれているのがよく伝わる。こういうのは是非原文も触れてみたい。内容も、若い頃はかっこ悪く見えた父親の背中が、後になると慈愛に満ちたものに感じられる…と国や時代問わず感動出来るもの。
どうしても時代背景絡みで読みにくさのつきまとう散文が多くなりがちな本書の中では、最も読みやすい一篇だと思う。

老舎「私の母」
老舎が母親に関する思いをつづった一篇。老舎の小説作品って母親の存在が希薄な気がするんだけど(一番印象に残ってるのは「離婚」で主人公とその嫁を困らせるちょっと難ありな母とか)、それだけに本作でがっつり書かれた母親への想いにはうるっとさせられる。
貧しい家だったそうだが、子供は八人もいたという(老舎の一般的なプロフィールだと五人兄弟になってるけど、本作によれば早逝した兄弟が三人いた模様)。さすが中国、スケールがでかい。そして殆どが女の子だったので結婚すると家を離れてしまい、老年になると母は寂しい暮らしをせざるを得なかった。大黒柱である父を亡くし、女手一人で子供達を育てた母に常々孝行をしたいと思っていた老舎だが、仕事のためにそれも叶わなかった苦衷も述べられている。
翻訳では、遅くに生まれた末っ子を示す「老児子」という語を「恥かきっ子」と訳している。なんで恥かきなのかいまいちわからなくて「老児子」のワードをネットで調べてみたけどそれらしい答えは得られず。ニュアンスを推測するなら、男の子は家の跡継ぎかつ働き手になるから早くに生まれて欲しいのに、親が歳をとってから生まれたのでは遅すぎる、といったところだろうか? 有識者の方いらしたらご教示ください。

巴金「エルケの灯火」
作者が故郷へ十数年ぶりに戻ってきた時の心情を描いた一篇。これは巴金の代表作である「激流三部作(「家」「春」「秋」)」を先に読んでおいた方がずっと面白味が増すと思う。
作中後半では、嫁いで一年で亡くなってしまった姉について言及されている。激流三部作も女性キャラクターが結婚がらみで軒並み悲惨な目に遭うのだが、姉のイメージが一番重なるのは「春」の周蕙あたりだろうか。
訳者解説によると、この巴金の帰郷時に屋敷は国民党の邸宅となっていたらしい。

沈従文「街」
とある田舎街の有様を記した散文。細やかで写実的な描写が多く、殆ど小説を読んだような読後感に近い。
地元の軍閥に徴兵されて帰らぬ夫を待つ妻と子供。無邪気な子供達と、悲しみを押し隠している妻達の対比が印象に残る。
民国期のお話なのだが、街に生きる人達の暮らしには旧時代の風習やおまじないなどが複数出てきて妙に古めかしい感じ。

以上、それなりの数の感想を書いてみたがこれでも全収録数の半分にも満たない。巴金のところで述べたように、作者の他の著作に触れているかどうかで大分理解や面白さが変わってくると思う。瞿秋白とかはいくつか読んでるんだけどそれでも本書の一篇のみだとコメントしにくい…。
ややとっつきにくさはあるけれども、2020年代にこれだけの素晴らしい本が出たこと自体が奇跡。大学で中国現代文学に触れるような方には間違いなくお勧め出来る一冊。